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〜真田丸:大野治長の弟 治房はくせ者。幸村に眼を飛ばし、やがては斬首に 〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第42回放送『味方』では、大坂冬の陣を前にした大阪城において大野治長が幸村を部屋に案内するべく城内を歩いてたおり、治長の弟:大野治房(おおのはるふさ 別名は主馬)と擦れ違いますが、幸村に対して一礼をするどころか、一言もしゃぺることなく睨み付けていました。今で言うなら「眼を飛ばした。」ということです。
治房が幸村に対してこのような態度を示すのは、幸村に対してどのような遺恨があっての態度なのでしょうか?
今後のドラマ展開で確認したいと思います。
淀殿の側に仕える大蔵卿局には豊臣方に大野三兄弟と呼ばれる息子達がいました。
それが大野治長・治房・治胤、です。
ですが本当は大野は四兄弟なのですが、末の治純はこの頃既に徳川方に与していました。
大野治房 - Wikipediaによれば、
つまり一軍の将としての才覚は見劣りのする武将だったようです。
もしこれが史実だとしたら、治房がこのような行動を起こして落城する大阪城から逃れ料としたのには、家康が策謀によって操られた結果の出来事だったのかもしれません。
なぜなら、これまで家康は豊臣家を討たんがために行って来た常作は、豊臣家の中枢部にいる武将をおとしめるという策謀でした。
秀吉の側近:石田三成は石田三成襲撃事件で家康の裁定により蟄居させられましたし、片桐且元は方広寺鐘銘事件で家康の罠にはまり豊臣家を去らざるをえなくなりましたよね。
なので治房の最後の愚行も、家康に「豊臣国松を連れ出せば命だけは助けてやる」などと言われての行動だったのかもしれないと思えるのです。
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2016年10月24日
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