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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜真田丸:今回の『築城』では豊臣・徳川両軍の動きを描き、壮大な真田丸が〜
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『NHK大河ドラマ 真田丸』第44回放送『築城』では、徳川軍を迎え討つ豊臣方の大阪城内での動きと、豊臣方を攻めるために続々と集結する徳川方の動きが描かれました。

豊臣方では、淀殿とその周辺の武将ならざる人物たち(淀殿・大蔵卿局・有楽斎など)が、財をもって集めた元浪人たちの武将を信じられず、大阪城の守備における要所を集められた武将で守備するという幸村の陣立てを拒み、真田丸と幸村自身をも信用できずに、豊臣家の家臣だけで城の要所を固めて敵を迎え討とうとします。
淀殿の威を借る有楽斎は、秀頼に対して幸村考案による布陣にケチをつけますが、大野治長は自身の責任において真田丸の着工にゴーサインをだします。
しかし有楽斎は、淀殿の命を受けて既に着工している真田丸築城の中止を現場で働く者たちに言い渡します。
兵として雇い入れたにもかかわらず我らを信用できない豊臣家に対し、後藤又兵衛と毛利勝永は、ついには「ここには俺たちの居場所はない。」と、大阪城を出て徳川方につく意向を伝えるために幸村のもとを訪れ、「お主も来ぬか?」と声を掛けますが、幸村は「豊臣を見捨てるわけにはいかない。」と又兵衛たちの誘いを断ります。

そんな武将たちのやり取りを陰から見ていた秀頼は、幸村の「豊臣家を見捨てるわけにはいかない。」という言葉に心を動かされて真田丸築城を改めて要請し、淀殿に対しても「この城の主は私です。浪人たちの力を借りなければ豊臣家は滅びます。」ときっぱりと言い切ります。
真田家の古くからの家臣である高梨内記は、「30万の敵に勝てましょうか?」と幸村に問いますが、幸村は「我々は戦場がどのようなものであるかを知っているが、徳川勢は戦場を知らぬ者が大半だ。」と来たる合戦での勝利を確信した答えを返します。
かくして決戦前に真田丸は無事に完成となり、徳川軍を迎え撃つ準備が整います。

一方の徳川方は、家康の後を追うように急ぎ秀忠が本陣に駆け付けますが、急ぎ駆け付けた秀忠の行動を将軍にあるまじき浅はかな行いとして激怒します。
加えて徳川軍の合戦に向け準備する兵たちは、そのいろはすら分からぬ有様です。
そのていたらくに業を煮やした家康は、老骨を顧みず自らの手で兵たちを指導します。
そんな折、豊臣方の布陣を伝える知らせが届き、その陣立ての図を見た家康は、
「これは?」と真田丸の部分を指さして問い、「急ごしらえの出城のようでございますな。」という本多正信の答えを聞くや、
「うーん、いらぬ所に造りよって。誰が守る?」と問うと、
側近は「真田左衛門助。」と一瞬躊躇して答えます。
すると家康は「真田、また真田か?!」と顔色を変え、声を荒げました。
そしてその様子を側で見ていた秀忠も、「またしても真田め!」と言いたげな表情を見せます。

この後ドラマの画面には、壮大なスケールで完成した真田丸の全貌が映し出され、幸村の御令のもと、堀田作兵衛が六文銭の深紅の旗印を高らかに掲げて振り、「いざー!」と声を張り上げると、真田丸の兵たちが一斉に旗印を上げ、勇ましく「おー。」と時の声を上げます。
そして高梨内記が「城の名は何とします?」との問いに、幸村は「決まっておるだろ、真田丸よ!」
と力強く答え、テーマ曲が流れ始めると、画面には大阪城の外濠の前に築かれた巨大な真田丸を数十メートルの高い位置から見下ろした俯瞰の映像が映り、その遥か向こうには、豆粒ほどに小さく大阪城の天主閣の姿も見え、真田丸の濠の前には、アリほどに小さく見える騎馬が5騎、ゆったりと横切っていました。
最後にいつもはオープニングの映像とテーマ曲が流れ、第44回放送『築城』のエンディングとなります。

いよいよ来週は大坂冬の陣が描かれます。両軍の戦いはどのように描かれるのでしょう?楽しみですね。

ですが一つだけ言っておきたいことがあります。
今回のドラマの終盤で徳川本陣に集まった諸国の大名たちの中にあって、伊達政宗が上杉景勝に対して「集まった浪人衆の中には、真田左衛門助もおるとか、わざわざ幽閉先を抜け出して、秀頼の呼びかけに応じたとか。愚か者ですなー。」などと語ります。
一言:愚かなるは、徳川の忠犬となり下がったうぬが政宗なり。と言いたい。)
その後姿を現した家康に対して「大御所様の思し召しとあらば、この伊達政宗、どこえでも参上つかまつる。」と、大声を張り上げて媚びを売る姿が描かれました。
このようなあからさまなトップへの忠誠宣言は、小物の所業と相場が決まっています。
今回の大河ドラマでの伊達政宗の姿は、いかにも陳腐。と、私は思います。
伊達政宗が嫌いになっちゃいそうで残念です。

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〜真田丸:初の名はなぜ初なのか?から見えて来る信長と市・茶々出生の闇?〜
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前ページでは淀殿の妹:初(常高院)が、キリシタンだったことをお話しました
今回はそもそも初(常高院)はなぜ初という名だったのか?についてのお話です。

なぜ浅井三姉妹の次女の名が初なのか?
そんな素朴な疑問を持ったことで、こんどは初(常高院)の姉:淀殿(茶々)にまつわる新たなる闇?があるらしいことが見えて来ました。
それは浅井三姉妹の母:市と織田信長に起因する闇?だったのです。

浅井三姉妹の母:市の兄、つまり叔父にあたる織田信長は、その人物を称して時代劇などでもよく、「うつけ」とか「たわけ」と呼ばれることが多くありますが、
この「たわけ」は近親相姦を意味する言葉だったそうで、その相手がお市だったといわれています。

お市は昔の婚姻の中では遅い方で20代で浅井長政に嫁ぎます。
長女の茶々はお市と長政の実子ではなく信長との間の子供だったのではという一説もあります。

たしか、初の名付け親は長政の父の浅井久政という俗説があり、久政は茶々の事を浅井の子ではなく信長との間に出来た子だったというのを知っていて、浅井家の初めての子という意味で「初」の名前を付けたという俗説もあります。
淀殿の生年は、1569年生まれと推測されていますが、1566年説、1567年説があります、
もし、66年、67年説のどちらかが正しいとすれば、母親のお市の方が浅井家に嫁いだのが1567年9月ですから、浅井長政の娘では無いと言う事になります。
その場合、父親は誰なのかとなりますが、その父親として織田信長ではないかという俗説があります。
また、お市は長政が初婚ではなく、茶々は連れ子だったという俗説もあります。
だから、浅井の人間ではないということで浅井家の菩提寺(
徳勝寺)に入れられていないのかも。

織田信長の妹であり、絶世の美人として後世にも伝えられるお市の方は、信長の妹であったがために戦国の世で数奇な運命に翻弄され、小谷城で夫:浅井長政と共に最後を迎えます。
しかも兄である織田信長の命によって、
後に市の娘:茶々を秀吉が側室として迎えたのは、秀吉の市に対する恋心があってのことだったいう事が広く知られています。
そんな市が兄である信長と××相関にあっただなんて、そしてそのことによって生まれた子が茶々(淀殿)だったなって、その上信長によって政争の具にされただなんて、酷すぎる話ですよね。

秀吉の側室となった茶々がその後秀吉の子ではない子を産み、その子を秀吉の子として豊臣家の嫡男:秀頼とし、その果てに大阪城において親子ともども自決した。
その全てが事実だったとしたら、茶々(淀殿)がドラマで描かれるような嫌な女になり、それにふさわしい生き方をしたとしても不思議はありません。
ですがそれだけに尚更、豊臣秀頼の生涯は余りにも不憫な気がします。

皆さんは茶々出生の闇を信じますか?そしてそのことをどう思いますか?

ちょっと救いようのないお話になったので、初役のはいだしょうこさんのお話を紹介しておきます。

【はいだしょうこさんへのインタビュー記事】
元うたのおねえさんで歌手のはいだしょうこさんが、堺雅人さん主演のNHK大河ドラマ「真田丸」に出演する。
役作りで意識していることは?
歴史の中でも、茶々や、江は、クローズアップされることが多いですが、なかなか初が前に出ることが少ないので、初めはどんな役どころかなと思っていました。でも、とても重要な役割を任せられたり、茶々の相談役にもなっていたり、自分から前には出ないけれど、常識人で落ち着いた人物。ということで、難しい役だな……と思いました。信繁さんのせりふに「常高院(初)様は常に平常心、曇りなき目ですべてを見ておられます」とあるように、冷静で、落ち着いた初を演じられるように、緊張感の中でも、とにかく心をゆったりと、自分の気持ちも平常心に持っていくことを意識しました。

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淀殿の肖像画

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〜真田丸:初こと(常高院)はキリシタンだったらしい。ではなぜそうなったの?〜
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前ページでは淀殿の妹:初(常高院)についてご紹介しましたが、ここでは初がキリシタンだったというお話です

常高院 - Wikipediaの記述の中には以下のような記述があります。
文禄2年(1593年)、高次の侍女於崎が忠高を懐妊すると、初(常高院)は嫉妬し殺害を企てた。高次の家臣・磯野信高は、忠高を預かって浪人となり、初の機嫌が和らぐ文禄4年(1595年)まで幼い忠高をかくまったという。松江歴史館学芸員・西島太郎が、『高島町史』編纂の過程で発見された高次の書状や「磯野家由緒書」を調べた結果として、2011年に同館の研究要綱で発表した。に改宗した。墓石をはじめ、小浜地方には遺物が多く残されている。
文禄2年(1593年)、高次の侍女於崎が忠高を懐妊すると、初(常高院)は嫉妬し殺害を企てた。
高次の家臣・磯野信高は、忠高を預かって浪人となり、初の機嫌が和らぐ文禄4年(1595年)まで幼い忠高をかくまったという。松江歴史館学芸員・西島太郎が、『高島町史』編纂の過程で発見された高次の書状や「磯野家由緒書」を調べた結果として、2011年に同館の研究要綱で発表した

高次との間に子のなかった初にとって、次女に高次の子が生まれたことが許せなかった。だから殺害しようとした。その高次に対する愛ゆえに。
高次にしてみれば、信長の妹の子をむかえたことで城主にも成りえた事を妬む者からは、「女のお尻で輝く大名」と揶揄(やゆ)され、蛍大名と言われていました。高次が侍女に手をつけたのは、そうしたことへの反感があってのことだったのかもしれません。
ですが問題はそこではありません。常高院 - Wikipediaの記述の文中には、前後の脈略もなく唐突に、「常高院は後に、切支丹(キリスト教徒)に改宗した。墓石をはじめ、小浜地方には遺物が多く残されている。」という記述が現れています。
これでは疑問が残ります。

なぜ初(常高院)はキリシタンになったのか?という疑問が。

そこで改めて調べて見ると、京極マリア(浅井長政の姉)の信仰の軌跡の記述から初(常高院)がキリシタンになったのは以下のような理由があったことがわかりました。
前回のページでも記したように、初(常高院)の生まれた浅井家は、京極家の分家筋でした。
浅井長政と信長の妹:市間に生まれた子の初(常高院)は本家筋の京極家に嫁ぎ、
そして初(常高院)のとなった京極高次の母は京極マリアといい、初(常高院)の父である浅井長政の妹です。京極マリアは、その名が示すとおりキリシタンでした。
ということは浅井長政の子と浅井長政の妹の子が結ばれたということで、つまりマリアの姪と
いとこ同士の結婚
をしていたということに。
そのことを危惧したマリアは、まず丹波のキリシタン武将ジョアン内藤飛騨守忠俊の妹、内藤ジュリア等に初を入信に導くように協力を願い、1601年頃、受洗に漕ぎ着け、続いて、初や弟の高知の働きかけもあり、高次は入信に至ります。
一言:戦国時代でも現代と同様に、近親による結婚には問題があるという考えがあったのですね。ですが夫である京極高次との間には子が生まれることもなく、後に夫が先立ったことで、キリシタンとしての立場を貫く必要もなくなり、初は出家して常高院となったのでしょう。
ならば初(常高院)にもキリシタンとしての名があったはずですが、弾圧の対象となる名を公にすることはなく、現在にキリシタンとしての名は伝わっていません。
ですが、現代において小浜地方には墓石をはじめ、寺院跡などから遺物が多く残されていることから、初(常高院)はキリシタンとしての立場を隠しながらも、領内のキリシタンを擁護し、彼女が建立したとされる寺院は、その礼拝が可能な造りになっていたとされることとの整合性があり、史実として立証されたことになります。

これで初(常高院)がキリシタンだった理由については解決です。
ですがもう一つ、彼女の名を聞いて素朴に疑問を持った方はおられませんか?
なぜ浅井三姉妹の次女の名が初なの?と。
そんな素朴な疑問を持ったことで、こんどは初(常高院)の姉:淀殿(茶々)にまつわる新たなる闇?があるらしことが見えて来ました。
それは浅井三姉妹の母:市と織田信長に起因する闇?だったのです。

なぜ浅井三姉妹の次女の名が初なのか?というお話は次回に。

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初(常高院)を演じているはいだしょうこさん

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