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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜旧我家解体記:旧我家解体記と熊本大地震には危うい関係が、そして震度4
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〜旧我家解体記:外壁のモルタルと野地板を剥がし終わると次は土壁の除去でご紹介したように、2月21日には壁を壊す工程を、土誇りと体力の限界に挑戦しつつも、着々と進んでいました。
そしてその後着手したのは、天井を落とすことで、天井を落としたことで安定した足場が不必要になり、次に着手したのが床とその下地である垂木の除去です。

土壁を壊すこともこれまでにご紹介したように誇りまみれになる作業でしたが、天井落しもまた、それに勝るとも劣らない誇りまみれの作業でした。
なぜなら旧我家の住人たち(私を含めて3つの家族が住み代わっています)が約50年間に渡って住み続ける内に、天井の上に、小さなな小さなホコリが積もり積もっていたのです。
他にもネズミのミイラやその生前のフンやゴキブリの死骸までもが天井を壊すことで、私の頭めがけて降り注いで来るのです。
こうしたホコリには、土ぼこりには無い不潔感を覚えるのは、汚れ仕事に慣れている私にとっても皆さんと同じです。
なのでその解体工程を映す余裕がありませんでした。
そしてその余裕の無さは、床の解体もまた同じ事です。
50年を超える年月の間家族を育んだ家の木材に打ち付けられた無数の釘は、見事に錆びつき、釘抜き(バール)で抜く事も出来ないほど錆びて木材の中で太り、釘の頭は釘を抜ききる前にちぎれてしまうことが少なくありませんでした。

ということで、今回ご紹介する画像は、壁も、天井も、床も、ほぼ解体し終わって、いよいよ屋根の解体の工程に入った5月1日に撮影したものです。

この間に起こった重大ニュースと言えば、やはり熊本大地震でしょう。
その惨状を伝えるニュースは、皆さんにもまだ記憶に新しいと思います。

2016年平成28年)4月14日21時26分(日本標準時)以降に熊本県大分県で相次いで発生している地震です。
一言:熊本地震は今もまだ現在進行形の大災害なんですね。そこに住む人々の苦しみも。)
気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生しています。
日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された空前絶後の災害です。また、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっているそうです。
一回目の震度7の被災の後、被災者はいち早く被災前の生活を取り戻そうと、震災で倒れたり壊れたりした家具や食器などを片付けた方も少なくなかったと思われます。
一定程度片付けが終わって、これで何とか最低限の生活を再開できると思った矢先に、
再び震度7の地震が起こり、一回目の被災では全壊していなかった家も、二回目の被災で全壊してしまったばかりか、片付けや家での生活を再開していた人が命を落とすというこの上ない不幸に見舞われた方もいました。
謹んで御見舞いとお悔みをこの場を借りて述べさせて頂きます。

さて、そのことが旧我家解体記とどのような係わりがあるのかと言うと、それは私の解体手順において、屋根の解体を後回しにした点にあります。

本来プロによる家の解体は、真っ先に屋根を壊すことから始まるのが定石です。

ではなぜ私はその定石を破って、屋根の解体工程を後回しにしたと思われますか?

そこには旧我家を解体し終わるまで、長期休暇を決め込んでいた訳でもなく、本業に出る日の合間を見ての旧我家解体だという個人的な理由により、雨の日でも雨を避けて作業が出来るように屋根を可能な限り屋根を残したのです。

ということで、旧我家解体記2月21日の〜旧我家解体記:外壁のモルタルと野地板を剥がし終わると次は土壁の除去から今回の5月1日に行った屋根の解体工程に至るまでの間の記録が一気に飛んでいるのは、雨の日にも解体作業を進めたいという便宜上の理由があったからなのです。
この間に屋根下で行った作業は、木材に残る古釘を抜く作業や、廃材の分別などを延々とやっていました。
天気の良い日には、木材なら木材のみを、化学製品ならブラスチック類のみをまとめて堺市のクリーンセンターに棄てに行ったりして。
手間がかかっても一般の廃棄物処理業社に持って行くよりも、堺市クリーンセンター(堺市営廃棄物処理場)に持って行くことで、少しでも廃材処理費用を節約するために。

ですが旧我家解体が屋根の解体工程に入る前に熊本大地震が起きた事により、ある不安が生じます。

それはもし、この時点で大阪でも一定以上の地震が起これば、周囲の家が倒壊しないのに、解体中の旧我家解体が倒壊する恐れが大だという大問題が想像できたからです。例えば震度4で。
もちろん旧我家を壊して更地にするための解体作業ですから、旧我家の全壊自体には何の問題もありません。
ですがその事により、ご近所の家を傷める可能性が大きいことが大問題だったのです。
解体作業が終了するまで、大阪に震度4クラスの地震が起きなかったことは、ラッキーだったと言えるでしょうね。

おりしも、このページを記しているたった今、現在の我家において、家全体がきしむ音も聞こえる大きな横揺れを感じました。リアル地震です。
速報によれば、和歌山県橋本市における震度は、震度4だと思われます。
私がこれ程の地震を体験したのは、堺市在住のおりの神戸淡路大震災以来のことです。

一言:神様、ナマズ様、冗談きついよ!クワバラ、クワバラ。)
ちなみに現在の我家は、築25年の軽量鉄骨スレート葺きの二階建です。

次回の旧我家解体記は、屋根瓦や屋根土をどうやって降ろしたのかについてご紹介します。

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福屋不動産販売での当物件のページ
所在地大阪府堺市中区八田北町
交通泉北高速鉄道 深井駅 徒歩24分
阪和線 津久野駅 バス乗車10分 八田荘停歩3分
 土地 107.33m²(32.46坪)公簿
建蔽率 60%
容積率 200%
物件No.20000904912
【セールスポイント】
南向き・間口が広い・車が通り抜けない
南紀、神戸、関空、奈良、京都へと繋がる高速道路のインターがすぐ近くにあるということです。
阪神高速湾岸線へと繋がる泉北有料道路(通称百金高速)や、近畿道、阪和道の入り口が歩いてでも行ける距離にある。
レジャーに出かけるには持って来いの立地条件ですよ!




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〜真田丸:博労淵は幸村が有楽斎への情報漏えいで陥落した?結果、大砲が〜
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『NHK大河ドラマ 真田丸』第45回放送『完封』では、大坂冬の陣の前哨戦で、木津川口や今福の砦が、そこをあずかる大将が不在の時などの、守備が手薄な時に限って攻め落とされていることに不信感を持った毛利勝永が、豊臣方の総指揮官となっていた真田幸村に対して大阪城内に徳川に内通する者がいるのではないかと語ります。

この毛利勝永の言葉を受けて幸村は、有楽斎を怪しいと睨み、大坂城の西側にある博労淵が手薄であることを、わざと有楽斎に漏らします。
するとその後すぐに博労淵が徳川方の手によって攻め落とされたことを知り、幸村は徳川に内通しているのが有楽斎であることを確信するというストーリーが描かれました。

さてこの博労淵砦は、実際にはどのような経緯によって徳川方に落とされたのでしょう?

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上図でわかるように博労淵砦は、先にご紹介した木津川口砦より更に西側(海側)にあった砦でした。
この位置関係だけを見ただけでも、先に木津川口砦が落ちた以上は、同じ大坂城の西側にある砦でも、より離れた距離にある博労淵は徳川軍の中に取り残された状況にあり、陥落は時間の問題と素人目にも想像できます。
なのでドラマで描かれたように、わざわざ幸村が有楽斎に博労淵が手薄であることを漏らすまでもなく、徳川方は独自の判断で博労淵を落しにかかるのではないかと思われますが、ドラマのストーリー上、有楽斎が徳川方に内通する人物であることを示すために、三谷さんは博労淵の陥落を利用したと思ってもいいのではないでしょうか。
その証拠に、博労淵の戦い - Wikipediaには以下のように記されています。

豊臣方は、木津川口砦とともに、木津川沿岸の守備のため博労淵(現在の大阪市西区立売堀付近、西長堀駅の北側)に砦を築き、薄田兼相が守将として兵700で守備しており、11月19日の木津川口砦陥落後もそのままになっていました。
これに対し徳川家康大砲で大坂城を攻撃するため、水野勝成永井直勝に命じて狗子島(木津川の中州現在の江之子島)に仕寄(しより:塹壕。城を見下ろす地形に付城(つけじろ)を築いた場所)を築かせた。
仕寄(しより)は11月28日に完成し、水野がこれを家康に報告します。
そしてそのことをあざとく聞きつけたのが〜真田丸:木津川口の戦いでの明石全登軍の敗北は大したことではない?〜で既に「良くも悪くも機を見るに敏な武将だったと。」とご紹介した蜂須賀至鎮の、家臣です。
蜂須賀は木津川口砦攻略後も同地に布陣していたのですが、水野が博労淵砦を攻略する前に砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵がに隠れて銃撃してくるため、付近一帯のを刈り取らせてほしい」と願い出たのですが、実際にはそれを口実に博労淵砦を攻略しようと考えての申し出だったのです。
ところが、家康は石川忠総の刈り取りを命じます。石川はの刈り取った後、狗子島の南にある葦島(木津川の中州)に陣取り、博労淵砦に銃撃を加え守備兵を牽制(けんせい)します。
このため蜂須賀は許可を得ないままに計画の実行を早め、夜中のうちに木津川口に仕寄(しより:城を見下ろす地形に付城(つけじろ)を築いた場所)を構築し攻撃準備に取りかかったのです。
ところが、11月29日、家康より正式な命を受けた石川勢は、夜明けと共に州を渡って進撃しようとしますが、ちょうど満潮時だったため渡河できなかったため、九鬼守隆から船3隻を借り受け、狗子島の北方から渡河、砦に攻撃を仕掛けた。蜂須賀勢も南方から攻撃をかけます。
一方の豊臣方の博労淵砦を守備役の薄田兼相は前夜から遊女屋に泊まり込んで不在だったため、守備兵は統制が取れず、砦はあっさりと陥落ししてしまいます。
一言:何とのん気な、薄田兼相は木津川口砦の陥落を知らなかったのでしょうか?いずれにせよこれこそが、淀殿らがドラマの中で危惧していた、しょせん金で雇われた傭兵の信用できない所ですよね。)
留守将の平子正貞は、原に逃げ潜んでいたところを池田忠雄の家臣に見つかり(ちょうど水くみに通りかかったところに戦闘に出くわし、蜂須賀勢に交じって上陸していた。池田忠雄は蜂須賀至鎮の婿。)討ち取られた。
薄田はこの失態により「武者」と味方から嘲りをうけた。
ちなみに「武者」の意味はと言うと、
橙は、「鏡餅の飾りなどに使われるが食べられない」から転じて「見てくれだけで役に立たない」という意味です。

以上が博労淵砦が陥落した史実における経緯であり、ドラマで描かれたように、幸村が有楽斎に砦の手薄さをわざと漏らしたことで、その情報を有楽斎が徳川方にリークした結果として博労淵砦が陥落したのではなかったのですね。

ですが最も大きな問題は「武者」の怠慢ではありません。薄田兼相が遊女屋に泊まり込んで不在であろうとなかろうと、博労淵砦の陥落は時間の問題だったことは確かです。

重要なことは博労淵砦の陥落により、大砲で大坂城を攻撃するための仕寄(しより:塹壕。城を見下ろす地形に付城(つけじろ)を築いた場所)を狗子島(木津川の中州現在の江之子島)に築くことを容易にし、その情報を知る機会とその場の奪還の機会を失しなったことにあります。
つまり、博労淵砦や木津川口砦の陥落が無ければ、大坂城の西の丸に砲弾を撃ち込まれ、これに恐れ慄いた淀殿らが、家康からの和睦交渉の申し入れを受け入れることも無かったとも思えます。




 
そしてもしも歴史上において豊臣方がいち早く徳川方による大砲攻撃の計画を察知し、これを奪取して事なきを得、豊臣家と徳川家との間に大坂の陣における和睦がなかったとしたら、真田幸村は家康を討ち取り、真田幸村の家も後々まで続いていたかもしれないのです。
一言:「そこまでの後の世の歴史の変化は有り得ないだろう!」と、あなたは言い切れますか?)



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増福寺にある薄田兼相のお墓

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