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〜真田丸:呂宋助左衛門と千利休とルソンの壺と隆清院と信繁はどうつながる〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
『NHK大河ドラマ 真田丸』第28回放送『受難』では、信繁は、後に信繁の側室:隆清院となる秀次の娘:たかを秀吉の魔の手から救うために、堺の豪商呂宋助左衛門に頼み、秀吉の目の届かないルソン(フィリピン)へ逃してもらいます。
このおよそ史実とは思えない奇想天外な発想を、三谷さんはなぜ思いついたのでしょう?
そこで今回は、呂宋助左衛門と千利休とルソンの壺と隆清院と信繁はどうつながるかについて考えてみます。
思うに三谷さんは、謎だけを集めて今回のストーリーを考えついたのではないでしょうか?
その謎とは、
1.呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)はなぜ秀吉が左衛門を処罰しようとした時、事前に察知ル ソンへ脱出できたのか?
2.秀次の娘:たかはなぜ秀吉に処刑されなかったのか?
3.信繁はなぜ秀次の娘:たかを側室とすることが出来たのか?
4.信繁が正室:春(竹林院)と側室:たか(隆清院)を迎えたのが同時期なのはなぜか?
です。
この4つの謎を繋ぎ合わせた時、「秀次が秀吉の逆鱗に触れ、切腹させられた後、その妻や子供たちも連座して処刑されようとした時、信繁は秀吉にたかの助命に許しを得るために秀吉の要望する大谷刑部の娘:春を正室とし、たかを側室として迎えることの許しを得ますが、それでも秀吉の心変わりを懸念して呂宋助左衛門にたかをルソンに逃してもらうために、その頼みを聞き入れてもらった見返りとして、秀吉が助左衛門を処罰しようとしていることを事前に知らせた。」というストーリーを考えついたのではないかと。
ただしここでは、もう一つ
5.千利休はなぜ秀吉の逆鱗に触れ、切腹させられたのか?
も加えて、呂宋助左衛門と千利休とルソンの壺と隆清院と信繁はどうつながるか?について考えてみます。
まず一つ目の呂宋助左衛門にかかわる謎についてですが、
呂宋助左衛門 - Wikipediaによれば、
「呂宋助左衛門は、『太閤記』などに、安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た。文禄3年(1594年)7月20日、織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉に対して蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺(呂宋壺)、唐傘、香料など珍品を献上し、秀吉の保護を得て日本屈指の豪商として活躍した。
慶長3年(1598年)、あまりに華美な生活を好んだため、石田三成ら文治派の讒言によって、秀吉から身分をわきまえずに贅を尽くしすぎるとして邸宅没収の処分を受けることになるが、事前に察知してその壮麗な邸宅や財産を菩提寺の大安寺に寄進して日本人町のあるルソンへ脱出した。一説には献上したルソン壺が宝物ではなく一般に売られていた物(現地人の便器)だと発覚したことから秀吉の怒りを買ったともいう。」
また、この助左衛門が秀吉の怒りを買ったことにたいする注釈として、「ただし高麗茶碗のように、外国では日常雑器に過ぎないものを、日本人がそれを承知で価値を見いだして茶器として利用する例は多い。もっとも千利休が秀吉に切腹へ追い込まれた理由として推測されるひとつとして、安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした事が挙げられており、茶人の目利き次第で雑器に過ぎないものが高価で転売されている現状を、秀吉が快く思っていなかった可能性は考えられる。」という記述もあります。
つまり呂宋助左衛門は、現地では何処にでもあるただ同然のルソンの壺を、茶道で秀吉や信長に新任の厚かった千利休に鑑定してもらって名器であることのお墨付きを得、破格の高値で秀吉や諸大名に売りさばきます。
しかしそのことを知った秀吉は、「天下人たるわしを詐欺にかけて大金をせしめた大罪人」として利休を切腹させ、後にルソンの壺を売った呂宋助左衛門も共犯者で、利休と共謀していたことを知るや、助左衛門も処断しようとしますが、事前に秀吉の動きを察知した助左衛門は、海外へと逃亡したと推察できます。
事実、千利休が切腹したのは天正19年(1591)2月28日で、呂宋助左衛門が秀吉の動きを察知して海外へと逃亡したのは慶長3年(1598年)のことでした。(やや年代的には開きがありますが・・・・。)
また、ドラマでは千利休が北条氏に鉄砲の玉の原料となる鉛を売ったことが知れて断罪されましたが、武器商人として巨万の富を得た者としては、利休よりもむしろ助左衛門の方がより、その疑いが強いと思えます。
ちなみにこの場合、千利休はルソンの壺を助左衛門と共謀して鑑定し、売りつけたのではなく、助左衛門にはめられて、それとは知らずに詐欺の片棒を担いだと考えます。
助左衛門が権力者に対しては悪徳商法で大金をせしめ、庶民のためにはその財を生かして救済活動をしたかのような『NHK大河ドラマ 真田丸』第28回放送『受難』での義賊的設定は、当てはまらないと私は思っています。
そもそも呂宋壺の名で総称される壺は、多くは広東省を中心に中国南部で雑器として大量に焼かれたもので、酒、香料、薬草などを入れルソン島を始めとする東南アジア各地に売られたものが、彼の地でさまざまに利用されてきたものを、桃山時代末期にルソン島から大量に輸入したものですが、これ以前にも同種の壺は請来されています。
ルソンから大量に輸入される以前の同様の壺が茶壺として用いられた初見は・暦応3年(1340)に遡ります。つまり豊臣の世から約200年前で茶会では鑑賞されましたが、常に飾りとして用いられることはありませんでした。
それが茶道を武士のたしなみとした信長以後、茶壺が書院の飾り道具としても用いられるようになり、、諸大名もこれに倣い争って茶壺を求めるようになります。
このことを知る呂宋助左衛門が、ルソンでは何処にでもある壺を日本に持ち帰り、利休の鑑定を得て法外な値で秀吉や大名に売ったのです。記録によれば50個を10,000貫(現在の貨幣価値で12億円!)で売ったとか。
こうした壺はルソンの現地では多目的に使われていたのですから、50個の中には便器として使われていた壺があったとしても不思議はありません。
そんなルソンの壺の真実を秀吉が知ったなら、その売り上げで巨万の富を得て船を買い、贅沢三昧の呂宋助左衛門を許すはずがありません。
しかし呂宋助左衛門は身の危険を事前に察知してその壮麗な邸宅や財産を菩提寺の大安寺に寄進して日本人町のあるルソンへ脱出した。なぜそんな事が出来たのでしょう。今持って謎です。
ですが秀吉の動きを知り得たのは、秀吉の側近の者が知らせたと考えるのが自然です。
しかし秀吉をだました者を秀吉の側近がその者を逃すための情報を提供することは普通ありません。
しかし例えば、たかをかくまってもらうという事もそんな有り得ない呂宋助左衛門逃亡の手助けをする理由になり得ます。ただ、ドラマで描かれたように、必ずしもルソンへと逃亡させる必用はありません。
もしもこの時点で秀吉の寿命がもう短いと分かっていたなら、秀吉が実権を行使できなくなる(死亡するかひん死の状態)までの間、たかやその姉の所在が知れなければいいのですから。
次に秀次の娘:たかやその姉がなぜ秀吉に処刑されなかったのか?信繁はなぜ秀次の娘:たかを側室とすることが出来たのか?信繁が正室:春(竹林院)と側室:たか(隆清院)を迎えたのが同時期なのはなぜか?という3つの謎ですが、 たかたちの母:一の台は処刑されたのになぜ彼女たちが難を逃れたのかについては、、〜真田丸:たかは、信繁の側室となることで難を逃れた?二人はプラトニック?〜でご紹介した私の仮説として切腹前の秀次が、大谷刑部(大谷吉継)にせめて我が子なりとも救ってくれと頼まれ、既に娘:春を正室として娘婿となった信繁に相談。刑部と信繁は一計を案じ、たかを信繁の側室にすれば、それはもう関白秀次の子ではなく、信繁の側室でしかなくなり、2人の姉も信繁の義姉であり、たかと信繁との間に生まれた子も、真田家の子でしかない。
信繁と刑部はそう考え、秀吉にその論理をもって3人の助命を願い出、秀吉も真田信繁ならば豊臣に弓を引く野心など持たない武士(もののふ)、後に禍根を残すこともあるまいと考え、たかを信繁の側室とすることを許した。その代わりに秀吉亡き後も秀頼の行く末を全面的にバックアップすることを確約して。
つまりたかの身の安全を最初に図ろうとしたのは、ドラマで描かれた信繁ではなく、秀吉よりもむしろ関白だった秀次を主君と認めていた側近:大谷刑部(大谷吉継)だった。
ただし、大谷刑部は娘婿の信繁に相談し、二人で考えた結論が、娘婿の信繁の側室とすることだったのではないでしょうか?
ということで、秀次の娘:たかが、秀次の切腹に伴って処刑されるという窮地を救うため、大谷刑部(大谷吉継)は娘婿の信繁と相談して信繁の側室とした上で、万が一秀吉の気が変わって信繁の側室であってもたかは処刑しなければないと秀吉の気が変わるか、秀吉の意向を汲んだ豊臣家の家臣がたかの命を狙わないとも限らないと思い、一時たかの身の安全を呂宋助左衛門に頼み、その交換条件に「秀吉が助左衛門を捕らえに来る。」という情報を似全に知らせます。
そのお陰で呂宋助左衛門は絢爛豪華な自身の屋敷を寺に寄進し、海外へと逃亡した。
と考えれば、呂宋助左衛門と千利休とルソンの壺と隆清院と信繁のつながりを説明しうる仮説となります。
あくまでも『NHK大河ドラマ 真田丸』第28回放送『受難』で描かれた設定に従って、呂宋助左衛門とルソンの壺と隆清院と信繁のつながりがあったことでたか(隆清院)とその姉たちが秀吉の処断を免れ、信繁の側室となった。としたならの話ですが・・・・。
宇治の「御物御茶師」・上林家に伝わる呂宋茶壺
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2016年07月24日
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