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〜直虎:井伊家を裏切り、井伊直満を斬首に追い込んだ小野政直とは〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第一回放送『井伊谷の少女』では、主人公:井伊直虎がまだ幼い頃のエピソードが描かれました。
井伊本家の姫であり、『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』の主人公である幼少期の直虎ことおとわの許婚(いいなずけ)となった亀之丞の父:井伊直満を斬首に追いやった鶴丸の父:小野正直とはどのような人物だったのでしょう?
第一回のドラマでは、井伊分家の井伊直満は、井伊家の所領:遠江(とおとうみ)を含む駿河一帯を治める今川義元に謀反の疑いをもたれて斬首されてしまいます。
そしてその原因となった今川に対する密告をしたのが、どうやら井伊家の家老で鶴松の父である小野政直らしいことが伺えました。
ウィキペディアにある小野政直その人に係る記述は少なく、
小野家がどのような血筋であるかについての記述意外は、以下の記述だけです。
【小野政直とは】(小野政直 - Wikipediaより)
天文10年(1541年)、井伊家は駿河国主の今川氏に従っていたが、甲斐国の武田氏が遠江国への圧力を強めたため、井伊家では井伊直満・直義兄弟が武田軍に備える準備をしていた。井伊本家の井伊直盛には嗣子がいなかったため、井伊直満の嫡子・直親が直盛の養子になる事になっていた。
(一言:ドラマでは井伊本家の姫:直虎ことおとわといいなずけになることで本家に迎え入れらる予定であったかのように描かれましたが、ウィキペディアのこの記述によれば、本家の姫の婿となる前に、養子になる予定があったようですね。)
(一言:これが井伊直満が今川によって斬首された理由ですね。)
天文10年(1541年)、井伊家は駿河国主の今川氏に従っていたが、甲斐国の武田氏が遠江国への圧力を強めたため、井伊家では井伊直満・直義兄弟が武田軍に備える準備をしていた。井伊本家の井伊直盛には嗣子がいなかったため、井伊直満の嫡子・直親が直盛の養子になる事になっていた。
(一言:ドラマでは井伊本家の姫:直虎ことおとわといいなずけになることで本家に迎え入れらる予定であったかのように描かれましたが、ウィキペディアのこの記述によれば、本家の姫の婿となる前に、養子になる予定があったようですね。)
(一言:これが井伊直満が今川によって斬首された理由ですね。)
小野政直は天文23年(1554年)没。
上記の記述だけではドラマで描かれた事件にかかわる内容が殆どで、小野政直の人物像を知るには至りません。
そこで先日BS放送で放映された にっぽん!歴史鑑定『言い直虎はなぜ女城主になったのか?』で紹介された内容をご紹介します。
この放送によれば、江戸幕府がまとめた大名や旗本の記録集である『寛政重修諸家譜』には以下のような記述があるそうです。
小野政直はもともと井伊分家の当主:直満とは不仲だったため、直満の子:直親が本家の家督を継ぐことを嫌い、今川義元に讒言(ざんげん)した。
と。
この記述に対して番組では、井伊家は少し前までは今川家とは敵対していた。
そういった所に家臣となるというのうは、やはりちょっと不満があり、本音ではいずれ井伊家は今川家から独立したいという思いをもっていたとし、
対して小野政直は井伊家を監視するために今川家から送り込まれた監視役(スパイ)だったとも言われるそうです。
そのため小野政直は、直親が本家の当主となり、反今川色が強くなることを未然に防ごうとしたと解説されました。
当時は下剋上の時代で、政直はあわよくば井伊家を乗っ取りたいといとの考えが有り、そのため井伊直満が斬首された事件後、直正は本家当主の直盛に対して平然と、
「我が子政次を、井伊家の婿養子にして頂けぬか。」と申し入れたと言うのです。
しかし本家の直盛は当然これに対して首を縦に振ることはなかったそうです。
そしてその婿養子の相手であるおとわ(直虎)も亀之丞(直親)の帰りを待ち続けたのです。
以上のように、井伊本家の家老であった小野政直は、今川家から送り込まれたスパイとも言われる上に、ただ今川家に忠誠を誓うのではなく、今川家という大大名の力を借りて井伊家を乗っ取りたいという野心家でもあったようです。自身の力によるものではなく。
これを世間では、獅子身中の虫と言うのですが、小野家の末裔の方には何か異論はないでしょうか?
小野政直を演じている吹越満さん
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2017年01月12日
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