カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

〜直虎:『おんな城主対おんな大名』では直虎が寿桂尼の許しを得るまでを描き〜
       サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おんな城主直虎編          

近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧 

前回のページで記したように、『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第15回放送『おんな城主対おんな大名』では、小野政次は、表面上は直虎に敵対しながらも、直虎の窮地において今川の魔の手から救うために、あえて井伊家の裏切り者として振るまっていたことが描かれました。

政次は、直虎が鶴松の後見人を小野政次とせす、瀬戸・祝田(ほうだ)の両村に徳政令を出さぬなど、再三にわたり今川の命に従わぬ理由について、寿桂尼より駿府まで直虎が申し開きに来るようにと書かれた書状を届けるために、直虎の前に参上します。
しかし本心では直虎の命を救いたいと思う政次が直虎に伝えたのは、寿桂尼からの書状の内容だけではありませんでした。
政次は、直虎がかつての直親の荷の前にならぬよう、以下のような提言を付け加えたのです。
「行けば、どのような事が待っているのかは、重々お分かりの事と存じんます。駿府へ行かずとも済む手立てはただ一つ、私を、乕松様の後見になさる事でございます。さすれば、後の事は万事私が取り計らいましょう。」と。
ところが、政次の本心を知らず、井伊家乗っ取りを企てている者として政次を敵対視する直虎は、
「ならば、申し開きに行くしかなかろうの。」と政次に答えたのです。
直虎の自身に対する感情を知る政次は、予想しえた直虎の返答に、苦笑いを浮かべてこの場での直虎に対する説得をあきらめ、
「わかりました。では、お供しますゆえ、出立の日などを後ほどお教えくださいませ。」と座を立ち、去ってゆきました。
ですが政次は、直虎を救う手立てをあきらめたのではありません。
次なる手立てとして、しのの前に現れ、
「乕松様の御生母様はあくまで、直虎様の後見を望んではおらんれぬと、一筆いただきたいのです。」と申し入れたのです。
ですがしのは、
「私の意見など、誰も聞く耳もたぬでしょう。」と取り合いません。
すると政次は、
「しの様、今川もまた、直虎様の後見を望んではおらぬのでございます。今川に一筆渡れば、小さな意見でも大きく響かせることができます。」
直虎の存在を心良く思わぬしのは、この政次の言葉に井伊の主家である今川が後ろ盾となってくれるのであれば直虎を後見の座から降ろす事は確かにかのうであろうと意を強くし、
「しばしお待ちあれ。」と一筆記す事を了承したのです。
しのが直虎が虎松の後見になる事をのぞんでおらるとする書状を記すために座を立ち去ると、政次は天井を仰いで目を閉じ、思わず安堵のため息を吐きます。
恐らく政次は、これで直虎を後見の座から降ろすことができ、今川から命を狙われる心配もなくなるであろうと安心したのでしょう。
ですが政次の本音が直虎に敵対する立場ではなく、逆にその命を救い、今川から守りたい思いから出た行動であるとしのが知れば、恐らくしのは政次に激怒したことでしょう。
直虎の存在を心良く思わぬしのの思いを、直虎を救うために政次は利用したのですから。
政次のこうした一連の行動は、表面的には今川に加担して井伊家に背く行動に見えますが、政次の本心はどうやらそうではないらしいという事を見抜いている女性がいました。
その女性とは、しの実妹であり、政次の義妹でもあるなつです。
なつはしのと政次の密談を、物陰から聞いていたのです。

一方政次の本心に気づかぬ直虎は、寿桂尼に対する申し開きのために駿府へ向かう道中に政次も同行する事について南渓和尚と意見を交わします。
和尚:「政次も共に行くのか?」
直虎:「はい、しかし、ひるがえって考えてみるとこれは、何かあれば即座に政次を(今川に対する)人質に取れるという事にございます。こちらが腕のたる者を揃えておれば、(今川の手の者たちに)負けはせぬと思うのですが、どう思われますか?」
和尚:「次郎は益々物騒なおなごになって行くのうー。」
直虎:「いたしかたござりますまい、己で身を守らねば、誰も守ってはくれぬのですから。」
このように直虎は、今川により命を狙わた時には、こちらも武力で対抗する意志を示しますが、和尚は直虎がこの窮地に必ず生き残れる策として、もうダメじゃと思った時には、政次に後見を譲ると言ってさーっと帰ってしまうのじゃと語った後、
「何事も命あっての物種じゃ。」とさとす和尚の言葉に、直虎は、「棟に刻んでおきまする。」と答え、和尚と別れます。
結果として直虎が必ず生き残れる方法として考えられる政次と和尚の意見は、くしくも一致していたのです。
そして直虎を大事に思う本心を素直に示せず、逆説的な態度でしか直虎に接する事が出来ない者は、政次だけではありまんでした。
直虎が井伊の屋敷に戻って来ると、そこには中野直之らが待ち構えていたのです。
直虎が戻ったのを見るや直之は、
「駿府より呼び出しがあったというのは誠ですか?」と直虎を問い正します。
これに直虎が、「誠じゃ。」と答えると直之は、
「すぐに後見を降り、駿府の言う事をお聞きなされ!!」と強い口調で言い放ちます。
同じ意見でも、和尚の言う事には耳を傾けた直虎でしたが、直之のこのようなの高慢に思える言葉には強い反感を覚え、
「いやじゃ。」と即答。
これに対し直之は、直虎の気性を知りながら、更に高慢な物言いを直虎に浴びせかけます。
「直親様の御最後をお忘れになられたのか?あの二の舞となればどうするおつもりじゃ!!」と。
すると直虎は売り言葉に買い言葉で、
「そうならぬよう、方策を考えておる。」と返し、
直之も、殿の命が第一と言えばいいものを、
「共の者を犬死にさせるおつもりか?殿が駿府へ行く。ズラズラと人が付いて行く。その先には犬死にしか無かろうがー!!これ以上人を亡くしてどうするおつもりかー!!」と直虎の感情を更に逆なでするような言葉でしか直虎と接することができません。
これに直虎が、
「死ぬとは限らぬ。」と返すと、
「後見を降りると言えーっ!!」と家臣に有るまじき言葉を浴びせます。
これには直虎も、
「誰に向かってものを言うておる!」とブチ切れます。
そんな、直虎を救いたい思いがありながら、その反感を買う言葉でしか直虎に接することが出来ぬ直之に対し、その場に居合わせた奥山六左衛門は、この後直之に対し態度を改めるよう説得を続けますが、直之は完全にヘソを曲げてしまうのでした。
一言:やはやもう不器用な男の優しさとは、こうしたものなのでしょうか?こうしたものなのでしょうねー、身に覚えが有るよな無いような・・・・・女性の視聴者には、こんな男の行いを、理解いただけますか?不器用な男の一人である私としては、無理を承知で理解してくれる方がいてほしいと思うのですが・・・・・やはりこのような男に対しては、無理、ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ、無理!を連呼しちゃうのでしょうね。)

結局直之がヘソを曲げてしまったために、直虎が駿府へ向かうおりのボディーガードは、龍潭寺(りょうたんじ)の腕利きの僧たちが務めることとなったのです。
直之は、
「あのあま、あれほど言うたのに。」と呟きながら直虎達が駿府へと向かう姿を見送り、直虎に随行しませんでした。
南渓和尚は、そんな直之の様子を見て「暇そうじゃのう、ちょいと手伝うてはくれんか?。」と声をかけ、
直虎が徳政令騒動のおりに百姓衆と交わした、彼らに字を教えるという約束を果たすための代行役として誘います。
和尚に言われるままに直之が寺で百姓達に字を書く指導をしていると、百姓達の長老である権兵衛が、「殿さまは、直虎様はいかがお過ごしですかいやぁ?」と直之に対し、にこやかに訪ねます。
この問いに直之は正直に「殿は、駿府から呼び出しを食らったのじゃ。」とこたえたのです。
すると甚兵衛は、
「へぇ?駿府からお呼び出し?それは、わしらのお願いのせいで?まっさかー、先代の直親様の時のようにゃー・・・」と大声を張り上げます。
するとその廻りで思い思いに字を書く練習をしていた百姓達もみな驚き、
「こんなことしてる場合じゃねーずら、」
「ほーでぇ。」
「わしら、瀬戸村に声をかけてまわるで・・・・・。、」と口々に騒ぎ、直虎の窮地にかけつけようとしますが、
直之はそんな百姓達を、
「待て待て、おえっ!」とひきとめようとします。
すると百姓達は、
「直虎様が五先代のようになっちまうかも知れんにー、だったら行かんといけんらー。」と声を張り上げます・
しかしそれでも直之は、
「そなたらが行ってもどうにもならぬー。足手まといになるだけじゃ。」と百姓達の行動を引き留めようとします。
すると百姓達は、、
「うんでも、直虎様はおなごだで。」
「お守り出来んじゃ、男じゃねーだー!」と反発したのです。
この言葉に直之は、己が直虎に同行しなかったことを恥じる思いが浮かんだかのようで、返す言葉を失ってしまいます。
刀を手にしてひとしきり目を閉じて心の整理をした後、直之は直虎の後を追ったのです。

一方その夜、なつは南渓和尚のもとを訪れ、義兄の政次の行動について思い当たる点を報告します。
なつ:「どうしても一つ、解せぬことがございまして。兄上には子が有りませぬ。井伊の後見に納まり、手に入れたところで、先の無いことと申しますか・・・、にもかかわらず、それほどまでに拘るのは、もしや・・・・井伊を、今川から守る盾になろうとしているのではないかと。」
和尚:「分からぬ、わしは、政次ではないからのう。じゃがもしそれが仮に、政次の本意だったとしても、政次は認めぬであろうのう。」
なつ:「何故?」
和尚:「本意を読まれれば、もう盾にはならぬからのう。」
なつは、和尚のこの意見が意外だったようで、驚いた表情を見せるのでした。

直虎一行は、ある寺で一夜を過ごし、翌朝再び駿府へ向けて歩き出そうとした時、政次は直虎に今一度後問いただします。
それはまるで、先日直之が直虎に行った言葉と同じ内容のものでした。
「今からでも遅くはない、後見を止めると言わぬか?・・・・危ない目に合うのは、お前だけではないと思わぬか?」と。
そんな二人に、突如多くの今川からの刺客が遅い仮、直虎は必死に逃げます。
ですがついには刺客に追い詰められ、切り殺されんとした時、政次が現れ、その命を救われます。
刺客を全て討ち果たした後直之は、
「男の姿をしようが、直虎という名をつけようが、そなたはおなごじゃ!・・・・守れねば、こちらの立つ瀬が無いと言うておるのじゃ。村の男たちは、話を聞き、そなたを守ると駆け出さぬばかりの勢いであった。殿はおなごゆえ、我らが守らねばと。そなたはさような事を考えた事もなかろう。」とさとします。
物影でそんな二人の様子を見ていた政次も、いざとなれば直虎を守るため抜いていた刀を鞘に納めます。
そして直之が直虎に諭した言葉は、正に政次が直虎に言わんとした言葉そのものだったのです。

政次と直之の言葉の意味を、漸く己の絶体絶命の危機において悟った直虎は、直ぐに政次を呼び、「政次、乕松の後見はお前に任す。」と告げます。
ですが直之はそんな直虎の言葉を聞いて、
「ここまで来て、何を言い出される。」と直虎の決断を止めようとしますが、
直虎は、
「もとより、そうせよと言うておったではないか。」と返します。
直之は、
「いやしかし、それがしが来た限りは必ずやお守りし・・・・」と言葉を続けようとしますが、それを遮るかのように直虎は言葉を発します。
「何事も、命あっての物種。まさかのの時はそうせよと、和尚様からの御指図でもある。但馬、直虎は引くことにしたと、駿府へ伝えてくれ。」と。
そして、「本当にそれでよいのですか?」と問う政次に、
「このような恐ろしいことはもう沢山じゃ。」と弱音をはくのですが、この弱音には裏があったのです。

この後直虎の決意を伝えるべく駿府へと向かう政次一行を見送り、直虎は、「では、我らは戻るか?」と傑山(けつざん)と昊天(こうてん)に言いますが、傍らの石段に腰を下ろしていた直之に対し、
「少し話さぬか?」と相談を持ちかけます。

この後画面には直之らしき武者が夜道に馬を走らせ片手に松明を持って先を急ぐ映像が映りますが顔は笠で見えません。

翌朝駿府に到着した政次は、寿桂尼に直虎が後見を政次に任せると書き示した書状をさし出しますが、そこへ「申し上げます。井伊の中野という者が書状を持って・・・」と家臣が報告しまます。
寿桂尼がその中野と言う者の目通りを許すと、そこに現れたのは中野直之ではなく、何と直之の衣装を身に纏った直虎だったのです。
直虎は何ゆえ後見を政次に任せると言って井伊へ戻ったはずの自身が駿府へ申し開きのために姿を変え、政次を騙してまでの現れたのかについて「・・・・・此度こそは、決してお下知に逆らうまい。必ずや申し開きに参ろうと、勇んで井伊を出たのですが、道中何者かにつけ狙われまして。、これでは辿りつけぬ、またお下知に逆らうことになると、涙を呑んで、そこなる但馬を隠れ蓑に使い、その何者かを、欺きましてございます。」と寿桂尼に申し述べます。
そこで改めて寿桂尼は直虎が今川の命である徳政令をおこなわなかった理由として『仮名目録』の取り決めにある22条に従ったまでと申し開きを述べますが、
寿桂尼は、
「よう小理屈をひねり出したようじゃが、あいにくこの件は、義元公の追加の掟によって改められておる。守護氏不入とありとて、お下知に背くべけんや。」と条項の改定内容を示し、
速やかに徳政令を行うよう改めて直虎に命じます。
すると直虎は、私に徳政を行えと言うことは、自身を後見と認めてるからこその御下知と受け止めて良いのでしょうか?と述べます。
すると政次は、兼ねてより用意していた直松君の後見に直虎を望まぬと記されたしの手による文を寿桂尼に差し出したのです。
これを受け取った寿桂尼は、
「生母が望まぬ後見など、火種になるのは目に見えておる。井伊の事を思えば、さような事を認めるのは難しいのう。」と先の直虎の発言を否定したのです。
ところがそこへ徳政を願い出た瀬戸村・祝田(ほうだ)村の百姓衆の連名による、「井伊直虎様の後見を、伏して願い奉りまする。」との連署(れんしょ)が届けられたのです。
そして更にその連署には、南渓和尚による添え状も有り、そこには、
「かつて義元公は、己の力量をもって国を治むと宣われり、比ぶべきも無い小さき力量なれど、直虎にもそれをお許し願いたく存じ奉りまする。なぜならば、それが井伊の民が望むところであるが故、お伝えしたく、お目汚しとは承知の上、差し出したる次第にて候。」と記されていたのです。
これらの連署と添え状により感銘を受けたた寿桂尼は、
「直虎、もしそなたに井伊を任せれば、そなたはいかにして民を治める。」改めて直虎に問います。
すると直虎は、
「潤すことで。国というのは、まず民が潤わねばなりませぬ。民が潤わねば、国が潤うことは無いと存じます。民が潤えば、井伊が潤います。井伊が潤えば、それは今川の潤いとなって行くと私は考えております。」と自身の領主としての考えを申し述べたのです。
この言葉に寿桂尼は目に涙を浮かべ、
「井伊直虎、そなたに後見を許す。今後は、己の力量を持って井伊を潤すがよい。ただし、次は無い。もう二度と生きて申し開き出来ると思わぬことじゃ。」と直虎の後見を認めたのです。
この結末は、政次の図った後見とはさせぬ事で直虎の命を救うというものではありませんでしたが、結果として直虎の後見が寿桂尼に許されたことで直虎の命も救われたのです。
それは政次の直虎を救いたいという最終目的が叶えられる結果だったのですから、直虎の傍らで控えていた政次もまた心の緊張を解き、直虎と同様に安堵したのでした。
そして、絶体絶命の危機を逃れ、今川の屋敷を出た直虎を待っていたのは、直虎の命を奪わんとした寿桂尼の心を動かし、直虎の命を救う決め手となった連署と添え状を急ぎ平調(ひょうじょう)の場に届けた奥山六左衛門でした。

かくして直虎は、奥山六左衛門と共に村人や井伊家の者達らに熱烈な歓迎を受けて無事井伊谷に帰還します。
一方この頃、このような騒動の間留守をしていた氏真も駿府に戻って事の顛末を知り、小野政次とこの騒動について言葉を交わします。
真:「井伊の申し開きなど、撥ねつける手もあったものを。」
政次:「大御方様は、あのおなごがいかに井伊を治めるか、見てみたくなったのかもしれません。」
真:「御ばば様には、お仲間に思われたのかも知れんのう・・・・面白くないのー、但馬よ。」
政次:「いずれまた、好機はございましょう。」
このように、政次はに同調するかのような言葉を口にしますが、その表情には、とにもかくにも直虎が無事であった事にホッとしている穏やかな笑顔が浮かんでいたのです。

今回の放送の終りには、ナレーションによって以下のように締めくくられます。
「こうして、風変りなおなごの治める山間の小さな谷は、漸くその一歩を踏み出したのでござる。
つづく。」と。
そして、これをもって漸く、おんな城主直虎が、名実共に誕生したのです。

イメージ 1

PVアクセスランキング にほんブログ村

写真素材のピクスタ

全1ページ

[1]


.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 土佐文旦
  • 湖池健彦 Essay
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事