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〜真田丸:最終回は、真田幸村の最後よりも真田一族の顛末を描き〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編
最終回の放送冒頭、真田信之と本多正信が相部屋の宿で一夜を過ごすという場面から始まります。
(一言:こんなシーンのために貴重な時間を割くのなら、もっと合戦のリアルなシーンを盛り込んでほしかったです。)
その後、真田十勇士っぽい武者(7人しかいなかったけど)の宴会シーンが続きます。
(一言:さながら、程度の低いマンガのようでした。)
幸村(信繁)はその宴会の場に現れ、「お前達、負けると思っているようだな、・・・・・私は命が惜しい、だから明日も決して死なん。必ずここへ戻って来る。命を惜しめ、そして必ず勝て。」と言い残し、その場を後にします。
次に幸村(信繁)が足を運んだのは、台所でした。
同行していた佐助は、すぐに台所の片隅に隠されていた真田家の家臣:与八の死体を見つけ出します。
与八は台所頭 大角与左衛門に殺されたのです。
与左衛門に対して幸村(信繁)は、「もっと早くに気づくべきだった。」と語ります。
すると与左衛門は、娘と妻が秀吉に手籠めにされて自害したために、豊臣家を恨み、滅びるまで見届けるためにここにいると答えます。
与左衛門の話を聞いた幸村(信繁)は刀を抜き、「事情はともかくお前を生かしておくわけにはゆかぬ。」と与左衛門を切り捨てようとしますが、それより先に与左衛門は食肉を刺した長いクシを自らの横っ腹に突き刺し、自害してします。
場面は秀頼を交えた軍議のシーンとなり、豊臣家の馬印:千成瓢箪を掲げて秀頼が出陣する時、豊臣は全軍を持って攻めにでることを決め、勝どきを上げます。
次に幸村(信繁)が訪れたのは、淀殿の部屋です。
淀殿は、城と共に死ぬ夢を見ると言いながら、死ぬのは怖くないと言いますが、幸村(信繁)が秀頼公が三条河原に首をさらされる光景を思ったことがありますか?と語ると突然脅えだしますが、信繁がそれをいさめ、もしも私は帰らなかったら、千姫を徳川に返せば生きるすべはあるとして、
「くれぐれもお忘れなきよう。望みを捨てなかった者のみに、道は開けるのです。」と言い聞かせます。
ところが、部屋へ戻り、堀田作兵衛に戦支度の鎧を身に纏ってもらいながら、高梨内記と語る言葉は、戦場での死を覚悟したものでした。
幸村(信繁)は「私と言う男が生きた証をこの世に残せたのか?」と内記に問います。
すると内記は、「・・・・・・大事なのは、いかに生きたかでございます故。」と幸村(信繁)の名は、後世に語りつがれるだろうことを述べます。
かくしして大坂夏の陣の本戦となり、信繁と勝永が陣にて戦の手順を確認しあう中、松平忠信勢が毛利勢に鉄砲を打ちかけると、それに応戦して毛利勢も鉄砲を打ち返すという想定に反したかたちで戦いの火ぶたが切られると、止む無く幸村(信繁)と勝永は戦場へと打って出ます。
それでも当初は毛利勝永軍や真田軍の進軍により、戦況は豊臣軍の圧倒的優位に動き、毛利軍の後を進む幸村(信繁)が、家康本陣へと斬り込みますが、家康は既に逃走した後でした。
途中幸村(信繁)は徳川方の真田信吉の陣を通る際、決起にはやる信之の次男:信政の率いる軍と交戦状態となり、信政に従う三十郎は、行きがかり上やむなく幸村(信繁)に斬りかかるのですが、幸村(信繁)はその切先を交わし、「小物にはかまうな!」と、真田信吉・信政の陣脇を駆け抜けて行きました。
一方別動隊の大野治房軍も徳川秀忠の本陣に攻め入りますが、これまた秀忠は慌てふためいて逃走します。
ところが後から出陣するはずだった秀頼を、大蔵卿局が強硬に引き留めてしまいます。
そこで幸村(信繁)は秀頼の出陣が勝敗を決するとして、大助を秀頼出陣の要請に向かわせますが、
幸村(信繁)が出陣前に裏切り行為を攻めたことで自害したはずの大角与左衛門が、自らが刺した腹に包帯を巻き、秀頼の前に現れ、傷を負わせたのは幸村(信繁)だと語ったために、幸村(信繁)の命で戻った大助の出陣要請を秀頼は、大蔵卿局の「真田源次郎は裏切り者でございます。」との言上と、淀殿の「生きよ。」との制止により、出陣を思い止まってしまいます。
それでもそれまで優位だった豊臣軍が、このまま両軍の勝敗が決するかに見えた時、大野治長軍が豊臣家の馬印:千成瓢箪を掲げて大阪城へと秀頼の出陣を即すために引き返していったために、豊臣軍の雑兵は千成瓢箪が城へと帰るのは、総大将である秀頼が逃げ帰ったと勘違いし、戦線から逃亡する事態に発展し、戦況は急変します。
そして徳川軍は大坂城内へも攻め入り、高梨内記と堀田作兵衛は壮絶な最後を遂げる中、きりは千姫を連れて家康の元へと落ち延びます。
この戦況の変化を好機と見た家康と秀忠は、一気に豊臣勢を蹴散らし、攻め返します。
これにより窮地に立った幸村(信繁)でしたが、それでも幸村(信繁)は徳川の兵を払い除け、再び家康の前へと至ります。
ここで幸村(信繁)は、かねてより用意していた馬上宿許筒を取り出し、家康めがけて一発を銃撃しますが、玉は家康には命中しませんでした。
すると幸村(信繁)は更に家康近くへと馬を走らせ、もう一丁の馬上宿許筒を家康に向け構えます。
家康は、銃を構える幸村(信繁)に対し、廻りで家康を守ろうとする家臣に対し、
「手を出すな!」と一喝した後、幸村(信繁)に対し
「・・・・わしを殺したところで、何も変わらぬ。・・・・戦で雌雄を決する世は、もう終わった。お主のような、戦でしか己の生きた証を示せぬような手合いは生きて行くところなど、何処にもないわー!」と声を張り上げます。
しかし幸村(信繁)は「そのような事は百も承知、されど私はお前を討ち果たさねばならないのだ。・・・・先に死んでいった愛する者達のために。」と声を荒げ、銃の引き金を引き、今正に家康を撃たんとした時、幸村(信繁)は構えていた銃を落としてしまいます。
後から駆け付けた秀忠隊の銃が、幸村(信繁)の左腕を撃ったのです。
それでもなお幸村(信繁)と付き従う佐助は奮戦し、敵軍を潜り抜け、安井神社まで落ち延びます。
幸村(信繁)らが最後の抵抗を繰り広げる中、伊達政宗・片倉 小十郎・上杉景勝・直江兼続らがその戦いぶりを遠くから傍観し、
政宗は「見事な戦いぶりよ。」と語ると、
景勝は「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたいものだ。」とつぶやきます。
続く兼続は、「戦は終り申した。もどりましょう。」と語り、政宗らが先に戦場に背を向けます。
最後に残る景勝は、涙を浮かべて幸村(信繁)の戦いぶりを見つめ「源二郎、さらばじゃ。」と最後の別れを告げます。
境内の本堂で戦いに疲れ果てた体を休めていた幸村(信繁)と佐助でしたが、そこへ徳川の兵が二名現れ、観念した幸村(信繁)らはその兵らに討たれるかに見えたその時、二人は懐に隠し持っていた苦無で素早く討ち倒します。
しかし幸村(信繁)の気力と体力はこれで尽き果て、幸村(信繁)は「これまでだな。」と切腹の覚悟を決め、佐助に解釈を任せますが、決定的なシーンは描かれませんでした。
京において出家していた北政所は片桐且元の前で「全ては夢の又夢」と語り、
きりに守られて家康本陣に辿りついた千姫は、家康・秀忠が無事を喜び迎える中、秀頼や幸村(信繁)の末路などには何の悲しさも覚えていないかのように、無事に祖父や父のもとに辿りつけたことをただ喜び、満面の笑みを浮かべます。
千姫を無事送り届けたきりは、家康の陣を静かに去りますが、その後どこへ向かったのでしょう?
そして、秀頼・大野治長・淀殿・真田大助・大蔵卿局らの最後のシーンも、描かれることはありませんでした。
そして春は大坂から逃れ出る時娘:うめに「大丈夫じゃ」と勇気づけ、
上田で暮らすすえは、夫とおむすびを食べる幸せな光景が映し出されます。
大坂での実父の最後など、無関係であるかのように。
場面は変わり、幸村(信繁)の家康打倒への思いを止める事が出来なかった信之は、本多正信の領地に辿りつき、正信と共に、大坂からの戦の決着を告げる早馬の使者を迎えます。
その時信之は、その知らせを聞く前に、幸村(信繁)の死を悟ります。
腰袋に提げていた六文銭が、チャラリと鳴ったのです。
まるで信繁の魂が、六文銭を鳴らしたかのように。三途の川の渡し賃として。
この後ドラマのテーマ曲が流れる中、幸村(信繁)の生涯が走馬灯のように映し出されます。
最後は七年後の信之の領地の田園風景が映し出され、字幕と共にナレーションが語たられます。
これより七年後、真田信之は、松代藩十万石の大名となった。
そして幕末、松代藩は、
徳川幕府崩壊のきっかけを作る
天災兵学者 佐久間象山を
生みだすことになるのだが
それはまだ遠い先の話である。
と。
真田幸村(信繁)が生前何度も語った「望みを諦めなかった者だけに道は開ける」という言葉が、幸村(信繁)・信之らが死して遥か後に、叶えられたのだと告げるかように。
(一言:これでいいんですか?大河ドラマの最終回って。)
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