カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

風景

[ リスト | 詳細 ]

カメラを棒にくっつけて写した写真をご紹介。
記事検索
検索
〜真田丸:塙 団右衛門による蜂須賀至鎮陣営への夜襲は、独断ではなく必然〜
    サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

〜真田丸:塙 団右衛門は加藤嘉明のイケズに合いながらも大坂城へ入城し〜でも記したように、徳川からの和議が迫った頃に本町橋の夜戦で、志願して夜襲の許可を得た塙 団右衛門は、11月17日、米田監物と共に蜂須賀至鎮の陣に夜襲をし、その家臣中村右近を討ち取るなど戦果をあげました。

しかし『NHK大河ドラマ 真田丸』第46回放送『砲弾』では、塙 団右衛門が本町で夜襲をかけることを聞きつけた後藤又兵衛・毛利勝永・木村重成らが、大坂城に引きこもったままの日々で溜まったうさを晴らしに、塙 団右衛門の計画に便乗して出陣することを決意します。
そのことを長宗我部盛親からの訴えで知った幸村は、彼らの勝手な行動をとがめて阻止するどころか、秀頼や淀殿に対する思いから幸村自身にもわだかまりを生じていために、やはり塙 団右衛門の計画に便乗して夜戦に加わり、大暴れをするという型破りな設定で描きました。
このような設定はいくらなんでも有り得ないとものだとは思いますが、視聴率を得るために娯楽性を割り増しした番組として見る姿勢があれば、何ら問題のある描き方だとは思えません。

それはそれとして、塙 団右衛門による本町橋の夜戦で襲撃した徳川方の陣営は、蜂須賀至鎮の陣営でした。

ではなぜ塙 団右衛門は、夜襲すべき相手を蜂須賀至鎮の陣営としたのでしょうか?

それはその夜戦を行う以前に豊臣方が徳川方によって、手痛い目にあった大坂冬の陣における2つの前哨戦を振り返ってみれば、塙 団右衛門蜂須賀至鎮の陣営を標的にしたことの必然性が自ずと見えて来ます。

木津川口の戦いでは、大坂冬の陣において初めて行われた本格的な戦いです。
豊臣方は、大坂城から海に至る要衝である木津川口に砦を築き、明石全登を守将に兵800で守備させていましたが、この時木津川口砦を守る責任を覆っていた明石全登が会議のために不在だったために、幕府軍の蜂須賀至鎮は容易く木津川口砦をあっさりと陥落させてしまいます。
また〜真田丸:博労淵は幸村が有楽斎への情報漏えいで陥落した?結果、大砲が〜 でご紹介したように、博労淵での戦いでは、大坂城を大筒で砲撃するために水野勝成永井直勝に命じて狗子島(木津川の中州現在の江之子島)に仕寄(しより:塹壕を築いた場所)を築かせていた時、狗子島に向かう上で通過点となる博労淵砦を守備する任にあった薄田兼相が前夜から遊女屋に泊まり込んで不在だったため、守備兵は統制が取れず、蜂須賀至鎮らによって砦はあっさりと陥落していまいました。

つまり大坂城の西側に位置する2つの大坂方の砦の陥落には、蜂須賀至鎮が係っていたのです。
当然豊臣方にしてみれば、一度ならずも二度も砦を陥落させた武将である蜂須賀至鎮の名は、
大坂城内でも噂され、豊臣方の上層部もこの蜂須賀至鎮を何とかしなければならないと考えていたはずです。
塙 団右衛門が元主君であった徳川方の加藤嘉明を見返すための武功をあげるためには、絶好のターゲットですし、塙 団右衛門に対してではなくとも、豊臣方の上層部からは、「蜂須賀至鎮を討て!」という指令は武将たちに伝えていたと思われます。

以上のことから、塙 団右衛門は独断で蜂須賀至鎮の陣営を夜襲することを決めたのではなく、豊臣方の武将の内の誰かが行わなければならなかった蜂須賀至鎮の陣営への攻撃を、自ら志願してその任にあたったというのが、塙 団右衛門が行った本町橋の夜戦だったと言えます。

もちろんその夜戦に真田幸村の姿はなかったでしょうが・・・・。



イメージ 1
塙 団右衛門を演じている小手伸也さん

PVアクセスランキング にほんブログ村
〜旧我家解体記:屋根部を取り外す工程では太鼓梁外しが超難関で危険
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!旧我家解体記編 
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

〜旧我家解体記:屋根瓦と屋根土を降ろせば、透け透けのスケルトンハウスでは、壁や屋根材を撤去し終わり、スケルトン状態となた旧我家をご紹介しました。

皆さんは、以下の画像にあるような天井をあえて取り払い、曲がった木材をあえてむき出しにして見せているレストランなどをご覧になったことはないでしょうか?
恐らくそれらの多くは、古民家を改装してモダンな感じにしあげているのだと思います。

イメージ 1

この曲がった樹木をそのまま使っているような木材は、太鼓梁(たいこはり通称ゴロンボ)といいます。
そもそも梁(はり)とは、柱や桁などの荷重を受ける部材として水平に設置される建築材です。

このうち梁(はり)には、その使われる場所によって概ね2種類に大別され、屋根の荷重を受けて下の柱に伝える役割を担う小屋梁と、床の荷重を受けて下の柱に伝える役割を担う床梁があります。
イメージ 2

梁(はり)の種類を更にその用途によって分類すると、小屋梁敷梁、二重梁、登り梁、火打ち梁、まぐさ梁などがあります。
建築材の部材名は、建築関係の仕事をされている方以外にはその部材名だけでそれをイメージできる方は少ないでしょう。
なので以下に建築部材の説明画像を紹介しておきます。

イメージ 3
建物の部材名を説明する図

このうちの小屋梁や敷梁として使われる木材の内、特に加重が強くかかる箇所には、その形状上の分類名で言えば、主に太鼓梁(たいこはり)平角梁の二種類が多く用いられます。
つまりこれら太鼓梁(たいこはり)と平角材梁は、垂直に加わる加重を水平に受け止める役目の部材の中でも、特に強度を持つ部材と言えます。
このうち樹木をそのまま使っているようなアーチ型の太鼓梁(たいこはり通称ゴロンボ)については、以下の画像の中の赤丸で囲って分かり易く示しました。

イメージ 10
建築中の民家に見える太鼓梁(たいこはり)や平角材梁
赤円で囲んだ部材が太鼓梁、青円で囲んだ部材が平角梁

しかし近年の近代的な木造建築では、この太鼓梁(たいこはり)が使われることは少なく、増してや今日の工期を可能な限り短縮するために、ハウスメーカーで多用されるプレカット工法で使われることは少なくなりました。
プレカット工法とは、パソコン上で設計図寸法を入力するだけで各部材の寸法を算出し、工場の大型加工機で一軒の建築部材を前もって加工することで、建築現場でプラモデルのように図面に従って組み立てるだけで建築物を完成させることができる工法なのですが、このプレカット工法では機械的な計算や加工が難しいアーチ(太鼓)型の太鼓梁(たいこはり通称ゴロンボ)は、殆ど使われません。

ですがプレカット工法が普及する以前の木造建築では、一人前の大工さんは皆、高い経験値と熟練技を持ち、必ずと言っていいほど太鼓梁(たいこはり)要所要所で用いました。
そしてこの太鼓梁(たいこはり)は、その形状だけでなく、材質にもこだわって、歪や硬度に優れた針葉樹の赤松材を用いるのが一般的です。
この赤松材について更に言えば、寒冷地で長い年月をかけて育つため、他の木材に比べて極めて密度が高く重いという特徴もあります。

前置きが長くなりましたが、50年前に建築された旧我家では、当然のようにこの太鼓梁(たいこはり)が用いられていて、これが一人で持ち上げるには、重すぎる部材でした。

以下に紹介している屋根部の解体が終わった旧我家の画像の中に、取り外した部材の名称も加えましたが、普通の四角い桁や梁、それに巾太の平板梁までは、一人でもそれほど苦労せずに取り外せたのですが、太鼓梁(たいこはり)の取り外しには、大変な苦労がありました。
ただでさえ柱の上に組まれた桁や梁などを外すには、以下の画面の下部に見える脚立の上に上がっての自由の利かない作業なのですが、太鼓梁は余りに重すぎて、その一方を肩に担ぐことすら耐えられるのは、ほんの数秒間だけでした。

イメージ 4
解体中の旧我家
分かりにくいかもしれませんが、太鼓梁(たいこはり)・棟木・母屋などが建て掛けられています。

太鼓梁はを一人で地上にまで降ろすには、誤って太鼓梁を落下させてお隣の壁を傷めたり、その落下に巻き込まれて自身も地面に叩きおとされたり、更には自身が落下すると同時に太鼓梁の下敷きになる事故を避けるための下準備が必要です。
まずは外そうとする太鼓梁の片方の端の真下脇に、梁の高さより少し低い脚立を設置し、もう片方には太鼓梁の接合部の脇にハシゴを建てかけてた後に、脚立を脇に立てた方の接合部近くの端と、その端が組み込まれている相手方の梁をロープでしっかりと繋いでおきます。
これは、外した太鼓梁が誤って落下しても、そのまま全体が落下せず、片方だけはロープで繋ぎ止められていることで、大きな事故を防ぐための下準備です。
その上で太鼓梁の両方の継手部を下方から大ハンマーで叩き上げることで浮き上がらせて、隙間の空いた凹部にかまし物を入れます。
これで接合部は外し易くなり、脇に脚立を立て、ロープで繋ぎ止めていない方の接合部の脇に立てかけたハシゴに登ってもう片方の接合部も外して太鼓梁の端を肩に担ぎ、ゆっくりとハシゴから降りて行きます。
この時もう片方の接合部はその凸部が平角梁の凹部から徐々に外れて行き、ハシゴから降り終える以前に完全に外れてしまう可能性もありますの。
その場合ロープで繋ぎ止めているとはいえ、接合部が完全に外れればその繋ぎとめたロ^プの長さ分は落下して、強い衝撃と加重を担いだ方の肩に受けますので、太鼓梁に引き込まれて転落事故にならないよう回避動作が即座にとれるように心構えをしておかなければなりません。
慌てず、急がず、ゆっくりと、太鼓梁の重さに耐えて、地上までハシゴから降りきったなら、ロープで繋がっている方の端に近づいて行くようにしながらゆっくりと肩に担いだ方の一方を地面へと降ろして行き、残る平角桁に立て掛けるようにするのです。
きっとこのプロセスは文章では理解できないでしょうから、太鼓梁を一人で外す方法を図解で以下に説明しておきます。

イメージ 9
一人での太鼓梁(たいこはり)の外し方を図解

以上のように太鼓梁(たいこはり)は大変重くて直線的な木材ではないために、一人だけの作業でなくても、建前(上棟)にしろ解体にしろ、その扱いには難攻しがちです。
結果的には事故もケガもなく太鼓梁(たいこはり)を外すことができましたが、普通は、クレーンが無ければ出来ない作業と言えます。
なぜなら例え旧我家のような比較的小さな平屋の太鼓梁でも、その重量は大変なものだということを、地面に降ろして見て初めて実感したのです。
この後太鼓梁を寝かせて移動させようとした時、私はこれを完全に浮かせて持つことができず、片方を両手で提げて後ずさりしながらもう片方の端を、やっとの思いで引きずることしかできなかったのですから。

これで一人きりの解体作業は峠を越えたと言いたいところですが、残念ながらまだまだ難関作業が残っているのです、これが。

イメージ 5
屋根部を解体し終わった旧我家(人目線で撮影)

イメージ 6
屋根部を解体し終わった旧我家(高さ4mから撮影)

イメージ 7
屋根部を解体し終わった旧我家(高さ7mから撮影)

イメージ 8
屋根部を解体し終わった旧我家(高さ9mから撮影)

福屋不動産販売での当物件のページ
所在地大阪府堺市中区八田北町
交通泉北高速鉄道 深井駅 徒歩24分
阪和線 津久野駅 バス乗車10分 八田荘停歩3分
 土地 107.33m²(32.46坪)公簿
建蔽率 60%
容積率 200%
物件No.20000904912
【セールスポイント】
南向き・間口が広い・車が通り抜けない
南紀、神戸、関空、奈良、京都へと繋がる高速道路のインターがすぐ近くにあるということです。
阪神高速湾岸線へと繋がる泉北有料道路(通称百金高速)や、近畿道、阪和道の入り口が歩いてでも行ける距離にある。
レジャーに出かけるには持って来いの立地条件ですよ!




PVアクセスランキング にほんブログ村
〜真田丸:標高78mにある豊臣期の大坂城天守の鯱に、砲弾は届くのか?〜
   サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

『NHK大河ドラマ 真田丸』第46回放送『砲弾』では、徳川方の大筒から撃たれた砲弾が、大坂城天主の鯱(しゃちほこ)に着弾したことで、撃ち落とされた鯱(しゃちほこ)が淀殿の前を行く侍女たちの頭上の屋根を突き破って落下し、絶命してしまうという衝撃的なシーンが描かれました。
その映像から想像するに、砲弾は以下の図の赤色矢印ように飛来し、それによって撃ち落とされた鯱(しゃちほこ)が黄色矢印ように落下した後に屋根を突き破り、侍女の上に落ちたと言うのが、ドラマ上のシーンだったのではないでしょうか?

イメージ 3
豊臣時代の大阪城に砲弾が飛来する図

イメージ 4
豊臣時代の大阪城に砲弾が飛来する図の本丸を拡大

果たして当時の大筒は、大坂城天主の鯱(しゃちほこ)に着弾することが可能なのでしょうか?

「大坂冬の陣の際、徳川方が当時、河内平野を流れあがってきた大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた中州状の場所にあった備前島(現在の都島区網島町あたり)から大砲で大坂城本丸を攻撃したことでも知られている。」との記述があります。

つまり大坂冬の陣において徳川方の大筒の砲弾が、大坂城北側にある大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた中州状の地形という低い標高の場所から放たれたことにより、上町台地の上に築かれた大坂城本丸の淀殿の居住間に居た侍女8人を殺傷したのです。
しかし真田丸:大坂冬の陣での着弾した砲弾の重さ・大きさ・射程距離を具体的に〜 でご紹介したように、その大筒の砲弾は、重さ約4㎏、直径わずか9cmほどの金属球であることから、ただ砲弾が命中しただけでは、8人が死傷するような被害になるということが考えにくいことから、
第46回放送『砲弾』では、その砲弾が大坂城天主の頂上にある鯱(しゃちほこ)に命中したことで鯱(しゃちほこ)が侍女の頭上に落下して侍女が死亡したという想定が描かれたのだと思われます。
これを図で示すと以下のようになります。

イメージ 2

しかし大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた川の中州から上町台地の上の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)までは、700mの距離ばかりではなく、相当な標高差があったと思われます。

いったい大和川と淀川本流(当時)の合流地点にできた川の中州から上町台地の上の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)までは、どれほどの標高差があるのでしょうか?

「(上町)台地の標高は最も高い大阪城天守閣跡で38メートルであり、北部はストンと淀川水系の大川に落ち込み、・・・・・」と記されています。

「昭和34(1959)年、大阪市と大阪市教育委員会、大阪読売新聞社は、「大坂城総合学術調査団」を組織し、大阪城の謎の解明に乗り出しました。その調査のなかで、・・・・・地下7.3mの位置で石垣が発見されました。。」という記述と、以下のような図が紹介されています。

イメージ 1

このことから上図にある豊臣時代の大阪城天主の建つ地盤が、上町台地 - Wikipediaに記されているところの上町台地の最も高い標高38メートルの大阪城天守閣跡だとするならば、豊臣時代の大阪城天主の頂点にある鯱(しゃちほこ)は、標高約78mの位置にあったということになります

果たして当時の射程距離1km前後の大筒には、その砲弾が放物線の弾道を描いて、700m離れた標高差78mの標的に当てうる性能があったのでしょうか?
大筒設置にあたっては、砲台を築いたようですが、恐らくその砲台の高さは、20mに達することはなかっと思われます。

残念ながら砲弾の性能を科学的に知りうる能力の無い私には、少なくとも豊臣時代の大阪城天主より約20m高い、徳川時代の大阪城天主の鯱(しゃちほこ)よりは届きうる可能性は高い。
としか言えません。残念!

イメージ 5

PVアクセスランキング にほんブログ村
〜旧我家解体記:屋根瓦と屋根土を降ろせば、透け透けのスケルトンハウス
      サブタイトル:オヤジブログは自由だ!旧我家解体記編 
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

先日ご紹介したように、屋根瓦と屋根土を、機械を使わずに降ろし終え、屋根瓦を処分すると、屋根の下の集積スペースには屋根土が残り、
下から見上げる屋根は、垂木に荒く打ち付けられた野地板の隙間が、ペネシャンブラインド越しの窓の光景のようです。

イメージ 1
屋根土の集積スペース
四方を囲むコンパネの内、玄関側のコンパネを取り外した様子

道路側から見る骨組みだけの旧我家は、言わばスケルトンハウスです。
前庭に止めた軽トラックの向かって右側には、風呂場から取り出したステンレス製の浴槽・自転車や、外壁からはがしたモルタルを砕いて入れた白い土嚢が幾つも残されています。
これで地震が起きても平屋のスケルトンハウスが倒れる可能性は少なくなりました。

あとは屋根の野地板と垂木を外せば、柱・梁・桁などの太い角材のみになりますが、画面左側の元は私の部屋だった室内には、畳・アルミサッシ・ドアなどが残っています。
これは本畳の処分代が、重量換算で決まる処分代が高額になるため、処分を後回しにしていたからです。
この畳をどう処分するのか、それともしないのか?を、決めかねていた私は、とりあえず畳が雨水を含むことで更に重くならないよう、シートを被せてしばらくは放置しました。

そして画面右側の屋根にも部分的にテントシートで雨養生をし、シートを被さなかった大部分の野地板や垂木は、後日解体して屋根下へと落としました。

しかし屋根下へと落とした野地板や垂木には、多数の釘が刺さったままです。
この刺さったままの釘を全て抜き取る作業場と、屋根土の集積スペースに相当する屋根の一部にはシートを被せたのは、それによって雨の日にでも釘抜き作業が出来、天気の良い日でも強い日差しを避けての作業が出来るようになり、集積された屋根土に雨がかかることで泥になることを避けるためでした。

では木の廃材は、釘を抜かなければ処分出来ないのか?というと、そんなことはありません。

釘が刺さったまま処理業者や市営のクリーンセンターに持ち込んで処分することはできますが、処理代は各段に高くつきます。
解体費用をできるだけ抑えたい私としては、釘が刺さったまま処分するより数倍の日数がかかっても、釘を全て抜き取ってから処分場に持って行くことにしたのです。
つまり、釘を抜かずに作業日数を数倍はかどらせることは、処分経費を数倍にするということなのです。

正月直後の年初から暇を見て進めて来た旧我家の解体は、この時点での作業過程の撮影日は、ゴールデンウイークを過ぎた5月13日で、もう汗ばむ季節となっていました。

イメージ 2
壁も屋根材も排除した状態の旧我家(人目線で撮影

イメージ 3
壁も屋根材も排除した状態の旧我家(高さ5メートルから撮影

イメージ 4
壁も屋根材も排除した状態の旧我家(高さ7メートルから撮影
イメージ 5
壁も屋根材も排除した状態の旧我家(高さ9メートルから撮影

福屋不動産販売での当物件のページ
所在地大阪府堺市中区八田北町
交通泉北高速鉄道 深井駅 徒歩24分
阪和線 津久野駅 バス乗車10分 八田荘停歩3分
 土地 107.33m²(32.46坪)公簿
建蔽率 60%
容積率 200%
物件No.20000904912
【セールスポイント】
南向き・間口が広い・車が通り抜けない
南紀、神戸、関空、奈良、京都へと繋がる高速道路のインターがすぐ近くにあるということです。
阪神高速湾岸線へと繋がる泉北有料道路(通称百金高速)や、近畿道、阪和道の入り口が歩いてでも行ける距離にある。
レジャーに出かけるには持って来いの立地条件ですよ!




PVアクセスランキング にほんブログ村
〜真田丸:大坂冬の陣での着弾した砲弾の重さ・大きさ・射程距離を具体的に〜
   サブタイトル:オヤジブログは自由だ!真田丸編          
近畿情報ブログランキング参加用リンク一覧  イメージ 2

『NHK大河ドラマ 真田丸』第46回放送『砲弾』では、家康が真田丸の戦いでの大敗に懲りて、無暗に大坂城を攻めることを止め、白兵戦ではなく、調略などの心理的なダメージを狙ったあの手この手を使って、豊臣方が和睦交渉に応じるようにしむけます。

この一連の心理的な攻撃は、エゲレス制の大砲が到着するまでの場繋ぎのようなものでしたが、場繋ぎで豊臣方が落ちれば勿怪の幸いではあるのです。
ですが豊臣方もおバカばかりではありません。
鬨(とき)の声・信尹を使っての幸村(信繁)の調略・徳川の内通者である有楽斎を使っての和睦への誘導、そのどれもが結局は不発に終わります。
しかし、ドラマのエンディング直前、一発の砲弾が天主閣のテッペンにある金色の鯱(しゃちほこ)を直撃します。
天守閣の廊下を歩いていた淀殿と侍女たちはその砲弾が当たった轟音に驚きますが、その音の正体すら分からず、立ち止まります。
そして砲弾の音が鳴って数秒の後、鯱(しゃちほこ)が廊下の屋根を突き破って侍女二人の頭上に落下し、絶命してしまいました。
以上が第46回放送『砲弾』で描かれた、大筒の玉が大坂城に着弾する経緯です。

この大阪冬の陣における大筒については、当ブログでも以前〜大坂冬の陣で使われた大筒の入手経路や威力は?において既にご紹介しています。
その記述の中では、
「・・・・・当時の大砲は、約4キロの鉛玉を1.5キロほど飛ばすだけのものでしたが、城内にいる者に与える心理効果は絶大なものがあり、そのうちの一発が、淀殿の居間を直撃します。
ものすごい大音響が鳴り響き、彼女の側にいた侍女8人が即死してしまいます。・・・・・」とご紹介しました。

今回はそうした記述をより具体的に、分かり易く説明したいと思います。

先ずは大筒の砲弾の重さについてです。
いったい4キロの砲弾とは具体的にはどのようなものでしょう。
調べてみるととても分かり易い例がありました。
それは陸上競技の砲丸投げで使う砲丸です。
砲丸投 - Wikipediaによれば、
砲丸投げ競技でつかう砲丸は、
一般男子:7.260kg(16ポンド
一般女子:4kg
高校男子:6kg(旧12ポンド=5.443kg)
高校女子:4kg
中学男子:5kg(旧4kg)
中学女子:2.721kg(6ポンド)
世界ジュニア規格男子:6kg
世界ユース規格男子:5kg
だそうです。
つまりこれで言えば、一般女子及び高校女子の競技で用いられる砲丸が、丁度大坂城に命中した砲弾とほぼ同じ4㎏なのです。
そしてその大きさは?というと、直径9.5cmから11cmだそうで、素材としてはほぼ鉄だと思っていいようです。
念のために言っておきますが、当時の砲弾は、現代のような爆裂弾、つまり砲弾が着弾と同時に破裂する火薬の入った砲弾ではなく、正に球形の金属塊だったのです。

イメージ 1
砲丸投げの女子選手

ですが〜大坂冬の陣で使われた大筒の入手経路や威力は?での記述をよく見て下さい。
大筒の砲弾は鉄ではなく、鉄より比重の重い鉛で出来ているのです。
ということは、上の写真に写る女子選手が持つ砲丸よりさらに小さいと言う事です。

そこで次に大筒の砲弾の大きについてですが、
「戦国時代末期「大阪冬の陣」で、淀殿のいる櫓を破壊し、女中が死亡した有名な実例でご紹介します。
まず、大砲(大筒)のサイズですが、家康公が堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門に命じて造らせたのが「芝辻砲」と言われる1貫500匁玉砲です。
砲身の全長3.13m、砲口部直径32.7cm、口径9.5cmというものでした。
「?」と思いませんか? 大砲(大筒)と言う割には随分と小さなものでした。
確かに砲身自体の直径が32.7cmと、ある程度納得はできますが、
口径9.5cmとは・・・。
事実、当時の鍛造技術ではかなりの「肉厚」の砲身でないと
危険があったわけですね。(大きな円の中心に小さな円がある様なもの)
弾丸のサイズは、直径9cm、重さ1貫100匁(4.1kg)の鉄球或いは鉛玉ですので、・・・・・」
とあります。
ということは、砲弾は鉛とは限らず、鉄の場合もあったんですね。
ですが砲身の口径が9.5㎝である以上、鉄であろうと鉛であろうと、砲弾の直径は必然的に口径よりやや小さい9cmとほぼ決まってしまいます。
つまり、女子の砲丸投げの砲丸よりやや小さいということですね。

次に大筒の射程距離ですが、
〜大坂冬の陣で使われた大筒の入手経路や威力は?には「・・・・1.5キロほど飛ばす・・・」と記しましたが、
「射程距離の実態は不明ですが、前記の大阪城への砲撃は700mの距離から撃ったとされていますので、実際にはもう少し(あと2〜300m位)は有効射程距離としてあったと思われます。」
とあります。
なのでコンスタントに撃てる射程距離は、1㎞前後なのかもしれません。

次に威力ですが、これについては定かではないようです。
「直接」当った物体を破壊するか、精神的にダメージを与えるか程度のものだった様です。
但し、一説によると、その弾丸を真っ赤になるまで焼いてから撃ち、「火災」を起こさせることもあった様です。
皆さんのイメージを壊してしまう様ですが、これが大砲(大筒)の実態でした。」
と文末を括っています。
つまり大筒といういかにもご大層な名前から来るイメージとはほど遠い威力だったということなのです。
ですが〜大坂冬の陣で使われた大筒の入手経路や威力は?でも記しているように、記録によれば、侍女8人が即死してるそうなのです。

ですが、果たして第46回放送『砲弾』で描かれたように、天主閣の鯱(しゃちほこ)に命中することで、侍女8人が即死するほどの威力を発揮するものなのでしょうか?

金鯱 - Wikipediaによれば、当時の大阪城の鯱は、金鯱(金箔押鯱瓦)だったようです。
ですが重さや大きさについては調べがつきませんでした。
なので他の城の鯱(しゃちほこ)について調べてみると、
鯱(しゃちほこ)の大きさは、
熊本城   高さ120cm、 重さ100kg (熊本地震で新造されたもの)
姫路城    高さ約187cm、重さ約296kg
名古屋城  高さ約260cm、重さ約1200kg
ということで、姫路城の金鯱は、熊本城の鯱(しゃちほこ)の10倍以上の重さがあるようです。

仮に豊臣時代の大阪城の鯱(しゃちほこ)が、100kg だったとしても、それが天主閣のテッペンからその下にある建物に落下すれば、屋根を突き破って部屋や廊下にいる人々を直撃する可能性が十分あります。

ただし、現在の瓦製造技術は、当時のそれより遥かに軽量に造ることができます。
なので今年造られた熊本城の鯱(しゃちほこ)よりも、当時の大阪城の鯱(しゃちほこ)の方が遥かに重いものだったと思われ、恐らく姫路城の鯱(しゃちほこ)と同等の重さはあったと思われますので、
それが落下したなら、天主より低い建物にいる人々を幾人も殺傷する威力は十分すぎるほどあったでしょう。
例えは悪いかもしれませんが、仮に大坂冬の陣で砲弾が天主の鯱(しゃちほこ)に当たったのが事実だとするならば、それは例えて言うなら、
お祭りの出店でコルク鉄砲を、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるで、たまたま当たったのが大きな陶器人形で、それが落下して下にある物を、木っ端微みじんに砕いたようなものだたったといえるでしょう。
恐らく屋根に砲弾が直撃しただけでは、大した被害を与えなかったと思えます。たった4㎏の砲弾では。

ところで第46回放送『砲弾』では、あたかもエゲレスより輸入した最新鋭のカルバリン砲の砲弾が大坂城に当たったかのように描かれましたが、ウィキペディアの記述によれば、そうではないようです。

イメージ 4

イメージ 2
現代の大阪城の金鯱

イメージ 3
カルバリン砲

PVアクセスランキング にほんブログ村

.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 土佐文旦
  • 湖池健彦 Essay
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事