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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜直虎:直虎のいいなずけの井伊直親の命を救った南渓和尚とは
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第一回放送『井伊谷の少女』において描かれたように、おとわ・亀之丞・鶴丸の三人は、立場こそ違え、幼馴染として仲良く育ちます。
ところが、鶴丸の父:小野政直が今川義元に対して「直満・直義は武田と通じて今川家に謀反を企てている。その証拠に武具の準備をしている。」と讒言(ざんげん)しために、亀之丞の父:井伊直満は今川義元によって殺害され、亀之丞も今川に身柄を差し出すように通達してきました。

しかし井伊本家は今川の意向に従わず、亀之丞を逃したのです。
直満は裏切り者として殺害されましたが、それは今川家に対してであって、井伊本家に対する裏切りではありませんでした。
従って当時は今川家に従属していた井伊家でしたが、かつては敵対していた今川家に血族を売ることなど考えられなかったのです。
つまり井伊家にとっての裏切り者は直満ではなく、井伊本家の家老でありながら井伊家の直満を今川に売った小野政直だったのです。
従って臣でありながら井伊家の者を売った政直が今川のスパイだったという見方も生まれるのでしょう。

そして直満の子:亀之丞を逃す算段をしたのが、ドラマでは南渓和尚として登場していた南渓瑞聞(なんけい ずいもん)でした。

南渓和尚とはいったいいかなる人物だったのでしょう?

南渓瑞聞 - Wikipediaによれば、
南渓瑞聞は、井伊谷城主でありおとわの父である井伊直平の次男もしくは三男として生まれます。ただし、2016年に発見された位牌や、龍潭寺(りょうたんじ)が所蔵する「南渓過去帳」には父実田秀公居士と記載されており、これが直平の法名でなければ父は別人ということになり、その事から養子説も出ているが真偽はさだかではありません
龍潭寺一世住職として直平に招かれた黙宗瑞淵(もくしゅうたんえん)に弟子入りして出家し、同寺住職を継ぎます。
天文13年(1544年)に井伊直満直義今川義元の命により殺害された後、直満の子・亀之丞(後の直親)も殺すように命令があった際、直満の家老今村正実は南渓瑞聞と相談のうえで、師匠・黙宗瑞淵ゆかりの寺であった信濃国伊那郡市田郷の松源寺に書状を送り、そこに亀之丞を匿ったのです
直平の死後、井伊家は武田家の侵攻により領地および城主国司の地位を失い、また後継者が戦死したり讒言を信じた今川家に討たれたりするなどの危機が続いたが、南渓瑞聞はそのような非常時に当たり、直虎を同家当主に推薦したのです。
また、井伊家再興のために、井伊直政徳川家康に仕えるきっかけを直虎らと共に作ったのもこの人物です。
臨済宗龍潭寺二世住職として今川義元の葬儀を取り仕切る安骨大導師なども務めたのです。
井伊家出身で、女性の井伊直虎を同家当主に推薦したことから、当主不在時に井伊家を率いていた可能性が高いとも。

葬儀(安骨) - IT坊主のひとりごとによれば、

収骨を終えて自宅に帰り遺骨を祭壇に安置し、その前に位牌を置き、水、線香、生花、ローソクを供えたあとに読経をします。
これを、安骨諷経(安牌諷経、安位諷経、還骨勤行ともいう)というすです。
そして大導師とは、 (1) 人を正道に導く者の通称。 (2) 法要に際して中心となり,願文,表白などを述べて人々を導引する師のことだそうです。
従って安骨大導師とは、遺骨を祭壇に安置し、法要に際して中心となり,願文,表白などを述べて人々を導引する法師ということになるのでしょう。

南渓和尚が井伊直親こと亀之丞を匿った龍潭寺(りょうたんじ)は、平安時代から井伊氏菩提寺だったそうです。
龍潭寺は静岡県浜松市北区にある臨済宗妙心寺派の寺院として現存する寺院で山号は万松山と称せられます。本尊は虚空蔵菩薩
寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれたとされ、当初の寺号は地蔵寺でしたが、寛治7年(1093年)に井伊共保が葬られた際にその法号から自浄寺と改められた。
元中年間(1384年 - 1392年)、宗良親王後醍醐天皇の皇子)がこの寺を中興したともいわれます。
戦国時代永禄3年(1560年)に戦死した井伊直盛(直虎の父)がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められます。
直盛の死後井伊家の当主となった井伊直親、直盛の娘で直親の死後の永禄年間に井伊家を取り仕切った井伊直虎の墓もあり、直親と直虎の墓は隣り合っているそうです。
関ヶ原の戦いの戦勝にともない、井伊氏が近江国に転封となってからも徳川四天王として徳川政権において確固たる地位を得ていた井伊氏の加護を受け、江戸幕府からも朱印状を与えられました。

ではなぜそんな井伊家と深い関係にある臨済宗龍潭寺の二世住職であり井伊当主の兄弟として生まれた南渓和尚が、かつては井伊家と敵対していた今川義元の葬儀を取り仕切る安骨大導師をも務めたのでしょう?
義元は幼かった井伊直親(亀之丞)の命を絶つことを命じ、それに対して南渓和尚は亀之丞を匿ったという経緯もあったというのに。
現世での行いはともかく、仏となったからには、嘗ての敵将をその現世での行いをもって捨て置く事は
僧侶の本分ではないからでしょうか?
恐らく井伊家にとっては好ましくない存在であったにせよ、桶狭間の戦いにおいて当時は小国だった尾張の織田家にあっけなく討ちとられた義元を哀れみ、仮にも井伊家の主君だった義元を、弔うことが僧侶としての指名だったということなのでしょうね。

ちなみに臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国禅宗五家(臨済、潙仰曹洞雲門法眼)の1つで、日本においては禅宗臨済宗曹洞宗日本達磨宗黄檗宗普化宗)の1つだそうです。
確かにドラマでも襖に向かって僧侶たちが座禅を組む様子が描かれていましたよね。
イッチ―も。
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小林薫さん演じる南渓和尚

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〜直虎:小野政直の讒言によって今川義元に殺害された井伊直満の実像は?〜
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第一回放送『井伊谷の少女』では、主人公:井伊直虎がまだ幼い頃のエピソードが描かれました。
直虎の幼名はとわ(「お」がついておとわ) 、分家の嫡男でありながら病弱な亀之丞、井伊家家老の嫡男として知性に優れる鶴丸のまだ幼い三人は、野山を駆け巡り、寺での勉学も共に学ぶ幼馴染として育ちます。
亀之丞と鶴丸は、朗らかで太陽のようなおとわにほのかな恋心を抱きます。
しかし井伊本家存続のために、分家の嫡男:亀之丞は許婚(いいなずけ)となりますが、亀之丞の父:井伊直満が井伊家の所領:遠江(とおとうみ)を含む駿河一帯を治める今川義元に謀反の疑いをもたれて殺害されてしまいます。

ドラマの初回において早くも姿を消した井伊直満とは、果たしてどのような武将だったのでしょうか?

井伊直親 - Wikipediaには以下のような記述しかありません。
井伊氏は遠江の国人であるが、父の直平と共に今川義元に仕えた。兄・直宗嫡男で甥にあたる直盛に男子がいなかったため、自身の子の直親養嗣子にする約束をしたが、直親が家督相続することを嫌う家臣の反感を買ったため、天文13年(1544年)、弟の直義と共に小野政直の讒言で今川義元によって殺害させられた。

ですが井伊直満とは? 赤鬼・井伊直政の祖父は非業の死を遂げる【 …にはより詳しい記述があります。
直虎から見れば、大叔父(父の叔父)にあたる井伊直満は、側室の子であった可能性が高いとされることと、長兄:直宗に嫡男の虎松(後の直盛)が生まれたために、当初から井伊本家の当主となる資格がなかったとされているそうです。
しかし、本家の嫡男:直盛が跡を継いて後、直盛には姫:とわ(「お」がついておとわ)だけで、なかなか男児に恵まれなかったために風向きが変わりはじめます。
直虎ことおとわにとっては曾祖父にあたる井伊直平は、平家以来の名門・井伊家をつなぐために、分家となっていた次男の直満の子:亀之丞(後の直親)をおとわの許婚(いいなずけ)とし、いずれは二人を結婚させて亀之丞(後の直親)に井伊家を継がせることを決めます。
この時おとわはまだ2〜3歳の時だったそうです。
我が身は井伊本家当主としての資格を許されなかった直満にとって、嫡子:亀之丞(後の直親)の本家への養子縁組は、どれほど喜ばしいことだったでしょう。
 (一言:にっぽん!歴史鑑定『言い直虎はなぜ女城主になったのか?』では、井伊家がまだ小国ならがら独立国として今井家として戦っていた頃に右目を失明して眼帯を付ける風貌となったとの印象を持つ映像が放映されました。つまり当然の務めと言ってしまえばそれまでですが、直満は井伊本家のために決死の覚悟で戦国の世に生きた武将だったのです。)
本家当主となるはずない井伊分家の自身の子が、次期本家当主となる可能性がほぼ確定した直満は、もはや我を失うほどの有頂天な思いがあったことでしょう。
その心の隙が、不幸にして行動に現れます。
直満はこの後本家の方針に度々口を挟むようになったそうです。
この直満の増徴ぶりを苦々しく思ったのが当時の井伊本家家老の小野政直です。
前回のページでご紹介したように、政直は井伊本家の家老でありながら、今川家のスパイだったとも言われ、自らは今川の力を借りて井伊本家の乗っ取りすらも目論む野心家だったと考えられています。
そんな政直にとって直満の増長ぶりは、もはや我慢の限界を超えたものだったと想像されます。
なぜなら小野政直は、我が子鶴松(小野政次)をおとわの嫁として本家の当主とする思惑があったからです。
そんな1541年、武田の兵が井伊領北部へ侵入してきたため、直満と直義の兄弟に武田兵討伐を命じます。
直満と直義は主命に従い、出陣の準備に追われます。
そんな中、小野政直は今川義元に対して「直満・直義は武田と通じて今川家に謀反を企てている。その証拠に武具の準備をしている。」と讒言(ざんげん)したのです。

実際『井伊家伝記』には、
1541年の頃より甲斐国の武田信玄の指図で、武田軍がしばしば遠江国の国境に位置する井伊家の領地を少しずつ横領し始めた。
これにより、井伊彦次郎直満と井伊平次郎直義の二人は、井伊信濃守直平功の命令で、武田信玄の家来と戦う準備をしていたのを、井伊直盛公の家老である小野和泉守は、亀之丞(井伊彦次郎直満の実子。井伊肥後守直親の幼名。井伊侍従直政公の実父)の養子の儀(亀之丞を直盛の娘:おとわの婿養子にして井伊家を継がせる事)について不満があったので、密かに駿府へ行き、今川義元に直満・直義の二人が、「私的に武田軍と軍謀密策を企てている」(井伊家とは関係なく、二人の意志で武田信玄と内通している)と讒言(ざんげん)したので、なおすぐに「駿府に来るように」との召喚状が直満・直義兄弟に来た。
直満・直義の二人とも駿府へ。
そして、1544年12月23日に殺害された。
殺害の後、井伊彦次郎直満の屋敷や山林は、残らず潭寺の末寺の円通寺(昭和31年(1956)、円通寺と明円寺は合併して晋光寺となった)に寄進された。
という内容が記されているのです。

直虎ことおとわにしてみれば、小野政直が今川義元に対して井伊直満を死に至らしめる讒言がなければ、おとわと亀之丞(直親)が離れ離れとなることはなかったのです。
そして亀之丞(直親)は、今川義元の追手から逃れれるために南渓 瑞聞(なんけい ずいもん)によって龍潭寺(りょうたんじ)に匿われて長きに渡り渡り隠れ住むこともなく、そうなってからも、その行方を密かに知らされていれば、次郎坊という法名を得て出家することもなかったでしょう。
その場合、おとわはいずれは許婚となった亀之丞(直親)とめでたく結ばれ、二人して井伊本家を守ることとなったはずです。
女性としての幸せを小野政直に奪われ、直親と結ばれることもなく、その忘れ形見の井伊直政が立派に家督を相続するまで、男名の直虎として井伊本家を守り抜くなどという姫には酷な生涯を貫く必要もなかったものを・・・・これを哀れと思ってはいけないのでしょうか?

しかし歴史に残る運命をおとわが受け入れたからこそ、やがて井伊直正は彦根城主となり、幕末には井伊大老を輩出し、大坂の陣においては真田幸村と井伊軍が対峙する場面もあり、現代にはひこにゃんを世に送り出すきっかけを作ることにもなったのですから、見事な生涯だったと言うべきなのでしょうね。

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直虎の頃の井伊家系図

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井伊直満を演じた宇梶剛士

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〜直虎:井伊家を裏切り、井伊直満を斬首に追い込んだ小野政直とは
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NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第一回放送『井伊谷の少女』では、主人公:井伊直虎がまだ幼い頃のエピソードが描かれました。
井伊本家の姫であり、『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』の主人公である幼少期の直虎ことおとわの許婚(いいなずけ)となった亀之丞の父:井伊直満を斬首に追いやった鶴丸の父:小野正直とはどのような人物だったのでしょう?
第一回のドラマでは、井伊分家の井伊直満は、井伊家の所領:遠江(とおとうみ)を含む駿河一帯を治める今川義元に謀反の疑いをもたれて斬首されてしまいます。
そしてその原因となった今川に対する密告をしたのが、どうやら井伊家の家老で鶴松の父である小野政直らしいことが伺えました。

ウィキペディアにある小野政直その人に係る記述は少なく、
小野家がどのような血筋であるかについての記述意外は、以下の記述だけです。

【小野政直とは】(小野政直 - Wikipediaより)
天文10年(1541年)、井伊家は駿河国主の今川氏に従っていたが、甲斐国武田氏が遠江国への圧力を強めたため、井伊家では井伊直満・直義兄弟が武田軍に備える準備をしていた。井伊本家の井伊直盛には嗣子がいなかったため、井伊直満の嫡子・直親が直盛の養子になる事になっていた。
(一言:ドラマでは井伊本家の姫:直虎ことおとわといいなずけになることで本家に迎え入れらる予定であったかのように描かれましたが、ウィキペディアのこの記述によれば、本家の姫の婿となる前に、養子になる予定があったようですね。)
だが政直はこの事について不満を抱き、密かに駿府今川義元へ井伊直満・直義兄弟が謀反を計画していると讒言した。
一言:これが井伊直満が今川によって斬首された理由ですね。)
天文13年(1544年)直満と直義は駿府へ召喚され、そこで両人は殺されてしまった。
駿府より井伊谷へ戻った政直は今川義元の命を奉じて残された亀之丞を殺害しようとしたが、亀之丞(後の井伊直親)の家老となった今村正実らによって亀之丞は信濃国へ逃れた。

天文10年(1541年)、井伊家は駿河国主の今川氏に従っていたが、甲斐国武田氏が遠江国への圧力を強めたため、井伊家では井伊直満・直義兄弟が武田軍に備える準備をしていた。井伊本家の井伊直盛には嗣子がいなかったため、井伊直満の嫡子・直親が直盛の養子になる事になっていた。
(一言:ドラマでは井伊本家の姫:直虎ことおとわといいなずけになることで本家に迎え入れらる予定であったかのように描かれましたが、ウィキペディアのこの記述によれば、本家の姫の婿となる前に、養子になる予定があったようですね。)
だが政直はこの事について不満を抱き、密かに駿府今川義元へ井伊直満・直義兄弟が謀反を計画していると讒言した。
一言:これが井伊直満が今川によって斬首された理由ですね。)
天文13年(1544年)直満と直義は駿府へ召喚され、そこで両人は殺されてしまった。
駿府より井伊谷へ戻った政直は今川義元の命を奉じて残された亀之丞を殺害しようとしたが、亀之丞(後の井伊直親)の家老となった今村正実らによって亀之丞は信濃国へ逃れた。
小野政直は天文23年(1554年)没。

上記の記述だけではドラマで描かれた事件にかかわる内容が殆どで、小野政直の人物像を知るには至りません。

そこで先日BS放送で放映された にっぽん!歴史鑑定『言い直虎はなぜ女城主になったのか?』で紹介された内容をご紹介します。
この放送によれば、江戸幕府がまとめた大名や旗本の記録集である『寛政重修諸家譜』には以下のような記述があるそうです。
小野政直はもともと井伊分家の当主:直満とは不仲だったため、直満の子:直親が本家の家督を継ぐことを嫌い、今川義元に讒言(ざんげん)した。
と。
この記述に対して番組では、井伊家は少し前までは今川家とは敵対していた。
そういった所に家臣となるというのうは、やはりちょっと不満があり、本音ではいずれ井伊家は今川家から独立したいという思いをもっていたとし、
対して小野政直は井伊家を監視するために今川家から送り込まれた監視役(スパイ)だったとも言われるそうです。
そのため小野政直は、直親が本家の当主となり、反今川色が強くなることを未然に防ごうとしたと解説されました。
当時は下剋上の時代で、政直はあわよくば井伊家を乗っ取りたいといとの考えが有り、そのため井伊直満が斬首された事件後、直正は本家当主の直盛に対して平然と、
「我が子政次を、井伊家の婿養子にして頂けぬか。」と申し入れたと言うのです。
しかし本家の直盛は当然これに対して首を縦に振ることはなかったそうです。
そしてその婿養子の相手であるおとわ(直虎)も亀之丞(直親)の帰りを待ち続けたのです。

以上のように、井伊本家の家老であった小野政直は、今川家から送り込まれたスパイとも言われる上に、ただ今川家に忠誠を誓うのではなく、今川家という大大名の力を借りて井伊家を乗っ取りたいという野心家でもあったようです。自身の力によるものではなく。
これを世間では、獅子身中の虫と言うのですが、小野家の末裔の方には何か異論はないでしょうか?

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小野政直を演じている吹越満さん

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〜直虎:井伊直虎を竜宮小僧の申し子とすることで、ドラマの核心を私達に伝え
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井伊直虎がまだ幼い頃のエピソードが描かれた『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第一回放送『井伊谷の少女』では、主人公:直虎はまだまだ幼く、とわと呼ばれていました。
嫡男が生まれなかった井伊本家において、女の子でありながら男子のように育ったとわ(「お」がついて『おとわ』)は、自身も家督を継ぐことが天命だと信じていまいた。
しかし彼女にとってはそれは重荷とは考えず、むしろそれを将来の糧(かて)として自由奔放に育ちます。
そんなおとわと共にふるさと井伊谷で、後に井伊直親となる井伊分家の嫡男:亀之丞(かめのじょう)と、後に井伊家の家老:小野政次となる鶴丸を加えた3人が、野山を駆け巡り、勉学を共にしてながから日々楽しく過ごします。
ドラマではそんな幼い3人が仲良く遊ぶ中で、
竜宮小僧のことを「人が困っていることを、知らぬ間に手伝ってくれる謎の存在。知らぬ間に田に苗を植えておいてくれたり、洗濯物を取り込んでおいてくれたりする」と紹介され、
また一方で井伊家の家名の由来となった井戸に井伊家の初代様が落ちながら溺死することもなく生還したことにとわ・亀之丞・鶴丸の3人は疑問を持ち、その井戸が空井戸だたからじゃないかと鶴丸は考えますが、とわは竜宮小僧の末裔だから溺死することもなく井戸から生還したのだろうと考え、井伊本家の血筋と竜宮小僧を関連づけます。

ドラマでは、このよにそれが単なる伝承であるにしても、井伊本家の領地では古くから言い伝えられ、困っている領民を助けてくれる竜宮小僧の存在を座敷童のごとく信心することで平穏な暮らしを営々と続けて来たことを理解したとわは、病弱な亀之丞に「われは亀の竜宮小僧になる」と約束しました。
そしてその幼き頃の約束を果たす事が、やがてとわが成長して城主となる直虎にとっては、行動力、勇気、そして知恵を駆使して井伊家と井伊谷の領民のために力を尽くすことへと繋がってゆくのです。
直虎という豪傑のような武将名として、言い換えれば女を捨ててひたむきに生き抜いた彼女ですが、表面的な生き様は確かに屈強な男の生涯だったように思われますが、そう生きることを決意して生涯貫いた彼女の内面的な思いは、正しく女性そのものだったと言えます。

そんなドラマ上では直虎の信念の根源となった竜宮小僧という架空の存在は、静岡県浜松市や浜名湖周辺で語り継がれている伝説がもとになっています。
こうした竜宮小僧の伝説と直虎の生涯を関連付けたドラマ上の設定は、やはり今回の『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』の脚本を手掛けた森下佳子さんの女性ならではの卓越した発想だと思えます。
つまり森下佳子さんは、直虎の生涯の根底に流れる思いを竜宮小僧という存在になぞらえることで、ドラマストーリーに対して明確な指針(もしくは核心)を持たせたのです。

ちなみに他の多くのブログ中でも勝たれていることですが、改めて竜宮小僧伝説について紹介しておきます。
【竜宮小僧の伝説について】
「昔、久留米木を流れる川の中に竜宮に通じていると言われた淵があり、田植えの時期になるとこの淵の中から小僧が現れて、お百姓さんの田植え仕事を手伝いました。
お百姓さんたちは、その小僧を竜宮小僧と名付け、たいそう可愛がりました。
ある時、お百姓さんたちは小僧への感謝の気持ちをこめて、小僧を食事に招待しました。
ところが小僧は、お百姓さんたちに「たで汁は自分にとっては毒なのでどうか差し出さないでください。」と告げました。
しかし、お百姓さんの一人が、小僧にたで汁を差し出してしまい、それを飲んでしまった小僧は亡くなってしまいました。お百姓さんたちは、とんでもないことをしたことを
悔い、小僧をていねいに葬りました。
すると、その葬った所から水が湧き出してきたので、お百姓さんたちは、これを竜宮小僧からの恩恵と思い、その水を引いて田んぼを増やしていくことにしました。
やがて、増えた田んぼは久留米木の棚田と呼ばれるほどのものになりました。」

このような竜宮小僧の伝説は、浜名湖周辺の村々に古くから伝わり、農作業や家事を手伝ってくれる福の神のような存在だという点で、共通する伝承です。
狩猟中心で獲物を求めて流浪した縄文人が、やがて弥生時代には農耕を行うことにより、安定的に作物を得て定住する生活となり、その生活様式がスタンダードとなった農耕民族の日本人にとっては、大いなる恵みを与えてくれる大地・水・太陽などの自然の恵みそのものを、竜宮小僧という架空の存在として具現化し、信仰の対象としたのでしょう。
それは俗に八百万(やおよろず)の神というように、太陽、月、星、風、雷といった神もいれば、土地、田、山、川、石などに、また、家の台所、かまど、便所などにも神がおり、さらには杉、松などの植物にも神が宿るというように、多くの神々があまねく存在する点に特色があります。
そもそも太古の日本では、あらゆる自然物に霊魂を認め、それを畏怖(いふ)し、崇拝するアニミズムと呼ばれる原始信仰が生まれます。
それがやがて、道祖神信仰になり、更に卑弥呼(ひみこ)に代表される巫女(みこ)などが、神のご宣託を受けて物事を決めるシャーマニズムに発展していきました。
一方で、狩猟採集生活をしていた日本人も、米の伝来にともなって農耕生活へと変っていきます。農耕生活はとりわけ、人間の力の及ばない自然現象に大きく左右されます。
天候不順や自然災害による不作はまさに死活問題で、それらを神の怒りと考えたのも無理からぬことでした。
そこから、あらゆる自然の営みに神を見いだし、崇(あが)める傾向がさらに強まっていったと思われます。
つまり竜宮小僧伝説は、祟り神に対する恵みの神を象徴する神の代表的な現れでしょう。
そして竜宮小僧竜宮小僧あらわる その2 : めくるめく久留女木の日々。などの記述から、この伝説のルーツを知ることができます。

御手洗清『遠州伝説集』(遠州タイムズ)より引用した文章によると、
都田川の清流に沿って、山と山の間を登って行くと、引佐郡引佐町の、久留女木の部落に出る。最近はバスも開通しているけれど、なんといっても、山間の渓谷の村である。
この久留女木の、都田川の川筋に、四辺を絶壁の巌で囲まれ、紺碧の水をたたえた、物凄い大淵がある。底の深さは計り知れず、村の人たちは、
「この底は竜宮へ通じているのだ」
といっている。
昔のことである。ある年の六月のこと、村の人たちは田植えの忙しさに、猫の手も借りたい思いでいた。
「だれか、手伝ってくれる者はないかな」
村の一人がこうつぶやくと、不意にこの大淵から、小僧が一人飛びでてきた。
「お手伝いします」
「こりゃ有難う」
小僧はせっせと、田植えを手伝ってくれた。そして夕方になると、どこともなく消えてしまうのだった。
「どうしたろう」
夕食でもご馳走してやろうとしたが、小僧の姿はなかった。
ある夏の日の午後であった。不意に黒雲がわきでてきて、見る間に天を覆って、滝のような大雨が降り出してきた。畑にいた人たちは、家に帰る間もないのだ。
「あッ、困った。家の干物が濡れる」
ところが心配はいらなかった。都田川の大淵から、例の小僧が飛びでてきて、村中の家の干物を、みんな取り込んでくれたのだ。
「こりゃ有難い」
小僧はその他、村人が忙しくて飛び回っているときなど、いつもでてきては、何かと手伝ってくれるのであった。
「お前さんは、どこの小僧さんだね」
村人が聞いても、
「どこでもいいよ」
といって話さなかった。村人はこの不思議な小僧を、竜宮に通じる大淵からくるからと、
「竜宮小僧」
といって可愛がっていた。
竜宮小僧は、村中のどの家にも手伝いに行くので、いつの間にかみんなと仲よしになった。
「おい小僧さん、なにかご馳走してやるよ。なにがいいかい」
「なんでもいいよ」
「そうか」
「だがね、私には蓼(たで、葉にから味のある草)汁だけは食べさせないでね」
と、小僧は、蓼汁をひどく嫌って、どこの家でもそういって断っていた。
ところがあるとき、ある家で夕食のとき、あんまり小僧が嫌うからと、試しに蓼汁を作って、彼に内密に出して食べさせた。すると小僧は、
「あッ、これはいけない」
といったと思うと、そのまま死んでしまった。
「悪いことをした」
仕方がないので、死んだ小僧に謝罪して、村中の人の手で、久留女木の奥、中代という所の、大きな榎の木の側に、懇ろに葬ってやった。
するとその榎の木の根元から、清水がこんこんとわきでるようになった。
「おや、これは──」
村人はその清水を利用して、中代に多くの田圃を作った。
今でもここの田圃は、この清水を用いているとのことであると。
伝説の中の竜宮小僧の思いに考察を加え、
 竜宮小僧は汁に「たで」が入っていたことを、ほんとうは知っていたんじゃないかと私は思う。それでも村人の気持ちがうれしくて「食べられません」とは言えなかったんじゃないだろうか。
あわてて洗濯物を取り込んだり、残りの苗を真っ暗な夜に植えてる小僧のことを思い浮かべると、なんだか泣けてくる。
と述べ、
魔法や神通力を使うわけじゃない。自分の手でできるお手伝いを村人のためにいっしょうけんめいする竜宮小僧に強い親しみと敬意を感じ取っています。
私も神通力を使わない竜宮小僧という神もしくはその使いの存在に、深い感銘を覚えます。

そこで結論です。
井伊直虎が竜宮小僧の申し子とする『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』もまた、深い感銘を覚えること間違いなしですね。

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〜直虎:『井伊谷の少女』では、直虎こと幼い姫おとわと井伊家の危機を描き〜
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とうとう『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』が始まってしまいましたね。
まずは第一回放送を見ての率直な感想から言うと、前年の『NHK大河ドラマ 真田丸』に比べれば、遥かに時代劇らしく、遥かに大河ドラマらしいドラマになりそうな印象を受けました。私としては、とても喜ばしいことで、大いに期待しています。
ですがそれが高視聴率に繋がるか?と言えば、必ずしもそうとは限りません。
今後の視聴率も注目してゆきたいと思います。

今回の第一回放送『井伊谷の少女』では、主人公:井伊直虎がまだ幼い頃のエピソードが描かれました。
直虎の幼名はとわ(「お」がついておとわ)、嫡男が生まれなかった井伊の本家において、女の子でありながら男子のように育ったおとわは、自身も家督を継ぐことが自身の天命だと信じていまいた。
しかし彼女にとってはそれは重荷とは考えず、むしろそれを将来の糧(かて)として自由奔放に育ちます。
そんなおとわと共にふるさと井伊谷で育ったのが、後に井伊直親となる井伊分家の嫡男:亀之丞(かめのじょう)と、後に井伊家の家老:小野政次となる鶴丸でした。

女の子でありながら井伊本家の姫?(いや嫡男としてかな?)としてかっ達なおとわ、分家の嫡男でありながら病弱な亀之丞、井伊家家老の嫡男として知性に優れる鶴松、まだ幼い三人は、その後戦国の動乱に翻弄される未来を知るはずもなく、常に野山を共に駆け巡りながら育ち、山で鬼ごっこをするうちに亀之丞と鶴松に追い詰められたおとはは、あろうことか渓谷の滝つぼへと自ら身を投じます。
もちろんおとわは主人公ですから、それで命を落とすなどということにはなりません。
亀之丞と鶴松は、そんな男勝りで女の子らいしくない姫でも、朗らかで太陽のようなおとわにほのかな恋心を抱きます。
しかし井伊本家存続のためには、やはり姫ではなく当主となる男子が必要です。
そのため本家の姫:おとわと分家の嫡男:亀之丞は許婚(いいなずけ)となり、鶴松は一人悲しさを覚え、病弱であることを引け目に思う亀之丞はおとわの許婚(いいなずけ)にふさわしくないのでは?と悩みます。

そんなある日、亀之丞の父:井伊直満が井伊家の所領:遠江(とおとうみ)を含む駿河一帯を治める今川義元に謀反の疑いをもたれて斬首されてしまいます。
井伊直満を呼びつけ斬首した今川義元は、更に謀反人の子たる亀之丞も処罰せんと井伊本家に使者をよこし、亀之丞を差し出せと命じますが、井伊家はこの命に従わず、亀之丞を密かに他国へと逃します。
亀之丞の父:井伊直満が謀反人とされたのは、直満が今川に敵対する隣国の北条家に対して使者を使ってよこした密書を奪われ、その内容が義元の知るところとなったためでしたが、それを密告したのが、どうやら井伊家の家老で鶴松の父である小野政直らしい。
そしてそんな父:政直に鶴松は不信感を持ちます。

井伊家の一大事となった井伊直満への謀反の疑いとその処断を聞きつけおとわの祖父:井伊
直平が館に駆け付け、直満を今川に売ったのは誰か?と問い正しますが、それが家老:小野政直の仕業であることを知るよしもありません。

井伊家の意志によって今川の追手から逃がされた亀之丞の安否を祈るおとわは、井伊家の初代様の伝承の伝わる井戸に祈り、そこで亀之丞の愛用していた横笛を見つけ、妙案を得て亀之丞を無事逃すために、自ら亀之丞の姿を装って追手の目を引きつけて山を逃げ回り、やがて捕まります。
しかし亀之丞を逃すことにまんまと成功したおとわは、取られて顔を上げた時、快心の笑みを浮かべます。
ここで今回のお話は終了です。
子供とは言え、謀反人の子を逃した罪を、今川の使者はおとなしく許すはずもありません。
果たして次回の展開はどうなってゆくのでしょうか?楽しみですね。

イメージ 1
直虎の幼少期を演じている新井美羽ちゃん

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