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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜直虎:『綿毛の案』では政次に反発しつつも直虎はその知恵を活用し〜
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前ページの続きです。
『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第16回放送『綿毛の案』において直虎は、直之・六左衛門らが領内で綿作りのための人手確保には小野政次の知恵を借りるべきだという意見を聞き入れず、「別の策を考える。」と言い張ります。
しかし井伊領内の村をを直次と共に全て回っても、余っている百姓を貸してくれる所などどこにもなく、二人とも疲れて道ばたで休憩をとる際に直虎が水を汲みに行ったところ、怪しげな若い旅人が水浴びをしていました。
直虎がその男に、「どこかに百姓が余っておる村はなかったか?人出がほしゅうて探しているのじゃ。」と訪ねると、
男は「人など買やーいいじゃないですか?」と事もなげに言います。
直虎は「買う事ができるのか?人を?」と驚いて尋ねると
男は「あへーっ、たまに売っておったりしますよ。」と言います。
すると直虎は、「人を買う??良い事を聞いた。恩に着るぞ旅の者。」言うや否や、持って来た水筒の事など忘れて一目散に駆け出し、直之を見つけると村へと急いで戻ります。
村に戻ってみると、種を撒(まい)た綿がようやく芽を出しており、その事を皆で喜んだ後、
直虎は百姓の一人:かくに、「人を確保するのは我の役目じゃ。これからは、我の気張りどころじゃ。」と告げます。

方久らと人を買うためには何処へ行けば良いかを相談したところ、方久はそれならば私の茶屋に行ってみようと言い出します。
その茶屋は、方久が諸国の情報を得るために多くの旅人が休憩がてら立ち寄って会話できるよう設けられた場所jでした。
人が売られるのは普通、戦のあるところであるため、直虎は旅人らの話から現在戦が起きている美濃へ行こうと考えますが、直之はそれを遠すぎるという理由で引き止めようとします。
そんなおり、不意に政次が現れ、意見の違いでもめる二人の背後から「噂を流されてはいかがか?」と声を掛けたのでした。
そこでその言葉の意味を方久が訪ねてみると、政次は、
「お三方(政次意外の目付衆)が人出を貸してくれんのは、この話が領主にとっては何の旨みもかいからだ。だがこの話は困っておる百姓には大きな旨みがある。耕しさえすれば土地持ちの百姓となれ、しかも実りが出て3年は年貢無し。かよな良い話は再々無い。ならば、この話が百姓の耳に直に届けば井伊に逃げて来る者もあるのではないかと、私なら思うが・・・・。」と政次に対する反発心から背を向ける直虎に向けて言った後、さっさとその場を立ち去ります。
これは戦において敵を騙す時などに用いる兵法を応用した考えなのですが、直之はこの考えに関心を寄せますが、直虎は、
「噂など困っておる百姓どもに届くかどうかも分からぬではないか。それに、どれだけ時がかかるかも分からぬ。そんな話、聞いた事もないわ。」と反発します。
すると直之は、
「直虎様は、聞いた事のない話はやってみようと考えるお方のはずですが?」と返します。
返す言葉を失った直虎に対し、直之は更に言います。
「皆の心いきに、答えてやりたいのではなかったですか?」と。
そして突如として噂を流すため、周囲の旅人達に聞こえるよう大声を張り上げ、にわか芝居を始めたのです。

直之:「知っておるかーっ、井伊ではただで土地がもらえるらしいぞーっ。」
方久:「へーっ、誠にございますか?」
直之:「うむ、己で荒地を耕せば、実りが出て、しかも3年はお年貢は無しじゃそうじゃー。」
方久:「ほーっ、それはまたドーンと気前の良い話にーございますなー。しかし誠の話でございますかー?」
直之:「うむ、嘘と思うなら、瀬戸村という所を訪ねてみるが良いぞーっ。」
方久:「瀬戸村?瀬戸村にございますかー。」
直之:「そうじゃー、瀬戸村じゃー。」
こうした二人の芝居のやり取りしばらくは静観していた直虎でしたが、そのうちに村の百姓達の事に思い至り、にわかに立ち上がって声を張り上げます。
直虎:「その瀬戸村に行く道はいかになっておる?どうやって行けばよい?」と。
するとこれに答えて直之は、
「この街道を行き、山を一つ越えたとこにござる。」と言い、
方久は、「皆々様、今日はお代は頂きませぬ、その代わり、この事を行く先々で話の種になさって下さると、これ、幸いにございます。」と調子を合わせます。

やがて三人は、こうした噂話を流すためのやり取りを、鼓の調子に乗せた手拍子を叩き、歌のように掛け合い踊りだします。
「己で荒地を耕せば、実りが出てお年貢も、三年(みとせ)も無しと聞きまする。」(直之)
「そりゃまたドーンと羽振り良き、誠の事でありますかー?」(方久)
「嘘と言うなら瀬戸村を、訪ねてみるとよかろうぞ。」(直之)
「かの瀬戸村でありますか?」(直虎)
「はーっ、」(方久)
「かの瀬戸村でありますか?」(直虎)
と、繰り返します。これ以後、夕暮れ近くまで芝居踊りを続けた直之と直虎は、そのせいで喉を枯らしてしまい、屋敷にもどってほっとした直虎は、人手を探して領内を歩き回った疲れも相まって、目を廻して気を失ってしまいます。
このようにして床に伏してしまった直虎でしたが、大事には至らず、ただ疲れて眠りに落ちただけだったのですが、直之はそんな一途に生きる直虎の身を、この後守り切れる自信がないと六左衛門に漏らすのでした。

一夜明け、直虎が辺りの騒がしさに目を覚ますと、そこにはなんと昨日の芝居踊りから噂を聞きつけた他国の百姓が、沢山押し寄せていたのです。
しかし、もくろみがまんまと功を奏したにもかかわらず、かえって直虎は落ち込んでしまい、いつものように井伊初代様の云われのある井戸で一人、たそがれていました。
するとそこに南渓和尚が現れて言葉を交わします。
和尚:「六左衛門おっ、おったおったー。はは、どぅしたー?らしくもない顔をして。人も来たと言うし、大手柄ではないか−。」
直虎:「呼び込んだのは政次です。」
和尚:「あれまーっ。そうであったのかーっ。」
直虎:「労少なくして実を結んだ、それは見事なものでした。とてもかないませぬ。井伊にとっては、政次が領主をやるほうが、実は幸せなのではないかと・・・・さような事はさせませぬ、させませぬが、我にもっと知恵があれば、皆どれほど幸いかと・・・・。」
和尚:「まーっ、足りぬ知恵なら、借りて来ればどうじゃ。はっ、政次から借りることにしてはどうじゃのう?。」
直虎:「さような事をすれば、いつ足をすくわれるか・・・・。」
和尚:「それこそが、領主としての、腕の見せ所ではないかのー。」
しかし直虎は、「自身がございませぬ。」とうつむいてしまいます。この後和尚は、虎松の教育を始めることへの許しを得ると、千鳥足で去ってしまいます。
そして直虎はい、かに政次を使へば、井伊を乗っ取られずに知恵を借りれるかを思いをはせるのでした。

後日政次は駿府へと目付としての報告のために訪れて見ると、大方様(寿桂尼)が倒れられた事を知らされます。
寿桂尼の様態はこの時点では命に別状ないもおでしたが、今川家ではこの事を外部に漏れぬよう必死に隠しているとのこと、政次にとって寿桂尼の生死は、今後の身の振り方に大きくかかわる事のため、何やら思案を巡らせるらしい表情を浮かべます。

このように、井伊家を支配してる今川家で異変が起きている一方で、井伊家では直之が種子島(この近年、異国より伝来した火縄銃)を直虎に披露します。
恐らく直之が新し武器を直虎に見せたのは、これまで活用されなかった荒地を耕して領内が潤い安定すれば、次は井伊家がこの後戦国の世に打って出る手立てとなるために必要となる物として火縄銃を持ち込んだと推察できます。
それはつまり、いよいよこの後のドラマ展開が、井伊が天下に名乗りを上げて突き進む段階に入ったことを象徴するシーンだと言えるでしょう。
つづく。 

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 田中美央さん演じる中野直之

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〜直虎:『綿毛の案』では、直虎は政次に反発するも直之と六左衛門は
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『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第16回放送『綿毛の案』では、直虎が井伊の財政を潤すために休耕地を活用するための綿の栽培と、そのために百姓の人手を増やすため奔走する姿が描かれました。

徳政令の発布や次期領主(虎松)の後見を小野政次に譲ることなど、今川から井伊家対する指図を聞き入れなかったことから、、今川より謀反の疑いを掛けられ、駿府に出向いていた直虎が今川の疑いを晴らし、無事に井伊谷に帰還してみると、方久が直虎達を迎え入れ、休耕地において綿を栽培することを提案します。
直虎はそれ以前に、土地を新たに耕して収穫を得た者には、その新たな耕作地を耕した者のものとし、向こう3年間は年貢も免除するとのお触れを出していましたが、
村の長老である権兵衛は、ありがたい話ではあるものの、新たに土地を耕すことは一筋縄で行くものではなく、そもそも人出が足らないと直虎に訴えます。
そこで直虎は、新たな人手(畑を耕す百姓衆)の獲得に奔走します。

活用されていない土地耕すための人手を増やす方策として最初は中野直之の「戦では足りぬ場合(人を)借りてまいりますが・・・。」との言葉を聞いて、
直虎は、
「えっ、では(人は)借りて来ればよいのか。」と言い出しますが、
直之は、
「戦での話でござって、平時に百姓を借りるなどという珍妙な話は、聞いたことがありませぬぞ。」と直虎の突拍子もない思い付きを諫(いさ)めようとします。
ところが直虎は、
「さような事、やってみなければ分からぬではないか。」といつもの決まり文句を口にします。
早速直虎は奥山六左衛門や中野直之を連れて 、今川の目付である鈴木家・近藤家・菅沼家の領地におもむき、「井伊は今、土地を耕す百姓が足らぬゆえ、少しばかり融通してくれぬか?・・・・借りた者たちは決してむげには扱わぬ、百姓が耕した土地は、そのままその百姓のものとするし、実りが出て3年は年貢も取らぬ。土地持ちでない百姓にとっては、良い話だと思うが・・・。」と頼みますが、「百姓を貸すゆとりなど無いのでございます。」といずれからもキッパリと断られてしまいます。
この結果に六左衛門は、
「但馬殿にお願いして頂くという手はございませぬか?・・・かような談判はお上手な気がするのですが・・・・・。」と進言しますが、
直虎は、
「あやつの手は借りたくない。言うたところで手など貸してもくれぬは。井伊はこれから、但馬抜きでやって行くのじゃ。」と政次に対する反発心を露わにして六左衛門の進言を受け入れようとはしません。

一方その政次は、徳政令騒動のおりに直虎を虎松の後見とすることを望まないと記した書状を預かりながら、結局は直虎が虎松の後見になったことを詫びてその書状を返すために次期当主となる虎松の生母:しのの屋敷を訪れます。
しのは政次の詫びに対し、
「聞いております。そなたの不手際のせいでこれからの井伊は、あの女のやりたい放題ということですね。」と噛み付きます。
これに対し政次は、
「今は待つ時かと、あの脇の甘いおなごのこと、かならずやボロをだします。」としの不興を鎮めようとしますが、しのは更に、
「その脇の甘いおなごにしてやられたのであろう、そなたも今川も。」と罵倒します。
すると政次は、
「仰(おお)せの通りにござりまするが、あまり、あちらこちらに噛み付きますると、頼りを失う事になりまするぞ。」と釘を刺します。
これにはしもも返す言葉を失い、政次は立ち去ります。
その後政次が自身の屋敷に戻ってみると、亡き弟の妻であり、しのの妹でもあるなつが、子である亥之助(いのすけ)を連れて、それまでやっかいになっていた新野の屋敷から離れて来たこと告げ、
「出来ますればこれからは、(この子の)父親が生まれ育った所でと思い・・・・。」と我子のために小野家で暮らす許しを政次に懇願します。
すると政次は、直虎をはじめとする井伊家の者たちから疎(うと)まれている事を懸念し、
「しかし、ここに戻ると風当りもきつかろう。」となつ親子の立場が悪くなることを気遣います。
それでもなつは、
「さようなこと、もとよりではございませぬか。」と覚悟の上であることを告げます。
それでも政次は、
「これよりは更にきつくなるやもしれぬ。」と忠告します。
それでもなつの決意は変わらず、
「では、お役目(今川の目付け役)も励み甲斐があると言うものですね。」と全てを承知の上での願いである事を伝えたのです。
井伊家においては敵視すらされている政次の立場を知りながら、こうした殊勝な言葉を心から語るなつの姿を見て政次は、しみじみとその存在に心癒されながらも首をかしげ、呟きます。
「似ておらぬ姉妹じゃのう。」と。
これは、政次は姉であるしの心根の狭さと、妹であるなつの慈愛に満ちた姿との違いに思わず出た言葉でした。

その後日政次は中野直之や奥山六左衛門のもとを訪れ、直虎が日によって二人を個々に従えて物見遊山(ものみゆさん)に出て連日屋敷を留守にしていることを知ります。
政次はこれに疑問を覚え、蜂前神社(はちさき神社)の禰宜(ねぎ)のもとへとおもむき、直虎がわたを井伊領内で作ろうとしていることと、そのためには人出が足らぬと百姓たちが漏らしていることを知ります。
そして政次は、禰宜(ねぎ)から得た二つの情報から、中野直之や奥山六左衛門の言う直虎の物見遊山(ものみゆさん)の真相が人出を集めるための行動であろうことに気づき、禰宜(ねぎ)は「まさか、どこのご領主様も百姓を貸してくださりなどはしないでございましょう。」と答えますが、
政次は、
「貸してくれるかも知れぬと考えるのが、あの女子の怖いところだ。」と語り、その後日奥山六左衛門のもとを訪れたおりには、
物見遊山(ものみゆさん)?ほーっ、こないだはそなたと物見遊山、今日は中野殿と物見遊山、殿はさように六左衛門は好きじゃったとは存じ上げなかったが・・・・。」と、その事に疑念を持っていることをチクリと言います。
これに対し六左衛門は、
「お好きになられたのではございませぬか?」とに脂汗を額に浮かべ、苦しい言い逃れをしますが、
政次は、あからさまな疑いの目を向けて六左衛門に近寄り、床を拭くための雑巾を取り上げてその額に浮かぶ脂汗を拭き取りながら言います。
「六左衛門殿、目付というのは物見遊山が多ければ物見遊山が多いというのを駿府にお伝えするのが役目、そしてそれは、物見遊山という名の内通ではないかと疑う者も多くてな・・・・・」と六左衛門殿に直虎が何の目的で屋敷を留守にしているかを問いただし、真実を吐露させます。

このようにして政次は直虎が休耕地を耕してくれる人手を探していることを知りますが、井伊領内をくまなく捜し歩いた直虎たちは、結局どこの村でも余っている人手など見つけることが出来なかったのです。
なぜなら耕した土地が我が物となる上、3年間は年貢も取られないというのは、、百姓にとってはこの上もなく旨い話ではあるものの、その百姓達を治める領主にとっては、何の旨みもないのですから。
直虎が当初百姓をよその村から借りれば良いと言い出した時、、「さような珍妙な話は聞いた事がない。」と反対したのは、中野直之らにしてみれば、それはただ単に前例が無いと言ったのではなく、「前例がないのは、領主にとっては何の旨みもない話だから。」という言葉の中には、常識的に考えるなら、当然直虎も理解するものと思っていたからでした。
しかし、どの村に行っても百姓を貸してくれず、「なぜじゃ?」と問うた時、改めて旨みのない話を領主が聞き入れるはずがないことを直に説明してみると、
直虎は「そなたら、何故そのことを榊に言うてはくれるのじゃ?」と言い。
直之は「言うたではないですか、さような話は聞いたことが無いと。」と言い、
直虎は「さような言い方では聞いたことはないが出来るかも知れると思うではないか。」と返し、
直之は「無理なはなしだからこそさような珍妙な話は聞かぬのだとはおもわれませぬか?」
などと、互いに押し問答を繰り返すばかりです。
結局、二人の話が進展せぬまま物別れに終わると、間に立つ六左衛門は再び、
「あの、やはり但馬殿に相談してみてはいかがでしょう?」と先日の発言をぶり返します。
すると直之は、
「大事ないのか?但馬などに相談して。」と疑問を六左衛門に投げかけますが、
ここで六左衛門は、
「但馬殿がまだ後見を諦めておられず、乗っ取りを考えておられるとしますとですよ、井伊が豊かにになることはその、但馬殿にとっても、損ではないのではないかと。」という自信の意見を述べ、
これに直之も
「どうせなら肥え太らせてから喰ろうた方が徳ということか?ならばそこを利用するのは手かもしれぬ。」と納得します。
しかし直虎は即座に「いやじゃ!但馬だけはいやじゃ。」と理屈はどうあれ、それだけは受け入れられないことを断固主張して、一歩も譲ろうとはしません。
そんな直虎にあきれ果てた直之は
「これじゃからおなごは・・・・」と言い、
直虎は、
「おなごでけっこう。おなごじゃからなぁ!いやなものはいやじゃ!!」ともう駄々をこねる子供のようです。
仕方なく直之は、
「それなばどうされるというのですか?」と訪ねると、
直虎は、「別の策を考える。」と漠然とした言葉を返すのみです。
これにはほとほと直之も気を削がれ、「はあーっ。」と大きなため息を吐くばかりでした。

この話の続きは次のページにて。


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矢本悠馬(やもとゆうま)さん演じる中野直之

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〜住宅ローン返済記:マイホームを買う決意と頭金を作るための方法は?
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そもそも人がマイホームを購入したいという思う執着心は、どこから来るのでしょう?
夢?家族への思い?安住の場所?それともステータスでしょうか?
それは人それぞれでしょうが、私の場合は社会人となる前に痛感した持家が無いことの惨めさや、それを取り戻したいという執念だったように思えます。

ところでマイホームを購入するには、まずはその頭金を貯める必要があります。
私の場合それは20歳代前半に始まります。

私が生まれ育った家庭は貧乏でしたが、あばら屋ながら大阪市住吉区墨江(現在は地名が遠里小野となっている)に平屋の一戸建てに住んでいました。
私が高校生の頃には父は屋根工事の自営業を営み、約8人の従業員を雇う親方となり、私は私学の清風学園に通わせてもらえる程度の財力がありました。
ところが私が高校を卒業する頃に家業が破産して夜逃げとなり、借金取りから逃れるために住処(すみか)を1年に9回も転々とするはめに陥ります。
具体的に言えば、家族が転々としたのは、概ね家賃の安い文化住宅です。
債権者が移り住んだ家を探しあてて正月三が日に借金取りに来たこともありました。
そんな理由もあって私は1977年(昭和52年)に高卒で大阪市阿倍野区の印刷会社に就職すると共に京都市左京区にある夜間の短期大学に進学し、左京区のプレハブ住宅に下宿します。

月給としての収入は手取りで8万円程度で、支出としては概ね学費が国立校だったために年間4万8千円、下宿代は月額8千円、プラス大阪から京都市左京区まで通う交通費と食費が最低限必要でした。
以下にその証拠となる当時の給料明細書や定期券の画像を紹介しています。
当時の私は何でもかんでもスクラップに張って保存する週間があったために、このような資料が残っているのですが、残念ながら京阪電車の定期券は一枚もみつかりませんでした。
大昔のことなので覚えていませんが、京阪電車の定期券が残っていないのは、新たな定期券を買うには使用済みの定期券を返却しる必要があったからだと思われます。
そこで確かに京阪電車で京都に通っていたことを証拠づける定期券購入のための通学証明書の画像を紹介しておきます。

細かい話になりましたが、要するに一家が破産したために高校卒業後に就職し、同時に夜間短大に通ったのですが、安月給で生活に必要な学費・交通費・生活費などの全てを自力で払っていたのです。
なので貯金など普通の社会人や学生さんのようには貯まるはずもありません。
夜間短大の授業は一日3時間程度、昼の大学のように選択科目だけに出席するために空き時間が多いという訳には行かず、授業が終わると夜9時頃になるのですが、極力授業を終えて下宿で自炊をしていました。
それでも貯金はきついのですが、会社での昼食を抜いたり、2百円以下の立ち食いうどんなどで食費を削り、欲しいものを買ったり、クラブ活動の山登りの費用を貯めたり、貯金に回していました。
そのように爪に火を灯すようにコツコツと貯めた数十万円の貯金を、私は当時金利が高かった国債購入にあてたのです。
当時の5年物国債などは、その5年間に元金が1.5倍になりました。
そのようにして何度か買った国債により、いつしか貯金は百万円を超えるようになります。
おりしも時代は伝説のバブル時代に突入しつつありました。
ウィキぺディアによると、バブル期は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月です。

そんなバブル時代初期、NTT株上場の日がやって来ます。
国債購入のために若くから証券会社に出入りするようになっていた私は、窓口でNTT株購入を薦められ、一株購入したのです。
NTT上場に際して、抽選により購入資格を得、政府保有の185万株(※)が第一次売出として1,197,000円で投資家に売却されました。
そして上場日、1987年2月9日は売買が成立せず、2月10日に1,600,000円の初値が付きました。
当時、夜間短大で知り合った友達は、私が「NTT株を買った。」と言うと、「1株120万円もする株をかうなんて、アホちゃう。」と皆に言われたものです。
結局NTTの株価は、終値で318万円が最高値となるまでに値上がりしたのですが、私はこれを310万円で売って堺市中区の中古物件購入の頭金にあてたのです。
当時私が「NTT株を310万円で売った。」と知り合いに言うと、「その内400万円になるのに、アホやなー。」とまだNTT株を持ったままの人に言われたものです。
でもそんな人は、その後株価が下がり、バブルが崩壊しても、NTT株を売りぬくことが出来なかった人が殆どでした。
ちなみに私が当時買った株はNTT株だけではなく、他にも数銘柄の株も国債を売った資金で購入していて、これらの一部も売って初めてのマイホーム購入の頭金にあてたのです。

時は1987年(昭和62年)7月1日、この頃1986年(昭和61年)12月に始まったバブルにより、東京圏では狂乱地価が始まっていましたが、関西にはまだ殆ど波及していませんでした。
だからこそこの時私は、まだもっと高値になるかもしれない(きっともっと高くなるであろうと皆が思っていた)NTT株を310万円で指し値で売り、家を買ったのでした。

今マイホーム購入を考えている人にとっては、私が家を買った時代とは違いますので、今の時代にあった頭金づくりを皆さん考えて下さいね。

今回のお話は、ここまで。

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給与明細1

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給与明細2

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夜間短大前期授業料領収書

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京阪電車定期券購入のための通学証明書

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地下鉄谷町線・阪堺線の定期券など

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法隆寺町に住んでいた頃のJR定期券

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〜直虎:『おんな城主対おんな大名』では直虎が寿桂尼の許しを得るまでを描き〜
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前回のページで記したように、『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第15回放送『おんな城主対おんな大名』では、小野政次は、表面上は直虎に敵対しながらも、直虎の窮地において今川の魔の手から救うために、あえて井伊家の裏切り者として振るまっていたことが描かれました。

政次は、直虎が鶴松の後見人を小野政次とせす、瀬戸・祝田(ほうだ)の両村に徳政令を出さぬなど、再三にわたり今川の命に従わぬ理由について、寿桂尼より駿府まで直虎が申し開きに来るようにと書かれた書状を届けるために、直虎の前に参上します。
しかし本心では直虎の命を救いたいと思う政次が直虎に伝えたのは、寿桂尼からの書状の内容だけではありませんでした。
政次は、直虎がかつての直親の荷の前にならぬよう、以下のような提言を付け加えたのです。
「行けば、どのような事が待っているのかは、重々お分かりの事と存じんます。駿府へ行かずとも済む手立てはただ一つ、私を、乕松様の後見になさる事でございます。さすれば、後の事は万事私が取り計らいましょう。」と。
ところが、政次の本心を知らず、井伊家乗っ取りを企てている者として政次を敵対視する直虎は、
「ならば、申し開きに行くしかなかろうの。」と政次に答えたのです。
直虎の自身に対する感情を知る政次は、予想しえた直虎の返答に、苦笑いを浮かべてこの場での直虎に対する説得をあきらめ、
「わかりました。では、お供しますゆえ、出立の日などを後ほどお教えくださいませ。」と座を立ち、去ってゆきました。
ですが政次は、直虎を救う手立てをあきらめたのではありません。
次なる手立てとして、しのの前に現れ、
「乕松様の御生母様はあくまで、直虎様の後見を望んではおらんれぬと、一筆いただきたいのです。」と申し入れたのです。
ですがしのは、
「私の意見など、誰も聞く耳もたぬでしょう。」と取り合いません。
すると政次は、
「しの様、今川もまた、直虎様の後見を望んではおらぬのでございます。今川に一筆渡れば、小さな意見でも大きく響かせることができます。」
直虎の存在を心良く思わぬしのは、この政次の言葉に井伊の主家である今川が後ろ盾となってくれるのであれば直虎を後見の座から降ろす事は確かにかのうであろうと意を強くし、
「しばしお待ちあれ。」と一筆記す事を了承したのです。
しのが直虎が虎松の後見になる事をのぞんでおらるとする書状を記すために座を立ち去ると、政次は天井を仰いで目を閉じ、思わず安堵のため息を吐きます。
恐らく政次は、これで直虎を後見の座から降ろすことができ、今川から命を狙われる心配もなくなるであろうと安心したのでしょう。
ですが政次の本音が直虎に敵対する立場ではなく、逆にその命を救い、今川から守りたい思いから出た行動であるとしのが知れば、恐らくしのは政次に激怒したことでしょう。
直虎の存在を心良く思わぬしのの思いを、直虎を救うために政次は利用したのですから。
政次のこうした一連の行動は、表面的には今川に加担して井伊家に背く行動に見えますが、政次の本心はどうやらそうではないらしいという事を見抜いている女性がいました。
その女性とは、しの実妹であり、政次の義妹でもあるなつです。
なつはしのと政次の密談を、物陰から聞いていたのです。

一方政次の本心に気づかぬ直虎は、寿桂尼に対する申し開きのために駿府へ向かう道中に政次も同行する事について南渓和尚と意見を交わします。
和尚:「政次も共に行くのか?」
直虎:「はい、しかし、ひるがえって考えてみるとこれは、何かあれば即座に政次を(今川に対する)人質に取れるという事にございます。こちらが腕のたる者を揃えておれば、(今川の手の者たちに)負けはせぬと思うのですが、どう思われますか?」
和尚:「次郎は益々物騒なおなごになって行くのうー。」
直虎:「いたしかたござりますまい、己で身を守らねば、誰も守ってはくれぬのですから。」
このように直虎は、今川により命を狙わた時には、こちらも武力で対抗する意志を示しますが、和尚は直虎がこの窮地に必ず生き残れる策として、もうダメじゃと思った時には、政次に後見を譲ると言ってさーっと帰ってしまうのじゃと語った後、
「何事も命あっての物種じゃ。」とさとす和尚の言葉に、直虎は、「棟に刻んでおきまする。」と答え、和尚と別れます。
結果として直虎が必ず生き残れる方法として考えられる政次と和尚の意見は、くしくも一致していたのです。
そして直虎を大事に思う本心を素直に示せず、逆説的な態度でしか直虎に接する事が出来ない者は、政次だけではありまんでした。
直虎が井伊の屋敷に戻って来ると、そこには中野直之らが待ち構えていたのです。
直虎が戻ったのを見るや直之は、
「駿府より呼び出しがあったというのは誠ですか?」と直虎を問い正します。
これに直虎が、「誠じゃ。」と答えると直之は、
「すぐに後見を降り、駿府の言う事をお聞きなされ!!」と強い口調で言い放ちます。
同じ意見でも、和尚の言う事には耳を傾けた直虎でしたが、直之のこのようなの高慢に思える言葉には強い反感を覚え、
「いやじゃ。」と即答。
これに対し直之は、直虎の気性を知りながら、更に高慢な物言いを直虎に浴びせかけます。
「直親様の御最後をお忘れになられたのか?あの二の舞となればどうするおつもりじゃ!!」と。
すると直虎は売り言葉に買い言葉で、
「そうならぬよう、方策を考えておる。」と返し、
直之も、殿の命が第一と言えばいいものを、
「共の者を犬死にさせるおつもりか?殿が駿府へ行く。ズラズラと人が付いて行く。その先には犬死にしか無かろうがー!!これ以上人を亡くしてどうするおつもりかー!!」と直虎の感情を更に逆なでするような言葉でしか直虎と接することができません。
これに直虎が、
「死ぬとは限らぬ。」と返すと、
「後見を降りると言えーっ!!」と家臣に有るまじき言葉を浴びせます。
これには直虎も、
「誰に向かってものを言うておる!」とブチ切れます。
そんな、直虎を救いたい思いがありながら、その反感を買う言葉でしか直虎に接することが出来ぬ直之に対し、その場に居合わせた奥山六左衛門は、この後直之に対し態度を改めるよう説得を続けますが、直之は完全にヘソを曲げてしまうのでした。
一言:やはやもう不器用な男の優しさとは、こうしたものなのでしょうか?こうしたものなのでしょうねー、身に覚えが有るよな無いような・・・・・女性の視聴者には、こんな男の行いを、理解いただけますか?不器用な男の一人である私としては、無理を承知で理解してくれる方がいてほしいと思うのですが・・・・・やはりこのような男に対しては、無理、ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ、無理!を連呼しちゃうのでしょうね。)

結局直之がヘソを曲げてしまったために、直虎が駿府へ向かうおりのボディーガードは、龍潭寺(りょうたんじ)の腕利きの僧たちが務めることとなったのです。
直之は、
「あのあま、あれほど言うたのに。」と呟きながら直虎達が駿府へと向かう姿を見送り、直虎に随行しませんでした。
南渓和尚は、そんな直之の様子を見て「暇そうじゃのう、ちょいと手伝うてはくれんか?。」と声をかけ、
直虎が徳政令騒動のおりに百姓衆と交わした、彼らに字を教えるという約束を果たすための代行役として誘います。
和尚に言われるままに直之が寺で百姓達に字を書く指導をしていると、百姓達の長老である権兵衛が、「殿さまは、直虎様はいかがお過ごしですかいやぁ?」と直之に対し、にこやかに訪ねます。
この問いに直之は正直に「殿は、駿府から呼び出しを食らったのじゃ。」とこたえたのです。
すると甚兵衛は、
「へぇ?駿府からお呼び出し?それは、わしらのお願いのせいで?まっさかー、先代の直親様の時のようにゃー・・・」と大声を張り上げます。
するとその廻りで思い思いに字を書く練習をしていた百姓達もみな驚き、
「こんなことしてる場合じゃねーずら、」
「ほーでぇ。」
「わしら、瀬戸村に声をかけてまわるで・・・・・。、」と口々に騒ぎ、直虎の窮地にかけつけようとしますが、
直之はそんな百姓達を、
「待て待て、おえっ!」とひきとめようとします。
すると百姓達は、
「直虎様が五先代のようになっちまうかも知れんにー、だったら行かんといけんらー。」と声を張り上げます・
しかしそれでも直之は、
「そなたらが行ってもどうにもならぬー。足手まといになるだけじゃ。」と百姓達の行動を引き留めようとします。
すると百姓達は、、
「うんでも、直虎様はおなごだで。」
「お守り出来んじゃ、男じゃねーだー!」と反発したのです。
この言葉に直之は、己が直虎に同行しなかったことを恥じる思いが浮かんだかのようで、返す言葉を失ってしまいます。
刀を手にしてひとしきり目を閉じて心の整理をした後、直之は直虎の後を追ったのです。

一方その夜、なつは南渓和尚のもとを訪れ、義兄の政次の行動について思い当たる点を報告します。
なつ:「どうしても一つ、解せぬことがございまして。兄上には子が有りませぬ。井伊の後見に納まり、手に入れたところで、先の無いことと申しますか・・・、にもかかわらず、それほどまでに拘るのは、もしや・・・・井伊を、今川から守る盾になろうとしているのではないかと。」
和尚:「分からぬ、わしは、政次ではないからのう。じゃがもしそれが仮に、政次の本意だったとしても、政次は認めぬであろうのう。」
なつ:「何故?」
和尚:「本意を読まれれば、もう盾にはならぬからのう。」
なつは、和尚のこの意見が意外だったようで、驚いた表情を見せるのでした。

直虎一行は、ある寺で一夜を過ごし、翌朝再び駿府へ向けて歩き出そうとした時、政次は直虎に今一度後問いただします。
それはまるで、先日直之が直虎に行った言葉と同じ内容のものでした。
「今からでも遅くはない、後見を止めると言わぬか?・・・・危ない目に合うのは、お前だけではないと思わぬか?」と。
そんな二人に、突如多くの今川からの刺客が遅い仮、直虎は必死に逃げます。
ですがついには刺客に追い詰められ、切り殺されんとした時、政次が現れ、その命を救われます。
刺客を全て討ち果たした後直之は、
「男の姿をしようが、直虎という名をつけようが、そなたはおなごじゃ!・・・・守れねば、こちらの立つ瀬が無いと言うておるのじゃ。村の男たちは、話を聞き、そなたを守ると駆け出さぬばかりの勢いであった。殿はおなごゆえ、我らが守らねばと。そなたはさような事を考えた事もなかろう。」とさとします。
物影でそんな二人の様子を見ていた政次も、いざとなれば直虎を守るため抜いていた刀を鞘に納めます。
そして直之が直虎に諭した言葉は、正に政次が直虎に言わんとした言葉そのものだったのです。

政次と直之の言葉の意味を、漸く己の絶体絶命の危機において悟った直虎は、直ぐに政次を呼び、「政次、乕松の後見はお前に任す。」と告げます。
ですが直之はそんな直虎の言葉を聞いて、
「ここまで来て、何を言い出される。」と直虎の決断を止めようとしますが、
直虎は、
「もとより、そうせよと言うておったではないか。」と返します。
直之は、
「いやしかし、それがしが来た限りは必ずやお守りし・・・・」と言葉を続けようとしますが、それを遮るかのように直虎は言葉を発します。
「何事も、命あっての物種。まさかのの時はそうせよと、和尚様からの御指図でもある。但馬、直虎は引くことにしたと、駿府へ伝えてくれ。」と。
そして、「本当にそれでよいのですか?」と問う政次に、
「このような恐ろしいことはもう沢山じゃ。」と弱音をはくのですが、この弱音には裏があったのです。

この後直虎の決意を伝えるべく駿府へと向かう政次一行を見送り、直虎は、「では、我らは戻るか?」と傑山(けつざん)と昊天(こうてん)に言いますが、傍らの石段に腰を下ろしていた直之に対し、
「少し話さぬか?」と相談を持ちかけます。

この後画面には直之らしき武者が夜道に馬を走らせ片手に松明を持って先を急ぐ映像が映りますが顔は笠で見えません。

翌朝駿府に到着した政次は、寿桂尼に直虎が後見を政次に任せると書き示した書状をさし出しますが、そこへ「申し上げます。井伊の中野という者が書状を持って・・・」と家臣が報告しまます。
寿桂尼がその中野と言う者の目通りを許すと、そこに現れたのは中野直之ではなく、何と直之の衣装を身に纏った直虎だったのです。
直虎は何ゆえ後見を政次に任せると言って井伊へ戻ったはずの自身が駿府へ申し開きのために姿を変え、政次を騙してまでの現れたのかについて「・・・・・此度こそは、決してお下知に逆らうまい。必ずや申し開きに参ろうと、勇んで井伊を出たのですが、道中何者かにつけ狙われまして。、これでは辿りつけぬ、またお下知に逆らうことになると、涙を呑んで、そこなる但馬を隠れ蓑に使い、その何者かを、欺きましてございます。」と寿桂尼に申し述べます。
そこで改めて寿桂尼は直虎が今川の命である徳政令をおこなわなかった理由として『仮名目録』の取り決めにある22条に従ったまでと申し開きを述べますが、
寿桂尼は、
「よう小理屈をひねり出したようじゃが、あいにくこの件は、義元公の追加の掟によって改められておる。守護氏不入とありとて、お下知に背くべけんや。」と条項の改定内容を示し、
速やかに徳政令を行うよう改めて直虎に命じます。
すると直虎は、私に徳政を行えと言うことは、自身を後見と認めてるからこその御下知と受け止めて良いのでしょうか?と述べます。
すると政次は、兼ねてより用意していた直松君の後見に直虎を望まぬと記されたしの手による文を寿桂尼に差し出したのです。
これを受け取った寿桂尼は、
「生母が望まぬ後見など、火種になるのは目に見えておる。井伊の事を思えば、さような事を認めるのは難しいのう。」と先の直虎の発言を否定したのです。
ところがそこへ徳政を願い出た瀬戸村・祝田(ほうだ)村の百姓衆の連名による、「井伊直虎様の後見を、伏して願い奉りまする。」との連署(れんしょ)が届けられたのです。
そして更にその連署には、南渓和尚による添え状も有り、そこには、
「かつて義元公は、己の力量をもって国を治むと宣われり、比ぶべきも無い小さき力量なれど、直虎にもそれをお許し願いたく存じ奉りまする。なぜならば、それが井伊の民が望むところであるが故、お伝えしたく、お目汚しとは承知の上、差し出したる次第にて候。」と記されていたのです。
これらの連署と添え状により感銘を受けたた寿桂尼は、
「直虎、もしそなたに井伊を任せれば、そなたはいかにして民を治める。」改めて直虎に問います。
すると直虎は、
「潤すことで。国というのは、まず民が潤わねばなりませぬ。民が潤わねば、国が潤うことは無いと存じます。民が潤えば、井伊が潤います。井伊が潤えば、それは今川の潤いとなって行くと私は考えております。」と自身の領主としての考えを申し述べたのです。
この言葉に寿桂尼は目に涙を浮かべ、
「井伊直虎、そなたに後見を許す。今後は、己の力量を持って井伊を潤すがよい。ただし、次は無い。もう二度と生きて申し開き出来ると思わぬことじゃ。」と直虎の後見を認めたのです。
この結末は、政次の図った後見とはさせぬ事で直虎の命を救うというものではありませんでしたが、結果として直虎の後見が寿桂尼に許されたことで直虎の命も救われたのです。
それは政次の直虎を救いたいという最終目的が叶えられる結果だったのですから、直虎の傍らで控えていた政次もまた心の緊張を解き、直虎と同様に安堵したのでした。
そして、絶体絶命の危機を逃れ、今川の屋敷を出た直虎を待っていたのは、直虎の命を奪わんとした寿桂尼の心を動かし、直虎の命を救う決め手となった連署と添え状を急ぎ平調(ひょうじょう)の場に届けた奥山六左衛門でした。

かくして直虎は、奥山六左衛門と共に村人や井伊家の者達らに熱烈な歓迎を受けて無事井伊谷に帰還します。
一方この頃、このような騒動の間留守をしていた氏真も駿府に戻って事の顛末を知り、小野政次とこの騒動について言葉を交わします。
真:「井伊の申し開きなど、撥ねつける手もあったものを。」
政次:「大御方様は、あのおなごがいかに井伊を治めるか、見てみたくなったのかもしれません。」
真:「御ばば様には、お仲間に思われたのかも知れんのう・・・・面白くないのー、但馬よ。」
政次:「いずれまた、好機はございましょう。」
このように、政次はに同調するかのような言葉を口にしますが、その表情には、とにもかくにも直虎が無事であった事にホッとしている穏やかな笑顔が浮かんでいたのです。

今回の放送の終りには、ナレーションによって以下のように締めくくられます。
「こうして、風変りなおなごの治める山間の小さな谷は、漸くその一歩を踏み出したのでござる。
つづく。」と。
そして、これをもって漸く、おんな城主直虎が、名実共に誕生したのです。

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〜直虎:『おんな城主対おんな大名』の冒頭では、寿桂尼による直虎の危機が
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前回の第14回放送『徳政令の行方』の放送では、井伊家領内の瀬戸村・祝田(ほうだ)村の百姓たちが、これまで商人(瀬戸方久)から借りた借財や、田租を棒引きにする法律(徳政令)発布の要求に対し直虎は、両村を貸し手である方久の所領とするという奇策を打ち出し、これに反発する百姓衆らと真心をもって本音をぶつけ合いました。
そして直虎は、徳政令を願い出た百姓達に、今より潤い、金を返せる仕組みを提案することで直虎は、無事百姓達の同意を得たのです。
ですがそれは同時に、主家である今川の命に背いた行動でもあったのです。

『NHK大河ドラマ おんな城主直虎』第15回放送『おんな城主対おんな大名』では、又しても今川の命に背いた直虎に対し怒りを募らせた今川氏真の母:寿桂尼が、小野政次に対し、その弁明を求めるべく直虎を、駿府に連行して来るよう命じます。
それはつまり直虎にとっては、かつて命(めい)に背いたとして今川の手の者によって暗殺された井伊直親の二の舞となる可能性をはらんだ大ピンチでした。
小野政次は、今川の命に従い、井伊家の動きを監視する目付役であり、今放送以前では、目付としての役職を利用して井伊家乗っ取りを企む者として描かれて来ました。
ですが今回の放送においては、それは政次の真の姿ではなく、直虎に対し幼き頃より密かに思いを寄せ、その後も生涯を通して幼き頃からの思いを変える事無く持ち続けていた男性として描かれました。
つまり政次は、表面上は直虎に敵対しながらも、直虎の窮地において今川の魔の手から救うために、あえて井伊家の裏切り者として振る舞っていたという設定で描かれたのです。

今回の放送の冒頭では、直虎が徳政令を出すよう命じた今川に従わなかったことに怒りを覚えた寿桂尼が政次に対し、
「出家上がりのおなごに、何を手こずっておるのやら。もうよい、(直虎を)連れてまいれ。二度までも沙汰に背くとは、これは謀反の意有りと疑われても仕方あるまい。直虎を駿府に申し開きに来させよ。」との命じます。
この時政次の脳裏には、かつて井伊直親が謀反の濡れ衣を着せられて暗殺された事件の映像が過(よぎ)ります。
そして政次は寿桂尼の言葉に対し、
「恐れながら、出家上がりのおなごごときに、いつまでもかかずろうておられては、今川の御名(みな)に泥を塗ることになりかりまする。ここは、私にお任せ頂けぬでしょうか?」と進言します。
しかし寿桂尼は政次の言葉に対し、
「私は、申し開きに来いと言うておるだけじゃ。」とこれを撥ねつけます。
政次による寿桂尼への進言は、直虎を何とか直親のように惨殺されぬようにとの一心から出た言葉でしたが、寿桂尼の「何も直虎の命を直ちに取ろうというものではない。」という趣旨の言葉には、従うほかはありませんでした。

一方井伊家側では、直虎が南渓和尚に対し、
「二度までの沙汰に背き、あれが来ぬと思う方がおかしゅうございますが、ここは一つ、おなごのやることと見逃してはくれませんかねー。」と苦笑いをしながら語りますが、
和尚は、
「無理じゃろうのうー、なんせ、向こうの影の大将も、おなごであるからのー。おなごだらといってバカにもせねば、手加減もなかろうのー。」と返します。
この後今回放送の本筋では、直虎がこの絶体絶命の窮地を、いかに免れたかが描かれました。

が、この続きのお話しは、次のページにてご紹介させて頂きます。

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小野政次に対し、直虎を連れてまいれと命じる寿桂尼

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