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週2回のビギナーズクラスに行き始めて1ヶ月半。
何が変わったかというと、
1、金曜朝のクラスが終ると、土・日・月・火と間が空いてしまう。それをもどかしく思うようになった
2、筋肉痛の治りが早くなった
3、主に腿、腹筋、首が鍛えられ、全身のバランス感覚が養われたため、
通勤電車の中で、ヒールで吊革がなくてもそんなに困らなくなった(フラフラしなくなった)
混んでる駅の改札口などで人にぶつからなくなった
4、咄嗟のストリートファイト、バーファイトのシーンに出くわしても、びびらなくなった
(ある日、私・私の友達・彼・彼の友達Cでナイター観戦にいったかえり、
彼の友達Cがひどくよっぱらい、彼とちょっとした口論をするなかで
すいていた中央線の車内で、あろうことかCがいきなり彼の顔にパンチを入れたことがあった
大声で話し続けるなら、私は自分の友達を連れて別々に帰る、Cを黙らせて、それか無視して
応じるのやめなよ、と私が彼に言っていた矢先、だった
2人が車内で大声で言いあってた時から、他人に迷惑かけてたし、ある意味注目されてたのに
そんななかでイキナリ顔を殴るとは。しかも自分の友達の。しかも超くだらない言い合いで。
彼とCの間にちょうど立ってた私は(私はチビでCは180くらいあるので、
私が間に立ってても振り下ろす感じで彼にパンチを入れた。)振り返ってまずCの腹に
パンチをし、そしてまだ喋り続けてたので今度はCが彼にやったようにCの顔を殴ってやった
(まぁ、まったく痛くなかっただろうけど、私のパンチなんて)
もちろん、Cは大男で
すでに泥酔だったので力の加減も理性もなかったから、
私のパンチで逆上してやり返されてたら
もちろん私は大怪我したかもしれないけど、正直言ってそんなのその瞬間は考えてなかった
いや、一瞬考えたけど、大勢の人が見てたし、まさか人前で女相手に本気で殴り返さないだろう
という、我ながら甘いと思える算段と、前述のように人前というのと
彼も私の友達もその場にいたから
もしこれで私が大怪我しても死に至るほどやられるとも思えなかったし、
目撃者がたくさんいるので、もしそんなことになったらやつを警察に引き渡してやろうとも
思っていた。数日〜数週間、留置所にでも入れられて内省の時間を持てばいい
何よりも私がそこでCを殴った理由は、まさか彼をノックアウトしようなどという考えとも
自分の日ごろのトレーニングを試したいとかでも、まったくなく(あたりまえ・・・)
公然となんの理由もなく、酔っ払ってたという理由だけでいきなり暴力に訴えたCという人間が
信じられなかったし、とにかく汚い暴力だった。
喋りながらいきなりブンッと顔面を殴るなんて。
で、私が恐れたのは、それに彼が応戦して、電車の中でお互いに殴り合って、
誰かが車掌に言い、電車が止まり、しまいには警察が来て・・・と大騒ぎになるのを一番に
避けたかった。
私がCを先に殴ったら、案の定、彼は私とCの間に止めにはいったし、幸運にもCも
私に殴り返すことはなく、私たち3人はCを残して電車をおりた。
電車を降りる時点で私はCに、絶交を言い渡していて、私たちの家にも二度と遊びに来るなと
言ったけど、でも彼はそのあと、Cをかばうような言動。
「だからって許されるわけじゃないけど、ヤツはウォッカを1瓶ひとりで空けてたし
色々いまストレスがたまってて・・・こんなことになる気はしてたんだ」だって。
申し訳ないけど、Cは酒乱の気が確実にある。飲んで大声になる、飲んで殴る、典型じゃんか。
しかもナイター観戦に5回の裏から加わって、どうやってウォッカを一瓶ひとりで飲むんだよ
そして、なぜ!なぜウォッカをほとんどストレートで子供もたくさん来てる球場で飲む必要が
あるんだ?酒乱またはアル中の典型じゃんか。悪いけど。
私は昔、アル中の身近にいた時期が一時期あって、彼らは、少しだけ飲む、お酒を嗜むという
ことが出来ない人種なんだ。かわいそうだけれど。そういう体の構造なんだ、多分。
普通は、体がうけつけないのでそこまで飲めない。そうなる前に吐くかつぶれて寝てしまうか
だけど、酒に強い彼らは結局、酒にまるごと飲み込まれるまで飲んでしまう
で、どういう過程でアル中になるかはわからないが、アル中として出来上がってしまうまでの
習慣的、継続的な飲酒および、こんなんじゃダメだと思ってもやめられない精神の弱さ、
または、こんなんじゃダメだと思えない自己反省の欠如=やはり精神の弱さが伴っての
今の彼らの姿なので、少しだけ飲んで満足する、仲間と楽しい時間を過ごすということが不可能
に近い。だから「飲まない」しかない、という結論。
で、Cには子供もいる。
私は自分のいくばくかの経験から、そういう酒癖の悪い人種とは一切関わらない誓いを立てている
ので、絶縁状をわざわざ書いた。絶縁状のなかに、酒をやめろと書いた。自分の経験とともに。
それをどう受け止めるかはC次第。そんな、余計なお世話な手紙を書くことだけが私が他人である
Cにできる唯一のこと。だってあの様子を見てたら、絶対、家で奥さんを殴ったことが一度も
ないなんて、誰も断言できないと思う。
加えて、Cが飲んでの暴挙を私は人伝えに何度となく聞いていたから。
人を傷つけ、消耗させ、失望させるためだけに生まれてきた人間なんていないんだから、
Cにも何かの目的があって、この世に生を受けたはずなんだ。それを探そうと努力すること、
そして、周りにいる人間を少しでもより幸せにしようと努力すること、
まして子供がいるんだから。 などを書いて、彼に持たせた。
彼がCとの交友を持ち続けるかどうかは関係ない。それは彼らの選択だけど、少なくとも
彼がCの友達だと言うなら、断酒を応援するくらいでないと、本当の友達とは言えないと思う
と私は付け加えた。)
5、正しいと思う自分の意見を臆することなく口にできる、実行できるようになった
また、どんなに正しいと思っても、どこでも誰にでも口にすることなしに、他の見方もあること
も常に念頭におき、意見を述べるにしても適時適所を見極めることができるようになってきた。
以上がいまのところ、合気道を始めて変わったところ。または変わりつつあったものがより確実に
なりつつある事柄。
心技体のうち、2・3は体、4・5は心というところだろう。技は・・・まだまだ。
前述の一件は、三連休の最初の土曜に起こり、
その3日間はなんかショックや失望から立ち直れずにどんよりした気分で過ごしてしまった
自分のイヤな過去の経験が蘇ったことと、
結局Cの行いに対して自分も暴力で反射的に応戦し、場を収めようとしてしまったことへの反省
(私がもし真に強かったら大怪我させてしまってたかもしれないし、結局暴力で応戦というのは
後から考えてもやはりいただけない・・・)
それと、いまだに、あぁいう人がやはり世の中にはたくさんいて、
その影で、心を傷つけられ泣いたり、いわれのない暴力に、顔にアザをつくっている誰かがやはりいて、
あんなにも人は簡単に汚い暴力を行使できてしまって
それは世界中で、いろいろな社会のなかで、
いじめや、虐待や、大量虐殺や、内戦や・・・・とたくさんの人を傷つけて苦しめているんだろうな
というなんだか絶望に近い気持ちを、1週間くらいひきずってしまった
やはり、心の教育が大事なのであって
精神の養成が大切。
人は簡単に暴力的になれる。
暴力は簡単に人を殺せる。簡単に他人を恐怖にさらすことができる。
たとえば、プラットホームで誰かを押したり
満員電車で銃をうったり
人が連なったエスカレーターの上から誰かを押し倒したり
極端に言えば
心が、良識が、それを防いでいる
簡単に考えれば、普通の人は、理由もなく、メリットもなく、そんなことをしようと思わない
人をなぐったり、けったり、技をかけたりすることを練習して
(合気道では蹴ったり殴ったりしないけど)
相手を倒せる、相手を殺せる技を身につけて
それを「使わない」、刀(矛)を止めるのが「武」である、とか、
「闘わずして勝つ」という極意が合気道の精神だとか
そういったことを体で感じて、心で感じて学ぶのが
古来の武術とは程遠いかもしれないけど、現代のなかで学べる武道の心ではないかと思う
結局、大切なのは、正しい心のあり方で、それを実行できる自信を身につけること。
自信とは、腕力、体力的な強さに支えられる部分が大きくある
現代の日本社会では、心技体といって、技に武術的な技は生き残りのためにそんなに必要では
ないだろう。のっぴきならない〔いざ〕という状況を除いては。
「技」はきっと、仕事でのスキルかもしれない。経済的なものを自分に供給するための
スキルということになるだろう
「技」を現代用にそれにおきかえたとしても、やはり変わらない
基本的な体力と健康、なによりも正しい心持ちが必須になる
そこで技を鍛え、よりよく生きるための努力をするのだ
体を鍛えながら、瞬発力、柔軟性を養いながら
そんなふうに心の重要性を再認識しているのが、
私の1ヵ月半の合気道鍛錬の、いまのところの立ち位置。 (「の」が多いな・・・)
養神館という名は、館長「塩田剛三」の医者であった父が建てた柔道の稽古道場の名だった。
「精神を養う場」という意味。
剛三は植芝翁から道場開設を許されたとき、まさに合気道の精神としてこの父の建てた「養神館」
という名をそのまま引きつぐことを迷わず決めたという。
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行動が変わってくるのは素晴らしいことだと思います。
成長することが重要ですね。
暴力はダメだけれど、今回のような大切な人に対する暴力をいかに防ぐかというこがありますね。自分はふるわなくとも危害は加えられます。
『護身術』とは 究極的には「相手を殺す技術」 でしょう?
殺さなければ相手は止められませんから。 ですから、殺さずに制す技術、合気道などは世界から尊敬されるのではないでしょうか?
以前も言いましたが、殺す技術が大前提としてあってのものですよ。
薬物やアルコール中毒は、なってしまったら病気です。意思だけではそう簡単には止められないらしいです。専門の治療機関に行くことが一番だと思います。
僕が格闘技をやめたのも自分の心に正直になりたいため。
相手が殺しにきたら、今の僕では必ず逃げてしまいます。逃げては自分の信念が貫けない。だからこそ、絶対の心技体が必要。そう思ってやめました。
今回の行動はカッコイイとは思いますが、相手をよく見て。死んでは何にもなりませんよ。
2007/10/28(日) 午前 7:20 [ one ]
そうですね。今振り返ってみれば相手を見た結果の行動だったのかも。その算段が間違えてはもともこもないけれど。捨て身とヤケクソは違うと、植芝先生に直接習った人が本に書いていました。確かにね。
2007/11/3(土) 午前 0:05 [ mus*ype*c*y ]