わたしの旅

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キャンプ

高尾山をハイキングして、相模湖からボートに乗って湖畔のキャンプ場で1泊。
幼馴染の親友と。
今の話、昔の話・・・たくさんしすぎて自分が今何歳でなんなのかよくわからなくなるほど。
湖のすぐそばでBBQをしながら飲みながら、
夕日から真っ暗になって子供たちの団体が打ち上げ花火をして。

「中2のキャンプで、キャンプファイヤーのあと見上げたら満天の星空が広がっていたよね」
「あーっ!覚えてるっ きれーだったね〜」

「あたしの初恋は実は○○だったんだ・・・みんなで交換日記したね」
「したね、したね」

「でも、△△ちゃんもあいつのこと好きで、私は言いそびれていえなかった・・・」
「あー、△△ちゃん言ってた、言ってたー」

「でもって小6の、卒業まぢかの初雪降った2月の日に
歩道橋降りたとこで、あの文房具屋の前の赤いポストの前で
●●が私を呼び止めて、しかもみんないる前で
「○○が俺のことは諦めてくれって言ってたよ」ってあたし言われて、それが初めての失恋だった
てゆーかあたし、○○のこと好きって誰にも言ってないし、本人にも別に言ったことなかったのに」
「覚えてる、あたしそんとき、いたもん。みんなちょーいっぱいいたよね、あんとき」
「まじ、わけわかんなくて、でもとにかくなんか悲しかった。だからあの日、初雪の中でみんなでやってた交換日記、焼いちゃった」
「え!!焼いたの!!どこで!」
「ベランダで。」
「まじで!」
「うん、だって悲しかったんだもん。それ以来○○とひとっこともしゃべんなかった。中学行っても」
「そーだったんだー。好きなんだろうとは思ってたけど、そんなに好きだったなんて知らなかったよ・・・」
「いや、そんなに好きとか、そういうのもよくわからなかった。だって初めてだったから、そういう気持ち。」


彼は、施設から小学校に通ってた
施設っていうのは、両親と一緒に暮らしてない子達がいる施設
小学校高学年になると
休みの日、みんなでおこづかい持って電車に乗って
映画行ったりボーリング行ったりディズニーランド行ったり子供だけでするようになってた
そこにはいつもグループのなかで誰かが誰かのことすきで・・・みたいな小さな恋があった
私は彼のこと好きだったからもちろん彼もふくめてみんなで一緒にあそびたかったけど
子供ながらに、施設だから誘っても無理だろうなと思って誘えなかった

小5で同じクラスになって
生まれて初めて私は
胸のところがキューッとする気持ちを知った
あの頃は
片思いと両思いのほかには何もなかった
それって恋愛じゃなくって恋だなと今は思う
で、両思いっていうのは別に
気持ちを伝えあわなくてもわかる
なんかテレパシーみたいなものだった

家庭科の調理実習の班が一緒で
私と彼がお味噌汁の担当になっていっしょに味噌汁作ったこととか
(ワカメを切るって知らなくてできあがってよそうときに初めて気づいた、あ、ワカメ長いね、と)
修学旅行の班が一緒でいっしょにロープウェーに乗ったこととか
おみやげやさんのキーホルダーを買って私にくれたりとか
なんかあんまり覚えてもないけど
でもすごく
今思えばあれがきっと初恋というやつ

彼の友達が私に「○○が諦めてって」と言ったことの真相は
謎のまま
そんな話、誰にもしたこともなかった
16年以上経ってはじめて口にしたよ

本当に彼が言ったことだったのか
どんな意味があったのか
なんでそんなこと言ったのか
いや、本当は言ってないのか
まったく何もわからない

だけどあのときの12歳の私は
真実を確かめようとはしなかった
好きって気持ちさえ
本人にも、友達にも誰にも伝えなかった
ただ悲しいことにフタをして
二度とそのフタを開けなかった
悲しいってことすら誰にも話をしなかった


今の恋人とは付き合ってだいぶなる
で、彼と別れるかもとか別れたいとか、浮気をするとかの選択しは別にまったくなくて
つきあいはきわめて順調
正直、こんな落ち着いた平和な付き合いを自分ができるとは数年前には夢にも思っていなかった

時々
ごくごく最近
ときめきがあった
でもそのときめきっていうのは
10代や20代半ばまでの、シングルだったり何人かとデートしたり
そういう気軽なある意味バイタリティのあるアグレッシブな恋愛の仕方をしてるときには
なかなかない、ときめきの種類で
なんかどちらかというと
小学校・中学校の頃のクラスメイトへの恋心に似ていて
この気持ちはなんなんだろう?と最近少しだけ困惑していた


彼氏がいると
新しく出会ってそれなりにお互いにfeelingsを感じる相手であっても
そこから発展することはもちろんなく
「今彼氏がいなければデートしただろうな、そしたらそれなりに楽しかったかもな」と思いつつ
代わりに、仕事や趣味で真剣な意見交換をしたりして新しい友情をイスタブリッシュしていくことになる

そんな出会いが去年あたりからポロポロあって
しかしそんななかでも最近あったときめきは
なんだか一番
なつかしい種類のもので
ちょっと困惑した

でもそれってきっと
その人には、
高校、中学、小学で感じてきた、人に対しての本当にピュアな
一生懸命な不器用なわけのわからないまっすぐな昔の気持ちを
鮮やかに再現させてくれるような部分があって

多分自分の今までの
今ではとっくに思い出すこともなくなっていたそういう、胸の奥の奥に埋もれてきた想いの一つ一つを
思い出すってことが新鮮で意味のあることで、たぶん。
そのトリガーが彼の言葉だったりちょっとした優しさだったりしてるだけのことで
そういう気持ちを、そういう気持ちがあったことを、そういう思いをしたことを
思い出すことに、ときめいているのかもしれない、なんて思う。

私はよく
時間を旅することがある
例えばキャンプに行けば
小学校のキャンプ、中学校のキャンプを思い出す
思い出すことで
その頃の体験や気持ちを思いだす
思い出しているうちになんだかその頃の自分に戻ってしまった感覚にもなる
そうするとそれは、時間の旅なんだ、私にとって


例えば秋のはじめは
いつもバンクーバーを思い出す
カラっと晴れてあたたかい、青い空、でも湿気がない9月ころの東京は
バンクーバーの夏と似てる
するとちょっと緑の多い公園でランチをするだけで
バンクーバーにいた頃を思い出す
思い出すうちに、その頃の気持ちが心の中で再現されて
再現されるとなんだかその頃に戻ってしまったような感覚になる、ランチの時間だけ

例えば成田に帰ると
実家にいて空港に通って働いていた頃
一番外でよく飲んだころ
一番よく夜遊びしたころの気持ちに戻る
すると昔の自分が、よく行ってたあのバーにいるような気がしてしまう

例えば実家に帰ると
そこにはいつもいつも変わらないお母さんがいて
小学生、もしかしたらもっともっと小さな頃に戻ってしまう

時間を旅できる場所がたくさんあるって素敵なこと
まったく同じ場所にいかなくても
そのときの誰かに会わなくても
似たような景色を見たり
似たような匂いをかいだり
似たような風を感じたり
似たような雰囲気の人に会ったりするだけで
たくさんたくさんたくさん感じた気持ちのひとつひとつを
少しずつちょっとだけ思い出す

そんな過去に戻る旅を私は
時々している
たぶん、ときどき、いつもしてる
心のなかで。

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アユタヤでリバークルーズ
といっても渡し舟のような古い木製のボート
ボートを運転するおばちゃんはお母さんのような感じで
ボートの乗り降りの際には短すぎたワンピースのスカートを引っ張って
もっとスカート下ろしなさい!みたいな。

(タイの年配の女性はだいたいみなそんな感じで世話を焼いてくれた
アユタヤの日本人村跡で、像柄のテーブルクロスを半額にまでしぶしぶまけてくれたかと思いきや
いきなりランチョンマットやうちわなど、おまけおまけといって色々袋に一緒に詰め込んでくれた
おばちゃんも、一緒に写真をとろうと言ったら私の帽子のかぶり方が深すぎて顔が見えないじゃないの、という感じでぐいぐいと帽子の位置を直してくれたり、
1000バーツを出してお釣りをぐしゃぐしゃとジーンズのポケットに入れたら
お札がポッケからちょっと見えていて、それも、ちゃんと入れて、ほら、みたいに
グシグシと押し込んでくれたり
タイの世話焼きのおばちゃんたちは、なんだかお母さんのしぐさと似ていて
思わず抱きつきたくなるような温かさなのだ。)

バンコクからエアコンの効かない、しかも混んでいる列車にゆられること2時間半。
しかし走り出す前にバンコクですでに乗車してから1時間くらい発車を待ったので
相当長く感じた。15バーツ(45円くらい)という驚く値段だったけど

タイに滞在中、『My Tuktuk guy』 と呼んでいた味のあるトゥクトゥクドライバーに、
バンコクで1人、アユタヤで1人出会った。
彼らは2人とも年は40後半から50前半くらいかな。彼らもまた、しぐさがどこか
日本の気のいい世話焼きの、商売にはちょっと強引なお父さんふうで、とても楽しかった

バンコクのTuktukおじちゃんとお別れした翌日、
アユタヤにつき列車を降りると待っていたかのように今度は
アユタヤバージョンのTukutukuおじちゃんがどこからともなく現れ(もちろん初対面)
強引に着いてそうそうあちこちへの遺跡めぐりを勧められるが
『えっといや、とりあえず予約してあるゲストハウスに行くだけがいいんだけど』
と言ってBann Kun Praとゲストハウスの名前を言い、
そこまでの乗車で値段交渉。
まだ駅の構内。
値段交渉が済むと、さっさと大きい荷物を持ってくれる。
で、ちょっと先にトイレ行きたい、と言うと
トイレにも案内してくれる
で、のどがカラカラ、ジュース飲みたい、と言うとセブンイレブンで止まってくれる

アジアのベニスとまで呼ばれた運河が特徴的な古都アユタヤでは
リバークルーズで遺跡や寺を回りたいと思っていたのでTukTukおじちゃんには申し訳なかったが
ごめん・・・と断り
ゲストハウスでリバークルーズについて聞くと
そのゲストハウスの1階のレストランのパティオが川に張り出しているウッドデッキにあって
そこから下の川に直接下りる階段があって
そこからリバークルーズが始められるというのだ

オプションで像ビレッジ(?)に行くなら今すぐボートが来るから早く!とせかされて
荷物を置いて軽くシャワーを浴び
(列車で旅すると汗と埃とススでかなり顔や体の出ている部分が汚くなる)ロビーに行って見ると
前述のボートのおばちゃん。素足でボートを操縦し颯爽と登場。

乗ってみると川からの多少は冷たい空気が心地よく
夕方の日も落ちかけの川をすーいすーいと進んでいく
川の両側には家が建ち
子供たちが泳いだり、たまに洗濯をしていたりしている
みんな手を振ってくれるので
手を振り返す

ところどころ寺院にドックしては寺を参拝し、遺跡を訪ね
最後に像ビレッジ?とやらに寄り、ま近で像の水浴びを見せてもらった
触れるほど近くに寄ってきたりする
人が乗っている像と
像だけで川に入っていく像と居て
多分、像の中にも信用できるのと目を離した隙に・・!って像がいるのかもしれないな

その昔、シャム王国は戦争になると戦車の代わりに像と一緒に闘ったらしい。
日本の政府が建てたというアユタヤの歴史研究センターで学んだことだが。
戦下で、像同士の戦いになると、外野の人間は像は敵方の像を攻撃したりをしない、
像同士の戦いは像同士で決着をつけさせる、というルールがあったらしい。

ケニアのサファリでも像を見たけど、タイの像はケニアのと比べるとちょっと体が小さかった気がする

帰りは、ゲストハウスにもどらずにナイトバザールのあるところでボートを下ろしてもらった
ボートから降りて石段を登り終った瞬間に
どこからともなく大音量で『ミッションインポッシブル』のテーマが!!
翌日もナイトバザールに行ったがその時はかかっていなくて、
今思っても一体どこから流れてきてた音楽なのかわからない
が、私たちが川のボートから地上に降り立った瞬間に流れ始めたという
あまりのタイミングの良さに(そしてミッション・インポッシブルのテーマなど
一番似つかわしくない、ゆったりのんびりしたアユタヤで)思わず
What's going on!? と、思わずGunを構える忍びのポーズをしてしまった
(しかし銃を構える忍びっていうのもよくわからないけど)
あの音楽、本当にどこから流れてきてたんだろ?

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仏の32相、とよく言われているようだが、
これは仏陀(悟りを得る人)に成り得る人の人体的特徴を32にまとめたものらしい。

そのなかの1つに『足下安平立相』(足の裏が平で安定している)というのがある。
私がこれを知ったのは、バンコクのワット・ポーに祀られている、超超超巨大な黄金の寝仏を見た時だ。

で、何に感激したかというと実は私は超がつく偏平足。
で、偏平足の人は軍隊に入れないらしい(どこの軍隊でいつの話かわかりませんが)、
とか、偏平足は早く走れないとか
何かと運動能力の欠如を指摘される偏平足なだけに(しかも当たっている・・・)
子供の頃はコンプレックスだった・・・
プールに行っても水から上がったときに友達のようなカッコイイ(?)足跡がつかないから
プールサイドではわざとそんな足跡になるように歩いたりしてた記憶がある
いや、もちろん誰も私の足跡を見て、偏平足を指摘するような友達はいなかったんだけれどもね。

他にも私は、パーにすると手の甲のえくぼがいまだにあったり(赤ちゃんみたいな)
しかし子供のころは、グーにしてもあったから、手の甲を人に見せるのがいやだった・・・
それで親指が極端に不恰好なので、ジャンケンの時、
パーのときは手のひらを見せ、グーの時には親指を中にしまって手を握る・・・など
姑息な細工をしてコンプレックスを隠そうとしていた子供だった・・・(小学校時代)

で、その、自分の不恰好な身体箇所の1つの偏平足が、仏の32の身体特徴のうちの1つだと知って
なんだかいたく感動してしまった。
真っ赤なお鼻のトナカイさんが・・・のような気持ちであった。

そのお堂の隣のお土産屋さんで黄金の寝仏をモチーフにしたペンダントヘッドが売っていて
もちろん買った。値切ったがあまりまけてくれなかった・・・

この寝仏は、私たちがタイで最初に見た巨大な仏像で
それはそれは荘厳でした。

Thailand

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タイ行ってきた
良かった
暑かった
帰ってきて、東京がまた冬に感じる・・・
しかしサクラもまだ咲いていて日本の初春の風景も逃すことなく、なんか得した気分

バンコク⇒アユタヤ⇒サメット島⇒バンコク と訪れました
感じたこと、書きたいこと、たくさんあるけど今日はちょっと時間がないので。。。

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土曜日は、10時頃起きて、ジョギングののち、午後、
上野の国立科学博物館でやってる、『ミイラと古代エジプト展』に出かけました。

(はじめに3Dメガネで見る映像・バーチャルミイラでミイラについての勉強。)
1、ミイラからわかること
2、昔のミイラの調査の仕方
3、現代の調査の仕方
4、古代エジプト人はなぜミイラを作っていたのか
5、どのように作っていたのか
6、棺のヒエログラフが意味するもの
7、様々なまじないの小道具と意味

などなどを映像で学び、それから展示会場へと移る。
館内の混雑具合は一昨年春のゴッホ点の75%といったところ
でも予想以上に混んでた〜
展示物は大英博物館からの出品+日本から、らしい
が、3000年も昔の棺やら、それよりも昔の小さな小さな金・ガラス・銅製品、
アクセサリー、ジュエリーに至るまで
よくイギリスからわざわざ運んできたな〜と思いました。

ミイラの棺はすべて特殊なガラスケースに収められ、ケース内は温度調節がされているようでした。
空輸・・・?だよな〜。もちろんプライベート機だよね・・・?などと
輸送手段が気になる品物たちでした。
だって〜。よく残ってるな〜と本当に関心するものばかり。
しかし古代のエジプト人たちは本当に手先が器用だった様子。
ちょーーーーちっちゃい金や銅の置物や手細工、もちろん手作りであろう金アクセサリーなど
現代のファッションやインテリアでも全然いけそうなものがずらりと並び
作られた時代をみるとBC1016年とか平気で書いてある!紀元前かよ!!!!とびっくり。

古代エジプト人は、死後、人体は魂の器となると信じていて
その器を良い状態で保存することで、死者の魂が黄泉の国で幸せに暮らせると思っていたらしい。
ちなみにミイラにするときは、脳みそを鼻骨に小さな穴をあけ、そこからかきだし、
骨盤あたりに穴をあけて臓器をかきだし、目も、くりぬいて、何かおまじないっぽい目玉と
置き換えていたらしい。黄泉の国でもちゃんと見えるようにって。
臓器は通常、壺に入れられ埋葬されることが多いらしいが、中には何か処置をほどこしたあと
布に包まれて人体の中に戻され、ミイラにすることもあったらしい。
しかし心臓には手を触れない。
心臓はそのまま保存するので、何千年後(つまり現代)とかに解剖(?)すると
小さく小さくしぼんだものが胸のあたりにあるらしい。
古代エジプト人は、魂は心臓に宿っていると考えていたんだって。

要するに、ここで1つ発見だったのは(実は常識だったのかな?)
私はミイラは、死者のこの世での蘇りを信じての行為かと思っていたけど
違ったってことだね
日本の仏教的な黄泉の国というのがあって、そこで達者に暮らせるように、と
カラダを一生懸命キレイに保存してあげたり、お守りをいろいろくっつけてあげたり
棺に名前やその人の職業、生い立ちなどを書いたりしていたみたい。
日本で棺にいろいろ入れたり
黄泉の国に届くようにとお線香を焚いたりちょうちんを持ったり飾ったりするのと一緒ですね

『まさか本物のミイラはいくらなんでも運ばれてきてるわけないよね〜』
と家を出る前に話していたのだけれど、
展示も終わりに近づくころ、動物のミイラが現れ始めました。
クロコダイル、鳥、魚、猫・・・
これらはバンデッジには巻かれていなかった・・・・
幸い、猫が一番右側奥にあって、右から猫、鳥、クロコダイル、魚って順に飾ってあったんだけど
(ケースのなかでです)
なぜか右側がとっても混雑していて人だかり(全体的に混雑してた)
遠くから、展示物の題名は読めたので、うげっ 猫は見れないよ〜と思いつつ
恐る恐る人がまばらだった左側へ行って見ると魚でちょっと安堵。
猫を二匹飼っている身としてはやはり猫のミイラは心情的に見たくな〜い、と思ったので
鳥まで見て、猫は見えないように自分のコートで視界をふさぎつつ・・・

そして展示もクライマックスを迎えようというのか・・・
なにやらイヤな予感・・・

あぁ。甘く見ていました。
予期せぬことに、・・・・来ていました。本物。
もちろん展示されている様子はケースに入って包帯に包まれてという様子だけれど
でもぉ。

もちろんもう、何千年も昔に亡くなっていてミイラになっているわけだけれど
この包帯の下には死んだ人間が眠っているわけで・・・・
この人は、エジプトのピラミッドの中で発見され、イギリスに運ばれて色々テストされたあげく
はるばる日本まで今度は運ばれてきて・・・超みんながのぞきこんでるぅ・・・
こんな状況、包帯の内側から見つめていったいどんな気持ちなんだろう?
静かにピラミッドの中で眠っていたかったんじゃないかしら?

とかなんとか思えてきて
急に気分が悪くなり、あとはもう見ないでさっさと出てしまった。

一服したあと今度は科学博物館の常設展示を見に再び入館。
いろいろ展示してあった。
マンモスの骨やら鯨の骨やらアナコンダの骨やら昆虫や動物の剥製やらなにやらいろいろ
いろーーーんな植物や微生物の本物なのかレプリカなのか・・・みたいなものやら
魚の作りものやら

有史以前からのありとあらゆる地球上の生物が
本物、つくりものまじりあって展示されていた

デモでも・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
超ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー
ショックだったのが、1980年(私、2歳)から上野動物公園(すぐそこじゃんか!)
に居た、メスパンダのホァンホァン、1997年(高校卒業)に死去し
その【剥製】が・・・・飾られてた〜〜〜っ

絶句
なんか私は、どうも同意できない
剥製にして飾るのって
亡くなったら、火葬なり土葬なりでちゃんと土の下に葬ってあげたい
人目にさらすんじゃなくて

しかも上野動物公園といえば保育園時代、毎年遠足で連れて来られていた記憶が
そしてめっちゃパンダ見てたっつーの
時代も私の子供時代と超合致するし
しかも国立科学博物館は、上野動物公園のすぐそこぢゃんっ
えーーー
なんか超ブルーーーー
べつに飾らなくてもいいと思うんですけど
静かに眠らせてあげて欲しい・・・
ホァンホァン、お母さんパンダだったと書いてあったけど
カラダはとっても小さかった・・・
はぁ〜っ ブルー

その後は地下の宇宙と物質・・・みたいなところにいき、
なんだかちんぷんかんぷんのまま
閉館時間となり外へ。
階段を上がり出口を出たときには『はぁ〜っ やっと帰ってこれた〜』
的な声を出してしまった

なんか・・・・長〜い長い、時間&空間の旅からやっと自分の住む時代の東京に
戻ってこれた・・・って気がした。

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