☆昭和の名盤!アナログ日記☆

昭和の時代!ゲストブック☆沢田研二の世界♪「すべてはこの夜に」(1984.6)〜詞:曲/佐野元春/編:井上鑑。

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トッポこと加橋かつみの脱退、岸部シローの加入。
新生タイガースとして再出発した1969年、GSブームは衰退していく。
ジュリーこと沢田研二の独立説が囁かれ始め、ピーこと瞳みのるの失踪未遂事件が起こる・・・
徐々にと解散への方向に進み出したザ・タイガースであった。


ザ・タイガース
☆☆☆日 本 の 青 春☆☆☆
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タローの日記 1969年5月〜11月

森本太郎が日記を書きはじめたのは、昭和40年4月1日の日付からだ。それには特別、深い意味があったわけではないが、半年ほど前にサリーやピー、かつみと友達になったことがきっかけになった。太郎の日記は、いわばグループの日記だったかもしれない。その証拠に、彼の日記帳にはメンバーの名前が各所に書かれている。
※何らかの事情により年表日付に誤りがあるが原文のまま掲載しています。
※青字は年表以外(本文及び雑誌掲載文)より抜粋して書き足しました。

http://groupsound.cocolog-nifty.com/jpg/julie27.JPG
◆1969年(昭和44年)◆

5月 1〜8日 日劇<ウエスタン・カーニバル>に出演。 シローの楽器のことで、会社から色々と注文がつく。そのことでメンバーといっしょに話し合う。 シローは、最初から、楽器を弾くことは約束になかったと憤慨していた。 5日 ジュリーが中野(ブロードウェイ)に引越した。 6日 下旬からロンドン行き(映画「ハーイ!ロンドン」の撮影)が決っていたので英語のレッスンをすることに決めていた。 友人の紹介で日劇の楽屋に藤田小百合さんがくる。 14日 英語のレッスンをはじめた。 16日 ピーが突然蒸発しようとしたことが発覚して、中井マネージャーとサリーが説得する。 27日 ロンドン・ロケに出発。羽田東急ホテルで記者会見。
6月 1日 ロンドンでビージーズのバリー・ギブと会う。レコーディング。 5日 ローリング・ストーンズのミック・ジャガーにロンドンのレストラン<ヒロコ>で会い、食事をする。 6日 「ヘアー」を見る。フィナーレでピーがステージに駈けあがって踊った。 9日 帰国。 11〜21日 東宝撮影所で「ハーイ!ロンドン」の撮影。
7月 5日 シングル盤「嘆き」が発売された。 このころからジュリーの独立説がささやかれるようになった。 12日 映画「ハーイ!ロンドン」が封切られた。 13日 GSの組織として結成した「SPA」の第1回総会が、赤坂のヒルトン・ホテルで開かれた。会長にはハナ肇さん。実行委員には田辺昭知さん、内田裕也さんたちが参加していた。 15日 会社にボーナスを要求したが、結果的にはダメだった。
8月 2日 ピーとふたりで軽井沢の柴田錬三郎さんの別荘へ遊びに行った。 3日 恒例の<真夏の夜の夢>(軽井沢)に出演。 16日 ウエスタン・カーニバルの打合せ。 19日 レッスン。 25日〜 9月1日 日劇<ウエスタン・カーニバル>に出演。
9月 8日 ピーの退団のことについてメンバー全員でミーティング。 彼は年内に解散したいということを強硬に申し出ていた。それについては、ぼくたちだけの意志ではどうすることも出来ないので、 9日 渡辺プロの松下制作部長と東京プリンス・ホテルでミーティングをした。 13日 四国公演(徳島、高知)。 21日 奈良・あやめが池に出演。
10月 6日 はじめてフジ・テレビ<夜のヒット・スタジオ>に出演。約7か月間にわたって経営していた青山のレストラン<モーゼ>を11月中に閉店することにした。 理由は、ぼく自身の仕事に関係していることで、やはり当面はタイガースのことに一生懸命やらなくてはという結論になったからだ。 いずれ精神的に余裕が出来たら、お店をやりたいと思った。 14日 浅草・国際劇場に出演することで打合せ。この頃、藤田小百合さんと結婚することを真剣に考えはじめた。
11月 1〜7日 2度目の国際劇場出演。 9日 ぼくの姉栄子の舞踊発表会・京都北野会館。 ぼくと姉のふたりで、「神田祭り」を踊る。サリー、ピーが見にきてくれた。 夜は、祇園花見小路にある<たかし>で全員で食事をする。 24日 日比谷の芸術座に「春の雪」(三島由紀夫原作)を観劇(宇津宮雅代さんと)。
 










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どうでしょう?この昭和44年の中頃から年末のタイガースってその活動キャリア中、最も暗中模索の地味な時期という気がしますが。だから直ぐにコメントするのも躊躇われました(笑)。そうそうジュリーは中野ブロードウェイに住んでたらしいですよね。なんでも北島三郎も近所にいたとか。私も「まんだらけ」という漫画古書店目当てで通いました。ジュリーが生活していたところだったとは今更ながら感慨が(笑)。トッポの煽りを受けてピーもこの頃は不安定だったようで水面下で色々あったようですね。人気がある間は解散させられない渡辺プロ側と、ソロになる気のないジュリーのジレンマの時期なんでしょうね。でもここで解散してたら、後の田園コロシアムも武道館もなかった訳で…。唯一ほっとするというか興味を惹かれるのはタローとピーとで柴田錬三郎を訪問したというヤツ(笑)。いったい何を話したんでしょうね?柴錬は週刊プレイボーイでやってた人生相談の単行本を昔買いました(笑)。 削除

2009/8/21(金) 午前 3:08 [ 秀和 ] 返信する

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ひでかずさん/素晴しい分析であります、さすが。全くもって仰るとおりだと思います。ピーの蒸発未遂も単に恋人だったフランス人が帰国したので会いに行こうとしただけで、若者の特権とも言える純粋で行動的な正直な気持ちの表れですね。ファンとしてはあの時点で解散しなくて良かったと思います。しかしもし解散していればピーとの友情はずっと続いていたでしょうね。
柴田錬三郎とGSというのも面白い組み合わせですが何を話していたのでしょう、人生相談ですかね。グループというものは本来燃え尽きるものだ、なんて言ってたりして(笑)

2009/8/21(金) 午後 0:28 ★アナログ日記★ 返信する

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「モーゼ」・・・行ってみたかったですね。

2010/12/22(水) 午後 8:20 [ Ltd,Exp ] 返信する

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私のブログにトッポが前衛ミュージカル「ヘア」に主演した思い出を書きました。ついでですが、初日に観劇された宮様に通訳がついていました。「ヘア」って英語で上演したのかな?その通訳の女性が柴田錬三郎さんのお嬢さんだったんですよ。
週刊誌の記事によると、宮様に「本場のヘア」ってこんなものではない、と言ったとか! ムム・・トッポを貶しているな、と覚えていました。

2010/12/23(木) 午後 11:28 ムーミン 返信する

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kiyokiyoさん/たった7ヶ月という幻のような「モーゼ」。行ってみたかったですねぇ。短い営業期間のお店でしたが、多くのタイガース・ファンが訪れたのでしょうね。

2010/12/24(金) 午前 11:50 ★アナログ日記★ 返信する

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ムーミンさん/タイガースを脱退してからのトッポは、週刊誌でその姿を見る事くらいしかありませんでしたね。「週刊ティーン・ルック」では毎週のようにトッポの記事を扱っていましたが、「ヘアー」に抜擢され本格的に活動を再開したトッポのニュースに大きな期待を寄せました。そういえば宮様の件、そのような事もありましたね(苦笑)。なんとなく覚えております。しかしレコードも発売になり、変わらぬトッポの美しい歌声は素晴しかったです。

2010/12/24(金) 午後 1:43 ★アナログ日記★ 返信する

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ピーさんは本当に自分の進む道を模索されてたんでしょうね。思いついたらどこまでもというタイプそうだから。
(ハローグッバイの後で) の本の中にもでてきますけど、グループ時代から教えを乞いに、奈良の薬師寺の高田好胤さんにかよってられたそうです。私の通学路の奈良の近くのお寺ですから、みんなの間で噂になりました。なんだかピーらしくて、年上なのに、いつまでも弟のように思えます 削除

2011/9/3(土) 午前 0:25 [ 夜更かしのリリー ] 返信する

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何だか続きますが、どこにかいていいのか?ので・・・
ユーチューブでぜひ! ザ・ピーナっウがカバーしている(エピタフ)泣けます、日本の誇りです。もう1曲は沢田研二が日出子さんのためだけに歌った(やさしく愛して)この歌を歌った次の日にジュリーは離婚発表したんです。まあ、離婚は自動車事故と同じでどちらとも言えませんものね。ジュリーのように18億円も慰謝料を払ったら、私なんか即決ですけどね。35年もつきそったら主人からおことわりですかな?BOROの曲で、いろんな気持ちが交差するバラードです。 削除

2011/9/3(土) 午前 1:44 [ 夜更かしのリリー ] 返信する

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夜更かしのリリーさん/人其々に色々な考えや生き方がありますよね。
特に若い時には、自分の将来や人生について真剣に向き合う時期があると思います。
そういえば、奈良では仏像巡りもしていたと自伝に書かれていましたね。

ピーナッツがカヴァーして歌った「エピタフ」は知ってますよ。
当時ライヴ盤レコードも買いました。
さすがピーナッツでしたね。レパートリーのジャンルが幅広かったです。
ジュリーの「やさしく愛して」は「きわどい季節」のB面に収録されましたね。
しかし離婚慰謝料は18億でしたか。これは凄い金額ですね。
所有していたテニスコートまで差し出したジュリー、という記事が印象に残っています(笑)。

2011/9/3(土) 午後 9:49 ★アナログ日記★ 返信する

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