1978年4月、「涙の太陽」のヒットで知られる歌手の安西マリアが元マネージャーと失踪。 そのまま引退状態となるも事件はそれだけでは終らず騒動の舞台は法廷闘争にまで発展する。 「恋の逃避行」が一転、元暴力団の芸能プロ社長によるタレント恐喝事件へと変わり 証人の口から次々と芸能界の暗部をえぐりだす生々しい証言が飛び出した。 1978年4月13日、安西マリアの所属事務所・竹野エージェンシー社長が記者会見を行なった。 「安西マリアは4月8日から行方が知れなくなっています。生身の人間ですから 事故がないと言い切れませんし、いたずらに世間を騒がせるのは本意ではありませんので なんとか穏便にしたかったのですが、いま現在になっても行方不明ですので、ご両親とも 相談して捜索願いを出す事にしました ー 」 失踪事件である。当時の週刊誌によると、 4月7日、新曲のリハーサルを終え、現マネージャーとともに深夜帰宅。 8日午前、神経症気味の母親を静養さすため元マネージャーKと3人でタクシーに乗り、 母を湯河原で降ろした後、マリアとKは日吉で消息を断つ。 9日、母のもとにマリアから電話があり、「死にたい・・・」とくり返す。 10日、Kから電話があり「すべては弁護士に任せてある」 12日、社長宛にマリアより直筆の手紙が届く。 「身も心も疲れました。仕事もレコードも手につきません。しばらく休みたいと思います。 後のことは弁護士さんに任せてあります」という内容が書かれていたという。 13日、社長はマリアの両親と相談し、玉川警察署へ捜索願いを提出。 会見の数日後、芸能週刊誌は一斉に、次のような見出しで事件を報じる。 「安西マリアが元マネージャーと恋の逃避行」 関係者の話によると、安西マリアは仕事をすっぽかす常習犯で、 ほとほと手を焼いていたところを現社長がマリアを引き取ったという事。 また元マネージャーのKは事件の2ヶ月前まで竹野エージェンシーで仕事をしていたが、 マリアとともにドラマの収録に遅刻するなど不審な行動が目立ち、追及したところ遂にマリアとの 関係を認め、経費の着服や「内職」をしていたことも後に明らかになった。 そのため社長はKを解雇、マリアに対しても「月給を百万円から五十万円に減給する」 措置をとったという。 こうした出来事を背景にしたマリアとKの身勝手な恋の逃避行、社長の会見を受けての 芸能マスコミの論調であった。 事件は茶番劇として終るのではないかという予測が、この時点では大勢を占めていたのである。 ところが事件は、急展開を見せる。 記者会見から1ヵ月後の5月6日に社長が突如逮捕される。 検挙理由は「歌手、安西マリアに対する強要・暴行容疑」 容疑内容は「2月3日、ドラマ収録に遅刻したマリアとKは、その夜社長宅へ呼び出され、交際の事実を 恫喝によって強制的に認めされたうえ、靴ベラでKの頭を連続して殴打、Kは流血する怪我を負う。 社長はマリアの母も呼び出し『オレは前科24犯だ!人を殺すくらいなんとも思ってない!』と脅し、 給料を減額する契約書にサインを強要した」 こうした隠された事件が背景にあったため、マリアは「殺されるかもしれない」と思い、失踪を装い 4月21日に被害届を提出し、5月6日の社長逮捕へ至る。 逮捕により社長が元暴力団幹部であった事が明るみになり、マスコミはこの事件を芸能界の暗部を 暴くものとして報道したが、社長に対し同情的な記事を掲載するものも少なくなかった。 安西マリアは依然消息を断ったまま、社長も拘置所へ送られ事件は司法当局に委ねられるかたちとなる。 8月7日、第二回公判が行なわれる日、4ヶ月ぶりに安西マリアが姿を現す。 東京地裁前には100人を超す報道陣が詰めかける。 マリアはマネージャーとタレントの肉体関係の存在、プロダクションと作詞家、レコード会社の 黒い癒着を暴露して閉廷した。 安西マリアは芸能界の裏側を暴露するというタブーを犯し、 この事件により二度と芸能界に復帰することは出来なくなったのであります。 1979年1月、社長に下った判決は「懲役十ヶ月、執行猶予三年」。 あれから30年、事件も風化し、現在は安西マリアも細々ではあるが音楽活動を行なっている。 [参考文献・引用資料] 「微笑.週刊ポスト.週刊明星.週刊平凡.宝島.週刊女性.ウィキペディアetc」 |

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