☆昭和の名盤!アナログ日記☆

昭和の時代!ゲストブック☆沢田研二の世界♪「すべてはこの夜に」(1984.6)〜詞:曲/佐野元春/編:井上鑑。

グループサウンズ

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1960年代後半、一世を風靡したグループサウンズ。
A級GS〜B級C級GSまで!
60年代に最も熱く夢中になった音楽がGSだった。
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☆☆☆昭和の名盤!アナログ日記☆☆☆
 
 
 
 
大阪ミナミの道頓堀。

閉店から17年が経った1986年。
ジャズ喫茶「ナンバ一番」
店内跡を訪れた元ザ・タイガースのメンバー3人。

20年ぶりに立つステージで歌った「ビコーズ」
懐かしきファニーズ時代のレパートリー曲。
岸部一徳、加橋かつみ、森本太郎の歌とコーラスです。
 
 
 
 
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1995年(平成7年)5月20日(土)
「この道」500人の証言〜ザ・タイガース<完>
 
発足1年後の1967年(昭42)11月5日、
奈良のあやめ池公園でのコンサートで、
将棋倒しになった女性ファン数10人が負傷した。
事故は社会的な「事件」になった。
 
<証言372>番組ディレクターだった福田陽一郎氏(62=現オフィス・トゥー・ワン役員)
<証言373>藤本氏
 
 
【取材後記】
タイガースを代表する顔だったジュリーこと沢田研二氏(46)は
「昔のことは語りたくない」ということで、取材に応じてもらえなかった。
さまざまな事情で、取材ができなかった方も多い。
取材に応じてくれたメンバーは、
沢田氏について「彼は歌手としてバリバリの現役だから、昔のことを話すようになってはいけないという思いがあるのでは・・・」

 
※画像右下虫メガネをクリックすると拡大します。
 
 
 
【ザ・タイガース】
岸部おさみ(本名・岸部修三)、森本太郎(本名・同じ)、加橋かつみ(同・高橋克己)、
瞳みのる(同・人見豊)の4人が65年(昭40)6月に「サリーとプレイボーイズ」として結成したのが母体。
翌66年1月にボーカルの沢田研二(本名・同じ)を加え「ファニーズ」とし、渡辺プロと10月26日に契約。
12月に「ザ・タイガース」として改名した。
最大のヒットは加橋がボーカルを担当した68年3月発売の「花の首飾り」で70万枚を売ったが、
方向性の違いを理由に翌69年に加橋が脱退。
岸部の弟、岸部シロー(本名・岸部四郎)が参入したが、
71年(昭46)1月24日の日本武道館公演を最後に解散。
15曲のシングルとアルバム7枚は900万枚を売り上げた。
81年(昭56)と89年(平1)に一時的に再結成され話題を呼んだ。
 
 
 
 
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1995年(平成7年)5月19日(金)
「この道」500人の証言〜ザ・タイガース<3>
 
1967年(昭42)、
グループ・サウンズからレコード大賞受賞曲が生まれた。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」だった。
事件だった。
東京・三鷹市在住、
「ニューブリード」のバンドマスターとして今も活躍中の三原綱木氏(49)は言う。
 
<証言370>元ブルー・コメッツの三原氏
<証言371>スパイダースを生んだホリプロの堀威夫氏(62)

 
※画像右下虫メガネをクリックすると拡大します。
 
 
 
【ザ・タイガース】
岸部おさみ(本名・岸部修三)、森本太郎(本名・同じ)、加橋かつみ(同・高橋克己)、
瞳みのる(同・人見豊)の4人が65年(昭40)6月に「サリーとプレイボーイズ」として結成したのが母体。
翌66年1月にボーカルの沢田研二(本名・同じ)を加え「ファニーズ」とし、渡辺プロと10月26日に契約。
12月に「ザ・タイガース」として改名した。
最大のヒットは加橋がボーカルを担当した68年3月発売の「花の首飾り」で70万枚を売ったが、
方向性の違いを理由に翌69年に加橋が脱退。
岸部の弟、岸部シロー(本名・岸部四郎)が参入したが、
71年(昭46)1月24日の日本武道館公演を最後に解散。
15曲のシングルとアルバム7枚は900万枚を売り上げた。
81年(昭56)と89年(平1)に一時的に再結成され話題を呼んだ。
 
 
 
 
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1995年(平成7年)5月18日(木)
「この道」500人の証言〜ザ・タイガース<2>
 
 71年(昭和46)に解散するまでの約4年間で、
タイガースはシングル15曲、アルバム7枚で合計900万枚を売った。
コンサートは230回、のべ200万人を動員した。
きらめく貴公子たちの実生活は、どんな風だったのか。
渡辺プロと契約した66年(昭和41)11月に上京した時は、
世田谷千歳烏山の一軒家に全員住み込んだ。
8畳、4畳半に台所だけ。
そこでメンバー5人とマネジャーら、常時6人以上が暮らした。
ヒットするまで、半年間はこのままだった。
 
※画像右下虫メガネをクリックすると拡大します。
 
 
 
【ザ・タイガース】
岸部おさみ(本名・岸部修三)、森本太郎(本名・同じ)、加橋かつみ(同・高橋克己)、
瞳みのる(同・人見豊)の4人が65年(昭40)6月に「サリーとプレイボーイズ」として結成したのが母体。
翌66年1月にボーカルの沢田研二(本名・同じ)を加え「ファニーズ」とし、渡辺プロと10月26日に契約。
12月に「ザ・タイガース」として改名した。
最大のヒットは加橋がボーカルを担当した68年3月発売の「花の首飾り」で70万枚を売ったが、
方向性の違いを理由に翌69年に加橋が脱退。
岸部の弟、岸部シロー(本名・岸部四郎)が参入したが、
71年(昭46)1月24日の日本武道館公演を最後に解散。
15曲のシングルとアルバム7枚は900万枚を売り上げた。
81年(昭56)と89年(平1)に一時的に再結成され話題を呼んだ。
 
 
 
 
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先日、物置から16年前のスクラップ記事が出てきました。
 
この記事を覚えているファンの方もいらっしゃると思います。
懐かしい当時の新聞を、そのまま画像にしてブログに載せてみました。
 
1995年(平成7年)、日刊スポーツ紙上で毎日連載された「この道」500人の証言。
それぞれの時代を熱く沸かせ、日本人に勇気と感動、
そして笑いと涙を与えてきたヒーローたち。
長嶋茂雄、力道山、美空ひばり、石原裕次郎ら26人。
彼らのドラマを証言形式で綴った連載企画でした。
 
5月16日(火)から20日(土)まで、
4回に亘り連載されたのがGSの王者「ザ・タイガース」
(何故か17日は休載。第2回は18日(木)に掲載された)
 
その時、記念に残しておいたスクラップです。
 
1995年(平成7年)5月16日(火)
「この道」500人の証言〜ザ・タイガース<1>
 
わずか5年でザ・タイガースは散った。
時の流れとともに、それぞれの「花の首飾り」や、
「落葉の物語」の思い出も消えた。
けれど調べは残り香のように漂って、時代の青春を生きた人々の心に蘇る。
全国に何千というグループ・サウンズが生まれていた。
タイガースはそのトップに咲いた、香水のようなブランドだった。
たたかれながらも若い世代を魅了した、貴公子たちの物語を、
4回連載します。
 
<証言364>エッセーストの安藤和津さん(47)
<証言365>ヒット曲のほとんどを担当、名付け親でもあった作曲家・すぎやまこういち氏(63)
<証言366>サイド・ギター担当だった森本太郎氏(48)
<証言367>豊橋俊介(46)FM802事業部長
 
【ザ・タイガース】
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岸部の弟、岸部シロー(本名・岸部四郎)が参入したが、
71年(昭46)1月24日の日本武道館公演を最後に解散。
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