1978年9月、人気絶頂だったアイドル木之内みどりがロック・バンド「サディスティックス」の ベース奏者であり作曲家の後藤次利と、仕事にアナをあけてまで行なった突発的アメリカへの逃避行。 木之内はそのまま引退。当時、後藤には妻子がいた。73年に結婚した妙子夫人。 妙子夫人は人気フォーク・デュオ「シモンズ」の元メンバー。 この事件が公になったキッカケは、1978年9月14日、木之内の所属事務所が開いた、 本人不在による「引退発表」記者会見であった。 関係者の説明によると、11日午後6時30分、事務所に木之内から電話があり、 「箱崎インターで後藤さんといるところを雑誌に撮られたの、もう、私ダメ・・・」 続いて9時30分、成田空港から、 「彼と、これからアメリカへ行きます」と、最後の電話が入る。 そもそもの事の始まりは、この年の5月、木之内のLP「苦いルージュ」のレコーディングを 契機にして親密になっていく。9月には二人の関係が事務所の知るところとなり、 9月5日に木之内、後藤、事務所の人間とによる三者会談が行なわれる。 後藤は、「現在離婚手続き進行中です」と言い、事務所側は後藤の離婚が成立してから交際について 再度話し合おうと告げる。後藤は11日からレコーディングのため、アメリカへ飛ぶ事になっていた。 木之内は会談中に「私も次利さんとアメリカへ行きたい」と語っていたという。 木之内は6日から9日までは地方の仕事をこなし、10日に帰京。そして11日に事件は起きる。 11日夕、箱崎・東京シティエアターミナルで二人でいるところに女性週刊誌の記者に写真を 撮られ、取材を受けることとなる。 逃げ場を失った木之内は後藤とともに、とりあえず成田まで行くが空港にも記者たちは張り込んで いて、どうにもならなくなった木之内は着のみ着のままで後藤とそのまま飛行機に 飛び乗ってしまったのである。 ーここで一つの疑問が浮上するー 何故、木之内はパスポートとチケットを持っていたのか?初めから計画的逃避行だったのではないか? 成田からの出発を知った事務所はマネージャーに二人の追跡を命じた。 13日にニューヨークで彼らに会い、後藤を交えて話し合った結果、 木之内には帰国する意志が無いことが分かる。 これで彼女の復帰の道は途絶え、マネージャーからの連絡を受けた事務所は 14日に引退発表をするのでありました。 そして9月30日に、仕事を終えた後藤と木之内の二人は帰国する。 空港近くのホテルにて記者会見が開かれた際、引退に追い込まれるのは覚悟していたか? との記者の問に木之内はファンにとってショックな回答をした。 「子どものできるようなことはしていません」 「私は前々から心のどこかで芸能界は向いていないなと思っていました。 私のファンは若い男の子たちが多いので、このままいるとファンの人達を 裏切ることになると思っていました。 こんな気持が、後藤さんと知り合ったことで一気に爆発したんだと思います。 引退は後悔していません。 これからは生きていくために、別の仕事をさがすつもりです」 こうして世間の注目を浴び大騒ぎをさせた約3週間に渡る二人の逃避行の物語は幕を降ろすのである。 木之内みどりは、記者会見後からマスコミに姿を現すことはなくなった。取材も頑なに拒否している。 翌79年7月に後藤は離婚成立。12月には晴れて木之内みどりは後藤の妻となる。 幸せな日々は少なくとも1987年、後藤次利がアイドル堀ちえみとの密会が スクープされるまでは続くのであります。 その後、後藤は若いアイドルと数々の浮名を流したのち、元おニャン子クラブの一員で、 やはりアイドルの河合その子と再婚し、 木之内は個性派俳優の竹中直人夫人に納まり現在に至る。 しかし芸能界を離れていた木之内と竹中直人との間には どこに接点があったのだろうか・・・ その他の事件。 ★5月★ 俳優・川口恒か麻薬で逮捕。次いで恒の実弟、三浦友和のマネージャーだった 元俳優の川口厚も逮捕。 その3週間後、恒の実妹で女優の川口晶が取調べられ、芸能ファミリー川口一家の麻薬汚染事件。 俳優・勝新太郎がアヘン取締法違反で書類送検。 ★12月★ 俳優・田宮二郎が自宅2階で猟銃自殺。不動産、映画製作などの事業に手を出し、多額の負債を 抱えての自殺だった。負債の他、M資金詐欺にかかり、巨額の持ち逃げをされたとの噂もあった。[参考文献・引用資料] 「微笑.週刊ポスト.週刊明星.週刊平凡.宝島.週刊女性.ウィキペディアetc」 |

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