家族・友人
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大学時代の同級生が、余命1ヶ月と診断されて入院しているので、友人たちとお見舞いに行った。 彼とは、卒業以来殆んど会った事がないくらい疎遠な仲だが、友達が結構交流あったので、思い切って一緒に出掛けた。 私たちは音楽科だったので、男子学生は22名中4名しかいなかった。 肝臓癌だと聞いていたが、彼は既に末期状態で、腹水がたまりとても辛そうだった。 見舞いは4人で行ったが、順番に話しかけても何となく分ったような感じであった。 何十年ぶりに会うのに学生時代とあんまり変わっていなかったが、こんな情景でしか会えないのは、本当に悲しく衝撃的な面会でもあった。 こうして末期の病に侵されている友の見舞いは、これで2人目だ。 彼女は胃癌で、何度かのお見舞いのあと、転移して人工肛門を着けていよいよ深刻な状態でも、声楽家であった彼女はコンサートやディナーショーなどを積極的にこなしていた。 生きている者はみな平等に限りがあるから、「明日はわが身?」と他人事ではない。 最近立て続きに知り合いが突然亡くなった。 その度に、恐れ慄き、体調が変になる私は本当に小心者だ。 不老長寿の薬を一刻も早く開発して欲しいものだ。
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我が家には、猫と犬がいる。 中でも、家族歴7年のジェッシーは、私に懐いていてとっても愛らしい。 帰宅すると、いつの間にか玄関までさりげなくお迎えに出てくる。 猫の聴覚はすごいらしい、と言う実験をいつかテレビでやってた事がある。正確なことは忘れたが、かなり遠くからでも耳をすませて察知する猫もいるらしい。 きっと、我が家のジェッシーもそんな調子でお迎えモードになって待っていてくれるのかも知れない。 昔、黒猫を飼っていたことがあった。 野良猫だったが、性格のいい猫で、猫特有の病気に罹り、1年半の闘病の末亡くなった。 その時は、「ペットロス」に罹ったかと思うくらいショックで、お世話になっていた動物病院の近くにはしばらく近寄れなかったものだ。 懇ろに弔って境内にある銀杏の木の根元に埋葬したので、しばらくは銀杏の木を見ては泣いて暮らしたものだ。 そんな苦い思い出があるにも関わらず、寂しくて、やっぱり今また動物を飼っている。 当たり前のことだけれど、人間も含めて命あるものには絶対に限りがあるのだから仕方がない。 そんなことを考えると、一層愛おしくなるジリーとジェッシーだ。
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近くの夏祭りに夫と息子の嫁と1歳半の孫の4人で出かけた。 この祭りは今年で22回目になり、大手スーパーの駐車場を利用して野外ステージ(大型トラック)を中心に盆踊り大会や歌謡ショー、最後に団扇を使った抽選会などがあった。 屋台もいっぱいあり大変な賑わいだ。 私も何回目かの時に電子オルガンで、『お祭りマンボ』や「ミッションインポッシブル」「トトロ」などを弾いた事があった。 年々発展して来て、人出も増え、抽選会の景品も協賛団体からの提供で、人気景品は注目の的だ。 一通り夜店を回って、4人が夫々好みの所を見ていた時である。 本部席の近くで、忙しそうに立ち働いている人を見てわが目を疑った。 母が亡くなって今年で4年目、1周忌以来会ってなかった弟ではないか・・・。 思わず声を掛けようとして、やっぱり止めた。 2人姉弟の弟なのだが、この弟とは何度諍いがあったかしれない。 早くに父を亡くし、母は弟を過保護に育てたのかも知れないが、何かといつまでも母を悩ませた。 疎遠になっているが、風の便りに、「市役所を定年後近くの老人福祉施設の事務長をやっている」と聞いていた。 2人の息子は成人し、兄はすでに結婚している、とも聞いた。 妻(義妹)を早く癌で亡くし、幼い甥たちを母や私が随分面倒見ていた頃もあったが、10年近く(いわゆる社会入院)入退院を繰り返していた母の事が主な原因となって齟齬が生じ、母の他界を境に疎遠になってしまっているのだ。 なぜ弟がここにいるのか?と言う疑問は、最後の抽選会で判った。 沢山の景品の一部を、噂で聞いていた老人福祉施設も提供していたからだ。 風の便りは、本当だったのだ。 糖尿病の治療をしているとも聞いていたが、見た限りでは元気そうだった。 賑やかな夏祭りの夜、幸せそうな家族連れや友達グループ、カップルが楽しんでいる。
傍から見れば、誰もが屈託なく、悩みなどないように見えるが、私にとってはちょっとほろ苦い祭りの夜であった。 |
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子どもに関する最近の色々な調査の中で、朝食を中心として子どもの食生活がしばしば問題になる。 朝食を食べてこない児童の学力は、きちんと食べてくる児童に比べて劣っているらしい。 夏休みなど長期の休みが続くと痩せる子がいるとか。 家族で揃って食事をとる家庭も、塾があったり親が働いていたりして昔に比べると少なくなった。 孤食という言葉がある。 いかにも孤独感がにじみ出てくるかのような言葉だが、私は一概に言えないと思う。 この場合、一人暮らしの人が一人で食べるのは当たらない。 家族が2人以上ある場合で、やむなく一人で食べる様を表現した言葉で、保護者のいる児童に対する表現言葉であると私は思う。 実は、私も度々孤食のシチュエーションを選択していて、むしろその方が開放感があって好きだ。 他人から見たら(ええっ!可哀相〜)と言う人がいるかもしれないが、全然!(きっぱり) 時々このブログにも書いているが、私の家は夫とその母、そして私の3人だ。 長い年月を経て蓄積された姑との確執はますます深まるばかりの続行中で、過去の事もトラウマとなってしばしば悩ませられる。 flash backが怖くて詳細は記さないが、何度自分の人生をresetしたかったか分からないが、結局今に至っている。 で、ある日のある事件をきっかけに、私は3人での会食は避ける事にしたのだ。 夫とその母で食事をし、私は別の部屋でする。 それが、とってもリラックスできて快適なんだぁ〜 私が窮地に立たされても助けてくれない不甲斐ない(私から見れば)夫を、残念だけどある部分では見限っているのかも知れない。 こんな生活は不本意、「想定外」だったけれど、人生の歯車って簡単には修正できないのよね。 本当は、愛する人と2人で鍋もいいけどな。
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