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まず、お知らせです。

空手家よ・・・、使える形を学べ!
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ここからが、本ブログでの記事です・・・・。

 良く、(武術の)修行とは、苦しいものだとしてはならない

 なぜなら、自分が望んで行っているのであるから、

 それを行えるだけで、楽しいはずだし、嬉しいはずだと・・・。

 さらに自分の肉体を酷使することは、あるレベルまで行けば快感に変わるはずだとも・・・、

 確かに、それは一面の真実です。

 わたくしは、自分の身体を酷使し、身体が壊れるまで

 としての空手(の形)を修行しましたが

 その酷使の先にある、

 今までの疑問が、解明できる喜びというものは・・・、

 肉体的な辛さを凌駕するほどのものでも、ありました

 醍醐味という、言葉そのものの歓喜である。としても良いでしょう。

 しかし、

 やはり武術(だけでは無く、他の悟りを得ようとするもの全てなのでしょう)としての、

 空手の修行とは、辛く、酷なものです

 なぜなら・・・

 それは臨済宗を開いた臨済の述べた、仏の教えの通りに・・・、

 逢佛殺佛。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。逢父母殺父母。

 逢親眷殺親眷。始得解脱。

 っという部分が、必然としてあるからです

 武術という、己の肉体を媒体として、悟りを得ようとするのですから・・・、

 肉体的な辛さは、ある程度予測しています。

 だから、わたくし如きのチャラン・ポランな人間でも、

 ある程度ならば、我慢も出来ます。

 精神的な面においても、悩みや疑問を解決するために修行しているのですから・・・、

 過程の一つであると納得できます。

 ですから、意志の弱いわたくしのような人間でも、

 どうにか、こうにか、やっていけます。

 しかし・・・、

 「仏に逢えば仏を殺し、祖に逢えば祖を殺し、

 羅漢(お坊さん)に逢えば、羅漢を殺し、

 父母に逢えば、父母を殺し、

 眷属(親族)に逢えば、眷属を殺す。

 それが、解脱を得るの始めなり

 という部分における、

 自らの葛藤は・・・、

 酷である。

という以外に、言いようがありません

 これは、わたくしの修行の経験からとして、明確に記しますが・・・

 どんなに修行の果てに、解脱を得た人間でも、

 あるいは、悟りを開いた人間であっても、

 この事柄に関しての、

 己のジクジクたる思いを払拭することは、出来ないはずです。

 それは、後悔というものとは、また別な、

 人間の性(サガ)、

 あるいは、業(ゴウ)というものへの、

 哀しみとしても良いものです
 
 さらに言えば(非常に恐ろしいことですが・・・)、

 最後には

 修行の果てに、

 己に逢い、その己さえも殺さなければ

 解脱を得ることは不可能である

 という場面が、必ずあります

 日本文化を代表する茶道や華道、そして剣術などの修行には、その過程を表す、

守・破・離」などという言葉がありますが・・・。

 これを、本気でやろうとすると、エライことになる!

 というのがわたくしの感想ですし・・・、

 こと空手に関しては、

 「」までのレベルに到達できた空手家が、

 この150年の間に、本当に存在したのだろうか?

 といういうのが、わたくしの正直な気持ちです。

 格闘技として空手を捉えた場合には、少数の人間は存在するはずですが・・・

 形を根幹とする、「武術としての空手」の場合には、皆無である。

 と、思っています。

 ただ、ここで言えることは、

 わたくしは、自らが私淑し、修行の指針であり、「希望の光」であった、

 本部朝基・師を、

 自らの手で、失ってしまったのです。
 
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アメリカの一人勝ち

新垣清・最高師範

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