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最近、本を読んでいません。
体力、気力が続かず、集中力も全く湧かないのです。
せいぜい、レンタルカート専門ブログを更新して、バタッと、ベッドに倒れ込むような生活。
***
家から一番近いのがJR明石駅。そこには市民図書館があります。
最近図書館でのお楽しみは、もっぱら『児童図書コーナー』です。

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こんなに素敵な絵本に出会えたりするのです。

最近気になっている自転車について、児童図書コーナーで調べました。

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もう、なんで、こんなに親切なんだろう!!
なんて、わかりやすくて楽しいんだろう!!

バカバカしくって、人生のため息をうだうだ書いているような純文学など、もう、どうだっていいや、って感じになります。
最近では、山岳救助ボランティアを描いた漫画『岳』にはまっていることはすでに書きました。
何回読んでも楽しいです、この漫画。
それに作者の石塚真一さんはいまジャズを漫画で表現することにチャレンジしています。
これも楽しいですね。
ジャズの生演奏とか、アコースティック系の音楽がお好きな方は、読んどいて損はないです。
大ヒットした
「のだめカンタービレ」のジャズ版と断定してしまうのは、作者に失礼でしょう。
***
それにしても、なんでこんなに「小説」だの、「文学」だのが、面白く無くなってしまったのか?
書店で新刊本を手に取るときのワクワク感がなんで失われてしまったんだろう?
それは僕がうつ病で、なおかつ双極性障害も抱えてて、処方された薬を飲んでいるせいで、ただただ、ぼんやりしていているからか?
それとも、根本的に、年齢のせいなのか?
「もう、オマエには感受性、感性が枯渇しているんだよ」
という、恐ろしいような天の声さえ聞こえてくるような日々です。
そんな不安感の中、自分は、『物を書く人間』としての自意識と誇りをまだ、持てるのだろうか?
もう、両手バンザイ状態なんじゃないか?
ふと、そんな風にも思えて来て、これはもう、恐怖ですね。
***
僕は本が読めない。
確かに本が読めません。
ひさしぶりにサイモンとガーファンクルの「スカボローフェア」を聴きました。

英語圏でのある種の呪文のような「言の葉」

「パセリ、セージ、ローズマリー、アンド、タイム」

以前村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」という小説の書き出しがとても気に入って、あれよあれよというまに全巻読んでしまいました。
この長編小説には二筋の水の流れのようなものがあります。
一つは主人公の失踪した奥さんへの愛情
二つ目は現代、昭和日本の暗闇。戦争の記憶。愚劣極まりないノモンハン事件。
血塗られた日本の歴史の暗部です。誰も語りたがらない。
この愛と流血の物語が並行して語られてゆく。
ぼくは「ねじまきどりクロニクル」を途中まで読みながら、ハッとしました。
「これって、もしや、サイモンとガーファンクルのあの曲から……」
予想は的中しました。
小説の中についにあの魔術的な言葉が出て来ました。
「パセリ、セージ、ローズマリー、アンド、タイム」
***
村上春樹さんはきっと、スカボローフェアを聴いたことでしょう。
そして、英語圏で生活した村上さんは、この「おまじない」の言葉がどこかにひっかかったのでしょう。
深いふかい、精神の井戸、心の奥の井戸に降りてゆくような作業をへて、
「ねじまき鳥クロニクル」という小説は完成したのだろうと思います。
実際に主人公は枯れた井戸の中に閉じ込められる経験をします。
そのときに「井戸抜け」という極めて特異な精神のワープを体験します。
僕も
「パセリ、セージ、ローズマリー、アンド、タイム」

呪文を唱えながら、再びこの小説を読んでみようかな、と思い始めています。

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明石市民図書館で借りてきた本「異端の人間学」佐藤優さんは元モスクワの日本大使館にいた方です。その178ページ
「佐藤氏:それこそ安倍晋三さんが自分のおじいさんである岸信介を理想にしているけれど、あれも満州の理念ですね」
「五木氏:そうです。岸信介と東条英機が満州の経済を仕切ってたわけですから」
北朝鮮はロシアと積極的に接触して学んでいるけれど、日本はただ毛嫌いしているようにしか見えないのは、僕だけでしょうかね? 外交面では、あんなちっぽけな国が、世界の超大国を「ぶんぶん振り回している」
それだけでも北朝鮮の外交が極めて優秀であることの証明です。
人材をそろえ、戦略を立て実行している。
日本はただ、アメリカにゴマをすることしか方法論がない。
いま、ロシアに注目しない日本のメディアの怠慢にも呆れ返ります。
そんななか、ロシアの裏も表も知っている、佐藤さんと五木寛之さんの対談は最高に面白い。
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兵庫県明石市は僕の住む神戸市西区のすぐお隣。
明石市立図書館は今年リニューアルしたばかり。
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とっても素敵な図書館に生まれ変わりました。
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なお、明石市立図書館は、魚住町というところに別館として
「西部図書館」があります。

ここままた、「美味しい図書館」なのです。
なんと、DVDの貸し出しがあるのです。
このGWに借りて来たのがこの二巻。
「バレエ・白鳥の湖」「ジブリの本棚」

もちろん全部「無料」「タダ」
中高年はこういう言葉に弱いのです。
以前も、この西部館でオードリーヘップバーンの「ローマの休日」

をお借りしました。
オードリー演じる、アン王女様の可憐さ、美しさは永遠ですね。
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ゴールデンウィークに、こんな本を借りて来ました。

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僕が公共図書館に行くと真っ先に行くところ。
それは「児童書」のコーナーなのです。
今借りて来た「ガリバー旅行記」を読んでいます。
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おもしろい!!
実に面白い!!
芥川賞などの作品は1ページ読んだだけで放り出す、どうしようもない僕ですが
児童書はちゃんと読めるんですね。
なんでだろう。
それは……
「みんなに読んでもらいたい、読んでもらおう」
という、作者や、翻訳者の熱い想いが詰まっているからです。
子供達はムツカシイ大人のお話はまだ理解できないでしょう。
ならば、「ムツカシイおはなし」を「だれでも分かりやすく」
そして内容は、どこまでも広く深く、味わい深い。
ぼくにとって児童書はまさに「宝の山」なのです。

失敗学について

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失敗学について
今、「失敗学」に興味がありましてその本を読んでおります。
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東大の畑村先生の本です。
この人はあの福島原発事故の政府事故調査委員会の委員長を務めた方です。

失敗を考えるにあたり、最初に
「失敗の定義」を考える必要がありそうですね。
まずは
①ゲームに負けること
②財産を失うこと
③事件事故を起こすこと
これらは失敗という範疇に入れてもいいでしょうね。
では「命を失うこと」は失敗に入れていいのでしょうか?
命を失う事態については、大きく2つに分かれると思います。
1つ目は自殺。
2つ目は他殺です。
他殺の中も2つに分けられると思います。
1つは個人間に起きる事件事故。交通事故などが代表的なところ。
もう一つは、社会と国家による計画的なもの。
その代表が戦争です。

国家の暴走と暴力によって殺された人々。
その代表的な例として、アウシュビッツにおけるユダヤ人の虐殺があります。
ナチスによってユダヤの人たちは極めて多くの命を失いました。
彼らは被害者であり、命を失いましたが、ユダヤの人たちの名誉のために、これは絶対に失敗とみなしてはいけないでしょう。
「命を失う事」は「決して失敗では無い」のです。

それでは「戦争のヒーロー」はどう考えたらいいでしょう?
彼らの行った行為は賞賛されるものなのでしょうか?
戦争のヒーローと言えば、戦国武将はどうなるのでしょう。
歴史ファンにとって戦国武将は、まさにヒーローで、今では女性たちからも絶大な人気がありますね。
しかし「失敗学」という観点から、彼らの行った行為を見てみましょう。
彼らは紛れもなく人の命を奪いました。
ときに策略をめぐらし、敵対する相手を調略し、それでもダメなら戦さです。
殺戮することによって出世街道を上り詰めて行ったわけですね。
この行為は正当化されるのか?
僕は彼らを”英雄豪傑”だとは思いません。
「命を奪う」という行為を、平然と行った人たちだからです。
殺戮を行った国家、あるいは社会、あるいは民族共同体、その行いは失敗だとおもいます。
なにより「相手から命を奪う行為」それ自体が「大失敗」なのだと思います。

話がちらかってすいませんが……。

つい先日、NHKで東京裁判の連続ドラマがありました。

そこには、判事たちの戦争犯罪を裁くことのむつかしさ。
その心理的葛藤、及び群像劇が見事に描かれておりました。
本当に久々に骨太な見応えのあるドラマでした。
アメリカは原子爆弾を人類史上初めて使いました。
そして広島と長崎の市民を「無条件に」この世から「蒸発させて」しまいました。
「虐殺」などと言う次元の話ではないのです。
人間の存在、そして「尊厳」を一瞬で「消去した」のです。
これについての責任については、いまだに多くの議論があることでしょう。
僕が今思うに、戦争、殺し合い、というのは、やはり「絶対的な悪」と定義して良いのではないでしょうか?
そうでもしないと、なんだか気分的にも、このさき生きて行こうという気になれないのです。
人を殺す事は「絶対悪」
どのような大義名分があろうとも「戦争」は、やはり「人を殺す」という点において「絶対悪」であります。
なお、相手が攻撃を仕掛けてきた場合は、戦争はやむを得ない正当防衛だ、という議論があります。
防衛戦争は正当化されるのか?
やむを得ないことでしょうか?
僕はいまだにそれもよくわかりません。
そのヒントとして、第二次大戦時のヨーロッパの国々の対応があります。
フランスとかオランダ、などの国々ではナチスドイツに対して、じつに「あっさりと」降伏しているのです。徹底抗戦していないのですね。
さらにはスイスは永世中立国ということで戦禍を逃れました。
これは「無駄な血を流すことを避けよう」という国家としての判断だと思います。
余談ですが、フランス人はとても「耐え忍ぶこと」が好きな国民性があるように感じます。
例えば自転車レースの「ツール・ド・フランス」
自動車レースでは「ル・マン24時間」など、やたら「耐久レース」に人気があります。
そういうマインドを持っているからこそ、第二次大戦時、ナチスドイツの占領下で無駄な流血を最小限にしつつ、しぶとく耐え忍ぶという選択肢を選んだ、と僕は解釈しております。

ここまで考えてきて僕が思うこと。
「人生最大の失敗」とは「人を殺すこと」である、ということ。
相手がこっちの国民を殺したから、こちらも相手の国民を殺す。
人を殺すことは、先制攻撃であろうが、自己防衛であろうが「殺人は殺人」
絶対悪であることになります。
自衛だとか、防衛だとか言う「美辞麗句」に惑わされることがないようにしなければなりません。
自分が相手を殺さなければ殺されると言う極限状態。
その場合の事例については認められるということでしょうか?
その事例が行き過ぎる事は無いのでしょうか?
そこが個人であろうが、国家間であろうが、とても判断が難しいところです。
さて、北朝鮮の「お坊っちゃま」がミサイルを花火よろしくぶっ放して喜んでおります。
もはや「子供の火遊び」にしては度が過ぎてますな。
秋田では初めてのミサイル避難訓練が実施されました。
なんで、こんな事態になってしまったのか?
テレビのニュースを見ながら
「ああ〜……」
と僕はため息をつきます。
しかし、それでも明日はやってきます。
僕たちは生き延びねばなりません。


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