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自作連載小説最終回

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 散歩を終えて、そろそろアパートへ戻ろうとした時だった。不思議な事に気がついた。
雨音が聞こえないのだ。
いつも僕の頭と体を、すっぽりと包み込む様に覆っていた、しつこい雨音。何かを考えたり、なにか行動を起こそうとすると、必ずまとわりついていた雨音。
心に雨が降るとき、僕は傘をさしかけた。雨音は傘を容赦なく叩く。いつも降り続く雨粒の音。それは昨年の九月頃からずっと続いていた。抗うつ剤を飲んだ。誘眠剤を飲んだ。これでもう雨は止むだろうと思った。しかし、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、雨は止まなかった。ついには雨音がしている事が当たり前のようになって来た。僕の感覚器官は麻痺し始めていた。
クリスマスも雨、正月も雨。もうやめてくれと、悲鳴を上げても雨音は続いていた。春が来ても雨は降り止まない。半年以上、雨音にどっぷりと浸かり、諦めかけていたとき、あの激しい嘔吐が起こった。そして今、僕の頭の中は変化を起こし始めていた。どんよりとした、低い雲は立ちこめているものの、明らかに雨が止んでいたのだ。十ヶ月もの間、僕を悩ませ続けた雨音はついに消えた。
心はしんと静かだった。
ー音がしないってこんな感じなんだー
僕は忘れかけていた、平和な静寂の世界を味わった。僕は顔を上げ、ゆっくりとアパートへの坂道を登った。
夜、食事を終え、僕はキッチンで皿を洗った。スポンジにたっぷりと洗剤をかけていたのでよく泡立っていた。皿の油汚れを、そのスポンジの泡でごしごし洗った。
その時なぜだか僕は泣いた。
目には涙が溢れた。
洗剤の泡がついた皿を両手で持ったまま、僕は床にへたり込んだ。全ての体の緊張が解けたようだった。こんな状態を放下と呼ぶのだろうか。もしかすると、そうかもしれなかった。僕は確かに泣いていた。
この十ヶ月あまり、苦しい時、悲しい時、淋しい時、僕は泣こうと努力した。涙は全ての辛さを洗い流してくれるはずだ。思いっきり泣けば、きっとスッキリと立ち直れるはずだと思った。しかし僕の涙腺は、僕の意志通りに作動してはくれなかった。幾ら「泣け!」と命じても、一滴の涙の粒も出してはくれなかった。僕の体は、頑ななまでに涙を流す事を拒んだのだ。
なぜだ?
なぜ涙を流す事さえ許されないのだ?
これが、うつ病に冒される、ということなのか。しかし今、僕は泣けていた。泣く事がようやく出来る様になったのだ。僕のふたつの目からは、潤沢な涙の粒が溢れていた。その液体は頬を伝わり、キッチンの床にぽたぽたと落ちてゆく。
うれしかった。
素直に自分の体が、心に反応している事がうれしかった。
自分はうつ病を生きた。生き抜いた。
しかしこれからは、うつ病と言う病を抱えた自分の人生を「生きて行く」のだと思った。
たったひとりのアパートの一室。アポロ十三号の様なその空間の中で、僕は両手を天井に向かって思いっきり突き上げた。
「やった。生きている!」
漆黒の宇宙空間。たったひとりのアポロ十三号の中で、僕はぶざまにガッツポーズを繰り返していた。 (了)





〜あとがき〜

 一生のうち一冊で良い。自分の作品と呼べる本を書いてみたいと思ってきました。それはどのような形でも良かったのです。
 この本は私のうつ病の実体験を元に書かれていますが、単に闘病記としなかったのは、登場人物達を生き生きと描きたいという想いが強くなったためです。そのため小説というスタイルをとって描いてみました。また、あえて、主人公を経済的に過酷な状況になる様設定致しました。実際には退職後に、傷病手当金等の制度もある事を付け加えさせて頂きます。
 この作品に登場する人物、団体は全て架空のものであり、あくまで私が作り出したフィクションです。
 作品を書き上げてみて、これは私の遺言代わりであるとおもっています。
 ただ、遺言というのは毎年更新するものだ、と友人から聞きまして、もしかしたら来年また新しい遺言代わりの作品を書いているかもしれません。
 今もなお、昼間でも真っ暗な闇の中を、手探りでさまよい続けている、精神疾患を煩っておられる多くの方に共感とエールを送りたいと思います。
 最後に私に小説を書く事を強く勧めてくれた友人達、そして私がどん底で落ち込んでいるとき、支えてくれたネットの仲間たちに心から御礼申し上げます。        
 天見谷行人
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 朝、目をさますと、閉じたカーテンの隙間から、ほのかな朝の光が見えた。体を動かそうとしてみるが、鉛の様に重く、ほとんど動かない。ロングタイプと呼ばれる効き目の長い誘眠剤が、まだ効いているのだ。そのまま再び眠った。目覚めてみれば、いつもの通り午前十一時だ。あの嘔吐事件から一週間が経っていた。僕の生活は平穏を取り戻していた。
この日も午後から近所の公園に出かけた。名古屋市は平坦な土地が多いのだが、僕が住んでいるあたりは、珍しく丘陵地帯で坂道がある。以前の会社を辞めた後も、ずっとここに住み続けているのは、故郷、神戸に似て、坂道のある街というところが気に入っているからなのだ。
アパートの前から東へ下る坂道がある。二百メートルも下っていけば、その左手に公園がある。野球のグラウンドが一面。隣接してテニスコートが二面。それに池の周りの遊歩道もある。小振りながら比較的整備された公園である。
足が弱っていた僕は、リハビリもかねて一日に一回、この公園の遊歩道を歩く事にしたのだ。効き目のきつい誘眠剤のせいで、この半年間というもの、午前中はいつも寝たきり状態が続いていた。これでは足も弱るはずだ。
池の周りの遊歩道をゆっくり歩く。少し足がガクガクする。これではまるで老人のようだ。昨日の雨で土の遊歩道はぬかるみ、水たまりも出来ている。
穏やかな平日の午後二時頃、こんな時に公園を散歩しているのは、決まって乳母車を押している、背中の曲がったおばあちゃんか、おじいちゃんだ。中年男たちも、何人か公園の周りを黙々と歩いている。
僕と同じ様な目的なのだろうか。皆、決して晴れ晴れとした顔はしていない。彼らもそれなりの理由があって、こんな時間に公園をただ、歩くために歩いているのだろう。
ランニングしている女性たちも何人か見かける。白いキャップをかぶり、長い髪を後ろに束ね、腕を綺麗に振っている。一歩、足を前に出すごとに、束ねた後ろ髪がリズミカルに揺れる。その揺れ方が、いかにも生活をエンジョイしている、生命力に溢れているかのような印象を受けた。明らかに彼女たちは公園の中で、下を向いてとぼとぼ歩いている、僕や他の中年男達より幸せそうだ。
この半年間で、体重は十キロ程度落ちていた。だから体は軽いのだけれども、それは足の筋肉も落ちているということだった。そんな老人の様に細くなった足で、公園を歩きながら、ふと僕に将来なんかあるのだろうか? と不安になる。でも歩くのは将来のためだ。まだ見えてこぬ将来のために体を慣らしておかねば、と思った。
水たまりを気にしながら下を向いて歩いていると、地味な緑の幅広の葉が目の前に現れた。
その葉は地面に這いつくばる様に茂っている。どう見てもただの雑草のようだ。その葉の根元から、一本の茎がスラリと伸びていた。その高さは人の胸ぐらいまであった。同じ様な茎が、他の横たわった葉の中心から何本も伸びていた。
その茎の先端に花が咲いていた。
花はちょうど線香花火の火を、上に向けたような形である。花の色は白っぽい。瑞々しく清楚で可憐だった。よく見ると白に近い空色もあれば、空色に近い紫色もある。いくつもの細長い花びらの、ひとつひとつが、まっすぐ天空を目指すように咲いていた。僕はその花の美しさに見とれた。花の前には白いペンキで塗られた木の札が、地面に刺してあった。黒いペンキで文字が書かれてあった。
「アガパンサス」
僕はその一文字一文字をつぶやいた。
「アガパンサス」
この草の名前を忘れずにいよう。僕はそう思った。 



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 そのやりとりと平行する様に、僕の指先に測定器具を取り付けようとする隊員がつぶやく。
「うわっ、この人、ツメ、噛んでる!」
恥ずかしかった。僕には爪を噛む癖がある。不思議な事に、昼間、人前では絶対に爪を噛む事はない。ところが夜、寝ている間に無意識に爪や指先を齧っている事があるのだ。この数日間、爪を噛むには絶好の伸び具合になっていた。結局、昨日の夜、むしる様にして爪や指先を噛んでしまっていたのだ。爪はギザギザ、指先の肉の部分も齧られて凸凹になっている。しかし僕には、抵抗して指先を隠す力も出てこなかった。全て隊員にされるがままになっていた。
僕は担架の上に載せられた。やがて自分が持ち上げられている感覚があった。僕の胸の上には、保険証の入った財布が置かれている。アパートの外へ運びだされたらしかった。目を閉じたままだったが、救急車の赤色灯が回転しているらしい。定期的に赤い光が、瞼の上を通り過ぎるのが分かった。階段をゆっくりと降ろされ、僕は救急車の中へ入った。隊員がどこかへ僕の症状を連絡している。
「エー、頭痛と激しい嘔吐」
その後隊員が僕に向かって話しかけた。
「最悪、アタマ、開けますからね」
もうどうにでもしてくれと思った。僕は力なくウンと頷いた。救急車がいつ動き出したのか、どれぐらい走ったのかもほとんど分からなかった。やがて車が止まり、そこが病院のようだった。何人かの人達が、僕の周りで何らかの処置を施しているようだった。
ー助かったんだー
ホッとした。
その後の僕の記憶は途切れた。
目を覚ますと頭痛はすっかり収まっていた。天井には、青白い蛍光灯の光が反射している。その天井を見上げていると、その模様から、使われているのはダイニッケンの不燃天井材である事に気がついた。そこへ女性医師と看護士が来て、僕に話しかけた。
「アマミヤさんですね。血液検査の結果なんですが、カリウムが異常に下がっているので点滴を今からしますね。これは嘔吐によるものと思われます」
お手洗いはよろしいですか? と尋ねながら、看護士が点滴の用意をした。スタンドに点滴の袋を吊り下げ、僕の腕にそろりと針を刺す。さほど痛くはなかった。点滴の早さを調節したあとで、看護士と女性医師は、慌ただしく別室へ向かって行った。
一滴、一滴落ちる点滴が、天井からの光を透かして美しく光る。
結局僕は、頭を開ける事は免れた。でもあの激しい頭痛は一体なんだったのだろう。あっけない程に、平穏無事な体に戻った様な気がした。
嘔吐によって自分の頭髪がからまり、服も多少汚れていたのが分かった。自分がスウェットの上下を着ていたのだという事も、改めて気づいた。ベッドの下を見ると僕のサンダルがある。救急隊員が、僕と一緒にアパートから運んでくれていたのだろう。
点滴が済むと、僕はベッドの上で上体を起こした。少しふらつくが、立って歩く事は出来るようだ。深夜会計窓口に行き、治療費を精算した。生活費を二万円程銀行から引き出したばかりだったので、無事に支払えたのはラッキーだった。改めて病院を見回すと、ここがこの地域では、有名な大学病院である事が分かった。病院の外に出てみると、少し空気が冷たく感じられた。
会計窓口のすぐ外にタクシー乗り場があった。ちょうど黒塗りのタクシーが一台停まっていた。このような大きな大学病院では、深夜でもタクシーを利用する人がいるらしい。料金が多少気になったが、とにかく帰ろうと思った。僕は絡まり跳ね上がった髪の毛と、スウェットの上下を着たまま、そのタクシーの白いカバーのかかった後部座席に乗り込んだ。しんと静まり返った夜の道を走り、タクシーは僕のアパートへ向かった。


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自作連載小説第六十回

 
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あと一センチ。
充電器に置かれた受話器に、手のひらが触れた。そのまま受話器を握った。受話器を両手で抱きかかえた。次の瞬間、僕は再び床に崩れ落ちた。
ーこれで助かるー
安堵感でホッと緊張が和らいだ。僕は受話器を抱いたまま、しばらく床の上で横になっていた。目を開けるのも辛い程、激しい頭痛はまだ続いている。吐き気は幾分ましになっている。もう内蔵も全て吐き出してしまったかのようだった。
倒れたままの状態で瞼に力を入れた。薄目を開けて受話器を見た。右手の指先を受話器に近づける。ゆっくりと数字のボタンを押す。
一、一、九、
そして通話ボタンを押した。すぐに受話器のスピーカーから、かすかな声が聞こえた。床に倒れ込んだ体を、横から仰向けにする。受話器をもちあげる力がほとんどなかった。受話器がバーベルの様に重く感じる。
「もしもーし、もしもーし……」
スピーカーからは呼びかける声が続いている。僕は受話器を力を入れて持ち直す。左耳に受話器を当てた。
「どうされましたー? 大丈夫ですかー?」
「……救急車を……」
僕はかすかな声で伝えた。
「住所は言えますか?」
「**区**町**」
僕がゆっくりと住所とアパートの部屋の番号を言う。そのほんの数秒あとだった。アパートから歩いて五分ぐらいのところに、消防署がある。そこの救急車がサイレンを鳴らしたのが、かすかに聞こえた。サイレンの音はアパートに近づいてくる。
初めは小さなサイレンの音が徐々に大きくなり、アパートのすぐ前でその音量は最大になった。そして音源は停止した。
しばらくすると、カツンカツンと急ぎ足で階段を登ってくる、複数の足音が聞こえた。ドアをガチャリとひねる音がする。だがドアにはロックが掛けてあった。やがて救急隊員たちがドアを叩いた。
「もしもーし!!」
ードンドンドンー
「ドアを開けられますかー?」
ードンドンドンー
中にいる僕を励ましてくれた。
助けてもらうには、僕はもう一度立ち上がり、ドアのロックを解除する必要があった。僕は再び、そろり、そろり、と体を動かした。床を這いずりながらドアの方向を目指す。まだ激しい頭痛は続いている。目はうっすらしか開ける事が出来ない。ほとんど段差のないアパートの玄関口。脱ぎ捨てられているスニーカーに手が触った。力を振り絞って上体を起こす。まだドンドンと救急隊員は、扉を叩いてくれている。
このロックを外せば助かるのだ。扉一枚向こうの世界には、救いの手が差し伸べられているのだ。
向こうの世界に行きたいと思った。僕はドアのノブに両手を掛けて上体を起こし、次に左手でドアロックを解除した。
ーカチャリー
ー助かったー
そのまま玄関の靴の上に倒れ込んだ。救急隊がドアを開けて入ってくるのが分かった。僕はもう力を使い果たし、ぐったりと倒れたままだった。目も開けられない。入って来た隊員は、僕の横で担架を広げているらしい。別の隊員は、床に転がっていた通話状態のままの受話器で、何かひと言喋り、充電器のところへ戻した。
「この人、どうやって電話して来たんだ?」と呆れた様に言う隊員の声が聞こえる。
「もしもーし、分かりますか?」
そばで呼びかける隊員の声に、僕はかすかにうんと頷く。
「どうされました? ずいぶん吐かれました?」
「……うん、アタマが……頭がいたい……」
「頭が痛いんですね。分かりました」
「保険証はどこにありますか?」と隊員が続けて聞く。
ーこんな緊急事態の時にも、ご丁寧に保険証を探すのか? ー
僕はぐったりと目を閉じながら呆れていた。僕は奥の部屋の方を力なく指さす。隊員が僕の財布を見つけて持って来た。
「これでいいですか? これに入ってるんですね?」と隊員が確認する。めんどくさい事だ、と思いながら、うん、うん、と頷く。


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 食後はごろんと横になってテレビでDVDを観る。レンタルビデオ店で借りて来た映画は「プライベート・ライアン」だった。
映画の冒頭三十分程は、第二次大戦の連合軍ノルマンディ上陸作戦の様子が克明に描かれている。テレビの画面では、フランスの海岸に上陸しようとする、アメリカ軍兵士たちが映されている。僕は横になってぼんやりとそれを眺める。
画面では激しい銃撃戦が描かれる。上陸用舟艇の前の扉が開いた瞬間、その時を狙いすました様に、ドイツ軍の機関銃弾が容赦なく打ち込まれる。次々になぎ倒されてゆく兵士たち。いともあっけなく、消去されてゆく命。
彼ら一人一人は、きっと故郷に家族や恋人を残し、この船に乗る事になったのだろう。たまたま、このフランス、ノルマンディー海岸、それもオマハビーチと呼ばれる地域に、自分が配置された事によって、彼らは命を失ってゆくのだ。あるいは、ドイツ軍機関銃手の引き金を引くタイミングと、自分が乗った上陸用舟艇の前の扉が開く、そのタイミングが合ってしまったために、頭を打ち抜かれ、腹や胸を打ち抜かれ、あっという間にこの世での一生を終えていくのである。
ほんの偶然で人は殺され、ほんの偶然によって、人は生きる事を許されている様な気がした。
寝転がって、その最後の審判の状況をただ眺めている僕。
画面では殺戮の限りが尽くされている。砲弾が炸裂し、兵士は体を真っ二つに裂かれ、別の兵士は腹から腸がはみ出し、泣き叫んでいる。僕はそれをただ眺める。目の前で起きている死の惨劇と、自分の身に起きている、ゆっくりとした自己の消滅。
何かどちらも儚く、命は塵の様に軽く、取るに足らないものである事が、僕には不思議な事に、安らぎとさえ感じられたのだ。
僕の心はとても穏やかで、心地よいものだった。画面上で死んでいった数々の兵士たちのそれぞれの生い立ちや、それぞれ一人一人が抱えているドラマの重み。幾千もの小説に匹敵するであろう生の証は、たった一発の銃弾によって、全て強制終了させられるのだ。

僕はそれを眺め、コタツの上のコーヒーを飲み、お徳用バウムクーヘンの一つを口にほおばる。これは一袋三百四十八円だった。これは取るに足らない事。そして画面上で起きている殺戮劇もまた、僕にとって取るに足らない事に違いなかった。
宇宙空間を漂う僕のアパートの一室から、暗く静かな星空へ、激しい銃撃戦の音が吸い込まれてゆく。
殺戮の画面をぼんやりと眺めながら僕は、少し頭がずきずきするのを感じた。やがてその痛みが徐々に強くなって来た。明らかな頭痛に変わってゆく。寝転がっていた体を少し起こした時に、頭にズキンと痛みが走った。
今日、何か痛んでいるものでも食べたのかな、と思った。胃のあたりがむかついてくる。頭痛が強まるのと共に、胃液が逆流してくる量が増えてきた。酸っぱい胃液が口の中に充満する様になると、さすがに我慢が出来なかった。口を抑えてトイレに駆け込んだ。トイレの便座を上にはね上げるのが早いか、僕はすぐ便器に顔を突っ込む様にして吐いた。
これで少しは楽になるはずだ。
そう思ったが頭の痛みは更に増して来ていた。そしてもっと強烈な吐き気が襲って来た。もう一度便器に頭を突っ込んで吐いた。
「おえぇぇぇぇーっ!!」
それは獣の叫び声に似ていた。ぼくという人間が、動物の一種である事を思い出たせた。頭の中は鐘が鳴り響くかのようだ。何か自分の頭の中で、異常な事が起こっている事は確かだった。
僕はうめき、叫び続けていた。もう胃の中には何も吐くものがない。それでも激しい頭痛は続いている。そして吐き気は間断なく襲ってくる。口から胃袋が飛び出しそうな程、胃液だけを吐き続けた。下半身には全く力が入らなくなった。僕はそのまま床に倒れた。頭はまだガンガンしている。
「救急車を」と思った。
とにかくこれは非常事態だ。なんとかして救急車を呼ばなければと思った。しかし再び強烈な吐き気が襲う。床に倒れたまま、何も吐くものがないのに、それでも吐き続ける。床に転がりのたうち回った。
ー S・O・S ー
ー 助けてくれ ー
意識がもうろうとして来た。ただ助かりたいとだけ思った。床に倒れた状態のまま、壁際に置いてある三段ボックスの上を見た。ファックス一体型電話機の横に、充電器にセットされた子機が並んでおいてある。
ーあれで救急車を呼ぼうー
立ち上がろうとした。だが僕の体は床から一センチも持ち上がらない。力が全く入らないのだ。あの受話器さえ取れればと思った。這いずりながら少しずつ電話に近づいた。上体を持ち上げようとする。しかし出来ない。受話器まではわずか一メートル程だ。それが何キロも先にある様に感じる。手を伸ばして受話器をつかもうとする。だが僕の手は空しく空気をつかむだけだ。受話器に届かない。
ーあの受話器に手が届けば助かるー
そう思った。体を少しずつ三段ボックスににじり寄せる。力を振り絞った。上体だけを必死に伸ばす。手の先にかすかに触れるものがあった。受話器を充電するホルダーだ。少し震える手を更に伸ばす。



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