『アウトレイジ ビヨンド』5分特別映像
***「ヤクザ映画の監督」で終わっていいのかよ、コノヤロー***
観てみたかった北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」をようやく観た。
前作「アウトレイジ」では、ビートたけし演じるヤクザの大友が、刑務所の中で刺されるという結末だった。その大友が、実は生きていたという前提でこのストーリーはつくられている。
大友はやがて出所してくる。そしてかつては敵対していた木村と組んで、関西のヤクザの大組織「花菱会」の後ろ盾を得る。そして二人は、かつての恨みを晴らすべく、関東の巨大組織「山王会」に殴り込みをかける。
もともとは復讐に乗り気ではなかった大友。彼を焚き付け、巨大なヤクザ組織同士を闘わせるように仕組んだのが、警察の暴力団対策の刑事、片岡(小日向文世)だった。
実はこの作品の実質的な主人公は、大友ではなく刑事の片岡だ。
彼は限りなくブラックに近いグレーな刑事だ。その切れ味鋭い悪巧みに、観ている観客はちょっとした快感すら覚えてしまう。
片岡刑事は出世のためなら、どんな汚い手も使う。彼もまた、ヤクザ同様、権力ゲームが面白くて仕方がないのであろう。
ヤクザというのは体面を重んじる。虚栄心の塊と言っていい。
相手より立派なクルマ、相手より高級な腕時計、スーツ、さらには相手より立派な組事務所。とにかく見栄の張り合いをやりたがる。
余談だが、僕は一時、建設業界の使い走りの営業をやっていた事がある。公共工事の入札の日の光景は、今思い出しても、おぞましい。市役所の駐車場にずらりと並んだ黒塗りの高級車。肩で風を切って市役所内を練り歩く業界の顔役達。
それは全くこの「アウトレイジ」の世界そのものだった。
現実の世界で僕はそのような光景を見て、そしていま「アウトレイジビヨンド」を観ている。
映画作品は当たり前の話しだが、作り物であり、虚構の世界である。本作は「ヤクザ映画」として確かに良く出来ている。ストーリーはよく練られているし、キャスティングも抜群にいい。一部で取り沙汰された残虐なシーンというのは、僕の見た限りでは、前作よりマイルドな仕上がりだと思う。
本作が”並の”監督作品なら絶賛に価する。
問題はそんな事ではない。
本作は世界の「キタノブランド」なのである。
実はこれが最も大きな問題なのだ。
北野武監督はいつまでヤクザ映画を撮り続けるのか?
ただの「ヤクザ映画の監督」で終わっていいのか?と僕は思う。
たしかに映画製作は大変リスクの高い仕事である。
売れない映画は抹殺されてしまう。売れない映画をつくった監督はもう次の作品をつくれなくなってしまう。
そういう映画界では売れる作品しかつくらない、売れる映画しか金は出さない、という風潮になってくる。
本作「アウトレイジ ビヨンド」にもその風潮が見て取れなくはないのだ。
いったいこれでいいのだろうか?
50年先、100年先に残る作品は今生まれているだろうか?
100年前のチャップリンの作品は今観ても笑えるし、60年前の「七人の侍」は今観ても抜群に面白い。
僕がこんなことを言うのも、北野武監督がそう言った名作、傑作をつくれる可能性を持った監督だからだ。
なお、本作「アウトレイジ ビヨンド」は、僕の住む街、神戸で多くのシーンが撮影されている。神戸市が撮影協力した事はとても嬉しい事だ。ただ気になった事がある。
僕が本作を観たのが興行的にそろそろ終盤だった事もあるのだろう。観に行った神戸のある映画館には、本作のPOP、広告や、神戸でロケーションされた事の告知ポスター等はひとつもなかった。本作のあるシーンでは、その映画館が入ったビルそのものが見事に映っていたにも関わらずだ。
まさにこれが映画を取り巻く現実なのである。
僕たち映画ファンはもっともっと映画を応援したいと思う。
その第一歩は映画館に足を運んで、スクリーンで多くの観客と一緒に映画を楽しむという事である。
本作「アウトレイジ ビヨンド」ではヤクザ社会で、したたかに生き抜く男達の群像が描かれている。その悪戦苦闘ぶりは、なぜか僕には、映画業界で生き抜く、北野武監督の姿にダブって見えてしかたなかったのである。
監督 北野武
主演 ビートたけし、小日向文世、西田敏行、三浦友和
製作 2012年
上映時間 112分
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「電信柱エレミの恋」予告編 ELEMI
***中田監督、素敵な作品をありがとう***
神戸アートビレッジセンターの上映&展示会で鑑賞した。
その折に本作の中田秀人監督と、立ち話ではあったが30分程もお話させて頂いた。
一期一会の出会いに感謝である。
この作品の映画レビューを客観的に書こうなどという事は、もはや出来ない。
僕は中田監督の情熱と、映画への愛と、人間としての優しさにノックアウトされたのだ。
だから当然このレビューについては褒めちぎる事になってしまう。
その事をあらかじめお断りしておく。
電信柱が人間に恋をするというこのお話。
多分、表現の方法としてはこの「コマ撮りアニメーション」という技法が一番ピッタリ来るんじゃないかと思う。
「エレミ」という可憐な名前からも分る通り、主人公の電信柱はお年頃の女の子である。
故障してしまった彼女を修理してくれたのが、電気工事会社の「タカハシ君」と言う若者だ。エレミは自分を修理してくれたタカハシ君と一度話をしてみたいと思う。
電信柱のネットワークを利用して、彼女は人間の女性を装ってタカハシ君に電話をかける。やがて「エレミ」はタカハシ君に恋心を抱くようになってゆくのだが……。
スクリーンを観ながら、僕は映像と音楽が見事に融合したこの作品に惹き込まれた。
体の中に染み込んでゆく様なハープとギターの音色。
本作の音楽は、中田監督が必死の思いで探し当てた「tico moon」という男女二人の演奏家グループが担当している。
ワインを嗜む方ならご存知だろうが、ワインと料理の組み合わせ、その絶妙な出会いを「マリアージュ」という。
ワインと料理の「結婚」である。
1+1が3にも4にもなる。お互いの味と香りを高めあう。
「エレミ」は「tico moon」という素晴らしい音楽グループとの出会いによって、まさに極上のマリアージュを実現している。
「エレミ」は電信柱のなかでも、清楚で可憐な少女を思わせるキャラクターである。擬人化された電信柱のミニチュアは、実にシンプルな線を使って表現されている。
中田監督自身が言っているが、
「どうしたら電信柱が女の子と分るか?」という難題がある。
スタッフはそれに挑戦した。そして、もうあとコンマ1ミリでもずれていたら、それはもはや「エレミ」ではなくなるという、究極の造形に成功した。中田監督を始めとするスタッフ達の執念とも言える挑戦の賜物である。
この作品で僕が特に強く印象に残ったのは、電信柱の元で黒猫がクルマにはねられてしまうシーンだ。
はねられた黒猫は地面に横たわっている。そこに小学生の女の子が通りかかる。少女は黒猫をじっと見つめる。そして一度立ち去る。だが彼女は戻ってくる。手にはティッシュペーパーの箱を持っている。黒猫の体からは血が染み出してきている。
少女はこの黒猫にティッシュを一枚、また一枚とその体にかけてあげるのである。
真っ白なティッシュに、少しずつ染み込んでゆく、真っ赤な真っ赤な、黒猫の血の色。
なんと言う厳かで悲しみに満ちたシーンなのだろう。
小学生の女の子が思い悩んだ挙げ句、取った行動。
「白いティッシュのお葬式」
残酷さと、悲しさと、優しさと、そして美しさが、僕の心を直撃した。
この「エレミ」で僕が最も感じたのは「命」ということである。
一匹の野良猫の「命」それにお葬式をしてあげた少女の「命」
そして電信柱である「エレミ」にも「命」があり、「タカハシ君」と命の会話をする。
この45分のコマ取りアニメーションは、様々な解釈が出来る。
優れた芸術作品にはある特徴がある。
それは鑑賞する人が百人いれば、百通りのバラバラな感想を持つ事が出来るという事だ。
それでいいのである。それこそが豊かなイメージを内包した、真に優れた芸術作品の特徴なのだ。
中田監督との会話の中で印象的な言葉があった。
「僕は映画を作る時、遥か遠くに”フラッグ”を立てるんです」
どんな映画製作でもそうだと思うが、「映画を作ろう」なんて言う集団は、ある意味「狂気の集団」である。
「まったくそのとおりです」中田監督は言った。
(右端が中田秀人監督です。)
(ミニチュアセットでの作業中のひとこま)
ましてや本作は、人形を一コマ分動かしては一コマ撮影するという、気の遠くなる様な作業工程が必要な映画作品なのである。
本作は中田監督の知人である井上英樹氏が原作を書いた。中田監督はその原作「電信柱電子の恋」を読み、製作を決意する。「これは映画化に挑戦してみる価値ある作品だ」と。
当初四年ぐらいはかかるだろうという予測を立てていたとの事。そして中田監督はその四年先の”フラッグ”に向け、時間も、お金も、私生活もつぎ込む、と言うスタッフを集め「狂気の集団」を動かし始めたのである。
結果、なんと8年という歳月が費やされた。しかし、中田監督が遠くに立てた”フラッグ”はまったくぶれる事なくゴール地点に立っていたのである。
僕は中田監督のその勇気と情熱に拍手を送りたい。
最後に、いち映画バカである私の話しに、熱心に応えてくれた中田監督に感謝します。本当にありがとうございました。
天見谷行人
監督 中田秀人
原作 井上英樹
音楽 tico moon
声の出演 奥村知子、渡辺一志、エムラスタ
製作 2009年
上映時間 45分
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『人生、いろどり』予告編
***実話は映画よりドラマチックだ***
徳島の過疎の村で、おばあちゃん達が年商2億6000万円のビッグビジネスを実現させた実話に基づくお話。
年商2億6000万円を稼ぎ出すというのは、普通の中小企業でもなかなか難しい事である。一体おばあちゃん達はどうやってそんなビジネスを成功させたのだろう? そもそも何を商売しているのだろう?
じつはおばあちゃんが売っているのは「葉っぱ」である。そんな物がビジネスになるのか? と誰もが思うが、都会のホテル、料亭、レストランでは、その「葉っぱ」を料理の「ツマ」「いろどり」として必要としていたのだ。
もちろん最初からこの商売がうまく行った訳ではない。
舞台は徳島県上勝町。若い農協職員(平岡佑太)は、この山あいの寒村の農作物を競り市で売るのに四苦八苦していた。安い中国産にはとても勝てないのだ。万策尽き果てた。彼はやけ酒を飲んでいたが、ある時料理屋で、料理の飾りとして「葉っぱ」が添えられている事にハッとする。
「もしかして、葉っぱが売り買いされているのか?」
彼は村人を集会所に集め、
「この村は、これから葉っぱを売りましょう」と提案する。
村人はほとんどあきれ顔。
「そんなもん、商売になる訳ねぇだろ」
「まったく、街から来たよそモンは、なんも分かってねぇ」
とほとんどの人が帰ってしまう。だが、たったひとりのおばあちゃんが手を上げた。
「わたし、葉っぱ、やってみたい」
それが花恵さん(富司純子)である。彼女は幼なじみの薫(吉行和子)や路子(中尾ミエ)をさそって葉っぱビジネスを始めるのだった。
日本国中、いたるところに過疎の村、限界集落と言われるところがある。若者は全て街へ出てしまって、残ったのは年寄りだけ。一体、なぜこんな事になってしまったのか? 政府がいかに日本の農業をないがしろにしてきたのか、怒りさえ感じる。それでも、あきらめずにおばあちゃん達は立ち上がった。
「私らにだって、まだまだひと花もふた花も咲かせられる」
三人のおばあちゃん達は幼なじみだ。
「花恵ちゃん、薫ちゃん、路子ちゃん」
お互い子供の頃の感覚で呼びあう。そう言うおばあちゃん達の心意気が楽しい。
若い農協職員の平岡君は「スウィングガールズ」以来でのスクリーンでの再会となった。役者として頑張っているなぁと感慨もひとしおである。
薫ちゃんの旦那役に藤達也。頑固で分からず屋、新しい事業を初めては失敗ばかりしている男の哀愁を感じさせてくれる。
この作品を観ていると、今、もしかして日本で一番元気なのは還暦を過ぎた熟年、シルバー世代なのかもしれないと思った。
この人達は高度経済成長の世代である。真面目に一生懸命働けばいい暮らしになってゆく。それを実体験として持っている人達である。その人達がお年寄りと呼ばれ、もう世の中にとって要らない人達、すでに過去の遺産を引きずった人達と片付けられてしまっていいものか?
むしろ、お年寄りの持つ、知恵や経験値を生かす道はないのだろうか? それらは捨てるにはもったいない、あまりに貴重な財産だと思う。
上勝町のおばあちゃん達は年商2億6000万円のビジネスを成功させた。だが、おばあちゃん達が葉っぱビジネスをはじめたのは、決してお金が目当てではなかった。
歳をとっても生き甲斐を感じる何かが欲しい、それがたまたま「葉っぱ」だったのだろう。
今静かなうねりを感じる地産地消。シルバー世代がもし同時多発的に各地で、スモールビジネスを立ち上げる様な、そんな世の中になれば、きっと日本の未来に「いろどり」をそえてくれることだろう。
監督 御法川修
主演 吉行和子、富司純子、中尾ミエ
製作 2012年
上映時間 112分
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映画『夢売るふたり』予告編
***かりそめの「夢」売ります***
西川美和監督の最新作を、公開最終日にようやく観る事が出来た。
今回の作品は、開店したばかりの居酒屋を火事で失った夫婦が、結婚詐欺に手を染める話し。今回も原案、脚本は西川美和監督のオリジナル。
前作「ディア・ドクター」、僕は初日に観に行った。神戸のミニシアターは満員で、何と、立ち見客まで出る始末だった。
西川監督の作り出したニセ医者、伊野という男。それは笑福亭鶴瓶という噺家との運命的な出会いによって、魅力溢れる人物像が描き出されていた。
また、笑福亭鶴瓶師匠自身も言っているように
「あの、過疎の村を見つけてきたスタッフが、この映画の”MVP”なんや」というぐらい、ロケーションが見事だった。
作品を観終わって、
「なんか、人間って切なくて、おかしくて、いとおしいものだなぁ」と思わせてくれた。気持ちがホッコリして映画館を後に出来る、素直にいい作品だと思った。
そして「ディア・ドクター」は多くの観客の支持を集め、様々な国内外映画祭の賞取りレースに名を連ねる事になったのである。
伊野という男は決して悪意があってニセ医者をやっていたわけではない。結果的に村の人々をだまし続けた訳だが、どこか憎めない男なのである。
さて、本作「夢売るふたり」はどうであろうか?
この作品、「ディア・ドクター」から更に一歩踏み込んで、人間の本性を暴き出す。そこに描かれるのは人間の「エグ味」であり「魔性」である。夫婦はふたりで計画的に結婚詐欺を働く。そこにはまぎれもない「悪意」がある。
始めに妻が夫に「詐欺師」の才能がある事を見抜くシーンがすごい。
夫が浮気をする。それを知った妻。夫は風呂に入っている。熱くなってきたからと水道から水を注ぎ足そうとする夫。
風呂釜の上にどかりと座った妻は、足でその水道の蛇口を向こうに押しやる。じわりじわりと湯攻め、心理戦に持ち込む妻の凄み。
こういう脚本、演出が出来る西川美和監督という人。
笑福亭鶴瓶師匠曰く
「西川美和はヘンタイです」
またあるひとは
「西川美和のなかにはオッサンがひとり入っている」とも言う。
女の一番見せたくない部分や、女だからこそできる「いやらしさ」みたいな部分を、本作では描き出してみせている。やがて妻は夫に結婚詐欺を働く様持ちかけ、シナリオを書き、監視までする。
本作は西川監督らしさはよく出ているのだが、なぜだろう?「華」がないように思えるのだ。作品を観ていて感じるのは「正直しんどい」という感覚である。
日本の女流映画作家として、今、この作品を創る意味が何処にあるのかと思ってしまうのだ。
3:11の震災以降、日本には「神も仏もいない」ということがさらけ出されてしまった。ただでさえ辛い世の中を生きて行く時、人々が求めるのは、辛い気持ちに寄り添う、というということ。そして人を思いやるという、ごくあたりまえの気持ちであると思う。
映画に限らず、表現に携わる者に今求められていること。
痛みを共有し、和らげ、そして、こんな日本だけれど
「明日も生きていこう」と思わせてくれる感動を創造する。それが表現者に今求められているのではないだろうか?
本作では人間の「悪意」が、かりそめの「夢」を売る。
ある意味、「いまシアワセ」と言える人は、かりそめの夢をみている人か、あるいはそれこそ「悪人」なのかもしれない。
監督 西川美和
主演 松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈
製作 2012年
上映時間 137分
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映画「天地明察」予告篇
***見上げてごらん、お江戸の星を***
この人が出ているのなら映画館に行ってみよう。そう思わせる女優さんがいる。その一人が宮崎あおいである。
まあ、下賎な言い方をすれば、銭のとれる役者さんであり、客を引っ張って来れる役者さんである。
ところで、最近にわかに人気が出てきているのは江戸時代。僕も大いに興味がある。やはり近頃のエコブームもあって、完全リサイクル社会であった「お江戸」の生活や文化などをもっと知りたいと思う人が増えているようだ。
そう言うとき、一番手っ取り早いのが、「映画を観る」という方法である。
お江戸を舞台にした映画を観れば、ものの二時間程で、当時の人の生活や文化を、実に手軽に知る事が出来る。おまけに面白いストーリーがあって、ごひいきの役者さんが演じてくれるのならば、そういう時代劇は見て損はない。
さて、本作「天地明察」は江戸時代に日本独自の暦を作ろうとした人々のお話。当時は、暦が何種類もあったことや、暦の制定の権限は朝廷が持っていた事など、初めて知る事ばかりだった。
また、江戸時代には「和算」という数学が発達していて、難しい数学の問題を絵馬に書いて神社に掲げ「解ける者がいればこれを解いてみよ」と言う、一種の知的ゲームが合った事なども、この映画から分る。
また当時の天体観測器具の大きな道具立ても興味深い。
それからこの作品には若き日の水戸光圀が出てくる。ビックリしたのはこの人、ワインを飲んでるのだ。異国の文化を柔軟に取り入れようとしていた先進的な人だったのだと改めて感心する。また、黄門様の居室の豪華な事。この作品、時代劇映画ならではの、こだわりの美術セットがスクリーンで見られる事が嬉しい。
今回の作品で印象に残ったのは、主人公、安井算哲(岡田准一)と共に全国での北極星観測の旅に出る笹野高史さん。
佇まいがいいですなぁ。
武士という者は常に腰に大小の刀を差している。その時、どっしりと腰が据わった歩き方が出来る役者さんと、全く出来ない役者さんがいる。
黒澤明監督の代表作「七人の侍」を見ればよく分かる。昭和の名優、志村喬、剣の達人、久蔵役の宮口精二。加東大介、千秋実。どの「御仁」も実に腰が据わっている。笹野さんは平成の世において、それが出来る数少ない役者さんだと感じた。
そして宮崎あおい。本作では、ほんのりとした色気さえ漂っている。そして着物の着こなしの良さが際立っている。
襟元から首筋にかけてのラインが実に美しい。
とくに武士の妻という役柄なので、その凛とした美しさをどう表現するか? それをこの若さで習得しているというのはすごい。更に終盤、夫に覚悟を迫るシーンの凄まじい迫力のあるセリフ、これは完全に主役の岡田君を食ってしまっていた。
「伊達に大河ドラマで主役を張った訳じゃないのよ」という凄みさえ感じられた。ここまでくると、完全に「格が違う」という感じである。
監督は「おくりびと」の滝田洋二郎監督である。手堅い演出と、これが映画を観る醍醐味なのだ、という絵作りをちゃんとしてくれているから、観客として安心してみていられる。
江戸時代、星を見上げ、日食、月食を予測し、正確な暦をつくろうとした人々のロマンを感じる佳作である。
監督 滝田洋二郎
主演 岡田准一、宮崎あおい、中井貴一
製作 2012年
上映時間 141分
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