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ハンナ・アーレント 予告編 2013年12月30日鑑賞
考える人の尊厳、考えない人間の恐怖
第二次大戦中、ユダヤ人を強制収容所へ送り続けた指揮官、アドルフ・アイヒマン。本作は、人類に対する犯罪を裁く法廷をレポートした、哲学者ハンナ・アーレントを描こうとする。ハンナ自身もユダヤ系ドイツ人である。戦争中はフランスで収容所生活を送ったらしい。
物語は1960年、アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕されるところから始まる。彼はイスラエルに身柄を移され裁判にかけられる。忌まわしい、ユダヤ人大量殺戮の首謀者の一人アイヒマンが捉えられ、裁判という公の場に姿を現す。これは世界的な大ニュースとなった。当然、ユダヤ系の人々は憎っくきナチの残党,アイヒマンを叩きのめしたい、ユダヤ民族が受けた苦しみ、悲しみ、絶望を同じように味あわせたいと願った事だろう。
ここに一人の著名な哲学者がいた。大学で講義を持ち、その著作は多くの読者に影響を与えている。お抱えの秘書もいて、個人事務所は電話が鳴りっぱなし。それがハンナ・アーレント女史である。彼女はナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命。哲学の教授として成功を収めていた。
彼女はアイヒマンの裁判を是非傍聴したいとイスラエルへ飛ぶ。数百万人という膨大なユダヤ人を、組織的に虐殺し続けた人物とは、一体どのような人間なのか? 彼女自身がユダヤ系であるから、というよりも、アーレント先生は、人間がいかに残虐になり得るのか? 悪に染まるのか? という哲学的な関心を持ったようである。
さて、裁判で目の前にいる大量殺戮の実行者、アイヒマン。ハンナにとって、一番の驚きであったのは、それが何の取り柄もなさそうな、あまりに凡庸な人物であったことだ。
ちなみに、ヒトラーでさえ、実際にパレードや演説などで接した国民(当時はワイマール共和国民)の中には「さえない普通の人」「どこにでもいそうな人」という印象を持った人も多かったと言われている。
ごく普通の人をアイドルとして祭り上げ、組織を肥大化させ、民衆を熱狂により思考停止させる。これは今の日本でも、小規模ながら、実際に起こっている事に留意したい。
ひとときの熱狂や、あらがえない時代の流れはあるかもしれない。しかし、自分の頭で考えない、自分の魂で感じない事のツケは大きい。
やがてハンナは、裁判の傍聴を続けるうちに気がついた。
「アイヒマンには自己がない」ということだ。
アイヒマンの最も忌まわしく、罪深い事は、
「自分の頭で何も考えなかった事」である事に気がついたのだ。
ハンナはこの発見をもとに記事を書き、著名な雑誌に発表する。これに対し「一般大衆」は激怒した。大ブーイング!! ハンナに強烈なバッシングが起こる。
「裏切り者」「ナチの肩を持つ女」などと誹謗中傷され、あまりの反響の大きさに大学教授の職も危うくなる。
ハンナはアイヒマンを「思考停止、思考不能に陥った小役人にすぎない」と分析した。ちょっと考えれば、これは実に恐るべき事なのである。身の回りに私自身を含め、このような人物が「どこにでもいる」ことが脅威なのである。
私事で恐縮だが、以前勤めていた会社での出来事。
私の直属の上司である係長が、ある日、私にぐちゃぐちゃと訓示を垂れていた。「ええか! お前、Aという事はBという事なんだぞ! ちゃんと心得ておけよ!」
それを聞いていた部長曰く。
「係長、それは違うぞ。Aという事はCという事だぞ」
その瞬間である。係長は部長に向かって直立不動の姿勢になった。
「部長! その通り!! さすがですヮ!! いやぁ〜、ホンマその通りですヮ!!」
そして振り向きざま、私に向かい
「ええかっ!お前! Aという事はCという事なんだぞ!! しっかり肝に銘じておけ!! いやぁ〜、さすが部長ですヮ。Aという事はCという事なんですヮ」
私は目の前で起こっている情景が,しばらく理解できなかった。
マンガ以上に滑稽な一コマであった。しかし、これは紛れもなく私が体験した事実なのである。係長は自分の主張を一瞬で「撤回」どころか、「全否定」したのである。しかも係長はそれによって自分の「全人格を否定」された事を、全く何の痛みも感じず、受け入れたのである。
係長は正に究極の「イエスマン」であった。
どんな職場でもそうだが、こういう愚劣極まりない上司を持った部下は、本当に苦労する。
また、かつて私はある女性とつきあったことがある。
彼女はすべての物事を占いで決めていた。
「わたしには自分がないの。私は借り物なの。何も決められないの」
それは病的でもあった。彼女はそのとき、つき合っていた男性と別れる寸前だった。
「家族も反対してるし、もう、大嫌いだから別れる」とさえ言っていた。
その言葉を聞いた数日後、彼女から電話があった。
「ヨリが戻りました。彼のところに行きます、さようなら」
彼女は強引な男に隷属する事に、安心感を求めたようであった。
自分の頭で考え、魂で感じる事は難儀な事であり、実にめんどくさい事である。自分なりの判断を下すまでには時間も労力もかかる。それに比べ、何も考えないこと、思考停止する事、楽な道を選んだ方が、皮肉にも一時的な成功をもたらす事もあるだろう。
反対に、自分の頭で考え続け、悩み続ける事は、いばらの道を裸足で歩き続ける事である。しかも、その先に決して成功や、自己実現が約束されている訳ではない。
人はどちらを選ぶのか? 人はどう生きたらいいのか?
まさに哲学的な問いかけをこの作品は我々に投げかけている。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆
総合評価 ☆☆☆
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作品データ
監督 マルガレーテ・フォン・トロッタ
主演 バルバラ・スコヴァ、アクセル・ミルベルク
製作 2012年 ドイツ
上映時間 114分
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