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ここに、このような祈りを書き記すことができることを嬉しく思います。
決して、短い旅路ではありませんでした。
モーゼが導いた旅ほど長くはありませんでしたが、わたし達家族の「荒野の旅」も、時には苦しく、時には渇き、時には無言の叫びがありました。
でも、一つだけ明確なことは、
わたし達は弱い者ですが、わたし達の信じる方は強い方である・・・・ということです。
すべて、聖書に書かれているとおりでした。
もし、本当に神を知りたい、求めたいと思うなら、聖書に登場する人々の後に続いていけばいいのです。
それ以外に、あなたの生活のレベルで神を知ることは無いでしょう。
もし、あなたが知識レベルの神で満足を得ることができるのなら、どうぞそのままでいらしてください。
でも、もしもあなたが、神を知り尽くしたい、神をとらえたい、神にとらえられたい・・、と望むのでしたら・・・。
今日がその日です。
神に従う日です。
静まって、主の御前に立ってください。
主は、あなたの父となってくださいます・・・・。
「私は、主が私たちに与えると先祖たちに誓われた地に入りました。
きょう、あなたの神、主に報告します。」
申命記26:3
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
アーメン
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荒野の旅の記録
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光・・・・。
震災から7が月。
何かが、
変わってきています。
元船乗りさんは、
定年で船を下りて、
貯えで、「My ボート」を作りました。
船から下りた船乗りの間で、
「Myボート」を持つことは、一種のステータスでした。
海暮らしを無事に終えた証・・・・。
ボートを眺めて、
港でその日を過ごすことが、
何よりの楽しみでした。
3.11、
その「Myボート」は波にさらわれたまま、
戻ってきていません。
「きれぇに無くなって、せいせいしたぁー。中途半端はいけねぇ。かえって金がかかる。」
「オイラは、良い方だー。現金で払ったからよぉ。友達は退職金をはたいて家さぁ、建てたんだぁ。」
Q:晩酌我慢して、もう一度、Myボート作りますか・・・。
「・・・・。ここ(行政の借り上げアパート)では無理だぁ。港まで遠い・・・。村に戻れたらよぉ・・・。」
震災から7ヶ月。
寡黙な海の男が、
ようやく話してくださった思いでした・・・。
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あなたは、
「絶望」を見たことがありますか。
昨日、ある老夫婦を見かけました。
素朴な感じの夫婦でした。
きっと、
これまでの人生は、
第一印象の通り、
素朴で、
誠実な人生だったでしょう。
ただ一つ、
不釣合いだったのは、
ご夫婦の目・・・でした。
素朴な印象とは打って変わって、
その目には、
深い、
深い、
悲しみが映っていました。
悲しみは、
残念ながら、
わたし達の人生につきものです。
でも、
彼らのまなざしに映っていたものは、
「絶望」。
光はある。
「闇は光に打ち勝たなかった。」
もどかしさの末に、
ただ、
神を待ち望むばかりでした。
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驚くような出会いが与えられた。
その方は、福島第一原発で働くエンジニア。
あまり時間がなかったので、
ズバリ質問した。
「大丈夫でしょうか。」
エンジニア:
「大丈夫じゃないですね。」
「大丈夫ではないのですか。」
エンジニア:
「原発は死んでいませんよ。まだ生きています。
殺す方法がないのです。」
日本のエンジニアの頭脳が集結して対策を練っていますが、原発が生きている以上冷却し続ける以外に打つ手がないのです。
遠隔操作でできることには、どうしても限界があります。
最終的には、人の手で行うなければならないことがあります。
でも、これだけ線量が高いと、施設内に人を送ることが出来ません。
施設のカバーリングを行っていますが、原発が生きている以上、いつでも危険と隣り合わせです。」
「fukushima50は、今も人を換えて存在しているのですね。」
エンジニア:
「fukushima50の話は、聞いたことがありますが、実際の方々がどなたかは知りません。誰も知らないようです。
でも、作業員は東電の社員だけではありません。
施設のカバーリングをしているのは、建設業系の会社の作業員です。
年間の被爆線量を超えない3ヶ月未満の単位で、交代して作業をしています。」
「作業終了まで、あと何回のサイクルが必要だと思われますか。」
エンジニア:
「20サイクルは必要でしょう。」
「どうして、福島の作業に志願しましたか。」
エンジニア:
「単純に、エンジニアとして福島第一を見たかったのです。興味が強かったからです。」
「しかし、リスクの方が興味より大きいですね。それでも福島に来て、何を得ましたか。」
エンジニア:
「人間が触れてはならない領域を侵したのだと思いました。
神がいることは、なんとなく知っていました。
でも福島に来て、人間の力の限界を見ました。いつ何が起こってもおかしくない状況で、大きな事故もなく、とりあえず無事に予定されていた作業を終えることが出来ました。
それは、神の存在を強く感じました。
何かが緊迫した状況を守っている・・・と。」
神は、
わたしたちが限界にいる時に、
もっとも強く現れてくださるのだろうか。
それとも、
日々、
現れてくださっているのに、
わたしたちが、
見向きもしないだけなのであろうか・・・・・。
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どれだけの方が、
「生きる神」を体験しているのだろうか。
日曜日に世界各国の教会で行われる礼拝、ミサ・・・。
そこに、
「生きる神」は居るのだろうか。
各地の日曜礼拝の中に、
ほんとに、
「生きる神」が居るのだろうか・・・・。
イエス・キリストは、
各地に出て行かれました。
彼は、
一つのところに留まりませんでした。
ひたすら、
ひたすら、
「天の父」を伝えに、
出て行かれました。
わたしたちも、
彼を
見失うことなく、
追いかけていかないと、
「生きる神」に
出会うことは
無いでしょう・・・・・。
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