飯野吉三郎
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1867年 - 1944年 新興宗教家。皇室や政界・軍人に取り入り、後に「日本のラスプーチン」と
呼ばれた。
岩村藩士・飯野益衛の三男として生まれる。祖父は馬廻を務め60石取、曾祖父は御側御用人を務め
100石取という小藩では上級士に属する家系の出身であったが、廃藩置県により家職を失う。
その後、何を生業としていたかは不明であるが、しばらくしてから麹町に家を構え、占い師となった。
元々大柄で独特の音声を発することから話術に妙な説得力があり、占い師に向いていたという。
やがて、同郷の有名人であった下田歌子を頼り、その紹介で皇室や政界に食い込むようになる。
特に1904年に児玉源太郎の依頼に対し、日本海海戦での勝利を時間場所まで正確に当てたことから、
多数の貴顕の信任を得るようになる。それで得た金を金原明善と組んで満州へ投資し、
これも当たったことから莫大な財産を得る。それを元手にし、東京府青山の穏田に1000坪の土地を
購入してここに新興宗教団体「大日本精神団」を設立。住居から「穏田の神様」「穏田の行者」とも
いわれた。
しかし、1925年、白木屋事件、旭事件などの詐欺事件に荷担していたとされた。
証拠不十分で不起訴となったものの、以前から乱行が噂されて世間から見放されていた
ことも加わり、一気に信者が離れ、不遇な晩年を送った。
戦後、大逆事件のでっち上げに関与していたことが明らかとなり[1]、現在は「宗教家の名前を
借りた香具師であった」というのが一般的な評価である。この事件とも関わりのある下田歌子とは
愛人関係にあったという説もある。
また、貞明皇后に取り入り、摂政皇太子(後の昭和天皇)の洋行を”神からのお告げ”として
中止させようとしたという。
飯野の持っていた人脈は外国人にとって魅力的であり、高宗[2]や孫文[3]も利用しようとした
ことがある。
このように上流階級の信望を集めていたようだが、山本権兵衛には嫌われていた[4]。
「飯野吉三郎と大逆事件」daily report from mt.olive
日本のラスプーチンとも言われ、宮中・内閣・財界・警察・軍部に隠然たる影響力を持ったが、
最大の庇護者だった山県有朋の死後、政権闘争に巻き込まれる形で検察に押さえられ、権力を失う。
清張がこれを執筆した70年代の時点ですでに歴史の影に飲み込まれ忘れ去られていた。
混乱期に出現するイカサマ師の典型だが、妖しいカリスマがあったようで、神官の格好をして
予言を連発、これが当たる。伊藤博文を煙にまき、松方正義、後藤新平、犬養毅、
頭山満あたりも魅了したようだ。
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×日本のラスプーチン ○真のラスプーチン
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2018/12/18(火) 午前 9:55 [ IB ]