天地の超常現象

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沖縄独立論で思い出したのが高杉晋作の「長州独立国家論」だ〜
 
  NHK英雄たちの選択「高杉晋作 革命戦士が夢見た独立国家構想」

   放送概要
 幕末の志士高杉晋作は、元治元年(1864)、幕府の長州征討軍がせまる中、「長州独立国家論」を構想していた。明治維新の原点といわれる起死回生の高杉の決断にせまる。
 
 奇兵隊を創設したことで有名だが、「長州独立国家論」を構想していたことは、意外に知られていない。彼は、この構想を胸に、元治元年(1864)、幕府の長州征討軍がせまる中、わずか80名で、決死のクーデターを挙行した。いわゆる下関挙兵である。
 
この暴挙ともいうべき高杉の行動が、起死回生の結果を生み出す。長州藩の大ピンチの中で、高杉が取った選択とは?
 
   (ウイキより)
 
 禁門の変により長州藩は朝敵となり第一次長州征伐が行われ、三家老(国司親相・益田親施・福原元繊砲切腹し、藩政の実権は椋梨藤太の俗論派が握ることとなった。

功山寺挙兵(こうざんじきょへい)は、元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作が長州藩俗論派打倒のために功山寺(下関市長府)で起こしたクーデター。回天義挙とも。これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。
 
危機的な状況の中で挙兵、功山寺に集結したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけであった
2000人対84人の戦いが始まった
戦いを進める事に兵が集まり800人に膨れ上がった
後に大田・絵堂の戦いで俗論派の藩の正規軍と対峙し、反乱軍がこれを破ったことで、藩論は倒幕に統一された。
 
そして、薩長同盟と話が進んでゆくが、高杉は結核で死に「独立国家構想」も消えてゆく。
 
 沖縄はまず知事選を制しなければならないが、前途多難か?
 

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