夏の陽気に誘われて何処からともなくBeing時代の音楽のブームが自分の中で再燃、
ituneストアで「TVアニメーション スラムダンク テーマソング集」を購入!!
1 君が好きだと叫びたい BAAD
2 あなただけ見つめてる 大黒摩季
3 世界が終るまでは… WANDS
4 煌めく瞬間に捕らわれて Manish
5 ぜったいに 誰も ZYYG
6 マイ フレンド ZARD
そんなバカなというぐらいの名曲揃い。
この曲達を学生時代に聞いていたから美化されているのではない、今聞いても素晴らしい。
この時代の音楽は曲が良くてアレンジが良くて歌詞が良くて、
その曲を歌唱力があるアーティストが本気で歌の力で世界を変えるつもりで歌っていたと思う。
今は「歌」そのもので世界を変えるのは難しい世の中になった。
でも曲は残るんだよね。
特に歌詞が美しいと感じる Manish 「煌めく瞬間に捕らわれて」
昨日ステキな友人と渋谷で昼飯食べながら話していた際に、音楽の話をしていた。
どこかの本で読んだ事も混ぜつつ盛り上がった。
記憶を辿りつつ話を少し膨らませて書いてみる。
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「雨乞い」等の儀式のための手段として始まったとされる「音楽」という行動は
商業としての役目をほぼ終えて「個人の元へ還る」だろう。
ソーシャルメディアで楽曲を共有する
別に誰に聞いてくれという宛ても無く配信する
自分の事を歌って自分で聞く
友達のために曲を作ってプレゼントする
自分の好きな物を選択してそれを配信する人を支える
楽しみ方はなんでもいい。
個人が個人に向けて発信する、もしくは発信しない。
そこには単純な楽しさややりがいがあったりするのだろう。
かといって「個人で楽しむ音楽」の中からまたビートルズの様に
世界規模の大ヒットが出てくるのかというと、
それはもう期待することはできないだろう。
基本的に世界で一定のペイをシェアしているだけなのだから、
今の情報社会では突然確率が変動することは発生しないだろう。
すぐ埋もれる。
従って個人で発信する音楽家は評価されるまでに時間が掛かる、
もしくは消える。
でも個人で楽しみながら発信する音楽の中には
「100年後の音楽」を作っている人がきっと居るハズなのだ、
100年後のビートルズが「○○に影響を受けた。」という事がきっとある。
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って感じでした。
映像も同じ考えが通じる、外に向けて中途半端な映像を放っても今の時代、
大して効果がないことぐらい作る側の人間ももう分かっているはずだ、
「そもそも映像必要ですか?」とは言えないだけ。
もっと細分化した、
ニッチの中のニッチに
本気で刺さる映像でないと100年残らないと思われるが、
これも社会が付いてこないと
「タダの変な人達」で終わるという危険もある。
しかし映像ならある程度マインド、手段を人に伝承できる、うお〜。
なんとかせにゃあね!!
というお話。
スラムダンクに一切触れていないのはどうなんだろうか?