ウガンジョ(御願所)ツーリング

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沖縄の神話の世界を訪ねてみよう。拝所巡り「東御廻り」編。
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東御廻りの最後の拝所だ。首里からやってきた巡礼の一行もここまでくると、やれやれと思ったことだろう。斎場御嶽で一泊し、9時まえには出発し、首里に到着したのは夜8時頃だったと言うから、ここには3時頃には着いていただろう。帰り道は、親慶原の坂道を下って行ったのだろうか。首里が遠望できるはずだから、ここまで来れば一安心、もうじきだと思っただろうな。

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13番ミントン城を出て登り坂。すぐの三叉路に標識がある。(写真)ご隠居は、この標識まで来て、ミントン城を通り過ぎたことがわかり、引き返した。
玉城城跡は左折。どんどん進んでいくと、右手のフェンスの中は、琉球ゴルフクラブだ。毎年、女子プロゴルフ開幕戦、ダイキンオーキッドの会場になっている。ご隠居も、このゴルフ場は好きだったな。アップダウンのない、OBのない、広々としたところだ。昔は、米軍の住宅が建てられていて、現在もゴルフ場の中に、その残骸らしきものがある。返還後ゴルフ場になった。

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左手に玉城城跡の石碑が現れる。特に駐車場として指定はされていないが、まぁどこでもいいという感じで、OK。道路脇は結構広い。
この石碑は、珍しいことに最初作られた時の彫られた跡に、別の文字板が貼り付けられている。こういう石碑は、かなり珍しいね。結局、当初「琉球政府」か「県」が文化財として指定したものが、「国」指定になったので「国」という文字だけを石板に彫って、貼ってある。又、指定された年月日も違ってくるので、その部分だけを貼り合わせてある。(写真)

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城の上は、発掘作業と修復で、一部分しか歩くことはできない。(写真)本丸、二の丸、三の丸があったそうだが、米軍基地の建設用石材を採るため壊されたとのこと。腹だたしいことだったろうな。
城は、琉球の国建てをしたアマミキヨが築城したといわれており、それが米軍に壊されたということは、現代にまで続く、何とも象徴的な沖縄の現実のような気がする。


那覇から歩いていくなら、サンライズ知念で一泊。親慶原の厚生年金休暇センターで一泊すれば、高年者でもOK。・・・じゃないかな。車、バイクなら、途中奥武島まで足を伸ばして、アチコウコウの天ぷら食べて、休憩していても一日で大丈夫。
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第12番から、331号に出ると、交差点があるので突っ切って真っ直ぐ進んでいくと、玉城城跡の標識があるので、道なりに進む。なかんだかり樋川の標識が右手にあるので、ちょっと寄り道して観ていく。再度もとの道に戻ると、そこから30メートルほどのところに、ミントン城はある。人の家の庭に入っていく感じで、あってるのかなぁ、と思うが、門を入って右が人家、更にその奥右手に城に上がる石組の階段がある。
駐車は、どうだろう。庭はわりと広いけど、人の家の庭だしね。三組ほど観に来ている人たちがいたけど、どこかに止めていたようだ。さっきのなかんだかり樋川に止めて、歩いてきたかもしれない。とにかく距離は全然気にならない。

城(グスク)自体は小規模で、山頂の広さはほとんどない。かつて、琉球大学の木村教授が魏志倭人伝の記述から邪馬台国は琉球であったと、そして、ミントン城が卑弥呼の居城だったというのがあった。地理的な推測をしていくと、あってもいい話だと思っているし、夢があっていいね。但し、友人の県芸大の久万田教授によると、「ちょっと難しい推論じゃないか」とのこと。

古事記にある、天照大神を地上に案内した猿田彦は、琉球人だったんじゃないかという説もあって、ご隠居は、それを信じている。なにしろ黒潮街道で、琉球、四国、紀伊半島はつながっているから。

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第11番の浜川御嶽から引き返してくる。有料駐車場があるが、人のいる気配はない。ひよっとすると忙しい時期だけかもしれない。道路が狭いので車の場合は路上駐車はやめた方がいい。

道路からは、50メートルほど参道がきれいに作られている。前はあぜ道を通っていったが、随分整備がされている。きれいな泉が二つと二坪程の稲田があり、奥のほうに拝所が設けられている。心和むとは、こんな風景かな。天気もいいし、いいなぁと思う。

流れのゆるやかなのが、受水(うきんじゅ)、早い方が走水(はいんじゅ)。稲田は、御穂田(みふうだ)という。ここが、沖縄の稲作の発祥地とされているが、言い伝えは二つあるそうだ。
1.昔、一羽の鶴が稲穂をくわえて南から飛んできたが、暴風のために百名海岸で死んでしまった。しかし、稲穂は芽を出してきたので、アマミキヨは、これを御穂田に移植したところ、よく実り、これが稲作を広めることになった。

2.アマミキヨの子孫に美津という人がおり、遣唐使の随員として唐に渡った時、初めて稲作を見、栽培方法などを習ったが、種を持ち帰ることは許されなかった。帰郷後のある日、鶴が稲穂をくわえて死んでいるのを見つけ、受水走水の泉を利用し植えたところ、よく実り、各地に栽培法を広めていった。

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331号線を進むと、知念城跡の標識があるのでかなり急な坂道を登っていく。坂の途中で右手に駐車場があるので、そこに止めて、左手の坂道を下りていく。お城の石垣は遠くからでも見える。100メートル程で、お城の入り口に着く。
内部は修復作業中で、整備は行き届いていない。拝所が設けられているが、崩れそうでかなり危ない。海を展望できる一角はあるが、蜂の巣があって危険だと看板が出ている。
せっかく祖先が残した観光資源なんだから、早めにきちんときれいにしてもらいたいね。夏になったらハブでも出てきそうで、人は寄り付かないんじゃないか。

全拝所の中でもっともノーグッド。

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南城市の案内板では第10番は受水走水となっているが、昔の巡礼ルートを考えれば、やはりヤハラツカサは10番、11番浜川御嶽、12番受水走水というのが理にかなっている。

331号線を奥武島方面に走ると、受水走水の標識が出ているので、それに沿って走っていこう。左手に受水走水の拝所があるが、そのまま通り過ぎて、どんどん進んでいく。道は行き止まりになるので、路上駐車できそうな所を探して、森の中に歩いていく。しばらくすると、浜川御嶽がある。大きな岩と樹木に覆われた空間はいかにも神域という感じがする。
岩の間を通っていくと急に視界が開けて、まぶしいばかりの一面白砂の浜に出る。100メートル程先の海の中に、石碑が建っている。ヤハラツカサだ。
干潮だったので見えたが、満潮時は水没するという。

アマミキヨがニライカナイの大東島(オオアガリシマ。東方の神々の住むところ)から渡ってきて最初の一歩を踏み出した場所といわれている。又、そのアマミキヨが仮の住居とした跡が、浜川御嶽になっている。

近くの百名ビーチは、観光客がいっぱいだったが、さすがにここには人影はまばら。潮の引いた海で海草や貝採りの人たちがポツポツといて、昔の沖縄の風景。気持ちがいい。ただ、当然だけど何も売っている所はない。飲み物くらいは持っていった方がいい。

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