|
三 川柳作法
1写生
川柳も俳句も絵画と同じく写生が基本です。川柳は人間諷詠ですから、特に人間をよく観察することが一番大事です。
例 降る雪の白きを見せぬ日本橋 古句
(この句から、年の瀬のにぎやかな日本橋の様子が分かります。たくさんの人が行き交う江戸の日本橋では、雪は人に踏まれて積もりません。回りは銀世界なのに。)
例 右の灯が左になって船が着き 水府
(写生だけですが、なるほどと思わせます。)
2雑詠
川柳には、詠む動機から雑詠(近詠)と課題吟とに大別されます。雑詠は折に触れてできた句を、同人誌などに何句かまとめて発表するものです。課題がないから自由に作れば良いのですが、さて机に向かって作ろうとしてもたやすくは出来ません。折々に手帳などに書き綴っておくことが必要です。日記のように毎日作ることが上達への道です。
3課題吟
課題吟というのは、川柳を募集するときにあらかじめ課題が出されているものを言います。句会へ行くと、前もって出題されている「宿題」と、その場で出される「席題」というものがあります。作句するには、課題があると思考の範囲が狭くなりますが、却って集中しやすいという利点もあります。また一つの題ごとに各々の作品を比べる面白さがあります。川柳の楽しさは課題吟で他人と競い合うことからも生まれてきます。
課題吟については少しルールがあります。
たとえば「うどん」という題では、うどんについての句もいいし、うどんのある情景を句にしても良い。
「高い」という題では、「高い」という言葉を用いても良いし、「高い」を使わずに高いということを表現しても良い。(では、「高くない」はどうか。1、低いという意味だから「低い」という題のときに出せば良い。2、「歩く」の題で「歩かない」はどうか。「歩かない」という題は出されことは先ずないので、「高くない」も良い。1か2かはあいまいですが、残念ながら選者の判断に委ねられます。)
「字結び」について。たとえば「石」という題で「石川県」「百万石」も可とするのを「字結び可」と言い、「石」は石そのものでなければならないのを「字結び不可」と言います。(では、「石頭」はどうかというと、これも選者に判断を委ねられます。)
今のところ、課題のとらえ方には曖昧なところがあるのが現実です。
4三要素
穿ち(うがち)、軽味(かろみ)、 滑稽味(こっけいみ)をもって、川柳の三要素と言われてきました。穿ちとは、世間の出来事に対してそれを真正面から正直に見ずに、横からのぞき、裏から探って、出来事の真底に触れた表現の方法を言います。軽味とは川柳的禅味です。社会の中に溶合しているごとく見えて、常に冷静なる境地を維持していることであります。滑稽味とはユーモアのことです。駄洒落や下ネタではないことは前述したとおりです。現代の川柳では必ずしもこの三要素にこだわるものではありませんが、底辺にあるものとして覚えておいてください。
5品位
私たちが目指すものはあくまで文芸川柳ですが、世の中にはいろいろ川柳があります。マスコミ川柳や、サラリーマン川柳など書店にもたくさん並んでいます。面白い句もありますが、中にはちょっと首をかしげる作品もあります。駄洒落を使ったものや、誹謗中傷差別、品位を欠く作品を認めることは、俳句や短歌に比べて、川柳を文芸として一段低いものに扱われることをも認めたことになります。滑稽味(ユーモア)を誤解してはなりません。
四 川柳上達法
1多読多作
上達法は、多く読み、多く知り、多く作ることです。自分の作品、自分たちの仲間の作品だけを読んでいては井の中の蛙です。古今東西の川柳はもちろん、俳句短歌をはじめあらゆる文芸、新聞雑誌などなど知識教養は多いほど良い。そして人間をよく観察すること。そして、どんどん作って投句することが大切です。向上心がなければ何事もうまくなりません。
2川柳三昧境
川柳の真髄とは何か。残念ながら、これには説明が出来ません。むしろそれを求めて川柳を作っているのです。その人の人間味とか人生経験が、巧みな言葉遣いによって生み出されるのが川柳です。技術を学ぶことも大事ではありますが、人間を磨くことがもっと大切であるということを、川柳を作り始めると分かってきます。物の見方、考え方が川柳を作ることにより変わってきます。新しいことを知ること、新しい考え方をすることによって、人間は変わります。そのように人間が変わることが生きている喜びであり、成長であると私は思います。
あとがき
この小冊子は初心者への指導のために作ったものです。不十分なところ、分かりにくいところは書き改めますので、ご指摘ご意見を賜りますようお願い申し上げます。(藤本秋声)
参考文献
「誹風柳樽」
「類題別番傘川柳一万句集」
「川柳の作り方」近江砂人著
「川柳でんでん太鼓」田辺聖子著
「ウィキペディアフリー百科事典」
|