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昨日4月8日は花まつり、つまりお釈迦様の生まれたとされる日。
お釈迦様はおよそ2500年もの昔に生まれたことではあり、本当の誕生日は不明らしい。その500年ほど後に生まれたキリストも同じく、その誕生日はわからない。
キリストの場合は公会議で12月25日を誕生日と決めたが、お釈迦様の場合は誰が決めたのだろう。
それはともかくとして、昨日はあるお寺の花まつりに行った。
甘茶をいただいた後、本堂で花まつりの法要があるというので参加させていただいた。
若いふたりの僧侶の声明が朗々と響き、厳かな気分を味わった。
最後に参拝者も含めて般若心経を唱えたのだが、僧侶の打つ太鼓の大きな音に合わせての読経で、迫力があり、かつお釈迦様の誕生日を祝う雰囲気の盛り上がる読経だった。
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四国遍路
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今朝はこの冬一番の冷え込みとなり、地元気象台の発表では3.2℃。
先日の絶品の樫の薪はやはりもったいないということで、数年前のクヌギ祭りの時の櫟を焚いている。
こんな風にその場の思い付きで物事を進めるから後で苦労することになる。
櫟もいい薪だ
さて、東京の出稼ぎに一区切りついた。
次はまた来年になる。
昨日は午前中で終わったので、そのまま日本橋に向かい、仏様を拝んできた。
四国遍路の他にも京都や奈良などでお寺巡りをして仏様はいろいろ見てきた。お寺では間近で見られることは稀なので美術館で細部までよく見えることはいいのだが、何か違う。
そう、仏様は見るものではなく拝むものなので、仏像単体ではなくお寺の中のまわりが荘厳された中でお会いするのがいい。
とはいえ、今回は個人蔵の仏像も多く展示されていて、普段はお会いできない仏様にもお会いできたのだから、やはりこういう機会も貴重ではある。
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四国八十八カ所の三十七番札所岩本寺まであと数㎞というところで日が暮れ、体力も尽きてテントを張る場所を探しながら歩いていた。
野宿しながらの遍路では寝場所を探すのに苦労する。
その日はどうしても適当な場所が見つからず、初めて無人駅の待合室で一夜を過ごすことにした。
駅に行ってみると先客がいた。
通称「せっちゃん」という遍路仲間の間では有名なおばあちゃんだった。
七十歳を過ぎていたと思うが、乳母車に遍路道具(家財道具)を積んで押して歩く姿はそれ以前にも見かけたことがあった。
四国遍路には様々な人がいるが、その中には「四国無宿」の人たちがいる。
家を捨て、あるいは失い、人の縁を断ち切り、独り四国の道を歩き続ける人たちである。
普通の遍路は歩き始めて八十八カ寺を巡り終えると、多くはそのまま帰宅し、ある者は高野山にお礼参りに行った後帰宅する。
が、四国無宿の人たちは帰る家もなく延々と四国の道を歩き続ける。
四国には「お接待」という風習があり、お遍路さんに食べ物や飲み物、あるいはお金をお布施したり、時には「善根宿」として一夜の寝処を提供することもある。そういうお接待に頼りながら四国を巡り続けるのである。
遍路道沿いには行き倒れた人たちの無縁墓があるが、いづれも苔むした古いもので、昔はそんな人たちがいたのだとばかり思っていた。何らかの事情で、たとえば罪を犯したり、ライ病などの病に罹かって故郷にいられなくなった者が遍路となって四国を歩き続けたということがあったことはものの本にも書かれている。
一巡目の時には自分が歩くことに精いっぱいで気が付かなかった。二巡目の時にある寺の通夜堂で一夜を過ごさせていただいた際に同宿になったのが四国無宿の方だった。その方からいろいろ教えていただいて、現在も行き倒れるまで歩き続ける遍路がいることを知った。
遍路をしたのは1995年から2004年にかけてだった。最後に歩いてからでもすでに15年近く経っている。その後の日本が暮らしやすくなったとは残念ながら言えない。今も四国を歩き続ける四国無宿の人たちはいるだろう。
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東寺で生身供に参拝した後京都駅へ向かう。
駅で朝食をとり、昼食のパンを買う。友人お勧めのshizuyaというパン屋。
京都駅発のバスで栂ノ尾へ。
栂ノ尾は高尾、槇ノ尾と合わせて三尾と呼ばれる京都北部の紅葉の名所。
高尾には神護寺、槇ノ尾には西明寺、そして栂ノ尾には高山寺がある。
今回は一番奥の高山寺を目指す。
京都の寺をそれほど訪れている訳ではないが、高山寺は一番好きな寺。
林に囲まれてひっそりと立つ本堂
高山寺が好きな一番の理由は静かな寺であること。
紅葉の盛りの時季にはかなりの人が訪れるようだが、紅葉にはまだ早い10月末には数えるほどしか参拝者がいない。朝早かったこともある。
初めて訪れたのが3月のことで、その時には誰もいなかった。
山の斜面に開かれた境内
高山寺が好きなもう一つの理由は、この寺が明恵(みょうえ)上人の寺であること。
明恵上人は厳しくも純粋な僧で、きっと悟りに達していたに違いないと勝手に想像している。
有名な樹上坐禅像(国宝)
明恵上人について述べるにはこの場では足りないので上人の歌を一首だけ挙げておく。
あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月
こんな歌は悟りを啓いた人にしか詠めない。
高山寺にはいくつかの国宝があるが、最も有名なのが鳥獣人物戯画図。
そして明恵上人の時代から唯一残っている建物の石水院。
残念ながら外から建物全体を見ることはできない。庭には入れないからである。
この門から入れればよいのだが
本来の入り口
座敷の前に赤いじゅうたんの廊下があり
その外に濡れ縁がある
この濡れ縁に座って静かに庭を眺める。紅葉していれば見事だろうが、紅葉の時季にはこの静かさは望めない。3月に訪れた時にはこの場所を独り占めし、一時間ほどもぼんやりしていた。今回は他にも参拝者がいたが、ほんの10分間ほどだったが友人と二人だけの時間を持つことができた。
目の前の谷の下には清滝川が流れ水音が聞こえてくるが、残念ながら道路を走る車の音の途絶えるのを待たなければならない。
高山寺を後にして清滝川に沿った道を下る。
槇ノ尾、高尾と過ぎて人のいない道に出る。
清滝川に沿ったハイキングコース。いつも運動不足の友人は喜んでくれたが、考えて見ればわざわざ京都に来てハイキングをすることもないか、、、
手入れの行き届いた杉の林の間の道を抜ける
この橋のたもとの河原で弁当を使った
ほんのわずか紅葉も 小さな滝が落ちる
川の名前が清滝川で、歩く先には清滝という集落がある。初めて歩いた時にはてっきり清滝という滝があるものと思い込んでいたが、ない。もともと「たき」は「たぎる」からきた言葉で水の激しい流れを意味する。今はそれほど激しい流れはないようだが、昔は水のたぎる流れがあったのかもしれない。
のんびり歩いていたのでどのくらいの時間歩いたのかもよく覚えていないが、この川沿いのハイキングの終点は清滝隧道。
一方通行のトンネルで通行量は少ないが、途中2台の車に追い越され怖い思いをする。
トンネルを抜けるとそこは嵯峨野で、上の写真の左手に愛宕念仏寺がある。
化野念仏寺までくると人が増え始め、落柿舎あたりはもう完全に観光地。
この先は人が混雑して歩きにくくなる。
静かな所ばかりを選んで歩いた一日だったが、最後の最後に人混みにもまれたのは、まあ仕方がない。
万歩計を見ると約25000歩、20km弱の京都の歩き旅だった。
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しろがねもくがねも玉もなにせむにまされる宝子に如かめやも
山上憶良
しろがねは銀、くがねは金のことで、金銀とくれば銅、あかがね。
我が故郷愛媛県新居浜はかつて別子銅山で栄え、一時は世界一の銅の産出量を誇った。その過去をしのんで、新しく出来た美術館は「あかがねミュージアム」と名付けられ、
建物の表面は銅板で覆われている。
かつては銅山で働く人たちの暮らす街が山の上に築かれ、その跡地の石垣を残している様子が、ペルーのマチュピチュに似ているというので、誰が呼んだか「東洋のマチュピチュ」と言われるようになった。その縁で、今回本家ペルーの文化を紹介する展覧会があかがねミュージアムで開催されている。
ペルーのあれこれが展示されている中で、最もおもしろいのが色彩豊かな民族衣装。
織り機
タペストリー
泣きながら機を織る女
中南米はスペインに蹂躙された悲しい歴史を持ち、フォルクローレの悲しいメロディにもその歴史が反映されている。
そして、スペインを南米に惹きつけたのが、くがね
日本もかつては黄金の国ジパングと呼ばれたのだった
新居浜祭りの太鼓台
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