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 長い間のご愛顧有難うございました。
 
 今後、記事の更新は一切しません。
 過去記事の閲覧はご自由にどうぞ。

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 日航機墜落事故の生存者のうち、1名はスチューワデスの女性だった。週刊新
潮でその方の実名も写真入りで記されていた。…だが、本人は無言を貫いている。
自分だけ生き残ったこと、しかも乗客係だったこともあって、生きていることが
辛かったのだろうと、その心中を察する。

 同じような気持ちは、特攻隊員の生き残りもそうらしく、「死んだ戦友に申し
訳ない」という科白をしばしば聞く。あの俳優の鶴田浩二氏も特攻隊員ではなく
飛行機の整備兵だったようで、死への片道切符で飛び立った兵士たちを多数見送
った経験を持つらしい。

 一方、歴史学者たちは、特攻隊員を含めた戦死者たちを「犬死」と糾弾して止
まない。いわゆる「国家権力」による赤紙1枚で招集されて死んでいかなければ
いけなかった若者たちへの哀惜と、国家権力への激しい怒りからだろう。

 だが、事は単純に割り切れない。例えば、特攻隊員たちの心中が果たして家永
三郎氏のような歴史学者たちの想像通りだったか。

 朝日新聞はあの戦争中、国民の戦意高揚の先頭に立った。しかし、公式な謝罪
一つせずに、戦後はその主張を180度変えた。1960年代の北朝鮮帰還事業
でも、在日とその日本人妻を煽って地獄に送り込んだ。これについても、謝罪の
声明一つ出していない。朝日新聞には戦後共産党員が多数潜り込んだのだ。

 その共産党も「正史」では、あの戦争に反対した唯一の政党としか記してない
だろう。しかし、私は一庶民として戦後の雰囲気を知っているから、共産党がと
てつもない過ちを数々犯したことを知っている。

 …それが、人間なのだ。自分に都合悪いことに口を拭い、素知らぬ顔で正義を
主張する。善悪の線引きの中心にはいつも自分の都合がある。50代以下の国民
はそういうことをあまり知らないだろう。

 あの戦争や大事故の犠牲者たちの遺族の心情は、そっとしておくのがいい。

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 今朝も雨。涼しい。昨日に続いて長袖シャツとジーンズのお世話になってる。

 今日は日航機事故から32年。520人の犠牲者が出た。この事故については
まだ記憶が強く残っている。私個人としては、日航機がダッチロールをしている
間に、覚悟を決めた乗客が家族にあてた「幸せだった」というメモを遺したこと
がもっとも印象に強かった。

 長く生きてきたから、空と海、陸上での大事故について、記憶が残る。むろん、
その正確な日時は忘れたが。改めてウイキで調べてみた。

 ・洞爺丸海難事故     1954年9月26日 死者行方不明者1155名
 ・三井三池炭鉱爆発事故  1963年11月9日 死者458名負傷839名
  国鉄鶴見線多重衝突事故    同年同月同日  死者161名負傷120名
 ・日航機墜落事故     1985年8月12日 死者520名 生存者4名
 ・福知山線脱線事故    2005年4月25日 死者107名負傷562名

 洞爺丸事故については三浦綾子の小説『氷点』にも描かれた。私は北海道出身
なので、この事故は生々しく記憶している。だが、既に記事にしている。

 三池炭鉱炭塵ガス爆発による大事故と鶴見線事故は同じ日に起きた。三池炭鉱
の負傷者というのは、多くが一酸化炭素中毒によるもの。

 日航機事故を扱った小説としては山崎豊子氏の『沈まぬ太陽』がある。この小
説は、組合委員長が会社側から不当な処遇を受けたことに焦点が当たっていて、
私は少し違和感を覚えた。私の組合不信が背景にある。ジャーナリスト柳田邦男
氏が航空機評論家として、NHkでこの事故を解説した。

 私は長く生きて来たせいか、政治的事件を含めて、当時の時代の雰囲気も多少
絡めて記事にすることが出来る。それなりの感慨がある。 

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 今朝も雨。昨夜から断続的に降り続いているのか。雨の日は嫌いじゃない。
畑の雑草が「ハレルヤ」を歌っている様子が想像されて、少し憂鬱なだけ。

 老齢とはいえ、世の中の動きに憤懣のマグマが滾ることはある。しかし、雨は
そういうマグマを鎮めてくれる気がする。鎮静化。ブログを書く意義だって、
それに似ている。自分の裡に滾る暗い情念の奔流を鎮め鎮めして書くことは、
自己省察につながる。「自分にそういうことを書く資格があるか?」「人を呪わ
ば穴二つじゃないか?」と理性的になれるから、ブログの効用がある。

 ノートに書きつける純粋に私的な日記が続かないのは、他人の目を意識しない
で済むからだ。野放図に感情の奔流を書きつけても、瞬間的な自己満足だけ。
そういう野放図な書き方は、必ず自己嫌悪となって跳ね返ってくる。

 リアルの世界でも事情は同じ。自己抑制は窮屈なだけではない。必ず精神的な
年輪となってペルソナに刻まれる。「目に見えないペルソナの美しさ」―私は長
く生きて来た割には、そういう真実に無頓着だった。私のペルソナに刻んだ年輪
と年輪との間はスカスカだ。跳び越えるべき無数のハードルをスルーしてきたか
ら。『モナ・リザ』の微笑が魅力的なのは、ペルソナの美しさだろう。

 哲学者の和辻哲郎が書いたように、人間の顔がペルソナの位置を占める。私が
それに付け加えれば、人間の手もそうだろう。ジョコンド夫人の表情と手に光が
当たっている。慎ましく重ねられた両手…。

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 ・ひっそりと日傘が過(よ)ぎるペルソナに刻む年輪小さく畳み

 老婦人の日傘には、何かしら精神性を感じる。目には見えないが、その小さな
身体と頭に、あまたの年輪が刻まれているのだろう。時に「あなたはどんな人生
を過ごしてきたのですか?」と呼びかけたくなる。

 夜、夕食の後片付けをしている時など、疲れて眠くなる時がある。私はそんな
時、吊り戸棚の化粧板におでこをくっ付けて目を閉じる。でも食器を洗う手は自
然と動く。女性は体調が悪かったり、頭痛が酷い時も、家事を続けるのだろう。

 暗い顔もできない。暗い顔は波紋となって家中に拡がる。そういう中で子ども
は育っていけないし、旦那は仕事疲れが癒されない。恥ずかしいことだが、私は
この年齢になって初めてそういうことを実感する。

 男性が共有できない年輪を、女性は多く秘めているのか。

 海岸でビキニ姿の若い女性が躍動する。しかし、誰でも一時期そういう生命力
を獲得できる。難しいのはそれからだ。ペルソナにどれだけの年輪を刻めるか。
モジリアニの描くモンパルナスの平凡な家庭婦人たち。長い頸がやゝ傾いている。
疲れているのだろうか。しかし、荒んでいない。家族への愛がその疲れを辛うじ
て支えているのだ。彼女たちの色褪せたブラウスは美しい。

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