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書庫小説『城の崎にて』(志賀直哉)

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事の真相を突き放した目で見れば、生きていることも死んでいることも、「たまたま」のことに過ぎないーそれが「生き物の淋しさ」。投げた石に当たって偶然に死ぬことも、いもりとして生まれて生きることも偶然に過ぎないーとても不条理なことです。あの『山月記』で、李徴が虎に変身しているわが身に気付いて、愕然とする場面がありますが、「どうして?」と嘆けば、合理的な理由は見つからず地獄のような苦悩に陥ります。「理由もなく押し付けられた」ものを黙って受け入れるしかないのが、生き物の運命でしょうか。
 
『城の崎にて』の最初の方に、ロード・クライブのことが書かれていました。「自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ」と述懐することを。クライブはたまたま助かった自分の運命に、神の意志を感じたのでしょう。「たまたま」とは思えない。
生と死に格別の意味はない、「たまたま」に過ぎないーそういうつるりとして手応えのない考え方は、キリスト教信者にとっては我慢がならないところでしょう。
 
我々がこうして「生」を享けたことをどう考えるか?「自分」という人の捉え方は後ろ向きで消極的な感じがします。こういう受け止め方では元気が出て来ない気がする。クライブの受け止め方は前向きで積極的だ。…どちらが正しい考え方か?
 
国語学習の目的は、「正しい」結論を得ることでない。いろんな教材を通して「人間とは何か」を考えることだと思います。いわば、いろんな入口から入っていって一つの出口に出ることです。
「偶然に生き偶然に死ぬ」―それが生き物の淋しさ。
このことを「生き物の生死は偶然に左右されるから淋しい」と解釈すると、分かったような分からないような気分になります。…そういう解釈だと、偶然に死ななかったことに喜びが湧くはず。
 
「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではない」とか「それほど差はない」とも感想が述べられています。…ところで、ここで何故「いもり」なんでしょう?―いもりというのは、日の差さない薄暗い、ジメジメしたところに棲息しています。その姿を見ると「いもりに生まれ変わったら大変だ」という嫌悪感を催します。
 
いもりというのは、「生」であるよりは「死」に近いところで蠢いている生き物ですね。そんないもり一匹、どう生きてどう死んだかが人間の関心を引き起こすことは絶対ない。だとすれば、いもりの「生」と「死」は同質と言っていい。両者の間に線引きする意味はない。いもりは生きていようが死んでいようが同じと
言っていい存在です。…そう考えたら可哀想な生き物です。
 
ところで、人間だっていもりと同じじゃないでしょうか?…人間にとって自分の生と死はおおごとだ。大変な差がある。けれど冷静に振り返ってみると、それは
当事者にとっての「思い込み」に過ぎないかもしれない。自分の生も死も、自分と周りの家族にとって大変なことだけど、赤の他人にとって、自分が死のうが生きようが、どれほどの関心があるというのでしょうか?大抵の人にとって、無関心の対象でしかない…それが醒めた目で見た現実だ。人間だって、事の真相はいもりの在り様と変わらない。
この短編小説は内容が暗くて人気がないせいか、最近の教科書には載らないようです。しかし、「生と死」というのは現代文の重要なテーマですし、小林秀雄によると、志賀直哉はものごとの「本質的なもの」しか目に映らない恐ろしい作家だということになります。従って、敢えて採りあげます。
 
この小説は三匹の小動物の死に遭遇して、生と死の認識がいわば螺旋状に深まっていくことを描いています。
 
最初に遭遇するのが蜂の死です。生きている蜂たちが飛び回っています。その横で死んだ蜂が夜も昼もじっと動かない。生きている蜂は仲間の死に無関心。
その描写で生と死が極めて対照的なものー言わば、プラスとマイナスという対極に位置するものとして認識される。生は「動」、死は「静」とイメージ化される。そして「自分」という人は、その死の静かさに親しみを感じる。
 
次に遭遇するのが鼠の死。鼠は死ぬと決まった運命に逆らって、必死に逃げのびようとする。その恐ろしいまでの「動騒」が自分という人に厭な感情をもたらす。…それは、死んだ蜂の永遠の静かさに親しみを感じた後だから。その静かさのまえにあの鼠のようなジタバタ見苦しい経過があるかもしれない。…それは不快であっても、生き物の「あるがまま」の姿であるから、受け入れるしかない。
自分という人はそう思う。
 
ここまでの「生と死」の認識は、基本的に美意識が底流にある。「死」への入り口が醜いものであるかもしれないが、その美意識に変化があったわけでない。
 
ところが、三匹目のいもりの死に遭遇して、「生と死」の認識の仕方に根本的な変化が起こる。…『城の崎にて』の解釈で一番難解な場面です。
自分が投げた石に偶然に当たって、いもりは偶然に死ぬ。
その時の気持ちを「可哀想に思うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。」と表現する。

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