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書庫『無常ということ』(小林秀雄)

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『無常ということ』に就いては、私は比較的長い批評文を綴っていますが、ここでは「人間は動物」という小林の指摘に就いて触れたいと思います。
 
「動物」…文字通り、「動くもの」です。動いていくもの、移りゆくものということです。すなわち「無常なるもの」。例えば歴史家(特にマルクス主義理論に基づく歴史観)は、歴史をさまざまに「解釈」する。小林によれば、それらは思いつきの解釈と言いたいのでしょう。「無常なるもの」という訳。戦争を挟んで、マルクス主義の歴史観は、戦前戦後に流行した。今、振り返ると、それは確かにかつての勢いを失った。…やはり、小林の言うとおり、無常なるものだったか。
 
小林は人間があまり好きでなかったようだ。生きている人間が。移ろいゆく流行の思想とか観念にすぐに飛びつき、「何を言い出すか、何をしでかすか分からない」存在だから。そうした儚いものに流されていく人間が「無常なるもの」なんでしょう。「死人」は既に棺の蓋が閉ざされているから、もう理屈も弁解も言わない。その人生は完結している。だから安心して向き合える。
死人が好きで、生きている人間が嫌い…気持ち悪いかな?
 
鎌倉時代の生女房は「この世のことはとてもかくても候ふ。なうなう後世を助けたまへ」と一心に祈っていた。若いのに浮ついたことに心動かさず、動かないもの、常なるものを求めた。…そういう純粋さは美しい。古代から中世への時期は激動の時代だった。戦乱、飢饉、天変地異…そういう時代に遭遇した人間には、この世の全てが「無常なるもの」と感じられたことでしょう。
 
今の人間にも、雑多でどうでもいいことが全て抜け落ちて、動かないものの姿が生き生きと美しく蘇る瞬間がある。俗に「無心」になったとき。そういう瞬間って「思い出そう」としたというより、向こうから「思い出させてくれた」と言ったほうが当たっている。そういう瞬間が生まれる可能性は、生きている人間にもあるということだ。その可能性は、人間がどれだけこの世と自分の無常さを実感し、常なるものを渇望しているか…という生き方にかかっている。歴史とはそういう人に扉を開いてくれる。だから、「上手に思い出す」ことが大切なのだ…と言いたいらしい。例えば、死んだわが子を、その母親は実に上手に思い出す。無駄なことを一切考えず、ひたすらわが子のことを想い続けているから。
 
難しかったかな? 後日もう少し詳しく解説したいと思います。
 
 

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