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桂の庭を観たブルーノタウトは言った。ー「桂では目が考える」と。桂の庭の製作者は、己の精神が捉えた自然の奥深い姿を、そこに視覚的に表現しているということだ。
加藤周一は、最初に修学院の庭と竜安寺の庭を比較して「自然の模倣であるない、自然の延長であるない、境があるない」と対比的に説明していった。そういう対比的な表現が、この文の左右対称的で整然とした建造物のような印象を齎している。論理的にして明快な展開。さらにそれらの総合としての桂の庭を「模倣ではないが自然も人間も包む、境はあるがその境は無限に遠い」と説明していく。…左右対称の柱の上に、高く聳える尖塔のようなものを、この文は積み上げていく。
この加藤の文は、作文のお手本になるが、高校生にはやや無理か。下手に真似するべきでない。それに、私個人の感想として述べるなら、この世のものはあまり論理や知性で割り切れないことが多い。だから、論理的な断定は危険も伴うと思うのだ。私はこの文での修学院の庭が「自然の模倣」という、加藤の指摘が本当に当たっているのか、確信できない。
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