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解放感があったが、やたら男女のキス場面が多いのには閉口した。キスが男女の
「秘め事」じゃなくて、人前で堂々と行われることにビックリした。それに何かと
いうと「愛してる」と言い交わすことが、やゝ煩い感じもした。
昨日、ある女性の方のブログを訪問したら、美容院に行ったのに、旦那が気付い
てくれない淋しさを綴られておられた。お子さんはすぐに褒めてくれるのに、と。
苦笑した。私なんかもそうだ。妻が美容院から戻って、その感想を述べたことな
ど一度もない。だが、老齢になって…つまり数年前、皮膚科医院で診察カードを受
け付けの若い女の子に出そうとして、瞬間戸惑ったのだ。何か普段と感じが違う。
何が違うのか分からんかった。女の子は「何か?」と首を傾けて私に問う。
私が正直に「感じが変わりましたね」と言うと、その女性はニッコリして「あゝ、
髪を上げたから」と手で触った。その表情が実に嬉しそうで驚愕した。
私は別に褒めたつもりはない。ただ、普段無造作に垂らしていた髪をお正月風に
巻き上げた為、少し大人っぽい色気を感じただけだ。…それでも、その女の子は気
付いてくれただけでも大変な上機嫌になったことに仰天した。
あの炭坑のアメリカ映画で何かというと「愛してる」と女性に囁きかけ、花束を
捧げる意味が60年経ってようやく理解できた。日本の男性は女性を粗末に扱い過
ぎているのかも、と反省した。…で、私はその後、妻に優しくなったかというと、
さにあらず。やっぱり「愛してる」なんて一回も言ったことがない。
ところで、解凍されかかった私の幼い魂は、新たな結核性関節炎で長い病床生活
を送ることになった。むろん自宅で。姉が毎日ストマイの注射を打ってくれた。
今なら医事法違反になるだろうが。
姉たちが読む少女雑誌の中原淳一画伯の画を横目で見て「このお姉ちゃんも結核
なんだろうか」と思った。目が凄く大きかったから。おまけに口が酷く小さいから、
「これじゃあ、千枚切りしか口に入らなくて栄養不足になるね」と同情した。
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回顧記事選
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私はどういうものか、生まれつき愚鈍な子だった。その上、戦後の風景に脅え
っ放しで、私の魂は冷凍庫に入れられたようにカチカチに凍った。これを解凍し
たのが、北海道の炭坑長屋生活だった。山深くに建てられたベニヤ板の長屋。
母が死んだ後、食い詰めた父が北海道の芦別という町の山奥の頼城という所で
坑夫になったのだ。ハイリスク・ハイリターンの職業。当時のレベルでは落盤事
故がしょっちゅう起きた。父も2度ほど落盤事故にあったが、大過なく済んだ。
その当時の回想は記したから、繰り返さない。小学校は毎日のように午後が
炭坑の映画館での映画観賞。5円だった。アンパンが10円の時代。
この呑気な山中での生活が、私を解凍したのだ。愚鈍な私を苛める子はいなか
った。勉強ができない生徒ばかりだったから。
その頃に観たアメリカ映画で、私の「人生は苦役」という先入観が、初めて解
凍され始めたのだ。青い海を前にした白いテラスで寛ぐ男女。…それだけで、何
か解放感があった。頻繁に交わされるジョークにも驚いた。私の周りにはなかっ
た明るい風景だったから。
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今日は非常に爽やかな気候だ。風が開け放った部屋部屋を通り抜けていく。
だが、私の頭は普段以上に重い。肌が心地よいのに。
戦後に幼児時代を過ごした私は、その記憶を残しておこうと、これまで多くの
記事を書いてきた。誰も読まないだろうが、遺す価値はありそうに思う。
戦後の風景―幼い魂にとって、それはあまりにも恐ろしいものばかりだった。
街頭の傷痍軍人が土下座して哀れみを乞うている。傍の白衣を着た軍人がアコー
ディオンで『天然の歌』を奏でている。電柱には映画『ひろしま』のポスター。
新聞にはヒロポンなどの麻薬事件。行方不明の家族や帰還兵を尋ねる記事が、
暗い顔写真とともに、満載されている。駅の地下道には浮浪児が沢山寝転がって
いた。
脅えやすい私の魂は縮んでいく一方。おまけにこの頃、まだ進駐軍のペニシリ
ンやストレプトマイシンなどが出回る前だったから、私の母は重い結核で死んだ。
その数年後、私は関節結核で右足切断の危機に陥った。炭坑夫だった父は焦って
帯広の病院を何件か回った。
だが、私は足を切断するということがどういうことか実感できなかった。とい
うより「人生は苦役」という諦念が私の魂を支配していた。幸い、ストマイで助
かったが。生活は苦しかったが、栄養のあるものを沢山食べさせられた。バター
というものをその頃初めて知った。
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ノラシュラさんの「助タチ」で、食人鬼レクタ―博士のことは思い出したくないが、白子については触れたいことがある。タラの精巣は見たくないが、ニシンの白子はそう不気味じゃない。量も少ない。これはタラの白子と違って、網で焼くと結構旨い。これに醤油をかけて食するとかなりいける。ポン酢があるとなおいい。…しかし、焼き方が難しい。網にくっ付くので皿に綺麗に載せられない。従って、網の上で箸でつまむことになる。
北海道で自慢できるのは、何と言ってもジャガイモ。内地の人にはそう言ってもピンとこないだろうが、味噌汁のなかのジャガイモはほろりと崩れて…涎が出る。あと、内地の人の知らないものに「氷下魚(こまい)」がある。昔の鰹節みたいにガンガンに乾燥させた魚だが、これを毟ってマヨネーズと唐辛子を付けて食べる。酒の肴のうちでも珍味。私は酒を呑まないが、氷下魚は大好き。ただし値が張る。青森や函館で売っている氷下魚は小さくて、乾燥が足りなく、結局旨くない。道東産のものがいい。
北海道各地が馬の生産地だったが、労働力としての需要が減った。でも、ノラシュラさんの地元では伝統があるから、今でも数があるんじゃないか。内地に来て何十年かして、料理やで「馬刺し」のお品書きがあるのにビックリした。しかも高い!思わず「何で?」って呟いた。戦後間もない頃、牛肉なんか庶民には縁遠かったが、馬の肉は安かった。なぜか「さくら」と言われていた。その言葉に軽蔑の念が籠っていた気がする。
馬の肉は堅くて食べずらかった。途中で咀嚼が面倒になる。顎も疲れる。だから呑み込んでしまう。便秘の原因になったかどうか検証してない。
(2013・12・9記)
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少女マンガの瞳のことを考えて、ふと戦後の絵を思い出した。あの人の名は何と言ったかなあ・・・中原、までは思い出せるが、例によって、「えっと、えっと」と苦しむ。中原誠…これは将棋か。ネットで調べたらすぐ分かった。すごいねえ、検索って。昔なら書籍の山を引っくり返して・・・というところだが、今はすぐ分かる。・・・念のために言っとくけど、書籍の山っても、我が家に山のような書籍はないよ。
で、中原淳一。松本かつぢ、という名も並んでいたが、こちらは記憶がない。幼い頃のあの中原氏の絵は印象に残っている。背景にひまわりなんかが描かれていて、明るかったね。でも違和感があった。自分が男だったからか。中原氏も男なのが面白いね。で、この人と松本氏があの巨大目の始祖らしい。自分のカンが当たったね。
で、少女マンガの口がどうして小さいか・・・を考えた。上唇を描く場合、どうしても顔の造作が崩れるんだね、今朝、辛子明太子を食べたんだが、巨大目とタラコじゃ組合わせが悪いんだろね、たぶん。言わば、薄幸の美少女の目と魔女の口が両立しない訳だ。夜叉の目もかなり大きいが、あれを夜空に星が輝く美少女の目に置き換えたら、間の抜けた顔になるだろね。「私、何を呪ってるのか忘れてしまった」って顔になるね、きっと。
(2013・10・11記)
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