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人のダイエット記を読むのが好きだ。中でも、「わたなべぽん」という漫画家の「スリム美人の生活習慣を真似をしていたら、1年間で30kg痩せました」という体験記(漫画)とその続編が、ダントツに面白い。
漫画家という職業上、座る仕事で、甘いカフェオレを仕事中ちゅーちゅー吸い、夕方になると待ちかねたようにビールと唐揚げを口にする生活で95kgまで到達したある日、トイレに座ったら、便座をバキっと割ってしまい、そこから95kgから65kg、さらにはもう5kg痩せた奮闘記である。彼女が偉いのは、周囲のスリム美人の食習慣、生活習慣を徹底して真似たことである。
この後編の中で「デブは言い訳が多い」と書いていたが、ほんとそうだそうだと思う。たとえば、デブは「ストレス解消のため」と言い訳をして、なぜか「大食い」「やけ食い」に走ることが多い。が、そのあと決まって後悔するし、ストレスも解消されない。反面、スリム美人は「床掃除」「拭き掃除」「鍋みがき」「カラオケ」「寝る」といった行為でストレス解消をする、という。なんと健康的な。
先日執り行った母の葬儀のなかで、「会いたくねーな」と思っていたけど、来てしまったデブ女がいる。
アニヨメである。
我が家の親戚中で唯一無二、無敵のデブだ。
亡母は「A子さんは、デブすぎて、親戚に紹介するのが恥ずかしい」とこぼし、亡父は「俺は絶対にA子とはヤレねえ」と吐き捨てたほどである。兄はいくら東大を出ていても、女性審美眼はゼロだった(モテなかったこともあるけど)。
田舎の農家の売れ残り娘で、ぱっと見「さっき畑から掘り取ったばかりの里芋」のようだった。身長150くらいで当時は65kgくらいだったろうか。見栄を張って「156cm」なんて主張していたけど、162cmの私が見下ろしていたから完全にウソだ。
その嘘をごまかすため、うちに来るときは、いつでも、太くて10cmくらいあるハイヒールを履いていたが、まだ私より低かった。一体あんなヒール、これまで何本へし折ってきたのだろう。
田舎の人なので、彼女は「歩く」という行為をしない。ある年の新年、みんなで初もうでに行ったとき、1kmくらい先の神社まで私ら一家はいつもどおり平気で歩いて行ったが、このヨメは、この歩行距離にすら驚いていた。見栄張った10cmヒールで、痛そうに、おそるおそる歩いていた。
妊娠中も、難産を懸念する医者に、
「妊娠中は栄養をたくさん摂れというのは貧しかった昔の話。あんたはこれ以上、ビタ1グラムも太るな」
と厳命されていたほどだ。
あれからウン十年、彼女は順調に横に育ち、いまはどう見ても150cmで80kgくらいある。
「今度、健康診断があるけど、それまでにあと3kg痩せないと」
なんてケラケラ笑いながら話していたが、私は内心「3kgじゃなくて30kgだろ」と思っていた。私はもう、嫌われたって構わないから、
「なんでそんなに太っているの?私は162cmで50kgないんだよ」
と吹っ掛けてみると、
「いいわねえ。どうしてそんなに太らないの?」
なんていう。
「私は絶対太らない。東京じゃ太ったら石ぶつけられるの。もし体重が増えたら絶食して戻すから」
と答えてやった。
彼女の説明によると、彼女は、やせている人が好きそうな食べ物(彼女によると「漬物」とか「酢の物」など)が嫌いで、こってりしているものが好きなんだそうだが、要は、カロリー過剰なだけである。
ちなにに今日ネットに出ていた、大デブから痩せた女性のデブあるある記事に、
「(16)デブは人前ではあまり食べない」
とあったが、まさにそうで、このアニヨメは、私らの前ではあまり食べない(ふりをしている)。彼女は、
「最近、歩けなくなってきた」
とこぼしていたが、それこそ自業自得だ。歩くよりビヤ樽のように転がす方が速く進める体形だもん。まだ50代なのに、長生きしないだろう。健診ではあらゆる項目にひっかかっているそうだし。
都会の人間の方が田舎の人間より健康的ではないだろうか。
まず、都会は、車社会ではないから、どこに行くにもよく歩く。高層建築がいくらでもあるから、特にジムなどに行かずとも階段を利用できるが、これも、高層建築がない田舎では無理だ。そして何よりも、都会では、反肥満意識が高い。太ったら、自分の健康を保てない落伍者として、白い目で見られる。「他人の刺すような目」は貴重だ。姪も「田舎では太っていても平気」と言い、事実、あちらの親族はみな太っている。
母の葬儀の時、このアニヨメはまた例によって10cmくらいある太ヒールの靴を履いてきたが、足元を見て改めてギョッとした。ヒールの甲から、ぜい肉があふれているのである。人って、ここまで太ると、足の甲まで脂肪が付くんだ。ぞっとした。
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池袋の事故以来、高齢者の運転免許返納が関心事になっているが、アメリカではどうなのか旦那に聞いてみると、
「免許返納なんて聞いたことない」
という。へえ。
「じゃあ、年取って運転できなくなったらどうするの」
「それでも免許はIDとしてとっておくよ」
「Expire(有効期間満了)しても?」
「そう。それでもIDになるから」
ふむ。
考えてみたら、アメリカには戸籍謄本も住民票もないし、健康保険証は公的書類じゃないし、アメリカ国外に関心がないからパスポート持っていない人の方が多いし、そんなわけで、免許証返納したら、IDがなくなってしまう人はすごく多そうだね。
さて、旦那と私の間で絶対かつ永遠に意見が割れるところは、
「英語と日本語のどっちが早口か」
である。旦那は絶対日本語の方が早口だといい、私は絶対英語の方が、と譲らない。
だって、日本人は英語を聞くと
「ペ〜ラペラペラペラ」
って、早口の代表みたいに聞こえる。昨今は、街中のアナウンスで、支那語とかハングル語が流れるが、英語ほどには速く感じない。私がアメリカに行くと、誰でも容赦なく話しかけてくるが、まるでマシンガンのようにまくしたてる。どうして彼ら、彼女らは、外国人(風の人)には英語が通じないかもしれない、という考慮が皆無なのだろう。ま、移民のるつぼだから、アジア系アメリカ人だって山ほどいるせいもあろうけど。
それでも、旦那は「日本語は速すぎる」説を絶対に曲げない。
ちょっと考えたが、日本語は英語より、必要なことを伝えるための語数が多いのではないだろうか。
例として、店員やホテルの人と顧客の会話を挙げる。ホテルに着いてチェックインするときなど、日本だったら、ホテルの人は、うやうやしく頭を下げ、
「いらっしゃいませ。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
なんて言うが、あちらでは
「Hi, there」
これだけである。別に、頭なんか下げない。なんとフランクなんだ。
コカ・コーラミュージアムに行ったとき、入場者にはいくつかのフレーバーの中から1種類、300mlくらいのコカ・コーラ缶を入り口で渡してくれる。それを飲み終わったあと、入り口のカウンターの人に缶を戻そうとしたら、
「No ma'am」
と言われ、あそこに捨てろ、と、缶入れを指さされた。日本だったら、
「お客様、恐れ入りますが、あちらにお捨ていただけますか」
って感じだろうか。
お客様は神様です、という大バカな言葉が間違って定着してしまったせいで、店側はお客にはやたら丁寧に接するわが日本であるが、それもあって、そして、さらには、タメ語とは完全に異なる「敬語」というものが存在するせいで、英語よりずっと多くの単語を用いてしまう。それが「早口」にも聞こえる要因じゃなかろうか。
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国政選挙でも、半分以上の人が投票に行かないのだなあ。48.8%は戦後二番目の低さだと。
ちょっとあきれる。
こういうときは、死の床にあろうがボケていようが重度の骨折をしていようが、這ってでも投票に行く、選挙命のあの党に追い風となってしまうではないか。
うちの親戚にもいたなあ。
選挙の前になると、急に電話をかけてきたり、遊びにくる創価きちがい一家。
何度も「公明には入れないよ」と言って、やっと来なくなった。
電話をすれば、遊びに来れば、入れてくれる思っているなんて、馬鹿だとしか言いようがない。
もう両親とも死んだから、完全に縁が切れたけど。
私は今回、記名投票の方は、1位はどうせ自民党の歯医者さんに決まっているから、2位になりそうな人に入れた。幸い当選し、無駄にならなかった。比例区は自民党に入れた。
「NHKから国民を守る党」とか「安楽死」とかいう、そのものずばりの政党も出ていた。言いたいことは非常にわかりやすいのだが、政治にはそれ以外の議論が山とある。そういうのはどうするんだろうと不思議である。しかし、N国は議席を獲得し、正式に政党と認められた。国民のNHKに対する怒りが透けて見えるようである。しかし、某最高裁判事が定年退官ぎりぎり前に変な判例を残して去って行ったのも記憶に新しい。最高裁判例を崩すのは生半可ではないけれど、ちょっと期待してしまうのも事実。
社民党は、毎回、毎回、今度こそ政党構成要件を失ってお陀仏となることを期待しているのに、今回もぎりぎり得票数の2%を得て、延命したという。誰がいまどき社民党なんかに入れるんだ?
そして、これも毎回毎回だが、弁護士どもが、「一票の格差は不平等で、選挙無効」と、選挙の翌日に手弁当で訴訟を起こしている。これも私は「平等バカ」と呼んで軽蔑している。
そんなに平等平等というと、鳥取県と島根県、高知県と徳島県の2県が1選挙区にされ、有権者と議員は距離が果てしなくはなれてしまうし、自分の選挙区でもない県までカバーしなければならない議員自身の負担たるや大変なものだろう。私は、
「神奈川県は一票の格差が大きいのが不満なので、鳥取県に移住して幸せになりたいです」
なんて、絶対に思わない。都市生活の利便性の方が、一票の格差より数万倍も好きだ。
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キリンビール横浜工場の真ん前に、「生麦事件記念碑」がある。
こんな看板が立っており、奥の方に行くと、
こんな石の碑があるだけである。
ふうむ、8月21日には毎年追悼の儀式が開かれるらしい。
調べてみたら、事件が起こったのは、陰暦だが1862年の8月21日であったようだ。
実際に事件があった場所は、この工場から数百メートル東に行ったところである。
行ってみても、ごくごく普通の民家の塀の上に、
こういうな案内板が1枚、貼ってあるだけだ。
東海道は、当時の幹線道路とはいえ、人と馬の一団が通ると、すれ違うのも困難なほど狭い道だったのだ。だから、大名とか偉い方々のご一行が通る際は、対向する者たちは、もちろん身分の差もあるけれど、物理的にすれ違えないから、道の端にさがって通り過ぎるのを待つしかなかっただろう。
しかし、そういった日本のマナーを知らず、日本語通訳も伴に付けなかった4人の無知なイギリス人どものせいで、こんな事件になってしまった。
当時のイギリス政府も、薩摩藩との交渉のために翌年船団を薩摩港に送っている。当時の交通網を考えると、これがどれほどイギリス政府に税金を拠出させたか、想像もつかない。東洋の野蛮人どもに大切な国民を殺されたイギリスの怒りが伝わってくるようだ。私は「薩英戦争」は、最初からこれを目的としてわざわざイギリスが船団を送ってきたのだと思い込んでいたが、実際は、薩摩藩との交渉が不調に終わったあと、イギリス人が薩摩の船を拿捕したことに起因したものであって、戦争をふっかけることのみが目的で来たわけではないことを今回Wikipediaで初めて学んだ。
それでも、薩摩藩は、イギリスに、賠償金を払わされた。が、下手人は「逃亡中」として処罰されなかったという。この気骨やよし。
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私が詳しいわけではないが、芸能界って、それ系とつながりがあるって、今に始まったことじゃないんでしょう?
時々、島田紳助とか、今日も2人の男が会見していたけど、たまたま表ざたになってしまって、契約解除とか、謹慎処分させられたり等しているが、昔、某暴力団の組長が死んだとき、葬儀に、大物芸能人が続々駆け付けたり、花輪を贈呈したりしていたはず。それは何だったのだ。
それとは別だが、先日、ジャニーさんが87歳で亡くなった。
彼の、美少年発掘、または、さほど美少年ではなくとも、芸能人としての資質を見抜いてスターダムにのし上げる眼力と手腕のすごさは比類がないものであったろう。
しかし、ジャニーズ系の芸能人たちの圧倒多数が、いい歳過ぎても未婚ですごしているのは、やはり、事務所に入りたての10代前半、まだ世の汚れを知らぬ年で、ジャニーさんに手籠めにされてしまい、その衝撃で性に対する感覚がゆがんでしまった影響もあるのではないだろうか。
もちろん、ジャニーさんを告発しては、追放されてしまうから、誰もが、怖くて、我慢しているのである。
代替わりしたから、同事務所の威光も衰えるだろう。しかし、女性が社長になったら、少なくともそういう被害はなくなるだろう。
ジャニーさんって、どんでもないやつだった。いろんな意味で。
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