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「男女」に分かれて競う、という手法は、もうどうしようもなく時代遅れであろう。昨今、はれもの扱い状態になってきているLGBTの方々からしてみたら、許しがたい競技であろう。そのうち、「桃組」なんてのが用意される時代になるのだろうか。
私は保守的なせいか、LGBTの彼らがあまり声高に権利を主張するのはどうしても好ましく感じられない。本音を言うと、告白して、静かに、かつ普通に存在していてくれないかな、と思う。
昨年、杉田水脈氏が、雑誌に「LGBTの人は生産性がない」と書いたその1文をもってLGBT諸氏から総攻撃を食らい、結果、その雑誌は廃刊の憂き目にあった。私はその文章全体を読んでいないし、1文だけを取り上げてどうこう言うこともあまり適切ではないとは思うが、LGBTの人たちの組み合わせで、新生児が出産されないことは事実である。私も子供を産んでいないくせに、と言われてしまうかもしれないが、私の場合は「機能があってもあえて使わなかった」ので、その点はLGBTとは一線を画している。
私の友人の友人に、ばりばりのゲイがいる。私には「また聞き」になるけれど、彼がどう男性の恋人を見つけ、性行為を楽しんでいるかということを、彼の直友達らは面白がって聞いているそうだし、つまり、彼のことを全然差別も何もしていない。ある女性は、海外旅行に行くときは彼をボディーガード代わりに伴うほど、長年の旅行友達でいる。同じベッドに寝ていても絶対何もないので、安全なことこの上ないそうだ。
だから、LGBTの人たちは、あまり声高に権利を叫ぶようなことはせず。普通に告白し、普通に友人として暮らしてくれたらいいのにな、と思う。
聞いたところによると、男性同性愛者は人口の4%、女性同性愛者は2%くらい常に生まれるそうだ。歴史的にも、日本は古来、同性愛や両刀に寛容であった。日本でこんなに同性愛者のパレードなどを見て違和感を禁じ得ないのは、キリスト教社会では違法である影響がそのまんまキリスト系でない日本に輸入されているからだと思う。
私が、同性愛者は静かに表明して欲しい、と考えるきっかけは、20代後半の経験にある。
「桃実さん、今日お昼空いている?」
と、となりの部署のおじさんに聞かれ、付いていったら、そこには私より10歳以上年上の男性社員(他部署)がいて、3人でランチした。それがいわゆる「お見合い」であることに、しばらく私は気づかなかった。
ただ、私は結婚相手はなるべく年上を希望していたし、見た目も悪くない人だったので、いいかも、と思ったが、それ以降、その人とは、みじんも進展がなかったのである。社内のワケ知りの人たちには、
「桃実さ〜ん、●●さんとお見合いしたでしょ。その後どうなったの?」
なんて冷かされたが、今考えると、あの人は完璧なゲイであった。当時は、ネットもなく、そういう系の知識もほぼ絶無だった私は、お見合いをしたということで少々舞い上がっていたのだが、その人はその後もずっと独身だった。今だったら、単に「女にモテない」という理由以外で女っ気皆無な人が何となく判別できるけど、当時はそんな見方も知らなかった。私が結婚することになった時、その人は結構驚いてくれたけど、今思っても、ゲイと見合いさせられて、私には迷惑千万でしかなかった。
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