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老人ホームで暮らす母が、他の複数の入居者から風邪をもらってしまったみたいで、様々な症状を出し始めた。ホームのかかりつけ医師がその日は完全オフだったので、弟子のような若い医師が来て診察してくれたが、肺炎と心不全の疑いがあるということで、どうするかホームの責任者と話し合った。
老人は、肺炎一つで死ぬ。私はかねてから、老人の過剰医療には反対してきた。曽野綾子さんが、「90歳を超える老人をドクターヘリで搬送」という、どこかで起こった実例を引用し批判しておられたが、もっともだと思った。
医師に、
「入院という移動は大変。ホームで点滴してもらうことはできないか」
と聞いたら、できるにはできるけど、ずっと看護師が付いているわけではないので、1日1回500MLが限度だが、入院していたらせめて1500MLは行えると言う。ホームには、他の入居者らもいるから、介護士さんの負担を母のためだけに増やすわけにもいかない。ホームの責任者と目と目を見かわしあったけど、やはりホームとしても、過剰な負担と責任を負うより、入院してプロに診てもらったほうが、といった感情を読み取った。よって、不本意ながら、老婆のために、救急車を呼んでしまった。
入院先は、HCU(High Care Unit)といって、ICUの少し手前のような集中ケア室である。こんな老婆、申し訳ないなあと思ったら、ほかにも何人も老人が寝ていた。
母は認知症もあるため、徘徊させないための身体拘束や抜管を防ぐためのミトン装着等々、前回(2016年末)同様、いろんな同意書を書かされた。
それから、延命治療は不要だけど、苦しまないようにだけは、というお願いを、前回同様にしてきた。
ちょっと、思った。
父と仲が悪かった私は、父なんか早く死んじゃえと思っていた。ガンで死んでくれたときは本当に助かったし、せいせいしたし、涙は一滴もこばさなかった。
しかし、母親というものは違う。
延命も過剰治療も拒否とはいえ、まだ、私の中では、いつ来ても不思議ではない「その日」の覚悟が、まだしっかり出来上がっていないことに気づいた。
来月、母の誕生日でもあること。
さらにさらに、昨年末に、姪が子供を産み、母にとっての「ひまご」が産まれたけど、まだ小さくて会えていないこと。
ひまごの顔は、一度くらいは、見せてやりたいものだ、と思う。
見せても、数秒で忘れてしまうけど。なにせ、名前だって、100回200回教えても、すぐ忘れてしまう。
苦しまないで、眠っている間にこと切れていた、というのが最良の死に方だと思うのだが、母はどういう死を迎えるのだろうか。
まだしっかり覚悟できていないけど。
病院中、この貼紙だらけ。家族であっても面会を断られている。あとは病院に任せるのみ。
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