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昨日は、日曜日ながら税務署が臨時開庁していた日だったので、確定申告に行った。去年に続いて医療費が10万円を超えたからだ。郵送してもいいのだが、ザッとでも見てもらいたいので、いつも新横浜の税務署まで行く。
去年の税務署職員は、死ぬほど腰が低かった。にこにこ満面の笑顔で、敬語は連発、もみ手でもてなしてくれていた。何しろ、当時の内閣総理大臣みずから大脱税をし、国民の怒りを買っていたからである。脱税犯が平気で内閣総理大臣を勤めた国など、日本の他にあるのだろうか。一番問題なのは、当の鳩自身が、自分の大罪とその本質を全くわかっていないことである。
「ママからカネをもらって、何が悪いんだろう」
「贈与税なんて、何故あるんだろう」
「カネを持っていない人間って、くどくど言うんだなあ」
くらいにしか思っていないであろう。今朝の「産経抄」にも、
「いまだきちんとした説明をしていない」
と批判されていた。鳩は、死ぬまで、これ以上なにもあの子供手当については発言しないであろう。
せっかく「引退する」と言ってほっとしたのに、昨年12月18日にはそれを撤回してしまった。鳩という男は、空気と人の表情と国民の感情の読めなさにかけてなら、日本一である。
今は、国税庁のホームページに数字を入力するだけで、簡単な申告だったらすぐ書類が作成できる。その結果、返ってくるであろう所得税は、1万5000円あまりと算定された。
タダでは稼げないお金なので、これだけであっても、しっかり申告した。
鳩ぽっぽにしてみたら、赤ん坊の小遣い程度の額。
それを考えたら、また腹が立ってきた。
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FP、年金、税金、高齢化社会
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私の勤務先に「ミニ図書館」がある。そこで、話題の「くじけないで」を見つけたので、借りてきた。
97歳になってから、産経新聞1面の「朝の詩(うた)」の常連投稿者となり、そこから注目を集めた、柴田トヨさんという99歳の老女の詩集である。
御年99にして、「主婦」「無職」以外に「詩人」という肩書きがつくのは立派なものである。体は弱っても、頭脳が明晰であれば、年齢にかかわらず、何かを生み出す能力がある、ということだ。何より素晴らしいのは、その、分かりやすいけれど、清冽な言葉の数々である。詩を書くのを勧めたのは、一人息子さんだそうだが、もっとお若いころから書き始めていたら、どれほどの作家になっていたか、と思う。
少々下世話な見方になるが、もっとすごいと思うのは、御年99にして「納税者」になることである。普通、百歳くらいの老人であれば、世の中から受け取ってばかりいる立場であるが、このトヨさんは、逆をやってのけたのだ。
作家の曽野綾子さんは、ベストセラーになった近著「老いの才覚」で、「人間は一昔前まで、一生働くのがあたりまえであった」と述べている。70歳になっても80歳になっても、死ぬまで畑仕事に行くのが当たり前だった、と。農業や商店などの自営業より、勤め人になるほうが圧倒的に多い昨今では、これを望むのはなかなか大変だ。しかも、いわゆる「団塊の世代」が大量退職する今年以降、支給する年金の額も、桁外れに多くなる。現在の財政状況では支払えないことは火を見るよりあきらかなのだから、65歳を過ぎたからといって、引退しない、させない制度作りが必要である。働くのは何よりの健康法、ぼけ防止法である。70過ぎても、せっせと働いて年金を軽減してもらうと良い。
トヨさんについて心配なことの一つは、印税をあてこんで、悪徳業者やエセ宗教団体が押しかけてこないか、ということだ。ちょうど、トヨさんの詩のなかに、こんなのがあった。
電話
漸く起き上がって
電話に出ると
結局は何かの
セールスだったりする
断ると 猫撫で声が
不機嫌になって
ガチャリと きれる
楽しい話ばかり
つないでくれる電話
どこかにないかしら
この、最後の1節がいい。
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新聞の死亡欄を見るのが結構好きだ。
昨今は、長寿時代と医学の発達を反映して、なかなか「老衰のため死去」という記載にお目にかからなくなった。ガンか肺炎、心不全という死因が多い。たまに「老衰のため」と出ているのを見つけ、「お〜っ」と思って年齢を見てみると、90歳前後である。ここまで生きないと、老衰とは呼ばれなくなったらしい。いまから30年くらい前なら、70代でも老衰で違和感が無かった記憶がある。
山梨県に、健康な長寿で知られるゆずり原村という農村があった。今では食生活もすっかり現代人同様となり、そんな時代は過去のものとなったらしい。が、その昔は、おじいさんが、鍬をふるって穴掘りをしていたら、なんだか静かになったので、近寄ってみたら、鍬をふりおろしたまま穴の中で死んでいた、といった、まことにうらやましくなるような死がざらにあったらしい。健康に生きるとは、こんなふうに健康に死ねるということではないか。医学が発達するのはありがたいが、意識もないまま、チューブでぐるぐる巻きにされてまで生きるのは、人の生とは言いがたい。
私はサッカーには興味はないのだが、あの、ワールドカップの勝利チームをことごとく的中してのけたドイツの水族館のマダコ、パウル君が先月末ひっそりと死んでいるのが発見されたという。前日まで元気に泳いでいたそうだが、タコの寿命はおよそ3年前後なので、2歳9ヶ月のパウル君は「老衰」による自然死だったそうだ。2歳9ヶ月で「老衰」、か。パウル君、やすらかに。しかし、人間は、このまま行ったら、100歳過ぎないと老衰にならない、とかいう時代が来るのだろうか。 |

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生きていれば111歳であったはずの東京の男性の娘と孫、おなじく、生きていれば102歳になるはずであった福島県の女性の5女が詐欺容疑で逮捕された。日本全国に、首を洗って冷や冷やしながら日々を送っている詐欺家族は、今後いったい何件出てくることやら。
死を隠していたらもらえるものなら、黙っていてやろうというさもしい精神はどんなに批判されてもされすぎはない。時効により過去5年分までしか請求できないのが口惜しいが、彼らには返金するほどの余力もないのではないか。ま、東京の家族の場合は、自宅不動産があるみたいだから、これを差し押さえて回収してほしい。
東京の老人の場合、「即身仏になる」と言って部屋にこもった数日後に悪臭がしてきたという。この家族をかばうつもりは到底ないのだが、この老人は、家長として絶対的な権限をふるっていたそうだ。だから、誰が何を言っても聞く耳持つような人ではなかったと思われるし、きっと、家族にも「死んだらせいせいする」とまでに、嫌われていたのではないだろうか。年金をガメたのも「おじいさんにいじめられた腹いせに、年金使ってやるわ」とでも思っていたのだろうか。が、しかし、それであっても、繰り返すが、許されることではない。時効のわくを超え、自発的に全額耳をそろえて返してほしい。
それにしても、今回のミイラ死体の発見は、70歳代の民生委員の女性のお手柄だったという。それまで、役所の人間が当人に会いに行っても、「会いたくない」「岐阜に行っている」などと、ありったけのウソでごまかした家族も悪いが、役所の人間のなんと役立たずなことよ。それに輪をかけて、旧・社会保険庁の人間もろくすっぽ仕事をしていなかったようだ。いくら「日本年金機構」に看板を換えようとも、中身が腐ったままでは意味が無い。所詮、他人の税金だから、どう無駄になろうと何とも思っていないのだろうな。国は、今回の一連の事件を発覚させるきっかけとなったこの民生委員に、表彰状の1つでも送るべきだ。
私も昨年父が死んだとき、あちらこちらに死んだ、死んだと書類で知らせて回った。なんでこんなに言いふらさないといけないんだ、と思ったが、世の中の大半の人たちは、私のように、こうやってクソ真面目に届け出ているのであって、私のような小心者には、なんら後ろ暗いところもなく生きているのが一番良いのだ。しかし、欲を言えば、死んだということが、なんというか、横一線にピーっと伝わるか、把握できるような制度があったら楽だなと思う。もちろん、戸籍、住民票、年金、健康保険を取り扱う公的機関と民間を束ねるのは困難であるし、公的機関自体「縦割り」で、横に情報が伝わることはまれであることを承知の上で言っているのだが、死亡報告手続きをする側をもっとラクにさせないと、同じ事件は今後永久に発生し続ける。
最後に脱線。
アメリカ語では「おかあちゃん、ママ」は「mommy」とつづる。が、イギリス語では「mummy」である。
「Mummy」とつづると、「ミイラ」と同じになるので、ちょっと気味が悪いのだ。イギリス人は平気なのかしらん?
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猛暑が続き、熱中症で死ぬ人が続出している。母に、
「年寄りの中には『エアコンは体に悪い』っていう人がいるんですってね」
というと、そう、とうなずき、母が毎週行っている老人のつどいのなかに、
「私より若い人でも、『エアコンの風が嫌い』と言って使わない人がいるの」
と言う。
人間、年老いるほどに、新しい機器類に対する抵抗感はいや増す。私の曾祖母は電話も使えなかった。祖母(父の母)はそれよりましだったが、ただ、電気の使い方がよくわからなかったし、電気代に対する思い込みの激しさはどうしようもなかった。 10年前に死んだこの祖母は、冷凍室と冷蔵室の機能の区別がよくわからなかった。 「すいかを早く冷やそう」
と言って、冷凍室に入れたこともあった。缶詰めなど、冷蔵庫に入れなくていいのに、冷蔵室でなく冷凍室に入れ、それが凍るので、 「うちの冷蔵庫は冷えすぎる」
と言ってはコンセントからコードを抜いてしまうのだった。
コードを抜くのは、冷蔵庫だけではなかった。テレビも、見たい番組を見終わると、節約のため、すぐにコードを抜いた。テレビを見るのも、電気を消して真っ暗な中で見ていた。私が母に、
「あの人は電気1秒1万円の感覚なんだね」
と言うと、
「もう、あのトシじゃあ直らないから仕方がないのよ」
と母は言った。
祖母は、父の実母であったが、曾祖母のもとに預けっ放しにし、ずっと一人で居た人なので、戸籍はつながっていても、精神的なつながりはゼロだった。筆舌に尽くし難いほどの異常人格者で、アリのように小さい体に要らぬプライドをみなぎらせ、私の両親に向かって 「お前たちの世話にはならない!」
などと叫んでいた。が、結局はボケが進み、一人暮らしができなくなり、父が引き取った。引き取ってみると、よくもめた。「電気1秒1万円」の精神も十分にもめるネタとなった。例えば、頻繁に便所通いする祖母だったので、午後から夜までうす暗い廊下に電気をつけていたのだが、祖母は、そのようなつけっぱなしの電気を見るたび発狂し、母に
「電気ついてる!電気ついてる!」
と報告に来た。母がいくら
「つけておいていいのよ」
と諭しても無駄だった。父が引き取ってからも、コードを引き抜く長年の一人暮らしの習慣は全くおさまらず、温水便座や風呂の自動給湯器など、日頃絶対に抜かないコンセントも、目を離すと必死に抜きまくった。
「差し込んだままでいいのよ」
と母がいくら言ってもこれまた無駄で、コンセントにコードが差さったままなのを見ると発狂するので、母は、抜かれたら困るコードはガムテープで覆い隠し、祖母が見えないようにした。
祖母が風邪を引いたとき、母は電気毛布を出してやったが、祖母は一向に使う気配がなかった。
「何で使わないの?」
と聞くと、電気代がかかるから、と答えた。
「そのくらいけちらないで使いなさいよ」
と母がコンセントに差し込んだら、手元のコントローラーに「通電中」を示す、マッチの頭くらいの小さな小さな電球が点灯した。祖母は、その点灯を見ただけで十分発狂し、電気毛布の使用に耐えられないのであった。
こんな祖母ほどでないにしろ、戦争を経験した世代がエアコンに抵抗があるのもうなずける話だ。もったいない思考が強い上、今の時代の気候の変化も体の老化も度外視し、ただ我慢すればしのげると思っている。今朝の産経新聞で、毎週水曜日に寄稿している曽野綾子さんが、そういう頑固な老人には、 「おかあさん、エアコンをつけるつけないもご自由ですけど、死ぬときはしっかり干物になるように死んでくださいよ。死んで匂うなんて人迷惑ですから。1年も2年もひからびたまま世間には分からないように死んで、ずっと年金を騙し取れるようにしてくださいよ」
などと、わざとカッとなる表現を使えば、年寄りもエアコンをつけるだろう、と面白く書かれていた。なるほどね。
私が老婆になるころには、どういう機械の使い方ができないので、若者たちにあざ笑われることになるだろう。ちなみにわが老母は、特訓のせいで、なんとか携帯のメールが読めるようになってきた。 |

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