桃実 says

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FP、年金、税金、高齢化社会

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なんでこんなことをするのかなあ、と、自民党政権を残念に思う。
国の財政が貧窮しているのに、選挙対策のばらまきと思われても仕方ない。

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母宛てに先月届いたこの書類。記入し、必要書類のコピーを同封して送ると、3万円もらえるらしい。
母は老人ホームに入っているので、私が代理で記入して送り返した。あと半年後くらいに、母の口座に3万円振り込まれるらしい。
昨年11月には、「もしかして一定の貧民枠に該当すれば、6000円をもらえるかもしれない」という、途方もなくアホ臭い給付金のお知らせがきたことがある。私は思わず、
「たかが6000円を振り込むために、どれだけ膨大な税金を浪費しているんですか」
と、怒りの電話をかけてしまった。電話に出た人は、平身低頭で謝ってくれたが、お金を恵むのに、叱られなければならない仕事というのも奇異だ。
今回の3万円は、「一定の貧民枠に該当」ではなくて、みんなに支給されるらしい。

それにしても、ただでさえ国の財政を貧窮させている高齢者にこれは何だ。
今日は子供の日。日本の子供の数は、35年連続で減少し、総人口の12.6%だという。
お金をかけなければならないのは、選挙権はないけど将来のある彼ら子供の方だ。

認知症と徘徊

昨日、最高裁で、判決が出た。
JR東海から損害賠償請求を受けていた家族(厳密には、妻)には、監督責任を問えず、賠償義務なし、とする判決だ。

しかし、これを見て、
「認知症の老人が起こした事故なら、損害賠償責任を負わなくて済む」
と、とんでもない勘違いする人が出たら困るな、とも思った。
このケースでは、認知症の91歳を看ていたのが、自身も要介護1である85歳の妻で(新聞報道によると、横浜に住む長男の妻も引っ越してきてこの家のそばに住んでいたとあったが、その存在については触れていなかったよう。なぜだ)、ドアにアラームを付ける等、妻も十分に力を尽くしていたことが背景にある。徘徊について何も対策や努力を講じていなかったとしたら、安易に免責されるものではないだろう。

それにしても、つくづく思ったのは、頭だけ呆けて、足腰と体が達者な認知症がいかにタチが悪いか、手に負えないか、ということだ。このJRに跳ねられた老人も、91歳でぴんしゃんし、JRのゲートをかいくぐるほどの体があったわけだ。私の母の場合は、ホームにいるし、もうろくに歩けない足になってしまったから、徘徊の可能性は無い。

しかし、ボケ老人は、なぜ、徘徊をするのだろう。
私の昔の会社の同僚で、いまでも時々コンタクトさせてもらっている友人がいる。
彼女の場合は、お父さんの介護のために、会社を辞めてしまった。兄と姉がいるが、彼女だけ独身で身軽だったせいもある。
お父さんの介護がすさまじく大変なのに、ユーモラスにさえ語る姿には、いつも敬意を感じていた。
お父さんは、ときどき、
「おうちに帰る」
と言って、外に出てしまうのだという。じっと後を付けていくと、駅にたどりつく。駅員には、認知症のお父さんのことを、あらかじめ伝えてあるという。
「もう電車がおわっちゃったそうだから、また明日にしましょうね」
とか、だまくらかして、家に連れ戻すと言っていた。
長年東京に住んでいるのに、そこが自宅だということも忘れ、妻の顔も忘れ、
「僕は独身だから結婚しなきゃ」
と言ったそうだ。
子供のときは、別の地方に住んでいた。幼児期の記憶に戻ってしまうらしい。

なぜ徘徊をするのだろう。ちょっと目を離したすきに、飛び出してしまうらしい。
追いかけ回す家族は、たまったものではない。
そうまでして、生きていたくない、と思う。
それに、被害を丸々かぶらされるJR東海は、認知症の場合は、泣き寝入りを強いられるのか。どうしたら良いというのだ。
一家が賠償義務から解放されただけで、未解決の問題を山盛り残した判決であった。

悲しすぎる老夫

こんなニュース。ひとごととは思えなくて、泣きそうになった。

介護に疲れ妻殺害容疑で逮捕の夫、食事拒み続け死亡
TBS系(JNN) 2月24日(水)0時16分配信
 介護に疲れ、無理心中を図ろうと妻を殺害したとして逮捕された83歳の夫が、その後、食事を拒み続け死亡しました。

 今月5日、埼玉県小川町の住宅で、國崎誠一容疑者(83)が妻の恭子さん(77)を刺して殺害したとして逮捕されました。

 國崎容疑者は自分の首や手首も切っていて、「認知症の妻の介護に疲れ、殺した」と警察に話しましたが、その後、食事をほとんどとらなかったということです。

 警察は國崎容疑者を今月17日に入院させ、点滴で栄養補給をしましたが、病院でも食事をとらず、23日に死亡しました。警察は「取り調べにもほとんど応じず、なぜ食事を拒んだかわからない」としています。(23日22:30)

「なぜ食事を拒んだかわからない」
警察は、どうしてこんな白々しい回答をするのだろう。
誰がどう見ても、妻の後を追うために、自ら餓死を選んだとしか思えない。

この年代の男性は、周囲にヘルプを求めるのが苦手。
なんでも自分だけで抱え込み、自分だけで解決しようとする傾向があると思う。
子供もいたそうだが、結局、認知症の配偶者をもう一方の高齢配偶者が殺すという、典型的パターンになってしまった。
昨年の統計だと、認知症の妻を夫が殺したケースは34件、これに対し、認知症の夫を妻が殺したケースは10件だったという(未遂を含む)。
私も母を介護施設にお願いしている身である。
母の介護を自力だけでやろうとすると、3日も持たないだろう。
年末年始引き取っただけで発狂しそうになった。



癌や認知症を患う人が増えているが、これはただただ、寿命が延びたせいである。
信長の時代のように、人間50年であれば、癌になる人は多少はいたであろうが、認知症になる前に大半の人は死ぬ。
あの時代は、盲腸はおろか、虫歯の1本でもどうしていたのだろう、と思う。
 
1月24日に、作家の曽野綾子さんが、産経新聞1面のコラムに、「90歳代で、ドクターヘリを要請した患者がいた」という話を書いていた。
素直に、たまげた。一体1回のヘリ派遣でいくらかかるのだろう。
「高齢者が治療を受ける権利を否定するわけではないが、ある程度の年になったら、人間は死ぬという教育をすべき」
と書いておられたが、同感である。
そして、案の定、ネットを見たら、彼女に対する猛烈な批判が書かれていた。
曽野氏はこの理論を、週刊ポストのインタビューにも展開しておられたようだが、曽野氏への「ブーメラン」として、
  
  「あなたからどうぞ、としか言えない」
  「『適当な時』は誰がどういう基準で決めるんでしょう」

等の意見を見た。
曽野氏の書かれた言葉の一部だけに噛みついているようだが、曽野氏ご自身、
自分もこの年になったらドクターヘリも呼ばないし、できるだけ救急車のお世話にもならない」
と述べておられる。
いまはまだお元気だけれど、死ぬような病になったら、あまり治療もせずに逝く方を選択するのではないか。
奇しくも、1月31日の「論説委員 日曜に書く」という渡部裕明氏という方のコラムを読んだら、京都市にある老人施設の、76歳になる専属医師が、
「健康診断は受けず。救急車は呼ばない、入院しない」
をモットーになさっている、とあって、曽野氏と同じタイプの考え方の方だなあ、こういうお医者さんはいい、と思った。
医療の進歩により、昔なら死んでいた病も治るようになった。それ自体は素晴らしいことではあるが、こうなってくると、何歳まで生きる、もとい、生かされるのが適切なのか、わからなくなってくる。
しかも、寿命は延ばせば延ばすほど、非生産人口を増加させると言う点では、「長命はめでたいこと」という美麗な建前のもとに、その問題点はなかなか大きな声では言えなくなっている。曽野氏や上述の医師のような方がこの点を的確に指摘すると、攻撃はされるだろうが、賛同の声はあまり報道されにくい。
 
ナントカ細胞で世間を騒がせた研究者がいたが、自分の細胞から、臓器を自由に作り出せるという技術は世界中で研究開発中である。
心臓が悪くなったら、心臓を作って移植し、脳がぼけたら、脳を作って移植する、骨も血管も、ということも可能になる時代がやってくるかもしれない。
そうなったら、いくつで死ぬのが「妥当」になるのだろう。
金があれば、120歳や150歳まで極力生かすのが「正当な医療」になるのだろうか。
ぞっとする。
私は、人間、最低限の身の回りのことができなくなったら死んだら良いと思うが、これ自体「オプション(選択制)」の一つだといま悟った。
「私は○歳まで生きたい」
と言うのは、かつては、というか、これまではほぼ「天命」だったと思う。それが、これからは、どこまで治療し、どこまで臓器を移植し、何歳まで生きられるようにするのか、希望を聞いてお金を払う「オプション制」に変わるのかもしれない。
ややっこしい時代になった。
 
新幹線の中で焼身自殺した迷惑な爺さんは、年金が毎月12万円くらいしかないことに不満を持ち、
「これでは暮らせない」
と役所に交渉しに行ったそうだ。
根本的に誤解しているのは、「年金」とは、老後の生活を「補助」するものであって、それだけで暮らせる保証をされたものではない、ということだ。
考えてみるといい。
この爺さんだって毎月掛けてはいただろうけど、国民年金だけで、せいぜい1万円ちょっとだったのではないだろうか。それがいま毎月12万円に化けている方がよほどすごいのに。
人口構成がピラミッド型で、老人1人を若者50人が支えているのならまだしも。
若いころからしっかり所得をあげ、貯金をし、老後住む家を確保してから定年を迎える、というのが、誰にも必ずできることではないのはわかるが、ともかく、「年金だけ(とりわけ国民年金だけ)で暮らせる」保証があるわけではない、ことを、日本人はもっときちんと理解しないといけない。

うちの母は、その点、極めて得をしている、ありがたい世代だ。
父母は子供のころ貧乏で、しかも、戦争を経験し、ろくすっぽ学校にも行けなかったけど、高度経済成長を経て、安くはあったが給料を毎月もらえる会社に父は勤め、母はときたまパートをして家計を支えた。
父が死んだ今、母は、父の遺族厚生年金と母自身の老齢年金がびっくりするほど潤沢にもらえ、おかげで母の老人ホームの費用は全部そこから賄えるのだ。国民年金だけだったら、こうはいかなかった。厚生年金さまさまである。

私は毎月、厚生年金保険料を5万円以上天引きされ、とっても痛いのだが、母に払われている年金額を考えると、そのくらい引かれても文句を言えないな、と思う。自分には先々あまり返ってこないだろうけど。

私は一応ファイナンシャルプランナーの資格を持っているけど、もし、会社勤めを辞めてその活動をするとしたら、

(1)日本の若者らに金銭教育をするーーー なぜ日本の教育界は、子供たちに金銭教育を全くしないのだろう?
(2)老人の移住先を紹介する仕事をする。とりわけ海外。日本の年金制度は破たんしているので、月々数万円の年金だけが頼り、という高齢者がこれからどどっと増える。それじゃ国はたまらない。なので、フィリピンとかベトナム、カンボジアなど、コストの安いところに日本の老人村を造り、そこに移住してもらう。現代版姥捨て山のようだが、無年金、無貯金、無親族という老人3大悪条件の人らには、そのくらい飲んでもらわないと、国はもたないだろう。

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