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こわれゆく父、父の死

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選挙と老父

今日は選挙の日。父の病院に行く前、8時前に投票を済ませた。私の一票などゴマメの歯ぎしりにもならないが、民主党などに勝たせてはならんと思いつつ。横浜市長選の候補者らにもちょっと頭を抱えた。

今回初めて、最高裁の判事に対する国民審査に注視した。これまでは「いりません」と用紙をもらわないことすらあったのだが、初めて真剣に×をつけた。
外国人の母から非嫡出子として生まれた父親に生後認知された場合、日本国籍を得るためには父母の婚姻を要件としている現在の国籍法の規定を「法の下の平等」に反する、として、DNA検査も要求せずに、日本国籍を与えることという判決に賛成した複数裁判官に、である。

世の男性らには気の毒だが、法の世界には「父は常に推定でしかない」ということばがある。
巷のお父さんたちの中にも、ひょっとしたら、自分のタネではない子を「我が子」と信じ込んで養い続けているむきがおられるのではないか。「父」とは、腹に9ヵ月携える母とは違い、非常に簡単かつ、外部的な労力でなれてしまう。そのような訴訟の原告らは、往々にして東南アジア方面の女性たちで、経済的に恵まれていないのが普通だ。そういった女性たちに、認知を迫られれば、身に覚えがある男たちは、認めてしまうであろう。しかし、正式な妻でもない外国人女性にタネをまいて来て、婚姻もせず、ただ「身に覚えがある」やましさなどで、あるいは、最悪、脅迫や虚偽によるやもしれないが、日々の養育もしない認知で、やすやす国籍を認めて良いはずがない。東南アジアの人間が、どれほと日本国籍を欲しがっているのか、日本に入国するチャンスを狙っているのか、最高裁の裁判官らは思いが及ばないのであろうか。国籍法が、「生前」認知については日本国籍の付与を認めているのは、生前ならば、よほど身に覚えが確実にある父親によるものであると考えたのだろう。生後認知は、「産まれてみないと誰の子だかわかったものじゃない」というパターンが過半を占めているに違いない。であるから、それら子ども達には、DNA鑑定を義務づけてなんらおかしいことはないのに、国会議員の中にすら、千葉景子(民主党、弁護士)など反対する者がいるのも理解できない。やましくないなら、DNA鑑定を堂々受ければいい。この判決を受けて、中国では、認知ブローカーが沢山誕生したことだろう。
石平という、2年前に中国から日本に帰化した中国問題評論家がいる。今朝、iPhoneで産経新聞を読んでいたら、彼の言葉が一面に出ていた。いわく、
「日本のパスポートを持てて嬉しくてたまらない」
とのことだ。そりゃ、そうだろう。ましてや、自ら進んで帰化したのなら、なおさらそう思っていただきたい。その記事の中に、フィリピン人が海外に行くときは、
「一番いい服を着て、一番いい宝石を身に付けて、不法滞在するメイドに間違えられないようにしている」
という記述があったのは、さもありなんである。日本のパスポートなら、そのような疑いをかけられることはあるまいし、それほどのパスポートを持てる幸せを、当たり前すぎて実感できないのが私らのある種「不幸」かもしれない。
日本国籍を求めて提訴してきた母子らは、フィリピン人だ。彼女たちには、日本のパスポートがどれほどおいしく、うれしいか。日本に来て、生活保護などを申請したら、認知した父に支払い能力がなければ、税金で養われることになるのだし。
過去にも再三述べてきたが、移民とは常に、貧しい国から豊かな国に動くことを忘れてはならない。
すべての日本人男性にお願いだが、海外で、とりわけ日本より貧しい地域で、うかつにタネまきをしないでいただきたい。

選挙の話に戻る。
私は、父の成年後見を申請したとき、決定は、中間の「保佐」だろうと思っていたが、なんと、最も重度の「後見」が決まることになった。しかし、後見になると、選挙権まで剥奪される。共産党支持者である父は、「選挙権まで失うとは、人格の否定だ」と怒り、私は、裁判所あてに文書を提出し、「保佐」に落としてもらった経緯がある。しかし、そうまでして維持した選挙権を、行使することもあたわず、父は半分死んだ状態でベッドに横たわっている。

父の体を横向けにしたりする際に看護師を手伝うと、看護師さんに、「上手ですね」とほめられて多少嬉しい。NHKの「ためしてガッテン」の介護特集で見たまんまをやっているのだが、ここで慣れておけば、母のときにも役に立つかと思う。

しかし、父は、トイレに行こうとしたのか、夜、ベッドの柵を1つ取り払ってしまったそうで、昨日から、取り外せない柵に取り替えられていた。ということは、排泄は、尿器やおまるで取るか、あるいはおむつにするかのいずれかである。おむつは24時間はかせているが、少々かぶれも出ているようだ。しかし、これまでは、おむつだけつけていれば足りると思っていたのだが、実際はそれに加えて尿取りパッドを使うのだ。そうだな、尿の1回くらいでおむつを交換しては、不経済だし大変だ。尿取りパッドは、男性の場合、男性器をくるんで使う。私は、老父のそんな部分を見るのもいやだが、看護師さんがかいがいしく尿を吸ったパッドを取り代えてくださるのに自分がしないわけにもいかず、思い切ってシモの世話にも挑んでみた。
部屋には、使い捨てのゴム手袋がおいてあるから、素手ではないのだが、まず、父が「おしっこ」と言ったときには、体を左右に倒して、パジャマの下を下げ、おむつを脱がせ、パッドを取り、その、干しバナナのようにしなびたものをつまんで尿器にさしこみ、放尿させた。父のをつかんだなんて、生まれて初めてではないか。げ〜。夫のは平気でさわれるのに、父のってどうしてこんなにキモイのであろう。そのあとは、トイレに尿を捨てて、尿器をトイレの横に設置してある洗浄場で洗い、ベッドわきに戻しておく。おむつ全体を取り替えるときは、さすがに看護師さんに手伝ってもらう。
まだ、おむつにするより、自力で排尿したいという意欲は多少なりとも残っているようだ。

あとは、洗濯と、それから、食事の世話もある。横浜市民病院は、病院食がなかなかおいしい。大勢のパートのおばさんたちが一生懸命作ってくださっているのだろうな。その食べさせ方も、ベッドに寝かせたままやっていたら、看護師さんから、「寝たまま食べては、誤嚥を起こして肺に行ってしまうおそれがある」と教わった。老人の誤嚥は肺炎に、ひいてはそれが原因で死亡につながる。ただでさえガンなのに、肺炎まで起こされてはたまったものではない。従って、電動ベッドで上半身を起こして食べさせるようにした。また、食事のトレイを目の前において本人の視覚に訴える方が、横からスプーンで差し出して食べさせるより数段食欲に訴えることもわかった。やはり人間、目で食べるからなあ。ただ、衰えているし、1日中眠っているせいもあり、1食あたり5分の1から10分の1くらいしか食べない。残してはせっかくの食事がもったいないので、母か私が食べてしまう。

最近は、男性看護師が増えてきて、父の担当の中にも、若い男性看護師が2名いる。どちらも小柄で優しそうで、それで、もうちょっと言うと、見るからに「カマ」っぽい。でも、もしカマだとしても、そういった細やかな特性が生かせるから、男性看護師は彼らに適した仕事と言えよう。女性の看護師にはむずかしい、腕力、体力仕事の場面では大いに役に立ってくれるはずだ。がんばれ、男性看護師。

おととい、2年ほど前に母親を亡くした男友達に電話をかけ、心構えについてアドバイスを受けた。彼は、
「お父さん、心電図つけている?」
と聞いた。
「そう、なんか、ピップエレキバンの大きいのみたいのを、胸の上に貼り付けているの」
「あ〜、それなら本当に最後ですね。その心電図計、室内に置いてありますか?」
「ううん、まだナースステーションの壁に表示されているんだけど」
「それが、室内に入ったらいよいよあと1、2日なんですよ」
「そうなの、へえ」
というような会話をした。とにかく、医者があと1か月と言ったら本当に当たるんだ、とも言っていた。

しかし、物心ついたときから父が嫌いだった私は、父にさわるのもどうしても億劫で仕方ない。母はその点、妻だから、父の面倒の見方も、話しかけ方も、さわりかたも、私とは格段に違う。
夫は、
「どうしてお父さんが嫌いなの?」
と聞く。考えてみれば、私が父になついていたのは本当に幼児だったころで、長じるにつれ、だんだん
「この人、家庭人として、親として、人間として、すごいズレている」
と思わせられる事実にばかり突き当たってきた。行動経済成長期に働き盛りだった父は、たいていの父親たちがそうであったように、なかなか家に帰ってくる時間がなかった。兄が東大に入って18歳で家を離れると、残った私と母は密着母子になっていった。母はよく父の悪口を私に言って聞かせ、それは現在に至るまでもほとんど変わることがない。で、夫によれば「それなら、お母さんが悪い」ということで、まあそれは当たっているかもしれない。しかし、父のズレまくりと無教養さにさんざん振り回され、被害を受けてきた身としては、やっといなくなってくれるのが安心である。母もこれから楽をしてほしい。

私は今週、ずっと腰痛に悩まされている。25日、検診に行かせるため、父をベッドから起こして立ち上がらせようとした。NHKの「ためしてガッテン」という番組で、人を立たせるときは、垂直に立てようとするのではなく、人間の体の自然な動作に従い、斜め45度くらい、つまり、私に近寄ってもたれてもらうのが良いと習ったので、それを言ってみたが、45度であろうとなかろうと、当人の脚力が無くなっているので、立つこと自体おぼつかなかった。それに、父がなんとか立とうとしたとき、父の頭が私の大きな胸を下からこすり上げた。「ギャ〜」。私は思わず身の毛がよだちそうになった。もともと胸の大きいのが大嫌いな私のコンプレックスを直撃するようなアクシデントである(胸なんて小さくたっていいんですよ!)。親とは言え、異性の親の介護はどうしてもハードルがある。それに、10代のころから日ごろ寄り付きもしないで育った親である。いまさら触って介護して、というのが無性にきもい。
そして、立たせようと格闘した結果、私は腰痛になってしまった。以来、ずっと腰に湿布を貼り、体を
「く」の字にまげて、よぼよぼ歩いている。

8月25日は、父の2週間に1回の定期健診の日だったが、父は、ここ1週間ほどで急に歩けなくなってしまった。
母が
「外来に行くのに、救急車を呼ぼうか」
と言ったが、私は
「救急患者でないのに、救急車を使うなって、あちこちで言われているでしょう?本当の死にそうな人に悪いからやめよう」
とさとし、なんとかかんとか3階から1階まで父をひっぱりおろした。実家は古い公団住宅で、5階建てなのにエレベーターがついていないという造りなのである。
タクシーで病院の前につけたら、すぐ車椅子に乗せた。乗せるのもまた一苦労であった。
父を診た医師は、父をはずさせたあと、こっそりと
「あと1か月、もたないかもしれませんねえ」
とうちあけた。私は、
「あんな状態じゃ、生かしておくほうが残酷ですから、苦しまないで終われるようにしてほしい。余計な延命治療はやめてほしいです」
と言い、医師も了解した。幸い、ベッドが一つあくので、次の日からそこへ入院させてもらえることになった。看取るためである。

さて、診察が終わり、タクシーで家に戻ったが、1階から3階まで上げたくとも、地べたにしゃがみこんで動かない。仕方ないので、今度こそ救急車を呼び、屈強な男性隊員4人に、上まで運んでいただいた。老人を上に持ち上げるためだけに呼んでしまって恐縮だが、本当にありがたい。いくらやせ衰えた老人でも、女の腕には重いことを悟った。

その夜、私は念のため実家に泊まった。すると、深夜に母から起こされた。父の脈拍が異常に速く、はあはあ息切れしている、というのである。起きて父を見た私は、また救急車を呼ばないとならないことを察した。未明の1時過ぎに到着し、いつもの病院へ運ばれた。

予定より9時間ほど早い入院となってしまった。一晩、救急外来に泊めていただき、今日、予定していた病棟に移った。しかし、いつもは6人部屋なのに、今度は個室である。いよいよ「最後のはなむけ」になってきた。今度この病院を出るときは、霊安室からなのだ。

トイレにも立てないし、尿器にもなかなかうまく排出できないので、オムツをはかせている。しかし、父のしなびたその部分を見るのは、身内であっても実にいやなものだ。実の娘でもこんなにいやなのに、嫁だったらどれほどか。その点は母はさくさくやるし、また、いうまでもないが、看護師さんらも、いやな作業だろうに、慣れた手つきでさささっと仕上げてしまう。さすがとしかいいようがない。

というわけで、しばらく仕事を休み休み、老父の見舞いに行く日々が続く。

しかし、人間、親を見送ると決まったら、その前に何をしておいたらいいのだろう?
遺影もあるし、葬儀もごく簡素にという指示を得ている。あとは、死亡により銀行口座を封鎖される前に、預金を移しておけとアドバイスした人がいた。それ以外、何をしたらいいのであろう。

アメリカから帰国したら、母から、これまで抑えられていた父のリンパ癌が、耳の後ろに再発したのが見つかった、と聞かされた。そして、2年前に、点滴による抗がん剤治療をすでに8クール終了しているので、「8クールがMAXのため、これ以上はできません」と医師から言われた、とも話した。はあ、そうなのか。私は今年の正月に、年内には葬式が出ると覚悟していたのだが、果たしていつになるやら。夫は「あのお父さんはまだまだ死なないよ」と妙な保証をするのだが、あまり長びかないうちに旅立って欲しいものである。

さて、話変わって。
ネットを使う世代は、まず手紙など書かなくなって久しい。事務通信とかダイレクトメール以外は、手紙を利用するのは高齢者が中心になったと言ってよい。実家に行ったら「このはがき、出しておいて」と、相変わらずミミズののたくったような字であて先も文面も埋められた父のはがきを託されたのだが、見ると、郵便番号を記載する7つの枠がきちんと書かれていなかった。まず最初の3枠に「049」と書いたあと、それを横線でだーっと消し、その上の余白に「949」と書いてあった。「これじゃ機械で読み取れないでしょう」と思ったのもつかの間、その隣の4つの枠に「 345」と書いてあるのを見た。一番左の枠はブランクである。母に
「どうして4桁ぜんぶ書いてないの?」
と聞くと、
「ああ、そうね」
と言ったが、母も年で、そんな細かいところまで構っていられないらしく、私が預かって、ゆうびんホームページで正しい郵便番号を検索した。正しくは「5345」と埋めるのだったが、数字を読み取れなくなった父は、枠を全部埋めるという作業もできなくなったということだ。ま、そのあと母から聞いたところ、父宛に、全然郵便番号が書かれていない手紙が田舎の友人から届いたそうで、郵便番号がなくても届くといえば届くのだが、しかし、高齢者の不鮮明な筆記や郵便番号漏れ、ミスのある郵便物を運ばなければならない日本郵便はちょっと気の毒だ。とりあえずそのはがきは私が郵便番号を修正して投函した。

昨夜は昨夜で、母からまた仰天するような話を聞いた。父がどうしても、と言い張るので、母とともに高島屋へ行き、25万円もする腕時計を買った、というのである。私は
「に、に、にじゅうごまんえん〜〜〜?腕時計くらいヨドバシカメラに行けば1980円でいくらでも売っているわよ。いまどき100円ショップだって腕時計くらい売っているのに」
と叫んだが、母は、
「もう死ぬんだから、好きにさせてやって。お父さんは、昔から妙に時計にこだわる人で、ずっと『時計が欲しい、時計が欲しい』と言っていたのよ」
と言う。私は
「だって、腕時計ならいくつも持っているでしょ?だのになんでまた」
と言ったが、
「もう死ぬ前の楽しみなんだからほっておいて。お父さんにも何も言わないで」
と母は言った。そういえば、老父は、老人にはとても似つかわしくないG-Shockのようなデジタル腕時計を長年使っていたりと、時計については奇妙な趣味とこだわりがあったようだ。しかし・・・・・ぼけているから、その辺に落としてしまいそうな気がする。母は長年父から虐げられてきたし、稀代のお人よしだし、父も父で言い出したら絶対引かない性格だから、購入もやむを得なかったのであろう、とは言え、はあ、あんな爺さんに25万円の腕時計、ねえ・・・・・私は紛失してショックを受けるような額の腕時計は絶対に買わないのだが。

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