桃実 says

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母、親戚、近所

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老婆と「愛想」

母の入所しているグループホームには、週末必ず行くようにしている。
母は私の顔を見ると「会いたかったよ〜」と言って涙を見せる。
もう完全に母娘が逆転している。
「私、先週末も来たでしょ?」
と言っても、「そお?」と言う。何があっても、何を話しても、一瞬で記憶から消えてしまうので、母にとっては、すべてのことが新しい。
「手紙を書いたの」
と言ってときどき渡してくれる。みみずのようでも、まだ文字が書けるだけマシだ。
しかし、封筒の裏を見ると、
「姉の○○より」
と書いてある。あね??あんたは私の母でしょうに。
本当にしっかり壊れてきた。記憶が、秋田に住んでいた子供時代のそれに戻っている。
ぼけると「子供返り」と言われるが、本当にそうらしい。

そのホームには、ほかに5人の老女が入居しているが、横浜に住む子供に呼ばれて田舎から出てきたと思われる人もいる。なぜわかるかというと、九州などの方言丸出しなので、話しかけられても、さっぱりわからないからだ。
それでも、中に、私見ると、満面の笑顔を見せてくれる人がいる。
口が大きい人なので、顔の半分くらいが口になる。
いくら年をとっても、笑顔を見せるっていいことだなあ、と改めて思う。この老女は、根が明るい人なんだろう。
我が家は、みんな、勉強をガリガリするタイプだけど、他人に対する愛想とか愛嬌のよさが大切だという習慣やしつけが皆無であった。それらについては、社会に出てから、後天的に必死で身に着けた。
他人に会ったら、とにかくニコニコした方がいい。
笑顔をむけられると、私も笑顔を返し、「お元気ですか」と話しかける。

あと、年を取るまでに、身に着けておいた方がいいことは、「歌(カラオケ)」「おどり」といった芸事。
歌はとりわけよくやるようだけど、私は好きじゃない。
いまから練習しておこう。


馬肉問屋

母は、秋田出身なのだが、小学校のとき、養女に出された。場所は名古屋である。
熱田神宮の近くに、母の母の妹、つまり、母の叔母が嫁いでいて、子供が無かったので、養女に出されたそうだ。
母は、このおかげで、秋田訛りが取れた。さもなくば、今でもズーズーに訛りまくっていたであろう。

その叔母の家は、三浦家といった。家業は、馬肉問屋であったという。
食肉卸かと思いきや、実は、熱を下げるための馬肉だったという。
当時は、熱を出すと、馬肉を薄くスライスしたものを体に貼り、それで熱を取っていたのだという。
薬もあまりない時代の民間療法だっただろうが、そういう商売が成り立っていたのだから、きっと、需要も多かったし、実際、治ったのだろう。
子供がいなかった叔母夫婦だったが、母をむかえた後、実子が生まれた。こういう話は良く聞く。
よって、母は、要らない養女となり、秋田に帰った。

母の叔母は、もちろん秋田出身で、ズーズーに訛っていただろうが、なぜ名古屋に嫁いだのだろう。
嫁いでから、言葉はどうしていたのだろう。
そして、子供が生まれたということは、母にいとこがいたということだ。
その人が子供を産んでいたら、私にも多少、見たことのない親戚がいるかもしれない。
熱田神宮の近く、「三浦馬肉問屋」といった。

まだ母は生きているけど、私が動けるうちに、母の物を整理することに決めていた。
しばらく手が付けられなかったけど、今月やっと、不用品回収業者をお願いした。
見積もりも3社から採った。業者によってずいぶん幅があるものだと思った。
その中の1社を選んだ。幸い、一番明瞭な料金体系で(2トントラック1台いくら、という)、しかも来てくださった方の人柄も一番良かった。
母が持っていた多数の着物は、欲しい親戚にやってしまった。
私は、1年前、NYで着るために着付けを習っていたというのに、いまはもうほとんど着方を忘れてしまった。
しかし、それでも私用の数着が残った。
母は、着物の量もさることながら、着物用小道具やアイテムも、いくつもいくつも持っている。足袋だって、真っ白なのが何足も出てきた。それらを、最小限に絞り、私用の着物と共に整理した。
着物処分後、着物箪笥、洋服の整理箪笥、食器棚、食器、もう、思い切って廃棄した。
まだ使える物ばかりだったので心が痛むが、どこかで割り切らないと、家の重石になっているだけ。
たまに「リサイクルとかフリマに出せばいいのに」という人がいるが、リサイクルに出せるほどのものではないし、そんな余力もないし、所詮、他人の使い古し。こんなのを買ってくれる人を待ち、あるいは、探すほどのヒマはない。
葬式のお返しなどでもらった未使用の毛布は、アフリカに送る運動をしている立正佼成会に持って行った。

母はなぜ、あんなに、たまにしか来ない客のことを気にしまくっていたのだろう。
そのために、滅多に使わない物を何品も買い、退蔵させておくのが私はいやだった。
あるときなど、急に、大きめの椅子が2脚も置いてあった。
「これ、どうしたの?」
と聞くと、
「お客さんが来たときに座ってもらおうと思って」
という。私は速攻で返品させた。また、あるときは、デパートから、こたつの注文の確認が入っていた。
「こたつ?いま1台あるでしょ。なんでまた買うの?」
と聞くと、お正月に●●さんたちが来た時に、こたつにはいってもらおうと思って」
と言う。私は、
「あと1年364日、どこにこんなものを保存しておくスペースがあるの?『うちはこの狭さですからすみません』って言って一緒にすわってもらえばいいでしょう?たまにしか来ない人なんか、うちが狭いとかそんなこと気にしちゃいないよ」
と言って、これも即キャンセルさせた。母はあとで、しくしく泣いていた。

昔、父が現役で、会社の支店長をやっていたときには、何かにつけて人を家に呼び、はては、泊まらせた。
私はこれがたまらなくいやだった。
人が来ると、もう、父は、上を下への大騒ぎで、わあわあ、わあわあ、やれ酒出せ、茶くらいだせ、あれだ、これだとデカい声でどなりまくった。
静かに座って、静かにもてなすということができない人だった。
母も私も、突然の来客に、髪振り乱して対応するのが常だった。

その当時の「後遺症」とでも呼べそうなものが、母にはしっかり植え付けられてしまったのだろうか。もう、泊り客はおろか、突然の来客すらほとんどなくなっても。

前にも書いたが、山のようにあったタオルは、ネットで見つけた動物愛護団体に送ってしまった。
そうしたら、玄関のポストに、リフォーム業者からの挨拶状とともに、1つタオルが入っていた。
腰がくだけそうになった。タオルは、永久に、誰かからもらうものらしい。
ドラえもんの声優を長年やっていた大山のぶ代さんが、認知症になっていたという。

大山さんといえば、料理名人で、家にいろんな人を呼んでは、せっせと手料理を振る舞っていたという。
私は、女性が男性に比べてボケにくいのは、料理をすることが大きな理由だと思っていた。しかし、それとて万能なわけではなく、あの大山さんにしても、ついにボケてしまった。お年は、なんと81歳だという。いつまでもドラえもんのイメージでいたが、しっかり高齢になっておられた。

大山さんと言えば、ずいぶん昔、たまたま見たのだけど、「徹子の部屋」に出演し、老人ボケにならないよう、夫婦で実践していることとして、
「あれ、それ、ではなく、物の名前をちゃんと言う」
「おしゃれをする」
とおっしゃっていたのを覚えている。夫婦二人暮らしだと、「あれ取って」で済ませがちだが、きちんと「その●●を取って」という具合に、名称を言うように気を付けているとのこと。
それから、TV出演しているときは、あのご容姿に(失礼!)似合っているとも思えなかったが、確かにいつも華やかなデザインの服を着ていたような記憶がある。

私も、母が認知症にかかってしまったので、他人事ではない。
というか、あれほど気を付けていて、年を取るまで仕事を続けていた大山さんですらかかってしまったのだから、母などは仕方ないのかな、と思った方がいいのかもしれない。
「記憶の後退現象」というらしいが、母は、昔の人の話ばかりするようになってきた。会いに行くと、
「あの子たちはどうしているの?」
とひんぱんに聞いてくる。
「あの子たちって、誰?」
と聞き返すと、秋田にいる自分の妹らの子供、つまり母の姪らの名前や、それより今に近い時代だと、千葉県松戸市に住んでいたとき、団地の2階に住んでいた子らの名前を出して来る。母は、故郷の秋田なんて、嫌っていて、何十年も行ったことがないのに、いつも、秋田の親族や実家の様子を聞く。おまけに、それら親族が、今、私と一緒に住んでいると思っていたりする。
さらに、秋田の妹の名前を挙げ、
「●子のところに年金手帳を預けているから、ちょっと取ってきて」
などと言う。
「ここは横浜だよ。秋田までどのくらいかかるか分かっているの?」
と聞くと、そこをちょっとちょっと曲がって行けばすぐ着くのだ、という。
年金手帳や通帳は、私が管理しているからと何度言っても毎回聞かれる。
母として、祖母としての自分が失われつつあり、その分、子供時代に帰って行ってしまっているらしい。


母の物の処分

週末にちょこちょこだから、進捗がきわめて鈍いのだが、実家の物の整理にずーっととりかかっている。

2月5日に、「減らないタオル」という話を書いた。あちこちからもらったタオルが腐るほどあったのだが、ネットで見つけた捨て犬の愛護団体にごっそり送った。かなり片付いたが、それでもタオルは一生絶対に買わなくて済むだけある。
家が狭いのに、母の悪い癖は、とにかく在庫を確認しないで、同じものをいくつもいくつも買うことだ。
裁縫道具を見ると、針もボタンもファスナーもはぎれもまあ、これでもかと出てくる。そして最も始末の悪いのが「糸」だった。同じ木綿の白い糸、黒い糸で、未使用の物が何巻も出てくる。ボタン付けくらいしか縫物をしない私なので、人生あと10回送っても消費しきれない。未使用のものが多かったかけど、涙を呑んでかなり捨てた。残っているものだって、私はあと100年人生があっても消費しきれない。
和ダンスの中を見たが、まあ、まあ、香典袋とのし袋が、これでもか、これでもかというくらい出てきた。そんなにしょっちゅう葬式や結婚式に呼ばれる覚悟をしていたのだろうか。昔の人だから急な不幸があっても大丈夫なようにと思っていたのかもしれないが、葬式が100回あっても消費しきれない。のし袋もお年玉袋も、なんでこんなに買っておいたのだろう。「買い置き」というものをしない私には、理解を超える。

母のかたくなな思い込みの一つに、
「私は学校を出ていないから字が下手だ」
というものがあった。私から見ても、別に下手ではない。確かに、両親そろって最低学歴しかない。貧乏な家だったし戦前世代だからあまり学校に行けなかったようだが、それにしても、字と学歴は関係ない。東大卒の兄が、ゴミみたいな字を書いているでしょ?頭のいい人ってだいたい字が下手だよ、と何度言っても無駄であった。それで、香典袋やのし袋に自分の姓を書くために、筆まで選びに選んでおり、ひとたび冠婚葬祭があると、自分の姓を書くため、薄墨、濃い墨の筆ぺんを何本も買ってくる。で、恐ろしい緊張ぶりで、他の紙に何度も練習した姓を書く。かくして、筆ぺんも腐るほどある。筆を変えたって字が急に上達するわけでもないだろうに、字下手ノイローゼだった母は、筆記具にまで助けをもとめていたのだろうか。
そんな母だから、手紙1通書くのが、どれほどの作業だったか、想像いただけるだろう。大げさではなく、手紙1通を書くのに、いつも便箋を1冊近く使っていた。少し書いては縦線で消し、書いては縦線で消し、またはハサミで切り取り、これは下書きなのよ、とか言いながら、悲惨な思いで1通の手紙を仕上げていた。私が昔京都にいたとき母から来た手紙は、よく、切り取った残りのバラバラな便箋につづられたものも多かった。ついでに言えば、封筒も腐るほど出てきた。封筒の宛名も何度も書き直しただろうが、ここまで在庫があれば、文房具屋が開けるほどだ。

まだまだかかる実家の片づけ。あまり片づけすぎてしまうと、なんかもう母が死んだみたいだなあとも思うが、いずれは来る日である。
今日、父の靴まで出てきた。母が思い出としてとっておいたものだろう。これも明日捨てる。

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