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母の介護度は、これまで「要支援1」であった。認定レベルとしては、もっとも軽度のものである。
それが、このところ、会話をしていてちょっと「あれ?」と思うことが増えてきたので、3月に、新横浜の保健医療センターに母を連れていったところ、「初期のアルツハイマー型認知症」という診断が下された。
それはまあショックであったが、年齢を考えると、仕方のない話ではある。
それを受けて、母を担当してくれているケースワーカーに相談した上、要介護度の認定のし直しを申請してみた。で、今日結果が来て、開いてみたら、要介護1だったという。2段階あがったわけだ。
これで、利用できるサービスもかなり変わってきそうだ。ケアセンターから資料をもらってあるが、読みこなすのが大変なので、何かあるたびにケースワーカーさんに相談させていただくことにする。
人口の4人に1人が65歳以上という、世界一の高齢国家になった日本。
世界に誇る和食や、気候、環境の良さ、皆保険制度に基づく安価で質の良い医療が誰でも受けられること等で、この生産しない人口が、逆ピラミッドのようにどんどん広がっていく。
一昔前なら死んでいた体でも、機械につながれて延々生かされていたりする。そんなのは、人間じゃないし、人生でもない、と言う発言をすることはタブーなのだろうか。
母のかかりつけの医師は大変良いかたで、保健医療センターに書いていただいた結果紹介状をもとに、「アリセプト」を、慎重に、慎重に、量を加減して処方してくださる。「アリセプト」とは、アルツハイマーの進行を多少なりとも遅らせる効果のある薬である。ちなみに、アルツハイマーを治療する薬はまだこの世に開発されていない。で、母も、これを飲み始めてから、以前よりも、会話の反応や記憶力が良くなったようだ。「効いてきているみたい」と言っているので、自信を持たせるために、私も「そうだね、効いてきているみたいだよ」と、励ましてやっている。
私らの老後も心配なのに、これから母の老後の世話がどっしりと肩にのしかかってきた。
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母、親戚、近所
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今週末は、地域の氏神様の半年に一回のお祭りなのに、今日は朝からざあざあ
この氏神様のお祭りは、必ずと言っていいほど1日は雨になるなあ。
さて、先だって横須賀で会った友人とは、下のような会話を交わした。
「ねえ、この年になると、結婚式って呼ばれないね」
「そうそう、みんな離婚適齢期も過ぎちゃたったし」
「葬式には呼ばれるよね」
「そうそう、葬式!」
「ははは」
そのとおりで、今日は親戚のおばばの通夜に行ってきた。
このおばばは、父が若い時から非常に世話になってきた人だが、性格がはげしく、自分の好みや主義主張を他人にも押し付けてやまない性癖であったせいか、親戚中から敬遠された。私もかつて、「自慢話おばば」「自慢ばなしおばばPart2」など、たびたびネタにした。
このおばばは、名古屋出身の母親に育てられたせいもあり、冠婚葬祭にはうるさかった。人の結婚式や葬式その他があると、200%けちをつけた。とりわけ尋常ならぬエネルギーをふるったのは「お返しチェック」で、私の祖母や父が死んだときも、母が、誰にどのくらいの額のお返しをしたか、逐一電話をかけてきて確認するのがこの上ない趣味だった。このおばばのおかげで、母は、冠婚葬祭があるたび、ノイローゼになった。
ところが、である。
これほど冠婚葬祭にやかましかったおばばの通夜なので、彼女の子供ら3人は、きっと、玉姫殿(?)みたいなゴージャス系の会館を借り切って、さぞ盛大にやるのかなあ、と思っていたら、築60年みたいなしょぼい公民館みたいなところで、しかも、他家の葬式とだぶったらしく、行きかう人の足音や話し声がうるさかった。弔電披露も喪主の挨拶もなく、ただ集まり、坊さんが読経し、みんなで寿司食って終わっただけだった。ほっ。
私の父の葬儀が、簡素だけど、花をたっぷり飾っていてよかったので、そのようにしたかった、と話していたが、それにしても、あの冠婚葬祭好きのおばばの子供たちが、本当に地味に処理したのでびっくりした。おばばが、あの世から「ちょっと、もっと派手にやってよぉ〜」と叫んでいたのかもしれないが、ひょっとしたら、彼女の子供たち自身も、あのおばばの強引な性格には手を焼いていたのかな。
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墓参りとは、娯楽の少ない昔には、ある種のレジゃーだったのだろう。
しかし、私のように不信心、無宗教で、かつ、父や祖母と不仲だった人間には、どうにもこうにも苦手な行事だ。
しかし、わが母は、昔者だけに、こういう行為には熱心である。
熱心、というけれど、母の世代であれば普通のことなのかもしれない。
ただただ、私とはギャップがありすぎるのである。
普段から、ちょっとおかずを作ったから、と言っては、小皿にとって仏壇に供える母。
酒やビールのみならず、よそからなにかおすそ分けをいただいても、必ず仏壇に供える。
上述の通り、きわめて不信心でこういう行事に興味がない私は、そういう母を見て、
「どうせ食いもしないのに、供えたってしょうがないでしょうに」
などと、うっとおしく思ってしまう。
この週末も「おはぎを作るから」と、手伝いに呼び出された。
行ったらもうあんこもできていたし、もち米ももうすぐ炊ける段階になっていた。
もち米をすりこぎで半殺しにしたあと、小さく丸め、周囲にあんこやきなこをまぶした。私は思わずためいきをついて、母に、
「もう年だから、疲れるからやらない、って言っていたのに、よくやるよねえ」
と言ってしまう。で、母は、早速仏壇に供える。
その次の日には、揚げもち作りに呼び出された。
母は、なにかちょっとした行事とか来客がある場合、または、人に何か送りたいときなど、よくこの揚げもちを作る。今回は、3月3日に買ったひしもちを使ったものだったが、要は、もちを刻み、ざるなどに並べて数日乾燥させたあと、油で揚げる「揚げせんべい」である。
揚がったら、塩をぱらぱらと振る。
油が熱いついでに、さつまいもも揚げようか、という話になり、さつまいもを拍子に切り、軽く水にさらしてから、素揚げする。
で、できたのがこれ。これにも上から塩をぱらぱら。
揚げ物をしていると、揚げている当人は油に酔ってしまい、あまり食べたくなくなるのが普通だけど、揚げもちと揚げ芋は、ついついつまみ食いしてしまう。うんめ〜。
やっぱり、太るものはうまいのだ。
うまいのものは太るものだ。 |
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昨日、バレンタインデーの話を書いたからというわけではないが、うちの母と父が出会う前の不思議なエピソードをひとつ。
母は、秋田という田舎で売れ残っていた。母の時代は、22歳を過ぎると立派な売れ残りであった。
見かねてか、ある人が母にお見合いの話を持って来てくれた。
お見合いの日にちは決まったそうだが、その日が近づくにつれ、母の顔に、これまでできたこともないような、大きなでき物ができてしまった。
母は当惑し、こんなおできがある醜い顔では、と、そのお見合いを断らざるを得なくなってしまった。
・・・・ この後、父との話がまとまって結婚した母。
果たして、あのときに顔にでき物ができていなければ、私は産まれていなかったのだろうか。
なんであのときに顔にあんなでき物ができたのか、後にも先にもあのときのみのことだったため、理由はさっぱりわからないそうだ。
はっはっは、父と母の赤い糸を握っていた運命の神様は、面白いことをなさったものだ。
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実家に行くと、たまに、見慣れぬ茶碗とか、壷のような焼き物が増えている。
「あれ〜、また送ってきたのか」と思う。
父方の親戚の女性で、陶芸を趣味にしている人がいるのだが、たまに、作品を送ってくるのだ。
ごくまれに彼女の家を訪問すると、いつも作品を手土産にしてくれるのだが、正直、大変困っている。
見た目は、備前焼のような風合いだ。しかし、我が実家では、備前がキライである。あの模様のなさと、赤く錆びたような色が、どうにもつまらない(備前作家の方々と備前の好きな方、ごめんなさい)。
ご本人いわく、「展覧会で入選する腕前」なのだそうだ。素人の趣味から始めて、そこまで至ったのは、素晴らしいことなのだが、この趣味、いかんせん、「もの」が沢山残る。彼女の家に行くと、元から広くないところに、さらにスペースを食う形で、大きな花瓶だの何だのという力作が置かれている。
しかし、誤解のないように申し添えると、この人、性格は良いし、背は高くすらっとした見事なスタイルの持ち主だし、父方の新潟の血が上品に出た、誰もが認める美人なのである。さらに非の打ち所をなくしているのが、彼女の二人の娘達である。
上の娘は、国立大学の医学部を出た医師で、下の娘は、一度どこかの企業に就職したあと、夢をかなえるために退職し、いまは希望通り飛行機の客室乗務員をやっている。
きらびやか〜〜。
てなわけで、大して自慢するネタもないわが実家では、こんなきらびやかな娘二人を持ったこの新潟美人の親戚に、素直に「負けた」と思っており、いただく焼き物も、使いもしないのだが、捨てるに捨てられず、敗北感を抱えたまま、食器棚の奥深く収納してあるのである。
母よ、きらびやかに生まれなかった私を許せ。
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