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だいぶ前、どころか、軽く10年以上は前のことだった、と思う。
TVで、アナウンサーが「屠殺(とさつ)」という言葉を使ったあと、CMが入った。私は何も気にせずにいたが、CMが終わった後、そのアナウンサーが、
「先ほど、屠殺という言葉を使用いたしましたが、現在では『食肉処理』と言うとのご指摘をいただきました。お詫びして、訂正いたします」
と、撤回と謝罪をしたのだ。へえ、屠殺って、差別用語だったのか、と思った。どういう方面の人たちから入れられたクレームかは容易に想像できる。
しかし、「屠場(とじょう)」という言葉はOKらしい。「屠畜場(とちくじょう)」でも良いらしいが。「屠(と)」という漢字自体、滅多に見なくなり、ほぼ「と」とかな書きされている。
東京だと、品川駅のま東に食肉市場があって、そこで牛や豚などを処分しているという。品川って、なぜか、西口に比べて東口は、人が行きかう繁華街ではなかった。最近でこそ、やっとビルも建つようになったけれど。大昔、刑場があった鈴ヶ森は、もう少し南側だから、それは関係ないだろう。
屠場で処理される食用獣肉は、法律により、「牛、豚、馬、めん羊、やぎ」の5種類に定められていることを最近知った。鶏、つまり「家禽」は、別の法律で「食鳥処理」として定められていることも知った。
ということは、いわゆる「ジビエ」は、法律の対象外で、撃った人が自由にばらして食べることができるのだ。知らなかった。
屠場は、場所によっては、見学させてもらえるらしい、が、私は機会があっても絶対行く気にならない。
スーパーでスライスされた肉たちの元の姿をいちいち考えないで食べていられるのは、良いことなのだろうか。いちいち考えていたら、食べていられないのは事実だが、「(ときには)考えること」と「(いつも)考えずに済むこと」の、どちらが大切なのだろうか。
屠殺、という言葉を差別用語だというのは、正直、納得が行かない。その中で働いている人々を差別することは断じて許されないが、それと、言葉を使わせないのは、別問題だと、いつもの説を改めて繰り返す。
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