昨年6月20日に、行きすぎた差別用語狩りに対する反論を書いた↓。その続きになる。
先日、書店で、「ベルサイユのばら」の文庫本版を見つけたので、手にとって開いてみた。私などが言うまでも無いが、この漫画(いや、劇画というべきか)は、少女漫画の歴史を塗り替えた超大作であり、私の世代ならほぼ必読の書であった。
この作品の登場人物の中では、衛兵の一人、アラン・ド・ソワソンがダントツに好きである。貴族でありながら平民以下の貧しい生まれを恨み、女の隊長の下でなんぞ働けるものかと、強姦未遂を含めたあらゆる嫌がらせをしてオスカルを追い出そうとしたものの、結局、隊長として認めるばかりでなく、女性として、彼女に恋心を抱くまでになる、なかなか魅力的な人物なのである。
このアランが、アンドレとのすれ違いざまに、
「よっ、めっかち!」
と声をかけるシーンがあった。
このセリフ、今はどうなっているかな・・・・と、おそるおそるそのページを見たら、案の定、
「よっ、片目の従卒さんよ」
というセリフに書き換えられていた。やっぱり・・・・
アランの性格を考えれば、この言葉でも確かに悪くはないのだが、言葉狩りの好きな筋から、
「めっかちは、差別用語だ。池田理代子は差別主義者だ」
などという抗議が入ったのかもしれない。池田氏も、あれほどの歴史的大作に、事後的にセリフの変更を加えるのも、かなりくやしかったかもしれない。
設定は18世紀である。舞台はフランスとはいえ、めっかちでもめくらでも、そういった言葉に目くじらを立てる時代ではなかったはずだ。
5月15日、ハナビさんのブログで、井上ひさし氏が劇中「めくら」という言葉を使ったとして訴えられた、という話を聞いて、唖然茫然とした。この劇も、時代の設定は明治、大正である。その時代の人が、「目の不自由な方」「視覚障害者」などという言葉を口にするわけがない。こういう人権屋は、芸術の価値など微塵もわからない無粋なやつで、重箱の隅をつつくことにまい進し、言葉を狩っては「自分はなんて良いことをしているんだろう」と溜飲を下げている「ダニ」のような輩である。
断っておくが、私は差別用語の乱用を勧めているわけでも、身体障害者をいじめているわけでもない。「おし」「めくら」「つんぼ」「びっこ」「かたわ」「ちんば」などの言葉が使われていた時代が過去に実際にあるので、それを後天的に、現代の尺度をふりかざして狩り取るのはおかしい、と言っているのである。文学作品を含めた昔の芸術作品に、こういった言葉が出てきているのなら、「ママ」などという注意書きをつけたままにしておき、間違ってもその言葉があるゆえに、絶版などの過度な措置に出ないでいただきたい。どういう言葉を使おうと、障害者を差別している人の気持ちが改まるわけではない。表記より、心の中の問題である。まったく、言葉狩り屋の視野の狭隘なこと。
私は右目がめくらに近い近視だが、片めくらと言われたって何とも思わない。「そうです」と言う。
上に示したブログに、作家の曽野綾子さんのすぐれた文章を転載させていただいたが、ここに改めて書こうと思う。
このごろのジャーナリズムは、「ビッコ」「チンバ」という言葉さえ使ってはいけない、というような的外れを言う。しかしこの世には、ビッコもチンバもいるのである。私はメクラに近い近眼の上に、白内障まで加わり、夫は、幼児の時の病気の結果、片耳ツンボである。ビッコもチンバもメクラもツンボも、承知の上で、その個人の一人ひとりに、さん然として輝くような部分が必ずどこかにあることを思えば、それらは大したことではない。
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