桃実 says

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言葉狩り、障害、差別、変な日本語

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よくご訪問くださるkoreyjpさんから、おとといの18日、「障害者」ではなくて「障がい者」というかな交じり表記についてのご意見をたまわった。非常にセンシティブな話ではあるが、あえてふれてみようと思う。
「障害」という字は、かつては「障碍」と書かれていたそうだ。「碍」は常用漢字にないので、なじみが薄いため、辞書を引いてみたら「礙」(←石へんに疑問の疑)という字の俗字、とある。で、さらにその「礙」を引いたら、「さまたげる、じゃまをする」とあった。ふむ。「障害」の「害」という字が良くないという主張であれば、「障礙」か、せめて「障碍」に戻すことも一案だろう。その方が「障がい」などという日本語として醜悪な記載を見るよりいい。

私の母は障害者手帳を持っているが、これは、高齢女性にありがちな股関節の変形が生じたためであり、昔からのものではない。この手術を受ける前に、事情に精通した執刀医が、障害者の申請をするように勧めてくれた。その医師の申請書により、無事に母には障害者の認定が降りた。そのあとで、人工関節に取り替える手術を行った。しかし、どういう制度なのか詳しくわからないけれど、障害者の手術ということで、普通なら200〜300万円ほどかかる手術費用が、ほとんど税金でまかなわれ、入院手術の間は却って黒字になったほどだった、と母は語った。税金を納めてくれている横浜市民の皆様にお礼を言いたい(私も払っているけど)。貧乏な実家においては大変助かったのであるが、こういう形で障害者手帳を利用するのが果たして100%正当だったのか、多少良心の呵責を感じないでもない。

話がそれた。

いつのころからか、「おし」「つんぼ」「めくら」「びっこ」「ちんば」「かたわ」などの言葉が「差別用語」とされ、公の場から一切追放された。代わって、「○○の不自由な方」「○○障害者」という表現がされるようになった。私は別に面白がっているわけではないことは念のため断っておく。従って、「めくら判」「めくらめっぽう」「片手落ち」という言葉もNGになったが、果たしてこれらの言葉はなんと表現したらよいのだろう。最初のそれなど、私は揶揄するつもり半分で「目が不自由はんこ」と言っているが、他の2つは「めったやたらに」とか「不十分」とか言わないといけないのであろうか。そういえば、2年くらい前に「メクラウナギ」「イザリウオ」といった魚の和名も、「メクラ」「イザリ」という言葉が差別用語だとして変更されたとか聞いたが、ちょっと首をかしげたくなる。それなら「アホウドリ」とか「コビトカバ」はどうなったのであろう。
ことの根本問題は、それらの障害を負った人たちを「ばかにする」態度と精神にあるのであって、言葉を狩って呼び方を変えればよくなるといった話ではない。たとえば「やーい、この○○が不自由な人!」と口にしたとしても、○○に障碍がある人をさげすんだ精神が治るわけでもない。人間みな、自分もいつ障害を持つかわからない身だとわきまえて、そういった人たちを助けこそすれ、下に見るような態度をとってはならない。呼び方は、大切なマナーの問題のひとつではあるが、次元としてはかなり表面的である。

以前にもちょっと引用したが、私がかなり心の支えにしている、曽野綾子さんの「人びとの中の私」というエッセイ集の中に、こんな一節がある。ただ、少なくとも30年は経過している著作なので、曽野氏がいまもこれと同じ考えをなさっているかは保証できないが。

このごろのジャーナリズムは、「ビッコ」「チンバ」という言葉さえ使ってはいけない、というような的外れを言う。しかしこの世には、ビッコもチンバもいるのである。私はメクラに近い近眼の上に、白内障まで加わり、夫は、幼児の時の病気の結果、片耳ツンボである。ビッコもチンバもメクラもツンボも、承知の上で、その個人の一人ひとりに、さん然として輝くような部分が必ずどこかにあることを思えば、それらは大したことではない。

そのような弱点を持っているご自身の発言として聞くと、うなってしまう。先日、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝をした辻井伸行さんなどは、実にこの例ではないかと思う。

言葉狩りについては、アメリカは、この分野ではほとんど超先進国であろう。koreyjpさんへの私のコメントの中でもちょこっと書いたが、かつては「cripple」(これは特に手足に障碍がある場合を指す)、「handicapped」「disabled」などと言った表現が、最近ではよく「politically correct」(政治的、道徳的に正しい)的表現として、「challenged」と言うようになってきている。「Challenging」ではなくて「challenged」という過去分詞形になっているのは、「神から挑戦を受けた」という、選ばれし者たちだということらしい。
しかし、これに関しては、時代の風潮を受けて作られた造語だけに、かなり揶揄の対象となっている。たとえば、

「short」(低身長)
「fat」(肥満)
「ugly」(ブス、不細工)

というのは失礼だとして、

Vertically-challenged(垂直方向に挑戦を受けた人)
Gravitationally-challenged(重力方向に挑戦を受けた人)
Esthetically-challenged(美的に挑戦を受けた人)

などというパロディー、揶揄が広く知れ渡っている。
無理した造語が滑稽だという好例である。日本はこれ以上この轍を踏まないで欲しいと思う。

「平成の大合併」と呼ばれる市町村の合併が10年かけて進行している。新聞記事によれば、1999年3月末にあった3737の市町村が、2010年3月には、1760に減る見通しだという。あまり小さな市町村単位で分けておくと、役所やら市町村議会が乱立して税金の無駄なので、合併自体には反対ではない。個人的には、埼玉県と愛知県については、まだまだ小さい市町村多すぎ!と思っている。

それはともかく、この合併にともなう害悪を見るなら、一番苦々しく思っているのは、「ひらがな」の市名と、「無意味」な市名がやたら目に付くようになったことである。埼玉県については、複数の市と町を合併して政令指定都市となった県庁所在地の名前は、当然「埼玉市」になるものだと思っていた。ところが、結論は、ひらがなで「さいたま市」である。間抜けだと思うのは私だけではないだろう。応募総数では「埼玉市」がトップだったのに、なにやら色々理由があって、次点の「さいたま市」に決まったそうだ。
私がこどものころ、ひらがなの市名といえば、福島県の「いわき市」と、宮崎県の「えびの市」、それから青森県の「むつ市」だけだったような気がする。それがいまや、

青森県 つがる市
秋田県 にかほ市
千葉県 いすみ市
茨城県 つくば市、つくばみらい市、かすみがうら市、ひたちなか市
栃木県 さくら市
群馬県 みどり市
石川県 かほく市
福井県 あわら市


・・・等々(西日本にも多々ありますが省略御免)、「なぜひらがなで書くのか」自体、まことにわけがわからん市名ばかりである。津軽市、夷隅市、筑波市、筑波みらい市(せめて)、霞ヶ浦市、日立那珂市と漢字で書いて何が悪いのだろう。「夷隅」など、おそらく、全国的には読みにくいから、と、おそらくひらがなにしたと思われる市もあるが、読みにくいなら余計その漢字にこだわり、市名の読み方をせっせと売り出すべきではないか。「にかほ市」とか「あわら市」なんて、きっと由緒ある地名なのだろうと思うが、ひらがなにしてしまっては、そのような謂われも味わいも雲散霧消してしまうではないか。

上記のひらがな市名には、おおよそ「無意味な地名」も含まれている。「みどり市」「さくら市」である。なにが「みどり市」だ、くだらない。千葉県には佐倉市という市があり、発音がだぶるのに、さくら市では、サクラがきれいな名所があるから、単純にこんな名前にした、と聞いた。嘆かわしい。東京でも、「田無」「保谷」という由緒正しい地名があったのに、合併したら「西東京市」という、味わいも何も全くない市名になった。山梨県の「南アルプス市」ってのも「やめてくれ〜」と思うが、愛媛県の「四国中央市」の意味のなさはスゴイ。「こんな市名になったら、恥ずかしいから、引っ越す」という合併前の同市民からの新聞投稿を見たことがある。至極同感である。「南セントレア市」を拒否した愛知県知多郡の住民のセンスや良し。

地名は、文化財である。なぜ日本人は地名をもっと大切にしないのであろう。

カッコーの巣の上で

昨日、NHKのBSで「カッコーの巣の上で」を見た。何回目か覚えていないが、とにかく何度も見た上でまた昨日も見た。そして、全く見飽きていないということを改めて悟った。この映画は、私がこれまで見てきた映画の中でもベスト10に入る。
ジャック・ニコルソン。この映画の主人公は彼以外考えにくいと思えるほどのはまり役だ。当時彼は38歳。しかし、この人は、俳優というより「怪優」だなあ。この映画の成功は、脚本や設定もさることながら、彼のすさまじいまでの怪優ぶりにも負うことは疑いあるまい。そして、看護師長役のルイーズ・フレッチャーのもう、憎たらしいこと憎たらしいこと。あの状況で「今日の日程は予定通り続行します」なんて言ったら、私だって絶対にあの女を絞め殺している。ニコルソン扮するマクマーフィーが彼女の首を絞め始めると、画面を見るおそらく誰もが「そうだ、もっとやれ、もっと絞めろ、そんな女は殺せ!」と彼を応援し出す。
結局、彼女は絞殺されるのを間一髪で免れるが、絞殺しようとしたマクマーフィーの方が、病院の(ロボトミー?)手術により廃人と化してしまう。

「カッコーの巣」とは、精神病院を指す隠語だという。さすがにそんなところまでは訳されないが、字幕を見ると、放送禁止用語に触れない配慮だらけだ。例えば、crazyなんてのは、「気XX」とか「気がXう」などではなく、「イッちゃってる」「イカれている」等の俗語をあてていた。しかし、あのニコルソン、というか、マクマーフィーがいかにも言いそうなせりふだから、その面では違和感なかったけれど。

アメリカという国は、よくこんな映画をつくったものだ。こういう底力を持つところは、驚嘆に値する。
精神などに障害を負う方々の現状を見つめたりしようとしても、そのこと自体がさまざまな背景で難しい上、political correctnessを求めて、内容を見る以前に「言葉狩り」に走りやすい現代では、まず今後生まれない作品と言って良いかもしれない。

以前勤めていた会社に、ちゃんと大卒なのだが、不思議な漢字を書く人がいた。
「不」という字なのだが、彼女が書くと、どう目をこらして見ても、「木」という字の、頭が突き出していないものに見えたのだ。
私は一応彼女の上司だったので、ある日思い切って、彼女に「不」の字を書いてみるように指示したら、案の定、「木」の書き順で、頭が突き出していないものを書いた。私が改めて「不」の字の書き方を教えて見せたら、驚いて、「今まで知りませんでした」と言った。
「小学校とか中学校とか高校で訂正されなことはなかった?」と聞いても、「いいえ」との返事。ちょっと見分けのつきにくいところで、ずっと見逃されてきたんだね。

インターネットの書き込みでもひんぱんに見かけて苦虫を噛み潰したくなるのが、「○○とゆうこと」「XXとゆえば」などの「ゆう」である。確かに、口語では「言う」でなく「ゆう」というふうに聞こえるのだが、PCや携帯に「ゆう」と入力しても「言う」と出てこないだろうに。

「雰囲気」を「ふいんき」と読む若い人が多いというのを聞いたときも驚いた。
彼らに合わせるために、「ふいんき」と入力して「雰囲気」と変換するよう設定したソフトも登場したらしい。
しかし、昔は「秋葉原」は「あきばはら」で、「新しい」は「あらたしい」であったそうだし、雰囲気もいつかは「ふいんき」になるのでは?という説も出そうだが、私は「ふいんき」は絶対NGである。だって、漢字を見れば一目瞭然ではないか。「雰」を「ふ」って読むのか?「囲気」を「いんき」と読めるのか?

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