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大学時代の記憶なので間違っているかもしれないが、東京帝国大学の法学者であった穂積八束が、フランス法を参考にして作られた新民法に対し、1891(明治24)年、「民法出デテ忠孝亡ブ」で知られる論文を発表したの発端とし、旧来の「長子単独相続」「家父長制」という日本の伝統文化を残した民法に改められたそうだ。
要は、家督は長子(男子、もし、男子が生まれず、養子もとっていない場合のみは女長子)が単独で継ぐ、家は男性家長がこれを采配する、というのが日本古来の伝統文化であり、その維持が、現在の民法に改められるまで続いたわけであり、民法上は変わっても、風習としてはまだ日本に根強く残っている。
さて、報道によると、どうやら、最高裁判所は、「法律最後の野蛮」と言われる民法の「非嫡出子の相続分は嫡出子の半分」を、「法の下の平等に反する」として、違憲判決を出す流れになっていると聞いた。
やれやれ、である。
フランスのように婚外子だらけの国ならともかく、法律婚を重んじる我が国に、このような考え方はなじまない。
これは「差別」ではなく「区別」である。
知らずに生まれてしまった子供に罪はない、とは言えるだろうが、その母である、既婚男性との間に子供まで作った女性の責任はどうなっているのだ。最初からその男性には法律上の妻がいて、子供も嫡出子になれないことを100%承知の上で子供をつくっているのだから、最初から、平等な相続をさせることなどあきらめるよう育てて当然だろう。
もちろん、法律上の妻が常に最善の相手ではない場合があるのも承知している。
結婚後、さらに好きになる運命の女性と出会っても、法律上の妻が断乎離婚をしてくれない場合は、家出をし、その女性と生活を共にし、そちらの方が事実上の家庭である場合もある。意地もあるのだろうけど、そういう夫を見限らず、執念だけで結婚を維持する妻も、人生としてどうか、とは思う。しかし、そういう女性らは、えてして、離婚してひとりで生きていく職を持っていない。となると、法律上の妻は「結婚制度」という名の生活保護を受けているような形だ。
婚外子を持っている男性も男性で、そんな訴訟が起こされるようであれば、だらしがないの一言だ。生前から、生前贈与をしたり、自分が死んだら事実婚家庭に保険金が下りるよう保険を掛けたり、遺言をきちんと残しておく、など、ちょっと動けばいくらでも法定相続分との差を埋める手段はある。
誰もがそういう方面に知識があるとは限らないから、それならば余計弁護士とか税理士などに相談して対策を講じておくべきだ。それすらしない男性は、婚外子を持つ資格などない。
しかし、婚外子のいる男性は、日本では非常に少ないのではないか。戸籍上の妻と嫡出子を養うだけで、普通は目いっぱいだと思うので、目くじらたてるほどの人数ではない、と言えるかもしれない。もし本当にこの民法が改定されたら、そう思って我慢することにしよう。
うちのアメリカ人旦那のどケチ父が死んだとき、60万ドルほどの遺産があったことを知り、うちの旦那は激怒した。
この父親は、死ぬまで1929年のまま生きていた、筆舌に尽くしがたいどケチで、子供たちを、夏休みになってもどこにも連れて行かず、爪に火をともすという言葉も甘いほど、ただただひたすら家にいて1セント2セントを切り詰めていた。それが、死んでみたら60万ドルも残っていたというのである。旦那の激怒には、もう一つ理由があった。それほど子供たちを犠牲にしていながら、相続は全部妻だったこととである。この妻は、2度目の妻で、旦那の母ではない。
「どうして子供たちにも相続がないの?日本の法律では妻半分子供ら半分だよ」
というと、アメリカの法律ではそうなっていなくて、遺言でもない限り全部妻に行くのだという。
はぁ〜〜。。。。
お陰でこの妻は、夫亡きあと、アルツハイマーを発症して長らく入院する費用をまかなえた。
それでなお余った分は、彼女の甥から、3人の子供たちに小切手で送られてきた。
配偶者死亡後、遺言がないなら、遺産が全部配偶者に行くのなら、クリアーでいい。
これだと、非嫡出子には、遺言がない限り1円も行かないだろう。
法律上の妻が、妾の子に積極的に相続分を分けるとは思えないからだ。
それもまた、気の毒か。
ともかく、日本人は、もっと積極的に、というか、義務として遺言を書いておくべきだ。
最高裁にまで争う非嫡出子は、だらしないおやじの尻拭いをしているのだ。
しかし、「みんな均等」相続には、疑問がある。
人は、死ぬまでに、介護、看病、その他の苦労を家族にかける。
葬式を出すのだって、簡単ではない。
相続をした家や資産、墓などの維持もなかなかの手間だ。
非嫡出子は、カネだけ平等にもらうが、そういう義務、手数、苦労は、全く相続しようとしていないのではないか。
「したくても、愛人の子供は、本家に入れてもらえないし、させてもらえない」
という言い分かもしれない。だったら、そういう苦労がない分だけ、半額相続で我慢しろよ、と言えるかもしれない。
民事訴訟とは、そもそも「カネくれ」に尽きるのかもしれないが、美味しいところばかりとって、苦労はとらない、こういう「悪平等」が私は嫌いだ。相続は金をもらうだけの話ではない。
ちなみに、曽野綾子氏は、以前、
「子供たちに均等相続など定めているからいけないのだ。相続は、端的に、親の介護をし、みとった子供にさせるべきだ」
と書いておられた。上に書いた旧民法の要旨とかぶるが、明快である。(ただ、嫁だと、いくら介護しても相続権はないんですけどね)
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法律、憲法、人権屋、社保、裁判、
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最近読んだ本の中に、ちょっといい言葉をみつけた。
「お前には、権利はあるが、資格がない」
というものだ。
義務の履行を棚に上げ、権利ばかり叫ぶ人間が増殖して苦々しく思っている昨今なので、よけい目にとまった。アメリカ製の日本国憲法も、権利ばかり書き連ね、義務は「教育」「勤労」「納税」の3種しか定めていない。しかも、「勤労」と「納税」の義務がこれほど軽んじられている時代はかつてなかった。
権利はあったとしても、それを行使している人を見て、「なんだこいつ」と思うことも多い。そういう時に、「ぎゃふん」と言わせることのできるうまい言葉は何かないかな、と思っていた。そうか、こう言えばいいのか。
高額の収入がありながら母親に生活保護を受けさせていたお笑い芸人の一件があったが、あの男はまだ普通にテレビに出ている。
彼の実家の親族は、
「くれるというものを、なんでもろたらあかんの?」
と言い放ったそうだ。
普通にまじめに働いている多数の大阪の人々には悪いのだが、こういう大阪の一種独特なカルチャーが私は大嫌いである。
「お天道様に恥ずかしいことをしない」
という、昔の日本人なら誰もが持っていた感覚はどこに行ったのか。
生まれつきの障害で働けない人は除くが、やたら弱者を救済するのが良いこと、という福祉国家行政のカルチャーも、すべて好ましいことではない。
弱者でいたくなければ、すこしでも強者になるよう努力するか、弱者なりに細々生きてあとは文句を言わないか、最悪、野たれ死ぬことだ。
そういった努力ないし達観もせず、ただ行政に助けてもらって人並みに生きる権利があると思ったら間違いであるし、国がもたない。国も自治体も、
「もうこれ以上助けられません。誰か個人的に助けてくれる人をさがしてください」
と言えるボーダーラインを設けるべきではないか。
最近、私の友人(男性)から、メールが来た。10代の息子が、ひきこもりで困っているという。
ご飯を食べに出てくる以外は、1日部屋にこもっているのだという。
精神科医に連れて行っても効果ないそうだ。
子供を持たない私がこんなことを書くと非難囂々かもしれないが、そういう子は、早晩死んでも仕方ないのではないだろうか。
沢山出産していた昔は、何人か早逝するのは珍しくもなんともなかった。子供は、生まれたからと言って、必ず育つものではなかった。しかし、今の時代は1人か2人しか生まない。であっても、本来育たなかったはずの子供も相変わらず生まれてくることに変わりはない。昔と違うのは、今の医学だと、蒲柳の質の子供でも育つことだ。
引きこもりの子供にご飯を食べさせる交換条件として、何か課さないのだろうか。せめてトイレ掃除とか、食器洗いとか。ご飯はタダで出てこないよ、という条件として。
この子が生きていられるのも、ただ黙ってご飯をくれる両親が死ぬまでだ。
野生動物の子は、弱ければ死ぬ。エサの取れない子も無条件で死ぬ。が、人間の子供は、延々生かされている。動物と人間は違う、と突っ込まれるかと思うが、五体満足であっても、自分で何とかエサを取りに行けない人種まで税金で生かすのを福祉国家と言うのであろうか。
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昨日の続きで憲法論Part IIです。
憲法14条
1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
(略)
今日話題にしようと思ったのは、「2」のほうである。
旧皇族、旧華族という家柄の人がいる。
旧竹田宮のご子息などは、積極的にテレビに出たり、講演や著作などに励んでおられる。
藤原家のご子孫である冷泉家とか、五摂家とか、名前をあげれば「ああ、我が家とは違うお家柄の方たちね」と瞬時にわかる姓もある。
そういう方々は、戦後は、何かの組織の名誉総裁とか、あるいは、普通のサラリーマンとして生活しておられるのだろうか。
何しろ、この憲法を書いたのが、王室をいだくイギリスを嫌って逃げてきた人たちの子孫なので、王室とか貴族などの存在を唾棄するのはわかる。しかし、たかだか200年程度の歴史しかもたないあの連中に、2000余年もの歴史を誇る我が国の制度に茶々を入れられたくないという気がする。
旧皇族、旧華族の方々でしか所有していない有形無形の日本文化は、無事に子孫に伝えられるのだろうか。
すこし話はそれるが、地価の高いところに、いかにも昔からの家、という感じの広大なお屋敷が数軒あったりする。しかし、当主が死ぬと、相続に耐えかねて、じきに、周囲とのバランスなど全く考慮されない醜悪なマンションに建て替えられたりする。日本の税法は、旧家だとか伝統のある家柄だとかいうソフト面を一切考慮しないからなあ。こういうのを残念だと思わない人はいないだろう。
私は、税金の拠出が膨大でなければ、そういった旧皇族、旧華族の尊属はある程度認めてもいいと思っているのだ。その代わり、彼らのみが保有する伝統文化をしっかり継承してもらうことを条件とする。また、この制度があると、皇族の配偶者候補を見つけるにも良いのではないだろうか、と言っても、当の皇族たちが、旧華族より、平民を選んでしまうのが昨今だから、縁がなければそれまでだけれど、日本の伝統文化を負った女性を妃に選んだほうが、全くの平民を妃とするよりも、皇室のしきたりになじみやすいのではないかと思っている。特に、まったくなじめずにいる実例を見続けているので、なおさらそう思う。
皇族の妃で思い出したけど、欧州の王室は、外国人のお嫁さんにおおらかだなあ。デンマークの王太子妃はオージーの元OLだし、ついこの間戴冠式を終えたオランダの新国王の妃は、アルゼンチンの元OLである。いずれの妃も大変気品があって美しい方なので、そんじょそこらの一般女性とはオーラが違うけれど、にしても、自分の国の王室に、まるっきり関係ない国の平民が入るって、血族結婚を避けるためには良いが、国民には抵抗ないのだろうか。
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夜、TVのニュースをつけたら、憲法改正に賛成する人ら、反対する人らがそれぞれ開く集会の様子が流れてきた。
改憲に反対の年配女性に対するインタビューを聞いていたら、
「96条が改正されたら、戦争をしやすい国になってしまう」
と語っていた。どこをどう押せば、こういう短絡型思考になるのかわからない。
こういうパターンの人にとっては、憲法とはイコール9条でしかないらしい。
アメリカという国は、自国の考えを他国に押し付けて正しいと確信してやまないところがあるが、アジア各国でアメリカの流儀を押し付けられて、そのままうまく運用できている国はあるのだろうか。たとえば、フセイン大統領亡き後のイラク民主化はどうだろう。
現行憲法の欠陥は多々ある。
日本だけが悪くて、他国はみな良いという、あまりにもありえない前提に基づいていること。
国民の皆がまじめでよく働き、邪悪なことは考えず、日々向上のみを目指しているという前提があること。
個人主義の方が集団主義より必ず優れているという思い込みがあること。
その他の例を2つほどあげる。
憲法24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
(後段略)
実際は、かけおちでもなければ、両性の合意だけで結婚する人はいないだろう。やはりわが国では、子供の結婚には親は意見するし(必ずしもそれが通るわけではないが)、結婚式場の看板にも「○○家 ▲▲家」と出ているとおり、家と家とのつながりであることはいまだ変わっていない。この条文は、日本の「お見合い結婚」を毛嫌いしたアメリカ人女性によって書かれたそうだ。彼女の理想は、個と個だけの結婚であったはずなのに、66年たった今でも、その意思は、わが日本の伝統に、彼女が願ったほどには反映されていない。
憲法25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(後段略)
この条文に加筆すべきことがある。
「ただし、本条の権利は、第27条に定める勤労の義務および第30条に定める納税の義務に優先しない。
25条のおかげで、まじめに働かなくとも、税金にたかって恥じない日本人が増殖した。体が健康な限り、地を這うような仕事をしてでも、生きていかなければならない、という、日本人の基本原理である、恥の概念も希薄になってしまい、恥のない人間に限って、やたら権利ばかり叫ぶようになってしまった。
敗戦のショックで、こんな憲法草案を提示されても、「ここはおかしい」と反論できる頭脳の冷静さも、時の政府関係者らは失ってしまっていたのであろうか。ただただ単に、反論が許されなかった状況だったのであろうか。
66年もの長いツケを、安倍首相の一代で是正するのは、あまりに重大な作業であるが、まずは、この、
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
GHQが「憲法を断じて変えさせまい」と仕組んでいたとしか思えない条項から着手していただきたい。
ともあれ、日本人の中には、改憲議論をする、あるいは、しようとすること自体、戦争に直結させて、あるいは、ただただ単に悪いことだと信じて、発狂に近い反応をする人があまりに多いのには、驚くしかない。日教組教育のなせるわざであろうか。
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昨日たまたまNHKのローカルニュースを見ていたら、以下のようなのが流れた。
ある市民グループが、自衛隊を「銃刀法違反」で告発したという。
その記者会見の様子が画面に流れたが、グループとはいいながら、とりあえず出ていたのは、1人の男性弁護士とあと3人であった。
種田和敏というその弁護士によると、自衛隊が、昨年、練馬駐屯地で開かれた自衛隊のお祭りのようなイベントに訪れた一般市民に、「弾のはいっていない」(つまりカラの)銃を触らせたことで、当時の防衛大臣(というと田中直紀か森本)やその他8名を「銃刀法違反の容疑で告発した」というのだ。
「弾が入ってる」なら万が一の危険もなくはないからわかるのだが、まず、「弾の入っていないものをさわらせた」ことが「銃刀法違反」ということで首をひねったのが1点。
また、銃刀法とは「個人による銃刀の所持」を規制する法律であって、自衛隊が国家として法に基づき正当に所持する場合は完全に銃刀法の対象外ではないか、ということが2点め。
この市民グループの名前は「自衛隊をウォッチする市民の会」(←クサイ名前ですこと)といい、会見していた種田弁護士は、東大法学部卒という。
弁護士って昨今だぶついているが、よほど暇なのか、というのが3点め。
「触らせると銃刀法違反」という論拠がどこから出てきたのか、そのうち「見せただけで銃刀法違反」と言いだしそうだと言う印象を受けたのが4点め。
記者会見していた4人の顔ぶれと目つきを見ていたら、とにかく自衛隊が嫌いで嫌いで仕方がない連中だと言うことが簡単に伝わってきた。
だから、重箱の隅をつつくようなネタを掘り出し、嫌がらせのためにやっている告発だというのが5点め。
検察庁もまさかこんな愚劣な告発は受理するまい。
もし北朝鮮や支那、その他の国が我が国を攻めてきても、自衛隊は、こんな連中だったら、守るべき国民のリストから真っ先に除外して良い。
しかし「市民グループ」って時々聞くが、一体何なんだ。「市民」といえば誰だって市民だが、「グループ」となると、とたんにうさんくさくなる。
そして、こんな愚劣な告発をわざわざ放送するNHKの趣旨もわからない。
ひょっとして「こんなくだらん左巻き連中とヒマな弁護士もいますよ」と、世間のさらしものにするためであれば納得が行くけれど。
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