セクシャルハラスメント、という言葉が日本に膾炙してから何年くらいになるだろう。
私は、昔、電車の中づり広告で、某男性週刊誌が「セクシャルハラスメントがいやならズボンをはけ」と大々的に書いていたのをはっきり覚えている。今なら笑止千万のズレっぷりだが、当時の男性らにとってはまだ認識はその程度であった。そのころは、都市銀行が女性のヌードカレンダーを自社で作って配布していた時代でもあった。
このところすこぶる旗色の悪いあの財務省の次官が、女性記者(誰だ?)にセクハラ発言を繰り返したと週刊新潮(出た〜っ)が報じたそうだが、これについて、麻生財務大臣は、
「福田さんからの話だけでは聴取として一方的なものになりかねない」
と述べ、女性記者に調査への協力を求める必要があるとの認識を改めて示した。被害者とされる女性記者は名乗り出ないそうだ。名乗り出ろと言ったことについて、やっぱりあの福島瑞穂が牙をむいて反論していた。
これってなんか、「卑怯」というか「アンバランス」である。とかくセクハラ疑惑が立つと、「女は弱くて100%被害者、男は強くて100%悪い」の図式一方だが、女の側も、相手の男を追い落としてやろうとして、わざと誘いをかけ、レコーダーを忍ばせて接近してきてはいまいか。そういうのに、警戒心も持たず、「据え膳食わぬは男の恥」とばかりに乗ってしまったり、また、酔っぱらっていて発言に責任を持てないときにひっかかってしまう男の性もどうかと思うけど。
私がまだ若くて仕事もあまりできなかった当時は、セクハラなんて言葉はなかった。
おまけに、古い古い母のしつけのおかげで、
「男はみんな女より偉いんだよ」
「女の利口は男のバカと同じくらいなんだよ」
と吹き込まれて育ってしまったので、いくつになってもその考えに縛られていた。
何かあると、100%自分が悪い、と思っていた。小さいころ、親は、私がすることで何か気に食わないことが発生すると、「なぜこの子はそうするのか」ということは一切考てもくれず、ただひたすら私が悪いとして叱り飛ばすのが常だったからである。弁明とか反論はしないように育てられた。
20代真ん中のころ勤めていた会社では、ハヤカワという男性上司が私のことを露骨に嫌っていた。それはわかっていたが、このハヤカワ、仕事の最中に、およそ言ってはならない卑猥な4文字言葉を平気で何度も口に出すので、私は顔面蒼白になった。しかし、私の隣に座っていて私の指南役だった女性社員は、それを聞いて苦笑していた。私は、他の人と自分の反応が違うときは、常に自分が間違っていると思い込むように育てられらたので、
「こういうときは、世間では笑わないといけないのか」
と考え、焦った。また、私はとにかく人一倍胸が大きく、それを気にしていたのだが、そのハヤカワから、
「その豊満な乳房を使って何か芸をしろ」
とも言われた。この時も、周囲が笑っていたので、私は、上記の理由から、「こういうときは、自分も笑わなければいけないんだ」と自分に言い聞かせていた。
後年、あるOB会のような席で偶然ハヤカワに会った。その席で、
「ハヤカワさん、あの時代にはセクハラなんて言葉がなくてよかったですねえ。今の時代だったらとっくにセクハラで首になっていましたよね」
と言ってやった。ハヤカワは、ははは・・・・と力なくごまかし笑いをしていた。こいつが私を大嫌いだったのは知っているが、私もこいつが大嫌いだと悟ったし、男はみんな女より偉いわけでもないのを知った。
何でも自分が悪い、と思い込むのも、案外良くないのかもしれない、と、このころから少しずつ思うようになっていった。
話がずれたが、今の時代、女だと、ちょっと何か言われただけで「セクハラ被害を受けた」と訴えることができるようになったし、それが、地位の高い人ほど週刊誌に簡単に報道されるようになってきた。
世の男性諸氏は、妙な誘い、知らぬ女の挑発には気を付けた方がいい。ポケットの中にICレコーダーが入っているかもしれない。
こういうときに、被害者である女性の矛盾点や問題点を一刀両断してくれる女性政治家がいないのが悔しい。