桃実 says

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Jewishネタ

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夫の姉の夫が亡くなった。
 
ユダヤ人は、死後24時間以内に土葬する戒律があるので、私らは全然行くこともできなかった。もともとそんなに(特に私は)彼に近しくなかったし、夫も「しばらくたって落ち着いたら姉に会いに行く」と言う。
夫の姉の夫と言うと、私には多分「義兄」になるのだろう。しかし、夫も姉も私より10歳以上年上なのに加え、この男、Samは、姉と結婚したときは再婚で、すでにこの姉と同じ年くらいの子供が2人ほどいたから、私にとっては義兄どころか、ほとんどオヤジか爺さんだった。だから余計に近しく無かった。
「○○人はXXだ」と、ひとつの国の国民性を十把ひとからげに言うのは好ましいことではないかもしれないが、この一家については、「ユダヤ人はケチ」というのがまことよく当たっていた。
夫の両親のどケチぶりは枚挙に暇が無かった。給料が低かったのかもしれないが、とにかく1セント2セントを爪に火をともすように生活し、子供にかける金は無論、お母さんの医者の費用さえけちっていたので、お母さんは「痔」だと思っていたら大腸がんで死んでしまった(と夫は言う)。その後再婚した後妻と30年以上連れ添ったが、死後、ふたをあけてみたら、60万ドルもの大金を後妻に残していたことが判明し、夫が激怒した話は前に書いた。
そのケチな親に育てられ、「ユダヤ人は医者か弁護士になる」という習慣にきょうだい3人中、唯一従い、姉さんは医者になった。お父さんがケチで1セントも学費を出さないので、自分で無料の医学部を探し、奨学金で入った。アメリカには、医学部でさえ授業料が無料なところがあると聞いたときは仰天したものである。ちなみに夫はコロンビア大学を出ているが、彼もまたお父さんが1セントも出してくれなかったので、奨学金と自分の貯金でで進学した。
お父さんは、自分と大して年が違わない上、どこの世界でも舅と婿、姑と嫁は仲が悪いのは常識で、Samとは会えば喧嘩をしていた。その喧嘩の中身がまた、聞いてみると、あまりに次元が低くて呆れた。例えば、お父さんと後妻が娘夫婦のところへ遊びに行くとする。そこからどこかに出かけよう、という話になると、お父さんの車で行くかSamの車で行くか、延々喧嘩をしていたのだという。なぜ喧嘩になったかと言うと、どちらも自分の車のガソリンを使いたくなかったから、相手の車を出そうと主張したためだった。
また、買い物に出かけ、珍しくお父さんがレジにならんで払おうとすると、籠の中に、選んだ覚えのない商品が入っていた。誰が?と思うと、決まってSamが入れたという。
お姉さんは放射線科の医者だが、Samは何をしているのかと夫に聞くと「psychiatristだ」と言う。辞書で引くと「精神科医」「精神分析医」、とある。しかし、医者の免許を持っていたとは聞かない。多分「精神学の研究者、学者」といったところか。本を執筆するのがサムの主な仕事だったらしいが、しかし、「重版されたのを見たことが無い」と夫は言う(笑)。ちらっと聞いたら、アメリカ人の「性」に関する研究が専門で、なんでも、同性愛とか、近親相姦とか、獣姦などがメインテーマだったそうだから、売れるわけがないと思った(泣)(哀)。
ケチな一家へどケチな年寄りの婿が加わって、まあ、もめたけど、似たもの一家、似たもの夫婦だったのかもしれない。私の夫は、私が「ケチ」というと、むきになって否定する。が、生まれ育ちは変えられない。私も貧しい家の育ちだし、浪費よりマシ、と思って諦める以外ないと思う。

「SOS」の別の意味

昨日、Jewish Calendar(ユダヤ暦)の話を書いた。
とにかく今は5771年の年始で、月の名前はSeptemberではなくてtishriだ。
といっても全部、アメリカで買ってきたJewish Calendarからのぱくりだ。私はiPhoneにJewish Calendarのアプリを入れているが、目に見えるところに紙のカレンダーをかけておかないと、日常生活に関係ないので、すぐ忘れる。
当の旦那自身が無関心で、私に
「そんなことに興味を持つなんて、あなたは変わった人ですねえ」
と言うくらいだからだ。
 
ところで、今、壁にかけてあるJewish calendarを買うために行ったJewish goods専門店には、店内に「SOS」と書かれた紙が貼ってあった。へえ。お店の経営が苦しいのだな。こんなこと、日本ではここまではっきり打ち明けないのだけど、アメリカでは普通なのかしら。あんまりユダヤ系の住人がいないところに店を構えたのだろうか、などと考えていたら、旦那も
「この店、もうすぐ閉店するかもしれないな」
と言った。私も、
「そうだね、だってあそこにSOSってあるし」
と言ったら
「あのSOSの意味、分かる?」
と聞く。へ?SOSって言えばSOSでしょ、と思っていたら、
「あれはSave Our Store(この店を救ってください)の略だよ」
と言った。はは〜〜〜ん。そうかそうか、うまい。別の言葉なのに、同じ頭文字で、同じ意味になるんだ。
へ〜。
 
ところであの店、まだあるかしら。
厳密には、昨日が元日でした。
1日遅れて申し訳ありませんが、新年を心より祝福申し上げます。
5771年に幸あれ。
・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・ (^_^;)
 
と書いたって分かる方はいないでしょうね。
いたら、その人はユダヤ教and/orヘブライ暦に精通している、ということです。
うちは旦那ちゃんがJewish Americanなのにも、もう、こういうことは全っ然っ!興味を示さないので、私がフォローしてremindしてやる始末です。
では最後、ヘブライ文字が書けませんので、それに近い発音のアルファベットで
 
L'Shona Tovah!
 
2 tishri 5771 記
 
 

ユダヤ人のお墓

昨日の続きですが、夫の両親が眠るユダヤ人のお墓って、こんな感じです。

イメージ 1

墓石には、氏名、生年月日と死亡年月日のほか、メノーラと呼ばれるユダヤの燭台を彫ったりしてあります。
文章は、英語とヘブライ語で併記してあり、ヘブライ語は読めませんが、英語だと、
「Beloved husband, father and grandfather
Forever in our hearts」
なんて彫ってありますが、この英文自体は墓石には非常によくある文章で、ユダヤ系独特のものではありません。

土葬です。
ユダヤ人は、数千年前からのいわれにより、死後24時間以内に土葬にするしきたりになっています。

土葬をした上には、低木の木を植える習慣になっているらしく、左隣の母親のお墓は、すでに墓石の高さまで覆い尽くされていたのを、墓地管理人に頼んで上を少しカットしてもらいました。
右が、父親のお墓です。
このお父ちゃんはお父ちゃんなりに何かいろいろな事情があって、1セント2セントを節約するのに必死だったのでしょうけど、でも、あまりに子供の心を読めなさ過ぎでした。

わがアメリカ人の夫のことは、本人が「ワタシノコトハ書カナイデネ」と言っていることもあり、ハゲのネタなど、他愛もないこと以外ではなるべく登場させないのだが、この話だけは書かずにいられなかった。

先月末、夫の二番目の母が亡くなった。80を越えていたようだが、何歳だったのかは夫も知らない。夫は、自分の実母の正確な年齢すら知らなかったと言うので、自分が成人してから父親が再婚した相手の年齢などwho cares?だったようだ。

夫の一族は、ユダヤ系である。祖父母の代に東欧からニューヨークに移民してきた。ユダヤ系と言えども、カネには全く縁のない、つましい暮らしだった。
◯◯人は××だ、というふうに、民族ひとつを十把一絡げに表現するのは良くないけれど、「ユダヤ人はケチだ」という一般論は、こと夫の一家というか、父親には非常によく当てはまっていた。というより、「ケチ」や「つましい」、なんてレベルの話では到底及びもつかないのである。

夫は、子供のころから、自分の家を「変だなあ」と思っていたという。親戚の行き来もないし、お友達を呼ぶことも親から禁止されていた。お母さんの料理は超が付くほど下手くそ。彼は子供のころ、母親に付いて買い物に行くと、よく「Buy a pizza, buy a pizza(ピザを買って)」とねだったが、めったに買ってもらえることはなかったという。いつも、炭になるまで焼いたまずい肉に、ケチャップをたくさんかけて食べさせられていた。お陰で、夫は今でもケチャップが大嫌いである。
自分の家では、異様なほど出費が許されないのだとわかるまで、そう年月はかからなかったという。お父さんは、電話1本かけるのに10セントを払うくらいなら、1時間歩いて相手に会いに行くほうを選択するような人だった。夫には兄と姉がいるが、ユダヤ人の家庭は日本人と似たところがあり、長男が絶対的に大切にされていた。夫より9歳も年長なこの長男、ろくでなしのクズで、家がおもしろくないせいか家庭内暴力がひどく、狭い家中の家具や壁をめちゃめちゃにしていたのに、この両親は、長男が大事だからという理由かどうか、叱りもせず、しつけもせず、はれものにさわるように彼を扱っていた。彼には家で一番広いリビングを与えられ、ほかの家族4人は、狭い台所の隅に身を寄せ合って食事をしていた。彼には、トレイに乗せて食事を運んだそうだが、少しでも気に入らないと、食器ごと壁に叩きつけた。そんな家庭では、友達を呼べるはずもなかったが、呼んでもお菓子などを出せないからでもあった。

夫には、気の毒なことに、子供時代に面白い思い出がほとんど皆無だ。夏休みになっても冬休みになっても、とにかくどこにも連れてってもらえずに、いつも一家で家にじっとしていた。
「映画を見に行こうよ」
と言うと、
「あと半年たったらTVでやるから待て」
と言われ、
「博物館(遊園地)に行こう」
と言うと、
「What is that needed for?(なんでそんなことが必要なのだ?)」
と言われ、
「海水浴に行こう」
と言っても、彼らの住居から一番近い海でも、最低料金の電車賃で行かれなかったので、滅多に連れて行ってもらえなかった。
小学校も2、3年くらいになると、クラスの同級生達は、夏休みに、飛行機で西海岸のディズニーランドとかハワイなどに連れて行ってもらうようになっていた。夏休み明けの初日、先生が、
「皆さん、夏休み中の思い出を話し合いましょう。○○君はどこに行ったの?」
と、一人ひとりの生徒を指して発表させていた。が、夫の場合は、ついぞ、「どこにも行きませんでした」以外の回答をしたことがなかったという。
夫が通っていたニューヨークの小学校では、1年生と2年生のとき、10時のおやつに牛乳が出たのだが、全学年で、夫一人が、牛乳を飲めなかった。父親が申し込まなかったからだ。その理由と言うのが、「十分に冷やされていないおそれがある」という馬鹿げたものだった。要は、牛乳代が出せない(出したくない)ためだったのだが、クラス中で一人だけ牛乳が配られなかった夫を想像すると、涙が出そうになる。
夫はまた、学校中で一人だけ、学校給食を食べることができず、家から、ピーナツバターとジャムをサンドしたサンドイッチを持参しつづけた。お母さんは料理が下手だったので、弁当と言ってもそのくらいが関の山だった。学校給食が、たとえば、1食につき親から30セント徴収するとしたとしたら、夫の家では意地でも29セント以下でサンドイッチを用意するのであった。学校中で給食を食べなかったのはこれまた夫だけだったらしいのだが、夫の父は、給食費を払わないために、これに対しても、「コーシュー(注:ユダヤの戒律にのっとった料理)ではないおそれがある」と難癖をつけて断っていたのだ。笑わせるのが、夫の通った学校には、ユダヤ人の聖職者(rabbi)の子供も通っていたのだ。これでコーシューでないわけがない。おまけに、どう考えてもおかしいのが、学校で、夫だけスクールバスでなく、一人で歩いて通っていた、というのである。「スクールバスってお金かかるの?」と夫に聞いても「No」だという。だったらどうして?と聞いても、今となってはわからない。とにかく、父親が、スクールバスを使うとカネがかかると信じ込んでいたのは確かなようだ。

とにかく家にいて勉強ばかりさせられていたため、すっかり近眼になってしまった。もともとユダヤ人は教育熱心で知られ、子供を学者や弁護士、医者にさせる例が多いけれど、そこまで子供に楽しみも与えないどころか惨めな育て方をしなければならないほど給料が安かったのであろうか。職安に勤める公務員だったのに、不思議だ。

子供たちは3人とも、奨学金で大学へ行った。親が1セントも出さなかったからである。姉さんは真面目に勉強して医者になった。

しかし、クズの兄さんは、ある日、仲間とともに抗議行動の準備をしていた際、武器の不法所持で警察に逮捕されてしまった。父親は弁護士を頼むカネがなかったが、ユダヤ人に弁護士は多いので、つてを頼ってなんとか1人調達した。弁護士費用も、そして、その後、収監を免除する代わりに心理療法士のところへ一定期間通うようにという判決を得たけれど、その療法士の費用も、父親が、公務員の仕事を終えたあと、夜に、東欧ユダヤ系移民を対象とした英語の先生のアルバイトをして工面した。イェディッシュ語という、昔のユダヤ人の東欧言語が話せたためである。

夫はコロンビア大学に行った。大学に入ってすぐ、母親が死んだ。父親がカネをけちって、あまりいい医者にも診せないでいたら、痔だと思っていたところが、実は大腸がんで、手遅れになってしまったのだ、と夫は言う。ここまで来ると、どケチも命取りそのものである。

母親が死んで3年後、父親は再婚した。もう子供たちは全員成人したあとだった。
継母は、父親の生活ぶりをみて仰天した。彼女は、長年、宝石店の店員を勤め、地味な暮らしをしてきた人だったが、夫の家庭が、まだ白黒テレビ(注:親戚からのお下がり)を見ていたので驚いた。それで父親は初めてカラーテレビを買った。また、ユダヤ人なのにイスラエル詣でをしていないことにも驚かれ、父親はやっとこさっとこ彼女とともに海外旅行に出た。

さて、その父親も、数年前に、継母と一緒にスーパーで買い物をしていたところ、転倒し、首の骨を折って死んだ。30年近くをともに生きた継母は、ほどなく頭がおかしくなり、弟や親族のいるニューヨーク州バッファローに戻り、入院した。

夫を激怒させる事実が発覚したのは、その後まもなくのことである。

継母は、最終的に、アルツハイマーをわずらったので、弟や甥が彼女の財産管理をすることになったのだが、なんと、継母は、父親が死んだとき、総額約60万ドルにも及ぶ遺産を一人で相続していたことが明らかになったのである!

あれほど子供たちに惨めな思いをさせ、1セント2セントを切り詰めるどケチの人生を送らせ、どこにも連れて行かず、牛乳も学校給食も食べさせなかった父親が、なんと、子供たち3人に全く血のつながらない後妻にだけ、60万ドルの大金を残していたのだ。

「思い出すと不愉快になるから聞かないでくれ」
と夫は言うが、
「一体全体、どうしてなのよ?日本では、配偶者と子供が法定相続人なのに、どうして後妻が全部持っていくの?」
と聞いても、アメリカでは大体配偶者が全部相続するのが当たり前だ、といって、それ以上抵抗するそぶりもみせないでいる。
そしてその60万ドルで、彼女はバッファローの療養施設に入院し、数年後、先月死亡した。
残った金があったかどうか、彼女の甥からメールが来ていたけど、夫はあてにしていない。

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