はいお待たせしました。 「野良犬トビーの愛すべき転生」
その感想の続きをいきます。ちなみに主人公のこの犬。一番大好きだった飼い主である少年イーサンの時には、ベイリーという名でした。
主人公の犬は「前回の人生」での経験があったからこそ、現在があるのだと自覚する。
たとえば警察犬(K9)として行方不明者捜索の仕事に就いていた時。日々の「捜せ」
の指示によって嗅覚が鍛えられたおかげで、その後何年ものブランクがあったにもかかわらずまた新たに人を捜し出すことに成功したのだと。
そして次の人生では、ある時イーサンにつながる者たちの匂いを敏感に嗅ぎとり、それらをたどって「たやすく」ついに永年の夢だったイーサンとの再会を果たし、再び彼の犬になる。映画では老人となったイーサンが「ベイリーか?!」と自分だとわかるシーンを落しどころにしていたが、原作のこの本ではちがう。もっと深い。犬は気付く。
「捜せ」で捜し出すのが終わりではなく、さらに先があった。それは「救え」だと。
自分が犬として何度も生き返った理由は、人の心を救うためだったのだとーーー。
ところで何度も生まれ変わる話といえば、この有名な絵本「百万回生きたねこ」 ↓
あなたもきっとご存じなのでは? ストーリーはこうだ。
自由気ままな無頼を気取り、死ぬことなどへっちゃらで一度も泣いたことがなかった
オスの「ねこ」
百万回目の人生で白いメスねこに出会い、初めて家庭を持つ。子供も生まれて幸せだと思える生活を送っていたが、やがて白いねこが死んでしまう。その時初めてねこは泣く。今まで泣かなかった百万回分を泣き尽すと、ねこも死んでしまう。そしてもう二度と生き返りませんでしたーーーーー でお話が終わる。
オレは初めてこれを読んだ時に思った。男の目線として、いかにも若い女の人が作りそうな話だなと。運命の出会いや幸せな結婚生活へのあこがれか。ありがちだなと。
良き伴侶を得ての愛ある日々を送ることこそが人として尊いことですよと諭されているようで、それはまちがいではないのだろうけれど、もうひとつ鵜呑みに出来ない抵抗感があったんだ。白いねことは何なのか。そのまま「運命の女性」を指すのではなく、その人なりの生きる目的、生きる糧、ライフワーク、アイデンティティー・・・・
それらの象徴として捉えることも出来ますよと。そんな奥深い作品なのだと、今ではまるでバイブルのような存在のこの絵本。そんな評価が高まるにつれ、「好きなんだけど何かがちがう」とずっと思っていたオレ。それが何なのかが、今回この犬の本を読んではっきりした。
このねこは、何かを成し遂げたわけじゃない。百万回生きてきた中で、誇れるようなすぐれた仕事をしたわけでもなさそうだ。白いねこに心底惚れて愛した風でもないし、白いねこにいたってはねこに惚れていたかどうかもあやしい。(そんな記述がどこにもない)
ねこの百万回目は、われわれ庶民が送っているいわば「ふつうの生活」で、そうなるとふつうの生活こそが尊いのですよということになる。ちがうか?
何ら学習するでもなくただいたずらに何度も生き死にをしただけで、たまたま百万回目にラッキーパンチが当たっただけのねこ。それに対してはるかに少ない数の人生の中で常に体験を糧として自己を冷静に分析し、次の人生に生かす努力を重ねた犬。
自分が生きるその役目は、人の心を救うことなのだとはっきり答えを出している。
彼は基本的に人間が好きで、人に尽くすことに喜びを感じるだけではなく、救うことをちゃんと実行している。ねこは人を救ったか? ねこは「自分のことが一番好き」だったじゃないか。犬のように飼い主とお互いを幸せと思えてこそじゃないのか?
そして百万回目の人生で救われたのはねこの方じゃないか。「あぁねこよかったね。これでやっと死ねるね」という話で、白いねこを救ったわけでもないと思うんだな。
年老いたイーサン亡きあとは、かつての恋人であり再会後(二人を再会をさせたのも犬!)現在の妻となったハンナの悲しみを和らげることが今後の使命だと自らを奮い立たせ、「すべてがこの瞬間に結実したという、確信に裏打ちされた心の平安」とのハッピーエンドで完結する見事さ!
そんなわけでこの犬の本。オレのイチ押し!!