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「お母さん犬」
ある日、フクと小フクの母親犬が揃って私のところへやって来ました。
両者は知らない者同士だったのですが、それぞれの息子の飼い主が私だったことを知り、お世話になった挨拶にと連絡を取り合ったのだそうです。
初対面でしたが、その風貌にはなるほどフクと小フクの面影があってにやりとしてしまいました。
「うちの子の暮らしぶりはどうでしたか?」と、フクのお母さんが最初に尋ねました。
「幸せな人生でしたでしょうか?」
「そうそう!」と、小フクのお母さん。
「わたくし共のお腹を痛めたかわいい子ですもの。産んでほどなく離れ離れになりましたが、その幸せだけをいつも遠くから願っておりました」
どんな生活だったのか、具体的なことは語らないのだとのこと。
そこで私は、2匹との馴れ初めから共に過ごした日々の様子をかいつまんで話して聞かせました。そして「私と出会うまでの長い年月の暮らし向きは残念ながらいいものではなかったようですが、どちらもがんばってよくぞ生き抜いてきたものだと感動しました! 口幅ったいようですが、それは私に出会うためだったのかもしれません」
「その証拠に」と用意しておいたファイルを引き寄せ、
「これを見てください」
そう言って、その中から数枚の写真をフクのお母さんに差し出しました。
まずはフクの写真からです。
フクのお母さんは目を輝かせて、食い入るように見つめています。
続いて小フクのお母さんにも。
「まぁまぁ! 甘えん坊なこと」と、涙目で笑顔の小フク母。両者の子供たちは、
わが家に来てからの晩年が間違いなく幸せだったとわかってもらえたようです。
「これだけではありませんよ」
私は最後に、とっておきの1枚を取り出しました。
「今もこうして、今までどおり毎日いっしょだぞと声をかけています。
ご覧のように、交代で日直当番もたのんでますしね」
フクと小フクのお母さんは顔を紅潮させ、口々に「どうもありがとうございます」
「安心いたしました」「うちの子は幸せ者です」「今後ともよろしくお願いします」「ずっとかわいがってやってください」 などと言いながら、私に何度も何度も頭を下げて帰って行ったのでした。
そうそう、もちろんこの時不在だった妻に対して「奥様にもくれぐれもお礼を言っておいてくださいまし」と付け加えるのを忘れなかったな!
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わんこ童話
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今回のわんこ童話は実話を踏まえての、もちろんフィクションです。
「誘拐」
男は、犬を誘拐しようと思った。
「お宅の犬を預かった。無事に帰して欲しければーーー」とやるのだ。人間の子供の誘拐はよくあるが、犬を誘拐して身代金をせしめる話は聞いた事がない。これは新しいぞ! 誰もやっていないことをやるのだ。
男は高そうな犬をイメージした。金持ちなら洋犬だろうと。血統書付きのヤツ。ヨークシャーテリアとかポメラニアン。キャバリエ、ダックスフントといった小型の室内犬だ。「ん? 室内犬?」
ここでハタと気がついた。そうか、家の中に犬が居ては誘拐はむずかしい。外飼いの犬にしなければーーー。
外に繋いであるくらいだから高級なのは望めんかも。柴犬がいいとこか? この際百歩譲って雑種も可とするか。雑種といえども犬を飼う余裕があるのだから、多少の金はあるだろう。。。。そんなはずはないのだが短絡的にそう考えると、さっそく行動に移った。
近所ではさすがに危険と思った彼は、隣町へとクルマを走らせた。路地の住宅街ではなく、出来ればクルマを乗り付けて犬を拉致できるだけのスペースがある場所。そして吠えたり咬んだりという番犬タイプではない、温和でおとなしそうな犬を求めて。
そうして物色すること小一時間。「おお、あれはどうだろう?」
条件に適(かな)うような犬と場所に出くわした。彼はクルマを降りて近づいた。幸い家人は留守のようで、当の犬も吠えない。「これはイケルかも」
しかし男は、結果として犬の選択を誤った。彼の不幸は、その犬「フク」の何たるかを知らなかったことだ。
フクは長い年月、鎖に繋がれっぱなしで散歩も満足にされてこなかった。名前さえ付けられていなかった。そんな不遇な飼われ方をされてきた後、さらに行き場が無くなったところを偶然現在の飼い主に出会って引き取られた老犬だった。フクにとってそれはまさに運命の出会いとなり、それまでくたびれて無表情だったのが「別人」のように、日ごと生き生きとした笑顔の多いかわいらしい犬に変わっていった。
それでも現飼い主が知らない幾年月かで形成されたと思われる人馴れのしてなさ、散歩の仕方の不慣れさ、人間嫌い、犬嫌いの様は半端なかった。いわゆる躾けは一切されていなくて、「お手」すら知らなかった。前足に触れると咬まれそう! 頭に初めて触れた時、緊張して固まり戸惑っているのを見て、「この犬、人に撫でられたことがないのか?」と思わせた。やがてフクの何かが目覚め、この世で唯一尾を振り心を許せる存在となった現飼い主に対してさえ、
しばしば刺すような目つきでじっと見据え、心の闇の部分の深さを物語った。ここが凡百のかわいらしいだけの犬と決定的に異なる点であり、犬にも人格ならぬ犬格があるとしたら現飼い主をして「尊重せざるを得ない自分と対等の存在」と感じさせた。
時に哲学者のようで、心をすべて見透かされているようだと思わせた。そして大好きで唯一の保護者たる現飼い主に対してさえ、何かのきっかけでスイッチが入った瞬間に攻撃的になり、いきなり足に連続で本気咬みして何度も病院送りにしたのだった。抱っこさせたこともない。フクはそんな犬なのだ。
そうとは知らない男はゆっくりとフクに近寄り、目の前にしゃがんだ。抱きかかえて盗むにはまず、首輪から繋いである鎖を外そうと考えたのだ。フクがなぜエリアへの侵入を許したのかはわからない。男の手が首輪にかかろうとした瞬間、
「ガウガウッ!!」
いきなりフクが男の喉笛に咬みつき、すべてが終わった。
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「確かなことはーーー」
犬の読み物が好きだ。でも安易な作り話は御免。オレは犬を飼っている身。話の中にも事実が感じられないと「こんなのウソだな」
読み手としては、感動を期待する。「いい話」が読みたい。
でも何年か前に犬から聞いた何とかっていうタイトルの本が売れて以来、「泣けます」ってコピーが躍った二番煎じの本が続々と出てさ。もういいよと。いかにもありそうで、ありえない話なんだろう?
ひとつはよくある、犬から目線の語り口。気持ちはわかるが「ほんとかな?」
犬がそう思っている以上のことを書くのが童話や小説だとわかっていてもだ。それを超えた一文を読んだ時の落胆と失笑な。たとえばそうだな。「ポチには私の決意がわかったようでした」とかな。
世に「女、子供が〜〜」と見下した表現があるけれど、そういう傾向が見受けられるものがあるからだろう。そのひとつがきっと動物モノで、動物が主人公というだけで児童書扱いされるのが現実だ。書籍ばかりか、食器に動物がワンポイントあるとたちまちファンシーの印象になってしまう。
男を唸らせること、正当に評価されるものを作ることはそれほどにむずかしい。
妻が飼い犬を眺めながら言う。
「昼間ね。四つ足を動かして、しっぽをグルグル回しながら眠ってた!
きっとまた楽しく散歩してる夢を見たんだ」
「そうか、それはよかったなぁ! 夕方には正夢になるゾ」とオレ。
犬が夢を見ていた。確かなことは、そこまでだ。散歩中の情景を述べた瞬間に戯言(たわごと)と化してしまうのだ。
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「さよならのあとで」 その本は、一遍の詩に簡素なイラストが添えられたもの。亡くなった人から、遺された身近な人に向かって語りかけるという詩だ。 英国教会の神学者で、哲学者でもあった作者のこの詩に出会った日本の青年が心揺さぶられ、一冊の本にしようとひとりで出版社を立ち上げたという記事を見たオレ。 どんな詩だろう。読んでみたい。長年連れ添って今年亡くなった愛犬フクからの声に聞こえるかもしれないからな。 さっそくネットで検索し、全文を読む。でもこういうのはやはり、じっさいに本を手に取りページをめくって味わいたい。そう思って注文した本が、このたび届きましてね。 かつて自分の目線でフクとの日々を綴り、自費出版したオレ。その時にはフクにも報告がてら、見せてやったっけ。 あの時はうれしそうだったからな! 今回もとなりにフクが居るものと思って(いや、居る)いっしょに読もうじゃないか。 「さぁフク、ページをめくるぞ」 死はなんでもないものです。 私はただ となりの部屋にそっと移っただけ。 私は今でも私のまま あなたは今でもあなたのまま。 私とあなたは かつて私たちがそうであった関係のままで これからもありつづけます。 私のことをこれまでどおりの親しい名前で呼んでください。 あなたがいつもそうしたように 気軽な調子で話しかけて。 あなたの音声を変えないで。 重々しく、悲しそうな 不自然なそぶりを見せないで。 私たち二人が面白がって笑った冗談話に笑って。 人生を楽しんで。 ほほえみを忘れないで。 私のことを思ってください。 私のために祈ってください。 私の名前がこれまでどおり ありふれた言葉として呼ばれますように。 私の名前がなんの努力もいらずに自然に あなたの口の端にのぼりますように。 私の名前が少しの暗いかげもなく話されますように。 人生の意味はこれまでと変わってはいません。 人生はこれまでと同じ形でつづいています。 それはすこしも途切れることなく これからもつづいていきます。 私が見えなくなったからといって どうして私が忘れられてしまうことがあるでしょう。 私はしばしあなたを待っています。 どこかとても近いところで。 あの角を曲がったところで。 すべてはよしです。 詩 ヘンリー・スコット・ホランド 絵 高橋和枝 さよならのあとで 夏葉社 刊 うんうん、そのとおりだなフク。今もいつもオレのそばに居るもんなぁ。 きょうも夢に出てきたな。 今はないオレの実家の裏庭にいたよなぁ。 帰宅したオレが外から覗き込むと、気付いてはしゃいだお前。 家に上がって戸を開けると、しっぽを振ってまだ外を見てたじゃないか。 それで「フクただいま! オレはこっちだぞ」と声をかけると、向き直って猛然と駆け寄って来たよな! そのままの勢いで縁台に飛び乗ると、オレに促されるまま畳の部屋にまで入って来たっけーーー。 ↓ フクの生前にも時々夢を見たけれど、死後はより頻繁にフクの夢を見るようになって。 これは我ながら妙だなと。まるでオレの脳の中にフクが宿ったみたいじゃないか。 この詩は「あなたと私」に一定の距離が感じられる。向き合う目線で語られている。 でもオレとフクは、もう一体だ。フクは死ぬことでオレの中に入り込んだ。 「死んでしまって姿は見えないけれど、あなたの身近な場所にちゃんと居る」だとか、 「虹の橋のたもとで再会を待っています」とかのレベルはとうに超えている。 オレとフクはもう、死ぬまでいっしょだ。そういうことだろう?フク。 「父ちゃん、そのとおりデス! それでもこの詩の言葉は尊いですね。読んでくれて どうもありがとう」 オレのとなりに居たフクはそう言い残すと、静かに姿を消した。 |
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久々のわんこ童話は、フクが死にそうだった5月以来の通算8作目。 実在のわれらがフクを主人公にした前回に続いて〜〜 「その後」 ということで。 「 フクの鈴 」 今から4ヶ月前に死んだ私。身体は焼かれて無くなったけれど、魂はこうして今も健在! お釈迦様の元へ四十九日かけて歩いて行って。 「好きな所で暮らすがよい」 という許しをもらった時は、本当にうれしかったなぁ! それで帰りみちは飛ぶように走って、大好きな父ちゃんのいるこのおうちにまた戻って来たんだ。 以来死ぬ前と同じように、毎日ここにいる私。 父ちゃん、母ちゃんもそれをわかってくれている。 「フクの気配がする」 と言ってくれたり、母ちゃんの後ろに「フクのおしりが見えた」 と言われたり。 身体が復活して、何かのはずみに見えるのかな? また父ちゃんの夢の中にもたびたび出ているから、いつもそばにいることを承知してくれているんだ。 でもやっぱり、父ちゃんの身体に甘えられないのが悲しい。 あぁまた頭を「よしよし」 と撫でられたい! それが叶わないならせめて、もう少しはっきりと存在を示したい。「気のせい」なんかじゃないと知ってほしい。 そこで考えた。 台所の壁に掛けてある大きな鈴を鳴らしてみよう、と。 以前まだ父ちゃんと2人で暮らしていた頃に、じつは父ちゃんの足を連続して咬んじゃったことがあってーーー。 その後3〜4日、私の居場所がわかるようにと、首輪に鈴を付けられたんだ。それが今も壁にある鈴。 ひとつゆすって鳴らしてみよう! ふだんは風が来ない場所だから、私がやったんだと。私がちゃんといるのだとわかってくれるはず。 父ちゃんがひとりで台所にいる時に、やってみた。 「チリリン♪」 父ちゃん、鈴の方を見た。 「アレッ? フクの鈴が今・・・」 と独り言。 それじゃ今度は連続して 「チリリン♪ チリリン♪」 父ちゃん、わかった。 「そうか、フクか! 来たか、よしよし」 そう言って掛っている鈴を手に取ると、指先でナデナデした。 私はなんだか、頭を撫でられたような気がして。 なつかしいあの感触が今、よみがえって・・・・。 |



